殺戮遊戯
1
霧雨が降りしきる。
白くたちこめた雨粒が街灯ににじみ、坂の上につづいている。密度の濃い水滴が肺を満たす。季節にふさわしい、冷たい雨だった。
今の言峰に傘は必要なく、血を浴びた身体にはちょうどいいと思えた。雨は髪と外套をまんべんなく濡らし、殺人の余韻を洗い流してくれる。
肉を削り骨を砕く感触は傍にあり、自分はそれを糧にしながら生きている。仕事として生命の餌として、苦痛とおびただしい死の群像は自分の内に沈み消化され、新しい犠牲を求める礎となる。
ときたま髪からの水滴が目に入り、記憶を朱く染めあげる。よみがえるのは男の死体とみずからの恍惚。自分は確かに、目的に近づきつつある。
マスターとして、言峰はいちど脱落している。いまの言峰の身分は、監督役の息子であり、聖杯戦争の落伍者でしかない。監督役である父親は息子の失態に何も言わず、最初から予想していたかのような笑みを見せた。
力を行使する者としても、神に仕える者としても完全でない。その事実を喉元につきつけられ、言峰はふたたび教会の外に出た。ここで終わるわけにはいかない。聖杯の正体を知り、そして衛宮切嗣を知る者として、この闘いには最後まで関わっていなければならない。
遠坂時臣を殺したのはその序奏だ。早々に脱落しそれを後悔する弟子に、師はやさしく接してきた。詰めが甘いと言わざるを得ない。かつて教えを請うた男は、教え子の歪みに気づきながらも放置しつづけた。結果はこの、背後に尾を引く血の流れだ。
この坂道を自分はなんども歩いてきた。希望と絶望をかかえ、美徳と醜悪をひきずって、顔を上にあげつづけてきた。いつもなら見えてくるはずの教会は、闇と霧雨にとざされている。
ひとつめは成功した。次なる手は―――
足を止める。
行く先、街路樹のひとつに目をこらす。なんの変哲もない樹木に、あきらかな異物がひそんでいる。ふつうの人間なら悪寒なり寒気なりでやりすごしていたであろうその存在は、自分にとって邪だった。相手はわかっている。間桐の隠居だ。
「綺礼よ―――」
樹木の内部から声がし、
「どこに行こうとしておる。悪あがきにしかならぬというに」
老人特有の、低くしわがれた声が神経をざらつかせる。
「―――隠居は隠居らしく、家でおとなしくしていたらどうだ」
目を細め、相手を見据えてみる。小さく弱く、それでいて禍々しい生物が、樹木の幹にはりついている。
「残念ながらワシの目的も同じじゃ、綺礼。おぬし、師を屠りおったな。よもやそこまで執着するとは思わなんだ」
耳障りな音は、笑い声らしかった。
「傍観しかできぬ者が人並みの人生を求めるか。せいぜいあがけ―――だが、欠陥なる者にろくな道はないぞ。そろそろ気づかぬか、異端よ。ぬしが狩らねばならぬのは、ぬし自身」
掌を返し、黒鍵をひと振りだけ手にする。
狙いに迷いはなかった。雨を割く音と同時に短い悲鳴があがり、雨音に消える。
もちろん、こんなことで命を奪える相手ではない。果たしていまいちどしわがれた笑い声が耳につき、遠ざかっていった。
「長く生きると性根まで腐るか……」
街路樹に近づき、黒鍵の柄に手をかけた。見たこともない小さな生物が刃に刺し貫かれ、雨と静寂に濡れつづけている。艶めいた色も腫れあがった形も、人の考えうるおぞましさを凝縮させたかのようだ。地に叩きつけ、靴の裏で摺りつぶす。体液と新しい血が混ざりあい、アスファルトの輝きにまぎれていく。
末路はもとより承知の上だ。
選択は許されないとわかっているこそ、目指すしかない。
そして普段の振舞いに戻る。
血を踏んだ足で神への道を歩き、人を殺した手で聖書に触れる。
夜の礼拝堂はそれでも、天井に施された伽藍のせいでわずかに明るい。幾重にも重ねられた色彩が降り、複雑な模様で長椅子を飾っている。
広い空間は冷えきっていた。こうして動かずにいると、服を通して内蔵にまで冬が忍びこんでくるようだ。寒さは棘のごとく神経を刺し、血塗られた思惑を冷やしてくれる。
言峰は祭壇から降り、首に下げた十字架に触れた。
