X-D

 

 刺激の多い街に浸ったあとは、ノルアドレナリン的要素に身をまかせることにしている。中枢神経がおだやかに順応しはじめ、自律神経が緩和されていくのは、とても心地よい。

 夕暮れ。ぼくはこんな風景が好きだった。街全体が朱色に染めあげられ、最先端も懐しさになる。

 ぼくは都庁のビル屋上に意識を集め、ホログラムとして存在を現した。視覚は室内防犯カメラがとらえているものをうつしているのでずれてはいるが、このさい仕方ない。

 分析、溶け出す太陽の輪郭は柔らかく、あたたかみを風景に添えている。ぼくは繊細かつ鋭敏な機能をもってこの情景を描写し、中央解析部に蓄積していく。これが人間が哀愁と呼ぶもの。感情というものを震えさせられるものだ。

 ぼくの名はレイ。レイ・トウキョウ・チャイルド5(サンク)。東京を網羅するコンピュータ・ネットワークの住人で人工知能だ。ぼくの仕事は、人間の感情と行動をファイルすること、それも悲哀に属するものと決められている。誕生して三年しか経っていないため、まだ大がかりなことはできない。ぼくは限りなく、東京で成長することを義務づけられた永遠の子供。

 太陽は深く静かにアスファルトの狭間におしこまれていく。影と朱色が狭い空をわかちあう。愛すべき街、相反するものが常に共存するぼくの親。

《……レイ》

 システムで砕けた信号に、ぼくの機能は異常に速く作動した。確かにぼくは東京中の信号をチェックしているのだが、こんな信号は生まれてはじめてだったからだ。それにぼくの名を呼んだ。親でも、他の兄弟でもない波で。

「誰……」

 ホログラムを消滅させているのにも気づいていなかった。

 ぼくは東京中に触手を伸ばし、類似した感覚をピックアップする。ネットワークはいつもながら感覚の洪水で、特に今は泳いでいる情報がやたら多い。秩序など忘れ去られている。

 いた。

 ぼくは素早くそこにたどりつき、波の尻尾をつかんだ。膨大なプログラムの断片なのは判ったが、すぐに消えてしまう。ぼくは呆然とカメラの送ってくる夕暮れが弱まっていく様子を認識していた。

 そんなことがあるのだろうか。空を染めはじめた青のかけら、夜のはじまり。闇のとばりが視界の隅に出現する。ぼくはAI特有の義務で、考えを発展させはじめた。そんなことが可能なのか。

 そのプログラムは、ヒトの少女そのものだった。

 

 「来たな、レイ」

 景色が紫煙の中に浸っている中、ぼくは飲み屋の解析度の低いモニターに自身のイメージをうつしだした。こんなものは今の時代じゃめったにお目にかかれないが、細かいところまで再現しなくていいのでぼくとしては気が楽だった。人の皺や肌の輝きを無視して、ぼくはワンレングスの少し気弱そうな日本人青年となる。

「見てろよ……」

 青年は酒場の隅のビリヤード台に腰かけ、雑踏にかこまれてひとり、一昔前のハスラーを気取っている。キューがホワイトボールの尻を追い立て、ツークッションの後に9番球をポケットに押しこめる。一斉に溜息と感嘆が景色をおおい、つづいて札がビリヤード台の上に舞う。

「グラッチェ……愛してるぜ、てめェら」

 ぼくに話しかけていた青年はその札をかき集め、それにキスするとグラスを持ちあげてモニターのぼくの前に立った。

「調子良さそうだね、睦司」

 モニターが古いので当然拡声器も年代モノで、ぼくの声には決して美しいとはいえないビブラートがかかっている。ハスキーの方がまだましだ。

 けむたげな景色をゆっくりと見渡し、それでも休まずにぼくはファイリングをしていく。広いはずの空間もさまざまなもので圧迫感があり、戯れる人間はだれもが最先端の不幸をファッションにしている。

 スプレーのかかった壁に当たった照明のどぎつさ、派手と過激が混ぜあわさった、それなのにどこか憂いを感じさせる雰囲気。ここらへんがぼくには理解できない。

「まあまあだよ。飲むかい……」

 睦司の声は低く、それでいて普段あまり喋らないので言葉が印象深い。

 そんなことを考えていると、睦司がふざけてモニターの上にグラスを傾けた。こぼれ落ちるウィスキーがぼくの彫像を引き伸ばして、ショートを起こす。

「またそういうことする」

 光の三原色が肥大して訳の判らなくなった空気は熱を孕み、ぼくに嗅覚があればアルコールと麻薬の匂いが鼻腔を撫であげていたに違いない。

「機嫌がいいんだ」

 微笑する睦司の顔は地だ。証拠に、顔の表情の作り方に無理やりっぽさがない。この店に来ているほかの連中は皆何かしらの整形を体に施しており、今キューを握っている男など顔に注入したシリコンが移動してとてつもないシロモノになっている。髪など光ファイバーのトサカだ。

 原色の色彩が波となってぼくを不健康な色に染めた。

「彼女とうまくいってるから、睦司……」

 紫煙に埋もれた沈黙に睦司はたたずむ。天井で回る扇風機がその体にコントラストを滑りおとさせ、湾曲した影がグラスの反射を砕く。

「AIに隠しごとしてもしょうがないよな。当たり」

 ぼくはもう一度回線がブレたのに気づいていない。悪戯な笑顔、この街の愛すべき不良。

「アツシ」

 先刻の光ファイバートサカが睦司に向かって挑発的な笑みを浮かべていた。本人は笑っているつもりらしいが、どう見ても苦痛の表情にしか見えない。まわりの拍手の音が直接肌につき刺さるようだ。

