Invisible love
本文抜粋
「綺礼」
バゼットの呼びかけに、窓際に立っていた言峰がふりかえった。もしかしたらすぐ消えてしまうかと思った姿はしかし、いつもの重い印象を持っていた。
言峰が無言で手をさしのべてくる。バゼットは薄暗い部屋を横切り、言峰の前に立った。いつもの言峰の姿に溜息がついて出る。いつも通りの姿が部屋とおなじような暗い笑みを見せている。風が窓を揺らし、隙間から忍びこんでくる。
「よく来た。迷わなかったか」
いつもなら安心できる声が、今日はどこか違うとバゼットは感じた。暗さと現実味をなくした風景のせいだろうか。何かを秘めたような、いつにも増して低い声をしていた。
「なんとか。何度も迷いかけましたが」
「暗かっただろう」
バゼットは頷いたが、まだ笑顔が作れなかった。
「ええ。どこも暗くて―――まるで」
「まるで?」
「現実ではないみたい」
バゼットの返事に、わが意を得たりという風に言峰は口端をあげてみせた。
「ちょうど良い」
わずかに頷いたその姿は、バゼットが歩いてきた暗澹たる夜のように真意が見えなかった。言峰のことなら大体理解し、予測もできるはずなのに、今日はどこが違うのかがわからない。
言峰が一歩近づき、頤に手をかけてきた。
「ここは虚構だ、バゼット」
言峰の顔は暗いたくらみに満ちていたが、バゼットにはそのたくらみを問いただす勇気がない。目線に縛られ、立ちすくんだまま動くことができなかった。自分の知らない策を抱えている言峰の顔は冷たく、恐ろしかった。
「今日の出来事はすべて虚構だ。幻であり、現実ではない」
「綺礼、どういう―――」
言峰が何を言っているのか理解できず、問いただそうとしたバゼットの唇を言峰の指が塞いだ。
くちづけられる瞬間、ふたりの間を通り抜けてきた風にバゼットは身を縮ませる。そのうすら寒さを消したい一心でバゼットは言峰の体温に溺れた。いつもの暖く力強い感触に、ようやく落ち着きが戻ってきた。
いちど離れかけた感触が今度はさらに深く忍びいってくる。舌が絡みあい、その激しさに息が荒くなった。さっきから感じていた言峰のたくらみは、もしかしたらこの情欲のせいなのかもしれないと、バゼットは甘い期待を抱いた。
言峰がバゼットの両の手をとり、握りしめてくる。その力の入れ具合はふだんと異なり、痛いくらいの執拗さを感じさせた。
「ちょっとした遊びだよ」
バゼットの背に何かが触れた。最初は風かと思ったが、柔らかい感触と熱を持ち、身体を撫でおろしていく。
「え……」
自分の背に触れているのはどう考えても手だ。見おろしてみると、自分の腕を握りしめている言峰の両の手が目に入った。ゆっくりとした戦慄がやってくる。つまり、バゼットの背に触れているのは、第三者の手なのだ。しかも大きく骨太な感触は、男性のそれだった。
慌てて言峰の顔を見ると、すべてをわきまえた穏やかな笑みを浮かべていた。