心に残るわだかまりが思考の輪廻を呼ぶ。間桐の隠居はでたらめばかりを言ってよこすが、傍観者というたとえだけは合っていると思う。他人に関わりながらも関われない立場は、傍から見ても滑稽にうつるのだろう。
顔をあげて偶像を見る。十字に組まれた沈黙が、重く目にのしかかる。
神は黙ったまま、自分になんの道も示さない。教義は言峰にとって知識にすぎず、動作でしかなかった。秘蹟を身につけ神のかわりに審判を下しても、自分の心は実感できないまま、ただ子供のように求めてあがきつづけている。この手は善き力を生み出せるというのに、自分の内に善は存在しない。人がなにげなく口にする正義や愛や倖せは、どれもが重く、遠すぎた。
なぜ。
自分はなぜ存在しているのか。
なぜ違反した存在でありつづけているのか。根源を履き違えたまま現れ、生まれてはならないものが生まれたのに、どうして神は沈黙し、自分の持つ正しき力を許したのか。神が人間を造ったというのなら、なぜ自分のような間違いを出現させたのか。
天に向けた問いかけは自分に向かい、毒のように心をむしばみ、浸潤していく。
だからこそ愉しいのだろうと思う。他人を傷つけ、苦痛をうかがうたびに感じるどうしようもない愉悦が自分の支えとなっている。抑制をかければかけるほど、道徳と理想がかけ離れれば離れるほどに、加虐の愉しみは深く大きくなっていく。
行き着く先はうすうすと感じている。このまま苦悩の下に身をすりへらし、やがては―――
そこでいつも立ちどまってしまう。ひとつの単語だけで簡単に表現できるというのに、経験と感覚が邪魔をする。
扉のむこうに、覚えのある気配を感じた。
思ったより早かったようだ。言峰は扉に向きなおり、深夜の来訪者を出迎えようとする。
蝶番のきしみが、夜を引き裂く。
青年が礼拝堂に入ってくる。異国の生まれらしき容貌にまず目を引かれた。長いあいだ外を歩いてきたのだろう、コートから冷気が白くたちのぼり、色のない肌をより冷たく見せている。
そして暗闇の中でもわかる、血の色をした瞳。肌とおなじ艶を持ち、なめらかな憤怒を宿している。人間の形をとりながら作りこまれた印象を受けるのは、かつての威光がそう見せているのか、それとも元々からの素質なのか。
青年は祭壇を見やり、
「わざわざ出向いてやったのに、なんだこの有様は」
笑いかけてくるが、親愛のそれではない。
「まず名を名乗れ、雑種」
青年の声は無言の服従を命じている。その尊大な喋りは支配してきた歴史の結果だろう。言峰は視界に青年をおさめたまま、わざと間をおいた。こういう相手には、まず主導権を握らせてやるほうがいい。
「―――言峰綺礼という。この教会の神父だ」
「神父がなぜ利益を図る?」
青年がこちらに歩いてくる。伽藍からの光がふりかかる位置まで来ると立ちどまり、眉をひそめる。白を基調とした姿に、絢爛とした模様が冷えるようだ。
「私もマスターのひとりでね」
言うと、青年の視線に射抜かれた。
「なに……」
「見てみるか……」
外套の袖をめくり、腕の刻印を見せる。
「早々に負けを喫して保護されたがな。いまでは父親の監視下だ。監督役の息子が負けたとなっては体裁が悪いのだろう、ろくに動けもせん」
「教会にいる者が刻印も持つか―――なるほど、おまえは何にも属さぬのだな」
青年の言葉に、知らずのうちに言峰は微笑んでいた。ねじれた興奮がわきあがり、心臓に確信の鼓動を打つ。この英雄の暴挙ぶりは異常だが、それに見合う地位に就き、多様な人間を統べていたのだろう。世に背くしかない存在の自分を前にして、この青年は興味を示しはじめている。
言峰は片手を青年にさしのべる。
「どうだ、私と契約しないか。おまえもマスターなしではいられまい」
自分の意図を読み取ったのか、青年の顔がわずかに動く。
「それで互いの利益とな。わがマスターを殺したのも謀略か―――だがその狡猾、なかなかに興味深い」
青年が長椅子の背に触れ、腰をおろした。斜めに見上げてくる顔は、まだ憤怒を残している。試されているのがわかった。
