殺戮遊戯
3
外套を脱いで椅子の背にかけると、言峰はソファに身を投げだした。
天井を見あげたまま朝の静寂に耳をかたむける。夜どおし動いていたせいか神経が過敏になっており、身体の重さと対をなしている。目を閉じてみるが、興奮が瞼の裏に熱となっている。
ギルガメッシュは冷酷無比に征服王を退けた。いくら征服王が前哨戦で消耗していたとはいえ、勝負にすらならなかった。
現実からかけ離れていた眺めを思い出す。古今東西のあらゆる武具で刺し貫かれた征服王に、振りかざされた乖離剣が終焉を叩きつけた。みずからの力を誇示し、相手を貶んだ挙句に懐柔し、最後には生の一滴までしぼりとる。虐殺を楽しむどころか、みずからの手で殺すことを感謝しろといわんばかりの暴挙ぶりだった。
だが、君主とはそういうものだろう。ギルガメッシュの高笑いが、いまでも記憶に響くようだ。
つくづく恐ろしいシステムだ。過去の栄華をよみがえらせ、ただ唯一の願望機を手に入れるがために、日常の隙間で殺戮の花を咲かせる。善も悪もなく、力の大小だけが優劣を決める。
多くの血と欲望で満たされた聖杯は有形無形の犠牲の上に出現を待つ。だからこそ興味もあった。名門三家がつくりあげ、その三家が奪いあう聖杯を、名もない自分が手にしたらどうなるか。すでに遠坂は始末をつけ、間桐は介入しかできない存在になりさがった。
残るはあと一組、アインツベルンの悲願を背負った衛宮切嗣とそのサーヴァントのみだ。
橋の上に立ち、冬の音を聴いていた男を思い出す。
外見にはこだわらない男だった。身だしなみもとても気をつかっているとは思えない。コートも申し訳ていどのものだったし、スーツは形が崩れきり、ネクタイなど添えものでしかなかった。光沢の失われた素材が描きだすのは、飾らない人なつっこさとそして屈強な内面だ。
ああいう人間は確かにいる。一方向に突出していて、ほかのことは無頓着な人間。極端なあまり外見と内面の差が激しく、だからこそ自我も強い。厄介かつ面白い人種だ。ふだんは無害だが、ひとたび心の聖域を侵せば容赦なく牙をむかれる。
証拠にこちらの本気を察したとたん、目の奥に暗殺者の片鱗が輝いた。出番がなかった不満を払拭するかのように、奪う者としての振舞いが息を吹き返していた。
衛宮の経歴はあるていど承知していたから、その背景と思想をみちびきだすのは容易かった。組織を拒絶し、ひとり強大な才能を抱え、列国をさまよった。各地の紛争やいざこざの影に姿を見せていた衛宮が、アインツベルンの雇われ者としてこの冬木に入り闘っている。もう少し目立っていたら異端審問の対象になっていたかもしれない。
みずからの抜きんでた力を世に生かしたいと願う人間は、理想と自尊が高い。衛宮が目指しているものは大義や正義のたぐいだろう。しかもそれが生む因果をわきまえているから迷いがない。誰かを助けるために傷つけられる人間がいることを衛宮は割り切っており、それが強さの根源となっている。
だからあの笑顔があった。自分と顔をあわせて、衛宮は期待を抱いたはずだ。聖杯を求める動機づけになり、疑問もなく副作用を生むことなく叩きのめせる相手が出てきたと。理想の具現を求めて世界をめぐった男がたどりついた先にいた、文句なき敵が自分だった。
自分も衛宮も、抱える理想とそれが生む齟齬との軋轢に苦しんでいる。仕事を請けおうことで理想を目指したが、近づこうとするほど大きくなる矛盾を思い知らされるばかりだ。
衛宮も自分も、聖杯に求めるのは望みでなく、理由だった。
扉の音に瞼をあけた。
ギルガメッシュが戸口にいる。差しこむ朝日が金色の髪に灯っている。私服を着込んだその姿は現代の若者そのものだ。片手を腰にあてた態度にはどこかつきはなした色が見え、実際そのとおりなのだろう。この王が真摯に事をなしとげるときは、こちらには予想のつかない気まぐれでしかない。
「あの男のサーヴァントを見たぞ」
ギルガメッシュの声にはたくらみが潜み、顔を見なくても笑顔と興味がわかった。
「うまく化けたようだが、我の目はごまかせぬ。なかなかの女だ―――だがマスターとはそりが合わぬか。あの男も自信家よな、ひとりで出歩くとは」
ギルガメッシュの言葉がひとつの結論をつれてくる。衛宮は孤独を塒とし、糧とすることを選んだ。そのほうが効率的だと考えたのだろう。いい選択だ。自分など、選ぶことすらできなかった。
「そのほうが好都合かもしれん。衛宮の相手は私がする。おまえにはそのサーヴァントをまかせよう。殺すなり肚を満たすなり好きにするがいい」
自分の言葉に、ギルガメッシュがかすかな笑い声を洩らす。
「すこしぐらい楽しませてもらわねば困る。おまえの野心も満たせようぞ、言峰」
野心と言われた。自分の内に抱える矛盾と受難の道。それを表現しつくすには程遠いが、ギルガメッシュの言いようを否定する気はなかった。
ふたたび目を閉じると、暗闇の予感が待ちかまえている。
「そうだな―――そう願おう」
衛宮は自宅の縁側に寝そべり、雲のない空を見あげる。
