殺戮遊戯

 墓地へ入る。
 たちならぶ墓標の間を言峰は歩いていく。照明はなく、雲の隙間からのぞく月明かりだけが頼りだ。暗さに目が慣れてくると、さまざまな大きさの十字が白く浮かびあがって見える。石板に刻まれた者たちの名は、規則正しい死の羅列だ。
 どちらかの死を迎える舞台としては、できすぎている。
 衛宮は正しい目を持つ男だ。放った鴉の正体を見抜き、即座に始末してみせた。理想的な冷酷ぶりだ。おかげでこちらに呼び寄せることもでき、衛宮の力をすこしでも推しはかれた。
 煙草に火をつける。燃えあがる炎の感触に眼球が灼けつくようだ。そこではじめてみずからの昂りを思い知った。
 そのせいで気づくのが遅れたのかもしれない。
 墓標のひとつに目をやると、わずかな月明かりに照らされた艶の上を這いずる生物がいた。
「ワシの見立てどおりになったぞ。おぬしと、アインツベルンの雇われ者と」
 蟲はよく見えず、石の光沢を撫でる尾の動きだけが目につく。
「老体は眠る時間だが」
「こう面白いものが見られるとあっては、おちおち眠ってもいられんわい」
 笑い声はあいかわらず耳に障った。
「アインツベルンの雇われ者に自分を重ねておろう? 若い者は血気盛んで羨ましいのう―――だがな綺礼、ぬしのみは例外じゃ。おぬしは、誰しもに似て誰しもに反する。誰も理解できず、また誰にも理解されぬ。正しき感受など遠き理想よ」
 蟲に近づいていく。表面の不気味なぬめりが煌々と光って見える。現世にはない異形はその欲を醜悪さとして形づくっている。
 言峰は身体を折り、
「横取りを狙うのならやめておけ。私も衛宮も、貴様など相手にするだけ時間の無駄だ」
 煙草の火を蟲の表面に押しつける。高熱に蟲の表面が痙攣し、皮がただれて収縮していく。肉の灼ける匂いは人肌の火傷とおなじだ。そのおぞましさに神経が震え、愉悦を呼びさます。
 甲高い音は、悲鳴だったろうか。
「年寄りは意地汚いものよ―――」
 声はか細く、小さくなっていた。言峰が手を離すと蟲は石をすべり、地に落ちていく。残った煙草に手をつける気にもなれず、蟲ごと踏みつぶした。
 今回ばかりは間桐の言いようを否定できなかった。自分の矛盾は誰もが抱えているものなのに、誰とも違う。自分の二律背反はすなわち、誰にも受け入れられ、同時に受け入れられないということだ。
 だからこそ聖杯が必要だった。自分がこの世に在りつづけている理由が、聖杯にある。
 彼方から鴉が帰ってくるのが見えた。月あかりをさえぎり、墓標の上に影を滑らせていく。
 一陣の風がわきおこり、外套が身体にからみつく。
 最初は緩慢とした足音だった。足音は墓標の反響となり、人の気配になり、そして衛宮本人の姿となってあらわれる。今朝がた会ったときの印象そのままだ。ここからでもコートの着崩れが目につく。力が入っていないような衛宮の身体と動作は、未知の力を秘めている証拠でもあった。
「―――よく来た、衛宮切嗣」
「そうだね。ようやく、ここまで来られた」
 溜息をついたのか、衛宮の肩が上下する。
「君に言われたとおり、長い旅だったな」
 そう言って衛宮は墓地を見わたし、
「ここは君の場所か。とても綺麗で―――禍々しい」
 ポケットから両手を出すと衛宮はすこし身をかがめた。表情までは見えないが、微笑んでいるのがわかる。その途端、激しいまでの重圧がやってくるのを言峰は感じた。衛宮の殺意だ。寒さに同化した意志が身体を縛りつけ、こちらの動きを奪おうとしてくる。
 見えないはずの目が見える。おだやかなまなざしの底にある、暗殺者の自尊が見える。衛宮は殺戮の中でしかみずからを生かせない人間だ。平穏を求めるがために、争いの火種を生みだす男だ。