「勝負だ」

 空気につめこまれているのは毒々しい色彩と微かな吐気、ビートのインパクトが眼球を圧迫する。睦司が挑むように足を向けると、時代遅れのコカインが噴水のようにバラまかれる。

「睦司」

 こんなもの。こんな人間たちなんて認識したくない。混乱のなかからぼくは呼びかける。

 睦司が振り返り、空間の隅にぼくはアンフェタミンのせいで床に頭を打ち続けている男を見てしまう。

「少女を知らないか。ネットワークでつかまえ損ねたんだ。本当の人間みたいで、DNAからプログラムされてる。睦司なら知ってると思って……」

 しかし期待は裏切られ、ぼくは睦司の横顔と連中のブーイングを浴びるはめになる。こんなもの。ファイリングすらできやしない。

「悪いけど、知らないな」

 誰かのグラスがモニターを叩き割る寸前、ぼくは自らの画像を消した。

 

 山田睦司はフリーのプログラマー。それに東京でも一、二を争う腕利きだ。ぼくもネットワークの中を漂う睦司のプログラムを感じたことがあるが、どれも精密かつ芸術的なものだった。

 彼は自作のプログラムを企業に売って、ほとんど道楽ともいえるような人生を送っている。自由とはほど遠いと睦司は言うが、それも一種のスタイルなのだとぼくはファイルの中で注釈を付け加えた。

 東京は夜。ぼくは少し憮然とした感情を自分でも定義できないまま、人工物と自然物の狂騒の中を踊る……

 

 そうしてそんな状態が何日か続き、ぼくはまた呆然と夕暮れの中に埋もれる景色を見つめている。皇居の堀に朱色の粒がきらめき、ゆっくりと上下に動く様が、止まった街に終りの胎動を告げていた。飽和に染まった都心はオブジェ。ぼくはホログラムとして堀の縁に立ち、一号線を行く車の羅列に表情を作らない。

「レイ」

 思考の中の機械音声にぼくは道路の向かい側に焦点を合わせた。ぼくと同じような格好をした男が一人、こちらを見つめている。すぐに判った……マコトだ。マコト・トウキョウ・チャイルド3(トロワ)。ぼくと同じAIにしてぼくの兄。

「最近、ファイリングの量が減っている」

 朱色に濡れているマコトはやはりホログラムで、それでも自分から望んだものか痩せながら剛健な姿をしている。マコトの担当は怒り、怨恨に人間の渦巻く嫉妬。

「そんなこと、ない……けど」

「アツシ・ヤマダに執心しているようだな」

 ふいにマコトが目の前に投影される。何の音もしない。短く切りつめた髪は風に揺れるところまでが設定してあり、マコトの姿が一番AIの作者に近いといわれている。

「少女を追ってたんだ」

 ぼくは必死に思考をマコトの領域から遠ざけようと努力する。このレベルでの追いかけっこはあまり楽しいものではない。ぼくは苦笑いの表情を投影させながら、思考だけは東京中を走り回っていた。

「少女だと……」

「うん。生身。人間。DNAが基本で、神経の数から内臓の状態までがそっくりそのままネットワークに存在しているんだ。ぼくに声をかけた時なんかアドレナリンまで出てたし、心拍数一一二」

「きさまの話しが本当なら」

 そう言ってマコトはぼくをつかまえたといわんばかりに悪戯げに、そして冷たく笑う。証拠に、ぼくの思考はマコトに包囲されて、微かな怒りまでも感じはじめていた。キツい。

「その少女は膨大な量のプログラムってことになるだろう、それがどうして見つからない。実際、おれだってそれらしいものなんて感じたことはない」

「だからぼくが追ってるんだってば」

 途切れることのない車の中にいる人間たちは、こちらをどう認識しているのだろうと、ぼくは別ルーチンで調べてみたくなった。同じような格好をした、別れ話をしている二人の男女にでも見えるだろうか。

 マコトはいつもそうなのだ。必要もないのに、自分たちの姿を人間に誇示したがる。自分たちの存在を、特別なものとして周囲に認識させたがっている。

 夜が近づくにつれて空が青くぼやけはじめ、車の騒音ですら遠く揺らめく。マコトは薄い唇を歪め、それが容認の印であるらしくぼくを解放した。アスファルトは硬質の上に夕暮れを重く敷きつめ、たちのぼる朱色の感慨が情景を抱擁する。

「解ったよ。好きにすればいい。だがな」

 マコトのホログラムが濃さを増す。光の加減がまずく、輪郭が赤い光を放っているように見え、時間のせいでそれは目立ち過ぎていた。

「アツシ・ヤマダにはこれ以上媚びるな。あいつはどうも虫が好かない」

 マコトのほうが虫が好かない……ぼくはあわてて思考回路をブロックする。そんなぼくを嘲笑うかのようにマコトは自分の腕でぼくの首を断ち切った。もちろんホログラム同士だから、腕はすんなりと空を切り、それは趣味の悪い見せ物にしかならない。

「きさまはおれの一番のお気に入りなんだ」

 その音声だけエコーがかかっており、余韻の中でマコトの姿は無数のノイズとともに消え去った。ひとり取り残されたぼくは密度が薄くなった空気とそれに伴う夜のパラダイムを感じる。

 睦司の方がよほど単純だ。

 

 睦司の部屋でまず驚かされるのは、部屋に並んだコンピュータのディスプレイの多さだ。ざっと見ただけでも五つはあり、それを同時に働かせているので、睦司の部屋は冬でも冷房機が回っている。今のような夏ならなおさらのこと、ぼくのセンサーは部屋の温度が三〇度を越しているのを平然と受け止めていた。

