殺戮遊戯



   

 血には慣れている。
 はじめ赤い色を広げていくだけだった絨毯はそのうち大量の血を吸いこみきれなくなり、繊維の上に血があふれはじめる。見慣れた色彩に赤黒い色が加わり、あたらしい模様に染めかえられていく。
 足もとに迫ってきた血に、言峰は爪先の位置をずらす。自分の動作をおかしく思うのはいつものことだ。服は返り血を浴びつくし、髪からも血がしたたりおちている。布地を通して染みてくる血は生あたたかく、肌と神経にからみつく。そしてその感触が生む、はっきりとした恍惚とわずかな悔い―――痺れにも似た陶酔は、なんど味わっても満たされず、自分をとらえて離さない。
 言峰は死体から黒鍵を引き抜いた。傷口から新しい血が溢れ出るが、すでに勢いはない。もの言わなくなった身体を見おろす。その瞳にはとまどいが凍りついたままだ。こうして見ると、自分が師事していた人間とは思えなくなってくる。
 むせかえるような血と死の香りが部屋を満たしている。狭いながらも豪奢なつくりのこの部屋は、死んだ男の邸宅とよく似ていた。天井の高さ、彫刻の施された家具、赤でまとめられた色、どれもがひかえめながら西洋の虚飾と絢爛ぶりを受けついでいる。
 刃を振り払うと、壁に血の跡が走る。
 髪に手をやるが、予想どおり濡れた感触にしか出会えない。しゃがみこみ、死体に触れ、手をぬぐう。騙し討ちにしたことも、定石を破ったことにも感慨は浮かばなかった。あるのは、にぶい甘美を鼓動に刻みつづける自分自身のみだ。
 言峰は顔をあげ、部屋の奥を見る。わずかに開いたドアの隙間から、押し殺した気配が伝わってくる。今やってきたのか、それとも最初からいたのか。どちらにしろ、こちらにわざと存在を知らしめているのがわかった。
「見てのとおりだ。おまえのマスターは死んだ」
 気配は動かない。
「まだ時間はある。よく考えることだ」
 見定められているのがわかる。相手にしてみれば、自分など気まぐれのうちにでも潰せるだろう。だが自分には勝算があった。相手も自分も、ひとりではこの戦いを勝ち抜けない。
「気が向いたら、教会に来るといい。そうすれば互いの利益になろう」
 気配が消え去り、言峰はひとり部屋に残される。適切な判断だ。ここで自分を殺しにかかるようでは、ろくなサーヴァントではない。仕手人が法衣を纏い、十字架を下げている時点でことのおかしさに気づくべきだ。
 立ちあがり、死体を一瞥する。
 自分の師であり、本来ならば正当に殺しあうはずだった、遠坂の当主を。


 ピンを抜かないまま、手榴弾を投げ出す。
 小さく丸い物体が床を滑り、女性の腕にひっかかって止まる。
 金属質の反射がリノリウムのそれと相まり、動かない身体にあわい輝きを添えている。寄りそって倒れる死体の前に立ち、衛宮はいちどだけ溜息をついた。
 後味の悪さと、ひと仕事を終えたという達成感が心にせめぎあう。今は高揚した気分で麻痺しているが、そのうち重くのしかかってくるのだろう。
 衛宮は部屋を見わたす。今になって気づいたが、どこにでもある事務所だ。絵に描いたような乱雑さで満たされ、毎日の煩雑な仕事ぶりがうかがい知れる。ここに敵が人質をとってたてこもったときから、日常の風景は殺伐にとって変わった。
 その結果が衛宮の目の前にあるふたつの死体だ。人質の女性はここの職員だろう。紺色の制服を着こんだ若い顔が虚空を向いたまま息絶えている。その隣にはずっと追いつづけていた標的の男が倒れていた。サーヴァントを失い、追いつめられて、最後は魔術行使もせずに犯罪者のような真似をしてしまった。
「許してもらおうとは思わないけどね」
 言ったところで、贖罪にもならないだろう。
 拳銃をしまいこみ、踵をかえす。コートのポケットから仕掛けを取りだし、死体から少し離れた場所に置く。照明はすでに消えていて、外の明かりだけが頼りだ。
 腕時計をかざし、時間を確かめる。
 ここからでも外の騒がしさがわかった。遠くからサイレンの音が響いてきて、神経を逆なでする。日常の枠から外れてきた人間も、最後は日常の枠内で死ぬ。
 部屋を出ていく途中、落ちていた書類の束に滑りそうになる。自分の感覚がおかしくなりはじめている。無抵抗の人間を撃つことより、自分の行動をはばまれるほうが神経にさわるとは。
 ドアを外からぎりぎりまで閉め、もういちどコルトを抜く。手榴弾に狙いを定め、撃鉄を起こす。総毛立った神経が、ありえないくらいの集中を呼ぶ。この時、この刹那にこそ、雑念を捨てて自分のなすべき行動が見える。
 引き金を絞ってドアを閉める。瞬間、爆発のきざしが網膜をかすめた。
 閃光、低い位置からの振動、そして爆発音。
 床を蹴りつけ、階段を駆けおりていく。狭い空間を疾走し、壁にぶつかりながらも下っていく。非常ベルがけたたましく鳴りはじめ、脳を打ち鳴らされるようだ。
 地上に近づいていくにつれ、表情をつくりかえていく。暗殺者の顔から、一市民の顔へ。これで肩をすぼめれば、誰もが自分を逃げおくれた悲運な男として見てくれるだろう。
 外へ出るドアに手をかけたとき、階上で盛大な爆発が起こった。これで死体はふたつとも跡形もなく散るだろう。焦りきった態度をとりながら衛宮はビルを飛びだして雑踏にまぎれこむ。ごった返した人の群れはどよめきの波と化し、こぞってビルの屋上付近を向いていた。
 見あげると、炎をはらんだ煙が吹き出し、ちりぢりになったガラスの破片が夜にきらめいている。そこで初めて雨に気づいた。霧のような粒子が眺めに覆いかぶさり、遠い景色にしている。 
「やりすぎたかな……」
 声に出さずに呟いてから、衛宮は人ごみの中心から外へと向かっていった。