殺戮遊戯
2
鴉が鳴く。
言峰は中庭に立ち、その回遊を眺める。この時間にはこうして鴉を迎えるのが決まりだ。夜のなかにありながらも、濡れたような艶の羽ばたきがわかる。夜に舞い、不吉の象徴ともいえる漆黒の羽を落とす。
手を差しだすと鴉が降下してくる。腕をつかんだ鴉は大きく翼を広げ、視界を密度の濃い闇に染める。標的を探しだす目と獲物をついばむための嘴は大きく、自分を狙うかのようだ。
「ご苦労」
鴉が翼をたたみ、自分を見る。鴉の形をした使い魔は動かず、瑪瑙のような目に自分をうつしている。遠坂からうけついだ力のひとつがこの鴉だった。攻撃にも防御にも使えずとも、偵察には充分すぎるほどの能力を発揮してくれる。
「見つけたか」
嘴がわずかに開き、かすれた鳴き声を出す。
「アーチャー」
呼ぶと、背後に強烈な存在感があらわれた。見なくてもわかる。ギルガメッシュはその目に纂奪の歓びを輝かせ、勝利の予感で口端をゆがめているのだろう。
「鴉を追え。征服王がいる」
腕を振り、鴉を空に放つ。漆黒の羽は夜にまぎれてすぐに見えなくなり、ギルガメッシュもそれに倣う。
時間も人数もせめぎあう頃あいになってきた。そろそろ自分も壇上にあがらなければならないだろう。混沌の中から道筋を照らしあげ、周囲をさらなる混沌におちいらせるために。
羽の消えた方向へ、言峰は足を踏みだす。
煙草を出して火をつけようとしたところで、マッチを切らしていたことに衛宮は気づいた。しかたなく口にして弄ぶ。慣れた苦みが舌を刺し、そのまま思考への刺激になる。
衛宮は橋の高欄に肘を乗せ、川を眺める。
夜が明けはじめていた。暗闇に包まれていた空がだんだんと明るくなりはじめ、夜と朝の境目に太陽が一筋の光を通す。いつもの眺め、いつもの流れだ。こうして夜明けを眺めていられる日は、いつまで続くのか。
最初は緊張にみなぎっていた巡回も日に日に慣れはじめ、今ではただの日課になっていた。自分の命を天秤にかけて敵をおびきよせる手法が通じたのは最初だけだ。今では残り少なくなったマスターとサーヴァントをどうやってあぶりだし、舞台に引きずりだすかが課題になっている。
セイバーはよくやった。自分とはまったく別に行動しながら、その真名に恥じぬ闘いぶりを見せている。技量も高く、それ以上に望みへの執着が強いのだろう。彼女の願いはどうしても納得がいかないものだったが、何を言っても無駄だと理解していた。牙城の高さを足もとの危うさと考えられない歳だ。
下手に動いては消耗するだけということを、おそらく敵もわかっている。時間も残り少なくなっていた。自分とおなじように、残るマスターもあせりはじめているはずだ。
思いきって、こちらから仕掛けるか。相手はおそらく、あとひとりかふたり―――
最初は影に見えた。
橋のむこう側から歩いてくる人物がいる。街を背にし、半身に早朝の光を受けている。知らずのうちに高欄から手が外れていた。感じたことのない重圧が神経をめぐり、寒気になる。
靴音が静寂を刻み、鼓動にからみつく。
聖職者らしき服装を見てわかった。あれが言峰綺礼だ。神に仕えながらも魔に通じ、マスターとして惨劇の一部を演じる神父だ。
長身に外套を羽織り、頭をうつむき加減にして両手を後ろに組んでいる。聖職者らしい身体さばきだ。その裡にひそむ力と思想を完璧におおい隠し、聖や魔に属する力など微塵にも感じさせない。
だが、体つきと動作だけを見ても衛宮には言峰のもつ力がわかった。その体躯はおのれに課した試練の証だろう。職業的な原因もあるだろうが、それを差しひいてもなお、境遇をくぐりぬけてきた覚悟が知れる。
世界の底を知りつくした衛宮の感性が、ひとつの位置づけを導きだす。
言峰は闇に属している。暁光をうけながらも深く暗いその黒衣とおなじく、その身にも夜の余韻を纏っている。太陽が昇り、周囲の眺めが日常の群像になってもなお、言峰は光でなく闇に生を得ている。