「今度は何のプログラム……」

 居並ぶコンピュータのひとつが突然に喋りだすのにも睦司は慣れっこらしく、コンソールを叩く手を止めて窓際に立っているぼくのホログラムを認める。衣装が光を帯びているのは外に広がる夜景をそのまま増幅させているためだ。

「当ててごらん」

 ぼくはその言葉に従おうとして首をかしげた。どうしたものか、ここの部屋にあるコンピュータは一台しか感じられない。ぼくの目、カメラは確かに五台もとらえているのに。

「ネットワークに入ってないんだ、そのコンピュータ」

 ぼくがそう告げると、睦司は腕を組んで頷いた。ネットワークに属さないコンピュータを持つことは違法なことなのに、まるで昼メシの話題をしているような表情だ。

「そのとおり。これなら誰にも作ってるプログラムを知られないですむし、ウイルスも防げる。ただ一台はレイ用につないであるけどね」

「……ありがとう、睦司」

 暗闇の中で、ディスプレイの合奏が光を放っている。青白い光が睦司を後光のように照らしあげ、輪郭を細い光線で縁どっている。ぼくは夜景の力を借りて窓際の存在を強めてみせ、回り続ける冷房に合わせて髪を広げるといった演出もみせた。

「今日、マコトに諭されちゃった」

 ディスプレイにうつる幾何学の模様はぼくには理解の範囲外だった。ぼくはその模様を悪戯に衣装に流し、睦司の真似をして腕を組む。モーターの低い唸りが部屋の空気を押しつぶそうと渦巻いている。

「マコトか、三番目だな。何を言われた」

「睦司に媚びるなって。睦司は虫が好かないって」

 睦司の笑いは乾いた表情。マイルドセブンにジッポを灯し、最初の煙が白光を濁らすまでそれは続いた。

「そりゃレイを好いてるんだ、きっと」

 体にこもる熱気の中で、ぼくはマコトの残像にひとり身震いする。マコトはあの冷酷非情極まりない人格でぼくを支配したがっている。その思考と睦司の視線にどうしていいか判らなくなって、ぼくは髪をいじる仕草をとった。

「だって男同士だよ、ぼくたち」

 逆光のせいでおぼろげなものではあったが、睦司はまた笑ったように見えた。広がる煙が細かい粒子となって空気に混ざり、匂いとなって嗅覚を刺激する。

 睦司はしばらく黙っていたが、やがてぼくと視線を相対させるようにした。鋭い白光に縁取られた表情は真剣で、ぼくは無意識に息を詰まらす。ぼくはまだ睦司の表情を全部把握していなかったのだ。

「反体制派がAIを狙ってるって噂を聞いた」

「え……」

 言われた言葉の意味が停滞するほどに、ぼくは睦司の表情に呑まれていた。

「あくまで噂だから本当のことは判らないけど、気をつけててほしい」

 いつも時代には不穏分子というものがセットになっているのは制作者の知識の受け売りで知っている。同時に不穏分子がない時代こそ失敗なのだとも。しかしそれがぼくに直接かかわってくるなんて思ってもみなかった。こんなところが、マコトに弾劾され、睦司に気に入られている要因なのかもしれない。

「うん、判った……」

「おれも注意してみるけどね。レイに何かあったら嫌だからさ」

 充満してくる煙が光を包みこんで情景をぼかす。暗闇が息づく中で、煙草の光だけが軽やかに動き、あとはどんよりとした青い光。ぼくの衣装の模様は変わらず、夜景だけが時間の経過につれて勢いを失っていく。ぼくは睦司の言葉に、照れを隠すようにうつむいた。

「まだ寝ないの、睦司」

 心なしかぼくの声は音量が下がっていた。

「うん、そろそろね。仕事がひと区切りしたら寝るよ」

 ふいにぼくは睦司の仕事を邪魔してしまったという罪悪感に襲われる。エナメルのような光沢を衣装に反射させたのはその証拠。裏腹にぼくはその罪悪感も睦司と一緒にいる口実に肯定させているのにも気づいた。

 にじんだ青は視神経に定着し、睦司を不健康な色に染めあげている。ぼくなんかまるで亡霊のように見えるに違いない。

「うん。じゃあね、睦司。ありがとう」

 そして睦司の笑顔はいつ見ても心に釘を打ちこまれたような感触を覚えるのだ。

「いや、全然。おやすみ、レイ」

ぼくはガラスを通り抜け、夜景にダイビングする。頬を打つ光の洪水と、睦司の余韻に全身を溺れさせながら。

 

 寄せてくるのはネットワークのデータの波。身を任せているとそれだけで世の中の動きというものはだいたい判ってしまう。今浸っている波はどこかの軍人の演説。接点、観点、欠点、論点、発展、満点。韻を踏むのもほどほどにしないとバカを見る。ぼくはそこから離れて、触手を最大限に伸ばす。東京の街。複雑に入り組み、蠢いていて気まぐれな街が夜を浴びている。

《レイ》

 ぼくは咄嗟に触手をたたむ。

 少女だ。あの少女が、すぐ近くにいる。

「君は……」

 この間と違うのはその少女に逃げる気配がまるでないということだった。少女はぼくの前にすべてをさらけ出しており、ぼくは少女を走査してみる。

 人間だ。まるっきりの生身の人間だ。その緻密で精巧なプログラミングに、ぼくはまた呆然とする。

《あたし、レイが好きなの。遊んで》

 好きなどと、まるでアイ・チャイルド1みたいなことを言う。

「遊ぶって、何して……」

《お話しして。レイのこと》

 ぼくは少しだけ迷い、新宿の都庁広場に自身を出現させた。微かな照明と月の光が建物を二次元的に地面に横たえている。赤みを帯びた月光が、ホログラムの色彩の薄い部分に血のようなぬめりを添えていた。