澄んだ青、遠い青だ。冬にしては暖かい陽射しに、ついまどろんでしまう。いささか行儀は悪いと思ったが、誰に注意されるわけでもない。昨晩から今朝にかけての緊張も、肌のあたたかみに溶けていくようだ。
こうしていると、夜のできごとがすべて嘘のように思えてくる。コートに染みついた硝煙の匂いも、自分の生命を秤の片方に乗せて敵を切りおとす過程も忘れそうになる。
背中に手をやり、置いてあった銃に触れた。銃身の冷たさに、忘れかけていた冷酷さがよみがえってくる。
少し眠っておかなければならないだろう。言峰は今晩決着をつけるつもりだ。向こうから仕掛けてくるか、それともこちらから仕掛けるかはわからない。なにしろ、たがいのサーヴァントも知らないのだ。
鴉が目の前を横切っていき、視界がひとときの闇に落ちた。眺めていると鴉は見事な滑空ぶりで外壁の上にとまり、羽をたたんで動かなくなる。
見られている。
身体を起こすより先に銃を取っていた。後ろ手で消音器を取りつけ、空にかざす。
押し殺された銃声が響き、飛びあがろうと鴉が羽を広げ、その脚がコンクリートを離れ、そして傾く。地に落ちるはずだった漆黒の骸は、しかし空中に四散して消え去った。
残された羽がそのあとを追い、闇の余韻が庭に舞う。あれは鴉の形をした言峰の使徒だ。言峰が目立った動きをしなかったのはそのせいだろう。教会にいながら、言峰は支配の触手を街中に広げていたのだ。
「誰かさんは休ませちゃくれないってわけか」
消音器を外してベレッタを戻す。胡座をかき、こんどは障子にもたれかかった。
異状を察したのか、廊下の向こうからセイバーがやってくる。
「―――マスター、今のは」
セイバーが地面に落ちた鴉の羽を眺めている。持ちまえの勘の鋭さが、その禍々しさを感じとっているのだろう。
「たいしたことはないよ。プレゼントみたいなもので」
「敵の使い魔ですか」
うなずき、煙草を出す。寝そべっていたせいで箱が潰れており、ひっぱりだした煙草も破れかけていた。火をつけようとしてから、マッチをきらしたままなのを思いだす。
指で弄んでいると言峰の持っていた炎を思い出してしまう。鴉を殺したせいだろうか、あの火に炙られた緊張がいまだ続いている。
「セイバー」
セイバーが廊下に正座し、自分に向きなおる。
「たぶん、今夜が最後の戦いになると思う」
「ついに―――聖杯が手に入るのですね」
押し殺した歓喜がセイバーの目にあらわれた。若い目だと思う。希望に満ちた、濁りひとつない瞳。みずからの道を信じ、ふりかえらないがゆえの、澄みきった願望。
「これは僕の勘だけど、今夜の敵はいままでのやつらとはちがう気がするんだ」
「心得ています」
「マスターも一筋縄じゃいかないだろうしね……」
相手は得体の知れない神父だ。混じり気のない信仰を誓いながら自分のような異端にも目を向ける、矛盾を体現したかのような男だ。身につけた十字架は、大昔の聖人とおなじく、言峰がみずからに背負わせた重荷なのだろう。
だが衛宮自身にも矛盾はある。仕事として切って捨てたものの中に、なくしてはならないものがあったかもしれず、自分も人としてあるべき姿を失っているのかもしれない。
「なにかあれば、私を呼んでください」
「そうさせてもらうよ」
言峰のことをセイバーに伝えようかと思ったが、その必要はないだろう。あの得体の知れなさを説明するには言葉が足りず、それ以前に言峰という人となりを自分は知らなさすぎる。
「キリツグ」
セイバーがたたずまいを直す。色のない金髪が陽に照らされて、輝きの束になっている。笑うと、王としての重責からすこしは離れるように見えた。
「なんだい」
「貴方とは相容れませんでしたが―――私は貴方を尊敬していました。貴方ほどの強さを持った人を、私は知りません」
陽だまりに反して内蔵が冷えていく。ちがうと言いかけた自分を、後ろめたさが止める。ちがう。自分は強くもなければみずからの信念を理由にして人を殺す人間だ。仕事だと言い聞かせながら、人間には許されない行いをしている。
だが自分は、セイバーに向かって笑顔を作る。
「君もよく頑張ってくれたね」
「聖杯はかならずや手に入れてみせます。これでようやく、願いが叶う」
脳の奥底で、どうしようもないあきらめが脈を打っている。セイバーの願いは間違っている。なにもかもを無駄にするような願いのためだけに、永遠の輪廻にとらわれている。だがセイバーの瞳を見るにつけ、衛宮は自分を封じていた。それを口にできるほど自分たちはわかりあえず、信じあえなかった。
「今日は休んだほうがいい」
欠伸が口をついた。セイバーがかすかに笑ってよこし、
「マスターも、できるかぎり休息をとってください」
「そうするよ」
伸びをして、脚を投げだす。このまま眠ってしまってもいいだろう。
「失礼します」
「ああ」
セイバーが立ちあがり、足音を立てないまま去っていく。
手から煙草が転がり落ちるが、手を動かすのも億劫になっている。つづけさまに洩れる欠伸をかみ殺しているうちに、衛宮は眠りに落ちていった。