「監視されている身で、どうやって聖杯を手に入れるのだ」
「ルールの中で勝つには、ルールを破壊すればいい」
言峰はいちど言葉を切り、静寂の奥底を聴く。
「私の所業は魔術協会と聖堂教会の双方を欺く。見張られるのはまずい―――ゆえに監督役さえ潰せば、あとは好きにできる」
「監督役は、おまえの父であろう」
「それが、どうかしたか」
そう答えると、青年は笑い声をあげた。狂気じみた響きはこの場を支配するかのようだ。
「神の前で親殺しを口にするとはな―――ますます気に入ったぞ、言峰とやら」
形が見えはじめている。この青年にとっての自分がわかりはじめている。主導はどちらかにかたよることなく、均衡を築きつつあった。絶対的な差はあれど、青年も自分も力をつかさどる側だ。
諸刃の剣とはこのことだろう。この青年は自分に逆らいもしないが服従もしない。対等な立場を外れれば、自分などすぐに殺される。
青年が椅子の背に腕をかける。華奢な指先の動きは、労働を知らない者のそれだ。
「―――わが真名はギルガメッシュ。言峰よ、おまえの申し出を受け入れてやる」
青年の声と自分の知識との合致が、わずかな震えになる。青年は最古の王の名を口にした。半神半人の身でありながら神を嫌い、不死を求めたというその名。だからだろう。青年が持つ存在の激しさは、ふたたびの生を求める欲求からきている。
「手始めにおまえの父親を屠ってやろう。いまさら異存はあるまいな」
「無論だ」
「ならばよい。おまえの父は我の手にかかり、冥府に栄誉を背負っていこうぞ」
青年が立ちあがり、ゆっくりとした足取りで言峰の横を通り過ぎていく。人の注目を集める動作だと思う。背を伸ばして迷いなく前を見据える青年は、古代の憧憬と恐怖をこの地によみがえらせている。
「父は塔のどこかにいよう」
「探すまでもないわ」
祭壇の奥に消えていった声は、どこか楽しげだった。
言峰は伽藍の下まで歩く。きらびやかな色合いにも黒衣は染まりきらず、複雑な光沢を灯す。
自分の決断にも、やはり天は沈黙したままだ。血のつながりを切って捨てようというのに、心は悦楽の鼓動を打ちつづけている。内蔵の底にあるわずかな痛みは、正しくなければならないという義務感から生まれたものでしかないのだろうか。
彼方から、終末の音が聴こえたような気がした。
照明をつけてはみたものの、切れかかっているらしく光が弱い。
しばらく眺めてから衛宮切嗣は床に腰を下ろした。明かりは点滅をくりかえしたかと思えばもとどおりになってみたりと一貫性がなく、そのたびに土蔵の乱雑な色合いが瞬く。
そんなことを気にするのは自分の所業のせいかもしれない。消えかかったものを手にかけてしまったという結果は、信念に基づいていたにしろ後味が悪すぎた。
だが、あれでよかった。最小限の犠牲で最大限の効果をあげるためには、的確な判断だったのだ。
顎に触れると、伸びかかった髭が皮膚を刺す。肌は荒れ、脂に手がすべる。家に戻っても部屋に入る気にならず、まっすぐここにやってきた。ここは自分だけの場所だ。自分のためだけの秘密めいた動作も、ここなら許される。
目の前に布地を広げ、その上に拳銃を並べていく。照明が明滅し、にぶい光沢が銃身に点滅する。今日は弾を使いすぎた。疲れにも似た重みが両腕にまとわりついている。
取り出した煙草は折れ曲がっていたが、かまわず火をつけた。葉の破片が目の前に舞うさまに、さきほどの光景を思いだしかけてしまう。
首を振った。自分は何も感じない。何も考えず、その必要もない。
戸口に立つ人物には気づいていた。ふりかえり、笑いかけてみるが、この薄暗さでは相手に見えているかわからない。
「―――セイバーかい。入っておいで」
影が一礼し、こちらにやってくる。前を指し示すと、素直に腰を下げてきた。いつものように正座し、いつものようにこちらを見すえてくる。
こうして見ると不思議な少女だ。世間を欺くため黒いスーツを着込んではいるが、その身と仕草に宿る高貴ぶりは隠せない。