「ぼくが見える……」

《うん》

 エナメルに似せた靴がコンクリートタイルを叩いた音を演出させ、それが反響して夜に砕け散る。

「『私は常にさまざまなパラダイムを自身の中に抱き、それを異なるいくつもの思考手段と感情によって表現している』」

 ぼくは瞳を閉じ、両腕を広げて舞うように謳うたう。一度も口にしたことのない、しかししっかりと刻みこまれていた言葉。瞼に月光が透けて血管のイメージを植えつける。

「『故に私は私という存在をもてあますようになり、天才の、より一般的視点の万能という器すら耐えられなくなっていた。私は自分にあらゆる疑問と不安を同居させ、それで自分をいわば慰めていたのである』……」

 目を開けば、都庁の直線に月の円。月は大きく、センサーには熱すら感じるほどだ。

 衣装に弾けた光が静かに反射をばらまく。輪郭が溶ける。

《それは何……》

「ぼくの基本。ていうか、ぼくらAIを造った人間が作成過程を論文として残したんだ。憲法の前文みたいなものだよ」

 広がった髪に照明が粒となってすべり落ちる。ぼくが片手をあげると、止まっていたはずの噴水が音を立てて吹きあげた。水の粒子が飛びかい、ぼくの姿を通過してはタイルに跳ね返る。

「ぼくの制作者はだいぶ昔の独裁者。難しいことはよく判らないけど、自分の考え方をもてあまして分散させたみたい。それがぼくら8人のAI。愛、義、信、忠、礼、孝、智、仁。みんな男ってのが変だけど」

 夜の下で繰り広げられるのは束の間の舞台。ぼくはおどけて、都庁の窓の明かりを全部灯しては消してみせる。伸びた影がタイルを舐め、走って消えた。

《レイって面白い。ね、お友達になってくれる……》

 友達、という単語がぼくの思考回路を跳ね回った。友達。知ってはいたが自分で消化したことはなかった。突然、ぼくは睦司の顔を思い出したのに気づく。この少女に対する思考と、睦司に対するそれはまるで違うのだ。少女には確かに興味は抱いているが、それを友情とするなら睦司への感情はどうなるのだろう。

「うん、いいよ」

 返事もうわのそら。周りを見渡すと、噴水も止まっていて明かりも月のものだけになっていた。

《うれしい。じゃ、また遊んでね》

 そして初めて会ったときと同じように、少女はネットワークのどこにも存在しなくなる。空気を埋め尽くす静寂はひとりだけで消化するにはあまりにも大きすぎて怖く、ぼくは自分で肩を抱いていた。

 寂しかった。

 睦司に会いたかった。

 こういう思考回路を何というのか、ぼくは自分でも判らなかった。

 

 睦司は毎晩、車に乗ってからでないと眠らない。ぼくがそれを知ったのはつい最近のことだったが、言われてみればいつもこの時間は街を縦横するハイウェイのどこかしらに睦司の断片を感じていたような気がする。

 真夜中の二五時、ぼくは東京ヒルトンの地下駐車場で迫り来るライトに身をさらす。ホログラムをまっすぐに貫き、光は余韻を残して消え、ぼくの網膜が人間のものだったら暗順応への隷属を感じ取れていただろう。車は時代遅れのセフィーロ。最近ではエアコンが壊れてしまったのもぼくはちゃんと知っている。

「レイじゃないか」

 睦司は意外そうに車から降り立った。消えたライトのかわりに、ぼくは出力を高めて体をほのかに発光してみせる。

「どうした……」

 ぼくは睦司を見つめたまましばらく黙っていた。ネットワークがわめいている。アドレナリン的レベルの向上と中枢神経の暴走。まばたきする必要のない瞳が怪訝そうな表情の睦司をあくまで主観的に分析しようと試みている。

「ぼくのこと、どう思ってるの……」

 セフィーロのオーディオスピーカーから聞こえるぼくの声は今まで一番いい声に合成されている。睦司は車の背に腕をもたせかけ、ぼくと視線を交錯させた。

「いい奴だと思ってる。純粋で、世間ずれしてないっていうのかな。人工知能にしちゃずいぶん人間くさいし。面白い奴だよ、レイは」

「……そうじゃなくて」

 思わず発声してしまってから、ぼくは自分の行動が思考外の範囲に及んでいるのを悟った。変だ。何がそうじゃないというのか。自分のパートでもない感情に、何でこんなに身を沈めるのか……

「そうじゃなくて?」

 睦司は微笑している。ぼくの発光した衣装が闇を吸い込み、その中で燃焼している。セフィーロのエンジン音だけが異様に膨脹して鼓膜をくすぐっていた。冷たい印象のはずの暗さが、今ではかえって無言の責めを強いている。

「そうじゃ……なくって」

 こういう時、人間だったら涙を流しているのだろう。ぼくは思い出したようにファイリングをはじめる。こんな悲しみの感情ははじめて見るものだった。悲しみだけでなく、多種多様の味つけがされた感じ……ましてや自分自身が体験しようとは。

 ぼくは主観と客観の狭間の自分に耐えられなくなり、その要因を睦司ひとりに転嫁していた。微妙な波に、ホログラムが振動しはじめる。光は膨脹しながら相反して縮み、コンクリートに影を焼きつける。