この時間に、この相手だ。少なくともこうして出てきた甲斐はある。
自分の存在など、とうに知られているだろう。衛宮はこちらに来る言峰に向きなおり、片手をあげた。
「―――すみません、神父さん」
言峰の目が衛宮をとらえる。何の感情もあらわさないその瞳に、衛宮はたしかな圧迫感を覚えた。つとめて笑顔を保とうとするが、無理があったかもしれない。
「火をお持ちでしたら貸してもらえますか、マッチ切らしちゃって」
言うと、言峰の口端がわずかにあがる。外套からライターを出し、火を灯す言峰の動作は手慣れていた。顔を近づけると、冷えた炎とオイルの匂いに迎えられる。
「どうも、助かりましたよ」
片手を挙げる。ひさしぶりの味に、自分の欠乏を知った。言峰の出現にうわついていた神経がおさまり、あるべき配置に感覚が戻っていく。
言峰は火を消さない。青白い炎がゆらめき、言峰の外套にいつわりの影をなびかせている。そんなはずもないのに、言峰の首にかけられた十字架が燃えあがるようだ。
動作から落ち着いた印象を受けていたが、思っていたより言峰は若い。自分とおなじか、あるいは少し下か。みずからのありようを認めながらも、まだ野心を捨てきれない年代だ。
火を見つめる。まっすぐたちのぼる炎に、なくしかけていた闘争心を炙られる。
ようやく言峰がライターの蓋を閉じ、
「征服王は私のサーヴァントが片をつけた」
低い位置からやってきた声に、その意味するところを探そうとした。どうやら隠す必要もなければ謀る必要もなかったようだ。
「そりゃあ」
肩をすくめて神父を見つめ、笑いかけてみる。
「手間が省けた。礼を言わないとね―――言峰綺礼」
「礼には及ばん。これは正当な潰しあいであり、成すべき儀式だ。通る道がどうであろうと、目的にたどりつけばよい―――急ぐがいい。聖杯はすでに満ちはじめている。残りひと組の前にあらわれるのを待っている」
言峰の喋りはできすぎていると思う。人の上に立ち、聴かせることに特化した話しかただ。普通の人間なら、威圧と声のせいで言葉を素直に受けとってしまうだろう。問題は言峰がなぜここまで手のうちを明かすのかだ。たぶん、言峰も急いている。ここ数日の現実離れした現象と命の凌ぎあいにとり憑かれている。
「監督役が死に、秩序は崩れた。ゆえに力ずくで奪いとった者が勝利者となる。残りはふたり―――私と貴様だけだ、衛宮切嗣」
満ちてきた光が黒衣との差を強め、言峰の威圧を強めていく。目を見ていなければ力を受け流せない。言峰の瞳には感情がなく、陽光のうつりこみですら漆黒に殺されるようだ。
自分とおなじく、言峰も予想していたのだろう。最後に残り、闘うべきは互いをおいて他にないと。
「お手やわらかに頼むよ」
「手加減して倒せる相手なら、とうに潰している」
そう言い残して、言峰は衛宮の前を通りすぎていく。しばらく歩いたところでふりかえり、手を広げる。
そして言峰は、神託を下すかのように微笑んでよこした。
「長い旅路だったな―――今宵、貴様の願いは叶えられよう。ようやくおのれの理想に酔える日が来る」
その表情に、衛宮は抱いていた印象が確信に変わるのを感じた。内心で毒づいたのは、気づかない自分自身を形にされたせいだったろうか。
隠すつもりもなく、言峰ははじめから本気だった。この男なら、祈りを捧げる顔のまま悪行をやってのけ、慈悲に満ちた仕草で生命の芽を摘むだろう。裏表がないのではなく、裏も表もが同じ位置にある。常識や法則が通用しない、危険すぎる存在だ。
それでも言峰の奥に、自分につながる基盤を衛宮は感じとっている。部外者どうしの同族嫌悪とでもいうのだろうか、周囲とは違う存在でありつづけたがゆえの、やみくもな追求だ。
溜息とともに煙を吐きだす。そこではじめて、自分が息をひそめていたのを知った。
明度をあげはじめた冬の眺めのなか、言峰の背を見送る。黒衣は陽にまぎれることなく、橋の向こうに消えるまで目に残っていた。