時を超えた場所で王として君臨するセイバーは、身分ゆえの信念から衛宮の方針には従わず、別々に敵を追っている。こうして姿をあらわすのは、方針を確認するときと苦言を呈するときだ。
「マスター」
セイバーの声には棘があった。どうも今日は苦言らしい。
「新都ビルの爆破事件は、貴方のしわざですね」
「そうだよ」
「犯人は人質をとり、たてこもったと聞きました」
「耳が早いね、さすが」
「はぐらかさないでください、キリツグ」
こちらの意図を知っているのかもともとそういう気質なのか、セイバーはこちらの口調に反してくる。
「犯人は人質もろとも自殺して果てたと―――実際は貴方が殺したのでしょう」
煙草を深く吸いこみ、ゆっくりと吐き出す。煙が広がり、セイバーの瞳をけぶらせる。
濁りのない色に、濁りのない意志。かつての自分もあんな目をしていたはずだ。
点滅が起こり、暗転と順応がくりかえされ、それが刺激となって意識が馳せてしまう。迷いはなかったはずだ。敵はサーヴァントを喪ってはいたが、追いつめられて何もかもを見失っていた。
人質は若い女性だった。銃口を向けた瞬間の恐怖と懇願の混ざりあった色が記憶に灼きついている。お願い、助けて、撃たないで、そう叫ぶ顔は畏れに歪んでいた。
「―――だったら、どうだというんだい」
「他に方法はなかったのですか。魔術師はともかく、人質まで殺めることは―――」
「君の流儀に反する、か。僕の流儀はちがう」
並べた銃のなかからコルトを選び、手にとる。
「あの場所で人質を助けて敵を逃がしたとしようか。残念ながら僕にはあらためて敵をさがす時間もないし、あれ以上の被害を食い止められる自信もなかった」
「かといって無抵抗の、なんの罪もない人間を手にかけるなどと……」
こういう時には時間を置いたほうがいい。空薬莢を取りだすと軸どめを外し、銃身からシリンダーを外す。
わざと手間をかけるのは、整備以上に儀式的な意味あいもあった。こうして区切りをつけることで、自分の行いを作業と結論づけられる。
「では無抵抗の人間1人より、敵意のある人間10人を殺したほうがいいのかな」
シリンダーを掲げ、セイバーをのぞきこんでみる。金属の隙間から緑色の瞳が見える。にぶく暗い色に刻まれた、透明な気高さ。この少女に殺戮の額縁は似合わない。
「犠牲の大きさは何で決まると思う、セイバー。人間の数か、それとも悲惨さかな。今は、君の時代のように国の威信や個人の誇りをかけて戦っていた時代じゃない。ただのみっともない奪いあいだよ。だから僕は僕なりの正義を通して、最小限の犠牲ですむようにしているんだ」
口にくわえたままの煙草から灰が散り、スーツを汚す。煙が目に入ってしまい、避けようとするがうまくいかず、シリンダーが手から転げ落ちてしまう。
セイバーは黙ったまま、一連の動きを眺めている。
「君も僕も聖杯が欲しい。目的がおなじなら、手段がばらばらでも構わない。いままでどおり、君はサーヴァントを退け、僕はマスターを殺す。それでいいんだよ」
「口出しはするな―――ということですね」
「どう解釈するも君の自由だからね」
これ以上の言いあいは無駄だと感じたらしく、セイバーがたちあがる。
見あげなくても視線がわかる。栄光を背負った姿勢と威信をうつしこんだ目で、背中を丸めて銃を分解している男を見おろしているのだろう。
「おやすみ、セイバー」
「―――おやすみなさい」
そしてセイバーが土蔵から出ていき、中には衛宮ひとりが残る。
銃身の中に残った粉をふりおとし、転がる螺子を手元に置きなおす。
いくら従者といえども、育ってきた環境も違えば思想も違う。思えば、召還の触媒からしてアインツベルンの借り物だったのだ。相性がちがうのは当然だし、無理に合わせたところで綻びが出るだろう。その綻びにつけいれられては、元も子もない。
自分は勝たなければならない。請け負った仕事を完遂し、期待に応えなければならない。そのためには、よけいな感情は排除しなければならなかった。
銃の部品に、照明が弱々しく明滅する。