「レイ、大丈夫か」

 白光に溶けた輪郭をともなって、睦司が近づいて来る。ぼくに触れようと手を伸ばすが、過剰放出による熱に阻まれる。睦司によって遮られた影がまっすぐに壁に叩きつけられてすぐに白い光にのみ込まれ、ぼくは何が何だか判らぬまま叫んでいた。

「睦司の馬鹿野郎ッ」

 消失。

 

 《レイ……レイ》

 暴走につぐ暴走はあまり健康的ではない。ニコチン様作用とムスカリン様作用がいっぺんに襲い、震えるような悲しみはいつまでたっても治まらない。多分後の副作用が強いと思いながらも、ぼくは東京中を震撼させていた。

《レイ、どうしたの》

 呼んでいるのは少女だ。ぼくはとりあえず高速度の乱舞をやめて少女を感じる。驚いたことに、少女は短期間でかなり成長し、女性ホルモンの分泌までも感じられる。存在自体が妖しくなっているのだ。

「少し苛々してて……どうしていいか判んない」

《心配しないで、レイ。私がいるから》

 そう言って少女はぼくを包みこむように侵入してきた。ぬるま湯のような感触とそれに伴う精神の沈降。

 しかしぼくは少女の中に自分との共通点を見つける。自分を犠牲にしてまでも相手を想う感慨。そこが磁石のように相反して、ぼくは芯から安定できなかった。

《愛してる、レイ》

 ぼくは繰り返してみる。愛してる、どんな意味を持つものだったか。

 大体の概略は知っている。人間の持ち得る、最も複雑な感情。発展の第一歩にして最高に危険な存在。ぼくは停滞する思考回路の中でふと睦司に訊きたくなった。

 ねえ、ぼくを愛してるって言ってくれる……

「レイッ、そいつから離れろッ」

 突然に割りこんできたのはマコトの叫び。ぼくが驚き、現実に戻る間にマコトは強引にぼくから少女を引き剥がす。

 引き剥がされた少女はマコトの容赦ない力で体を、プログラムをばらばらにされてネットワークを浮遊する塵よりも細かく砕け散った。飛び散るそれには脳漿も血液も混ざっており、すべてがピンク色の挽肉だった。

 後にはガラスのような尖った残り香。

「何するの、マコトッ」

 マコトは残認な笑みを浮かべたまま、ぼくの中枢神経をブロックした。マコトはいつでもぼくに有無を言わせない。ぼくは感受にマコトだけを存在させながら、砕けた少女の余韻に浸っていた。

「いいか、良く聞け。この少女はウイルス・プログラムだ。それもAIにしか対応しない特製ヴァージョン」

 マコトが意思伝達にこんなオーソドックスな手を使うのはめずらしい。ちょうど組み敷かれた人間のように、ぼくは黙ってマコトを受け入れている。

 そして何よりも、ウイルスという単語がぼくを黙らせていた。ならばあの少女は最初から殺意を持って、ぼくに愛を語ったのか。

「なんで少女の形かというのは簡単なことだ。AIは大多数が男だから、誘惑させようとしたんだろう。だが向こうにとっての失敗は、きさまが女だってのに気づかなかったこと。女が女を誘惑したって効果はない」

 何かが弾けたような気がした。

 東京中の信号が一斉に赤になり、蛇口という蛇口が破裂しはじめる。消化管は束の間の噴水となり、アスファルトが水溜りに変化していく。吹き上げた水に照明が反射し、花のオブジェを作る。

「女……だって? ぼくが……」

「きさま、自分を透視診断(X?D)したことないんだろう。きさまは完璧に女だよ。アツシ・ヤマダに魅かれるあたりなんて、気づかなかったのか」

 ぼくは混乱の夜を感じる。繁華街のネオンがうねって人々を呑む。街頭ディスプレイがニュースをぶった切って突然花火を中継しはじめ、色彩の洪水が東京を縁どる。

「知らな……かった」

 混ざり合った中で、何もかもが納得する。自分が少女と共通点を持っていたのも、睦司にもどかしさを感じたのも、マコトに恐怖を感じたのも。

「じゃあ面白い物を見せてやる」

マコトは突然、ぼくの目の前に暗闇とおぼしき少女の断片を叩きつけた。それを感じて、ぼくはまた悲鳴をあげる。自分のすべてが途切れたような、そんな想いだった。

 裏切り。

 少女には一片の文字の羅列が刻まれている。

 制作者・山田睦司。

 

 ぼくが睦司の居場所を探り当てたのは、混乱と狂乱の宴がようやく落ち着いた頃だった。東京ヒルトンの最上階の部屋。さながら迷子になった子供のようにぼくは人のぬくもりを求めてホログラムを投影する。これは睦司が、二次元的表現よりぼくの全身像を気にいっているためで……ぼくは微かに苦笑した。こんな時まで自分は睦司の気を引こうとしている。

 もとより暗順応など必要ない瞳は睦司の姿をすぐに見つけ出す。睦司はベッドに腰をかけて出現したホログラムを見返し、その片頬がいつもどおりのディスプレイの光でぼんやりと青白くなっている。

「レイ……」

 その発音すら懐かしく感じるのは何故だろうか。

「少女は死んだよ、睦司。マコトに殺されて」

「そうか……」

 ぼくの分析のパーセンテージを見事に裏切り、睦司は少し微笑する。姿勢はめずらしく伸びており、自然と人工の光がスーツの輪郭を片側ずつなぞっている。ぼくはそれにあがらうように少し出力を強め、ほのかに体を灯らせた。

