
2006年3月
山登りを始めたきっかけは小学生の頃に学校の講堂で見せられたエヴェレスト登頂の記録映画と、高校生の時に図書館で見た岩波写真文庫の「スイスの山と人」という本、やはり同じ高校時代に見た「山の上の第三の男」(小説の原題は「Banner in the Sky」)というマッターホルンをロケ地に選んだ映画の影響である。高邁なパイオニアー精神をもって山岳部に入られた多くの先輩、後輩の皆さんに対して、あまりに単純な動機が今となっては恥ずかしい。
若い頃に戻れたら何をしたいかと聞かれると、たとえば人によれば、昔は声も掛けられなかった片想いの女性に今度こそ、ちゃんと声を掛けてみたいとか、当時は給料が多かったから工学系を選んだけれど人文系の職業についてみたかったとか、あのチャンスにドロップアウトして新しい仕事へ転進してみたかったとか色々ありそうだけれど、自分の場合は色々と考えた挙句が「もう一度山岳部の頃のように岩登りをしたい」という単純な想いがある。
58歳の時、自分が「狭心症」になったことに偶然、それも早く気がついた。2003年の6月東京出張の際、宿泊先の中目黒のホテルから防衛庁技術研究本部へ向かう道で軽い胸の圧迫感を自覚したのが最初。月に1、2度のペースで友人と出かけていた近郊の登山の際や、毎晩夕食後にしていた軽い散歩程度のウォーキングの際にも何度か軽い胸の痛みを感じたことがある。それは「問題なく我慢できるけれど、歩きのペースを上げるのは少しヤバイな」といった程度のものであった。そのうちに新聞や雑誌の健康相談の欄に自分の場合と非常に良く似た症状の相談があることに気づいた、「狭心症」である。
国立岩国病院というところに行って、自覚症状を説明すると循環器科の若い先生は「狭心症みたいですね、すぐ検査した方がいいです。」と言って、あっという間にカテーテル検査の予約をされてしまった。2、3日後手術台に乗せられて手首からカテーテルを挿入され造影剤を入れてみると、「大沢さん『当たり』です、血管が細くなっている場所があります」と主治医は「福引」きに当たったようなことを言う。2、3人の医師がなぜか驚いている、「何で分かったんだ」と主治医に聞いている。「本人が山登りをしていて自分で気がついたみたい」と返答している。どうやら「早期すぎる発見」ということらしい。
「早く手術した方がいいですよ」と言われたが、提出寸前の図面仕事もあったので手術は1週間あとにしてもらった。普通はバルーン(風船)を使って血管の狭窄部を拡げ、ステントという金属製の筒を血管内に残して再狭窄を防ぐのだけれど、どうやら久し振りの「新鮮な患者」が来たということで、新しい治療をやってみようということらしく、トンネル掘削機を超小型にしたような新しい道具を使って患部を削り取った。手術前に主治医は、その道具の取扱説明書らしきものを嬉しそうに読んでいたような気がする。
カテーテル検査も本番の手術も、手術そのものは最初の麻酔注射のチクッとした痛み以外は基本的になんでもない、痛いのは手術後の出血を止めるための圧迫で、これがいささか苦しい。結果的に、この手術の半年後と1年後に都合2回のカテーテル検査を受けて最終的には「4000m以上の高山の登山に支障なし」という診断書を強引に書いてもらってシャモニ在住のガイドに送った。フランスの公認ガイドの場合、客が60歳を越えると医師の健康診断書を要求する。ちなみに検査から最終的な健康診断書交付までの総費用は健康保険適用下で約550000円であった(手術が無ければ年齢相応に精密な健康診断の費用は診断書の交付を含めて約45,000円程度である。私の場合、郵便の簡易保険と中小企業経営者向け保険を使って結果的に出費はほぼゼロであったけれど)。
後述するように2回目のマッターホルン挑戦も残念ながら失敗した。その原因は狭心症による心肺能力の不足かもしれないし、おそらくは単純なトレーニング不足だとも思う。
考えられる原因のもうひとつは遠い昔、新入社員時代の会社の診療所の歯科医に由来する。生まれつき歯が弱くて、小さい頃から奥歯に虫歯を多く作ったのだけれど、これを会社の診療所のヤブ歯医者にガンガン抜かれて、自前の歯が年齢平均よりずっと少なくなっていたことも多分に「歯を食いしばって頑張る精神力」の消失に原因がありそうな気がする。このヤブ医者の顔も忘れてしまったし、登頂失敗の損害賠償請求訴訟を起こすためには、歯のがたつきが本当に「頑張り」に影響を与えるのか、まだまだ研究が足りない。
加えて、体のどの部分のトレーニングが不十分だったのか反省してみると、誰も信じてくれそうもないが意外なことに首の筋肉だったのである。普段かぶらない登攀用ヘルメットを頭に載せて、常に70度以上の仰角で12時間以上ガイドの登って行くのを見つめていると、老人はその後2、3日首が動かせなくなる、これは本当です。
さらに精神的な反省点を付け加えると、「おだてには乗り易いが他人の非難には必要以上に脆い、生まれながらの貧しい性格」も失敗の原因の大きな要素であったかもしれない、しかしこれは遺伝的な要素もあるのでトレーニングではなかなか克服できない。
以下大急ぎで登頂の日までを記述する。
(1)トレーニング
(2)スイスへの旅
(3)現地でのトレーニング、ガイドのTさん
(4)登頂の日、8月1日