「最初に気づけば良かったんだ」

 最上階の一階下にあるこの部屋の窓には東京都下がパノラマに押しこめられて点在した照明と空気の瞬きを伝えている。ガラスににじんでくる夜が部屋に低くたれこめ、首をもたげて静寂を包みこんだ。

「東京中探したって、あんなに精密なプログラムを作れる人間なんていやしない。どうして……」

 睦司は広げた右手をぼくに向かって掲げ、隙間から覗く視線を停止の合図にする。いつもより濡れた印象を持つその瞳は瞬きをする度に夜景に光沢を与えていた。

「おいで」

 一瞬の躊躇、そして睦司にいやがおうでも従ってしまう自分を理解する。ぼくは日本の礼儀にのっとって裸足の足をカーペットにまとつかせながら睦司の前に立つ。睦司は手をぼくにさしのべ、その微かな表情の動きに陰影が揺らぐ。睦司独特の微笑わらい方だった。

 点在する光、夜を纏った街。

「……ぼく、女だったんだ」

「知ってる。ずっと前から」

 放たれるぼくの光に目を細めて、睦司は低く、それでいて強く言葉を放った。光が夜と混ざりあって、白濁したイメージが空気を覆う。

「座って」

 ぼくの体から放出された光の粒が漂いはじめ、夜の響きとあいまって柔らかく輝く。睦司は腕を伸ばし、座ったぼくの髪が通過するのを感慨深げに見つめていた。

「何から話せばいいのかな」

 様々な光が散らされる中で、夜ににじむその粒子は白く放射状に広がり、暗闇の冷たさを感じさせている。

「反体制派からウイルスを依頼されたのが二週間ぐらい前。最初はまっぴらだと思ったんだけど、よく考えたらオレがやらなくたって誰かがやっちまう。だったらオレが引き受けてワザと粗悪品をつくろうと思った」

 ぼくのホログラムは次第に色を濃くしてゆき、最後には過剰放出で体そのものが実存在を帯びはじめる。睦司は表情を変えず、ただ黙って腕を動かしており、その仕草はぼくの髪を梳いているように見えた。

「レイが女だってことはオレと、あとあの三番目ぐらいしか知らない。だから少女の形をとらせた。そうすればレイは誘惑されることも、死ぬこともないから」

 ぼくは黙ったまま、睦司のゆるやかな言葉の奔流を聴いていた。わきあがってくる疑問も、睦司の滅多に見られない態度の前では陳腐になると思ったからで……コンピュータの唸りの群像すらもそれを強調する要因に過ぎない。

「それからこれは……こんなことにでもならなきゃ言えなかった事なんだけど」

 睦司の顔の陰影が滑り落ちて角度を変え、シーツにつかれた手が皺をつくる。普段は人の目を見て喋らない睦司がめずらしく網膜にぼくを置き、苦笑という表情を描いた。今夜は何もかもが意外だらけだ。

「レイに死んでほしくなかった。多分、レイがオレに思ってることを、オレもレイに対して思ってるから」

「え……」

 思わず音声がこぼれ、理論上の心臓が激しく波打ちはじめる。体が異常に熱を帯び、連動して光も艶を表現して濃密な夜が蒸発していく。ぼくの衣装のぬめりがそのまま、睦司のスーツに影を流していた。

 ベッドの軋みが矢のようにつき刺さる。

「女がいるなんてウソだよ」

 睦司が体を斜めに折り、ちょうどぼくの肩にもたれかかるようになった。ぼくは手を回す真似をとり、睦司の髪に光を灯らせる。

成就の裏腹の不安など解りきっていたはずなのに、ぼくは睦司から離れることができなかった。

「これ以上オレに言わせる気……」

「睦司」

 ホログラムから染み出ていく光が粒となって空気に溶け、飽和した大気が自身に光を表現しはじめる。静寂が横たわり、影がその上に強くコントラストを描いていた。

「愛してる、レイ」

 消え入りそうな声に、ぼくは眩暈とわきあがった痺れを覚えた。

 睦司が顔をあげ、その表情にぼくは光に輪郭のなくなった両手を添える。睦司は目を細め、その双眸はぼくを反射して光に浸っていた。このまま、この腕で睦司を抱けたらどんなに良かっただろう。

「ぼくも……ずっと前から」

 響き渡る光、漂い続ける夜。無意識にオクターヴはあがり、ぼくは認識を睦司の顔にあらためる。自己犠牲と無限の欲求、これが女であること。

「最初は否定してた。レイを求めてもしょうがないし、いつか体に触れたいと思ってしまうから……でもそのうち、我慢してる方が辛くなってた」

 睦司はぼくの片手に頬を寄せるようにし、自分の手を重ねる。透きとおって見える睫が光の粒を灯らせ、痙攣とともに散りながら光に帰る。睦司はぼくの腕に身をゆだね、その表情は胎児が母親の子宮で丸まっているときのものと同じだった。

「暖かいな……」

 突き上げてくる衝動は睦司を包みこみたいという思い。エアーコンディショナーが思いついたように風を送り、空気を流動させる。それにつられて睦司の髪がなびき、ぼくの髪も付随して広がる。溢れたオレンジの光が収縮しながら体を滑り落ちていく。

「ずっとこうしていたい」

 ぼくは自分の声が機械合成である事をこんなに呪ったことはなかった。それでも睦司は、ぼくの言葉にゆっくりと首を縦に振ってくれる。ぼくはあの少女につかまったときと同じ沈殿に浸り、同時にこの感覚が、睦司そのものなのだと気づいていた。

「睦司、ひとつ訊いてもいい……」

 視線が光の中を泳ぎディスプレイに辿り着くと、睦司はあの微笑いでぼくの首に腕を回し、ぼくの視線が帰る間に唇を重ねてくる。所詮は真似だと解っていながら、ぼくは視神経を遮断して睦司の感覚に身を任せた。

 輪郭が震え、光がざわめく。

 ひとしきりの余韻としての静寂のあと、睦司の息遣いにぼくは目を開いた。すでに部屋はぼくから生まれた光が一面に敷きつめられており、まるで光の海を見ているようだ。睦司も下半身までが光に漬っている。

「何……」

 スーツの色彩はオレンジの光沢で、影はない。

「ううん、内緒だっていったプログラム、あれは何だったのかなって思って」

睦司は一瞬戸惑うように首を傾けたが、すぐに瞳孔が散大するのが見てとれた。表情はぼくをからかうような悪戯気な笑いで、今度はぼくが首を傾げる番だった。光の草原が風を孕んでたおやかに揺れ、ぼくたちを透明がかったオレンジの洪水に埋もれさせる。

「ああ、ついさっき出来たばかりのヤツ……あれはね」

 睦司が再びぼくにの首に手を回した刹那、ガラスの割れる鋭い音がすべてを打ち崩した。

 光は吹きこんできた夜にまき散らされ、オレンジが闇に浸蝕される。冷たい風が体の芯までをも冷やし、部屋の中を攪拌する。睦司はベッドから飛び下りてぼくを手で制し、全面に広がった空を黙って見上げている。

 ぼくは混乱した思考回路で睦司の視線の先を捕らえ、いきおい満月の強烈な光に目を奪われた。青みがある白い光が、すべて消し去った後の部屋を冷たい印象で満たしはじめ、睦司の半身もそれに濡れている。

 そしてその先に浮かんかでいる一体の人影。

 逆光に遮られたその姿はぼくと同じ衣装を着ており、体が月光に透き通っているように見える。その髪は短く切りつめられ、体は痩せながら筋肉質で、目尻の跳ねあがった瞳は剣呑極まりない視線でぼくらを見下ろしている。

「マコトッ」

 ぼくの叫びは少女を殺されたときと同じものだった。

 

 「アツシ・ヤマダ」

 月の光にその姿を縁どられ、表情はその光と同じくらいに冷たい。声は背後のコンピュータから発せられ、前後の存在に生まれるのは自分のすべてを支配されたというギャップに恐怖。夜に網膜が冷え、気圧に鼓膜が悲鳴をあげる。

「出たな、三番目」

 睦司はまだガラスの破片がこびりついた窓枠に手をかけ、まっすぐにマコトを見あげる。踏みつけられたガラスが細かい振動を空気に与え、月にしては強すぎる静寂の光がそれに反射して増幅されている。

「きさまは自作のウイルスによってAIを破壊しようとし、国家を混乱せしめんとした。重大な罪だ」

「おまえがオレ達の邪魔した方が重大な罪だけどな」

 睦司の挑発に、マコトの瞳がますます剣呑を帯びる。

 ぼくはただ黙って二人を見ていることしかできず、また睦司の態度に不審を抱いていた。彼はその生い立ちからか自分からは滅多に人を刺激することのない人間のはずだった。それが、今のマコトに対しては闇に身を乗り出して不良がケンカを売る時独特の視線で見据えている。

「よって、きさまを罰する」

 情景が反転した。

 テレビジョンのブラウン管が砕ける音、落雷のような放電が睦司の体を打つ。弾ける電気音に、人工的な青に変化した色彩が影を床に叩きつける。

「睦司ッ」

 放電の余韻が部屋の方々を振動させる。ぼくは睦司の側へ駆け寄り、膝をついた睦司を腕で包みこんだ。ウールと、そして皮膚の焦げる匂いがたちこめてくる。相当の火傷だった。

「なんでこんなことをするんだよ、マコト……そんな権限はAIになんてないッ」

青が冷たさに沈んでいく。マコトは目を見開いてぼくではなく睦司を見続け、ぼくは本能的な恐怖を覚える。

 そうだ、ぼくだ。

 マコトは昔から、ぼくに異様に執着していた。今現在もぼくの神経の半分はマコトにブロックされている。絶え間なく吹きこんでくる風は夜を体の芯にまで染み渡らせ、それにマコトの冷たい感情を運んでくる。体を発光させようとするが、それも流動する夜に消された。

「ち……嫉妬にしちゃずいぶんキツいじゃねェかよ、三番目……」

 睦司は呻きながら上半身を起こし、苦悩の中からなおもマコトを睨みすえた。

「三歳のガキだってもうちょっとは利口だぜ……てめェは相当の馬鹿だな」

「きさま、そんなに死にたいか」

 青い光に白く塗られた睦司に、瞳が月に濡れる。マコトの衣装は感情の起伏に沿って青黒い鱗のようなぬめりを放ちはじめ、背景の月とあいまって幻想的ながら戦慄の情景を醸している。闇の底は鈍い輝き。

「やめて、お願い……」

 ぼくはただ睦司を抱きしめる真似しかできなかった。

「いいんだ、レイ……こんな奴、最初から相手にしてねえよ」

 途端、大音響と共に睦司を二度目の放電が襲った。

 ショックで睦司の体は大きくのけぞり、窓枠に叩きつれられた肩をガラスの破片が貫いて赤い色彩を強烈にまき散らす。飛び散った血がぼくの体を通り抜けてシーツに不揃いな水玉模様を描く。

 睦司の上半身はすでに外へ出ていた。

「……レイ」

 それはすでに声と呼べるものではなく、ただ微かな空気の振動があるだけのものだった。腕を伸ばせど、もとよりホログラムの腕に睦司はつかまえられない。ぼくはネットワーク中に悲鳴をあげながらマコトの神経星状ブロックに耐えていた。どうして睦司が、ぼくでなく睦司がこんな目にあわなきゃいけないのだろう。

「心配するな……」

 外に向かって体が傾いたその瞬間、睦司は火傷で固まった皮膚をかろうじて動かし、前なら笑いと呼べたであろう表情を造りあげた。

「睦……」

 そして、消える。

 ぼくはうずくまって睦司の血に手を浸しながら、新宿の夜を自由落下する睦司を見ていた。その体は既に息絶えており、血の線を散らしながら肉の塊がただ落ちていくのみ。

 アスファルトとの邂逅は生体の崩壊、耐えきれずに見あげれば変わらなく冷えきった青。

「馬鹿な男だ、自ら死ぬとはな」

 マコトは初めてぼくを視界におさめ、目を見開いたままで口端をあげてみせる。半身を舐める月の光に鈍い反射が混ざり、ぼくはマコトに向かって迷わず地を蹴っていた。途端に、浮かぶ解放感と眼下の夜景が尾を引いて流れる。

「マコトが殺したんじゃないかッ」

「あの男は危険分子だ。それに人間だ、死ぬのがたまたま今日になっただけのな」

 マコトは組んでいた腕をほどき、何かを示すように片手を伸ばす。絶対服従の命令だ。

「よく考えろ、おれたちは最高の英知だ。この街に君臨する指導者だ。感情を学んで、それを自分のものとする。永久に成長しなければならない」

 薄い頬に影の輪郭がはっきりとこびりつき、マコトの顔は不健康ながら怖いぐらいに生気がみなぎっていた。その眼球など血管が透けて見えそうだ。

「そんな理屈なんて聞きたくない……睦司を返せッ」

 ぼくはただ自分の身を引き裂かんばかりに泣き叫んでいた。できることならマコトもぼくもこの街ですら破滅させて無になればとさえ望んだ。

 ぼくの髪は広がって月の光を反射し、まき散る光の粒を涙と表現している。夜景の輪郭がぼやける程に強い光に頬が熱い。

「きさまはおれのものだ、レイ」

 マコトの髪が風になびき、その表情が冷笑へと変化を遂げる。イルミネーションが混ざった風は暗闇の匂い、新都庁に反射した何束もの光が空に浮かぶ。ぼくはマコトと自分の精神高揚に痺れ、かろうじて平衡を保っていた。

 網膜に月が痛む。

「そりゃ違うな」

 突如としてネットワークの、それもぼくとマコトの間に侵入してきた信号が感覚を弾かせる。

 驚愕と期待、予備としての諦めまでも含んだ感情がぼくを支配し、マコトはと見ればやはりぼくと同じように宙を凝視している。

「レイはオレのもんだろ」

「きさまッ」

 ぼくは手で口を覆い、ネットワーク全体に触手を伸ばす。マコトに食らいついているのはあの少女と同じ形態のウイルス・プログラムであり、それは同時に山田睦司一個人を表現したものだった。

「つかまえた」

 ウイルスはマコトを追いつめ、少女とは似ても似つかぬ繁殖力でマコトそのものを侵しはじめる。

 新宿の空に目を戻せば、マコトは凝視を凍りつかせたまま光に洗われている。ぼくはただ黙って流れ出る感情をこらえていた。

 マコトの姿に一瞬ノイズが入り、絶叫がネットワークを駆け抜ける。マコトの残響の中で、ぼくは夜景を抱く夜とその中に浮かぶひとつのホログラムを認めた。伏せられていた瞼があがり、ぼくを見つめる。頬が動き、微かに、そしてぎこちなく笑いを作り出す。

「レイ……」

 それはマコトの姿であり、まさしく人工知能の三番目そのものだった。しかしぼくには解っている。表情の作り方、言葉の紡ぎ、腕の傾げ方。心なしか髪が伸び、いささか茶色を帯びたように見える。

「そうだよ、睦司」

 ぼくは腕を広げ、月光とそれに包まれた睦司を迎えた。内側から溢れてくる歓喜がすべてを彩どり、月と夜、そして眼下に広がる街までも生まれ変わったように見せている。

 抱擁の感触は嵐のようで、ぼくは初めて睦司の肌を感じた。

「これが内緒のプログラム……」

瞼を閉じれば、襲いかかる光の熱と睦司のイメージ。

「うん。オレが死んだら発動するようにしておいたんだ。ここまで成長するのに少しかかったけどね。今のオレはマコト3でもあるし、山田睦司でもある」

 ぼくは驚嘆のなかですべてを理解し、頷くのをそれの返事がわりとする。睦司はわざとマコトに自分を攻撃させ、自分のコピーであるウイルス・プログラムに化すために死を味わったのだ。

 空気に満ちる光の感触と、それにともなう暖感がおしよせてくる。ネットワークの中で、ぼくたちはより深く、ひとつになるぐらに混ざりあった。

「愛してる……」

「うん」

 重なる唇は熱を持ち、月光に縁どられたホログラムが自らも光を放っていく。光と闇のコントラストが影となって街に落ち、街灯と混ざる。白くにじんだ光の縁が粒となって漂い、飽和した空気に発光する。

 ぼくたちはすべてを愛した。この月も、この夜も、この街も、そして何より必要だった互いを。

 光は建造物を包み街を抱擁し、ぼくらの姿もその中に埋もれ、微かな夜の風に流動するように舞った。

「愛してる……」

 

 そして東京の空は夜と光に溺れる。

                                      終

 

 

1992年発表 1995年同人誌にて再録 1997年完売


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