「―――手加減はなしだ、言峰」
「無論だ」
 言峰は左手を身体から離し、指先を伸ばす。力は自分の裡に。受難に耐えてきた日々の証は、強く深く、この手に宿る。
 内なる力を、今、外へと―――
「相手が私なら迷いはなかろう。殺戮の歓びを思い知れ」
 風が渡る。冬が震えて、森がざわめく。
 交錯は一瞬だった。光条が走り、銃声が聞こえ、反響が散る。
 言峰は自分の手の先、かざされた黒鍵を見る。三本の刃のうち一本の先が欠けていた。
 衛宮が口笛を吹き、
「弾を避けるとはね」
 衛宮の手には時代がかった拳銃が握られていた。銃口はこちらを向き、細い煙をあげている。大ぶりな銃身に明かりがまとわりつき、経てきた歴程を鈍く輝かせている。
 言峰には衛宮が銃を抜くのも、引き金を引くのも見えなかった。わかったことといえば衛宮の集中と、自分に向かってくる力―――それを避け、黒鍵で叩き落とした。刃がこぼれたのは、銃弾の速さとこめられた礼装のせいだろう。
 その一本を捨て、新しい黒鍵を持ちなおす。
 最後の相手として、衛宮は遜色ない。
「おまけに黒鍵か。本当に一筋縄じゃいかなくなった」
「互い様だ」
 言峰は走りだす。脇を銃弾がかすめていき、布の焦げる匂いが鼻につく。眼球に冬が痛む。周囲の景色が線となり、背後へと流れていく。
 銃声が耳をかすめる。一発、二発と重ねていくごとに身体に近づき、感覚を削られていくよう。黒鍵を両手に持ち、握りなおす。
 これだけの速さにも、衛宮の照準は狂わない。それなら―――
 地を蹴った。銃声がやみ、静寂が鼓膜をつく。墓地の全景が見え、その中に自分を追っている衛宮が見える。目が合った。獲物をとらえ、わがものにせんとする目だ。
 その目めがけて、黒鍵を振りおろす。一筋の光が衛宮めがけて落ちていく。衛宮を刺し貫くはずだった刃はしかし地面に突き刺さった。コートの裾がひるがえり、残像の尾を引く。
 着地し、振りむきざまにもうひとつの刃を放つが、ぎりぎりで避けられた。衛宮はこちらの手を予測し、必要最低限の動きだけで回避している。あの動作が衛宮を一流の暗殺者たらしめた要因だ。防御と攻撃をひとつの動作でおこない、その一手一手がすべて必殺になる。
 足もとに着弾が続く。見ると衛宮が走り出し、森へと向かっている。
 身をかがめたまま、言峰は後を追う。


 走りながら衛宮はコルトを戻し、二挺のベレッタを抜く。一挺では言峰に対抗しきれない。
 森にとびこみ、奥を目指す。自分の走りなど一般の人間とおなじだ。あの人間離れした速さと高さをやりすごすには障害物が必要だった。
 冬の森に緑はすくなく、葉の落ちきった枝が地面にささくれだった影を落としている。枯葉を踏みつける音が響くが、どうしようもない。それに自分の居場所など隠さずとも言峰には気づかれている。もとより黒鍵などという扱いづらい得物を使う男だ。すこしでも気をゆるめれば、言峰の速さに愚弄され、あの刃の餌食になる。
 気配を感じる。衛宮は立ちどまり、拳銃を持つ手を広げた。引き金を引いたまま、感覚のみで気配を追う。予感を確信にし、身体の動きに変えていく。
 連続して吐き出される銃弾の反動に肩が悲鳴をあげる。身体をひねると、いままでいた場所に黒鍵が突き刺さった。銃口からの閃光が、言峰の動作を追って複雑な残像を流していく。
 言峰はいまや尾を引く影に見え、樹木の間を疾走している。集中しつづけていないとすぐに見失ってしまいそうだ。
「なんて奴だ―――」
 影が飛翔し、月明かりを背にした輪郭となる。
 黒鍵を両手に持つその姿に、衛宮は鴉を思い出す。闇に広がる黒鍵の刃は鋭利な光芒になり、死を羽ばたかせる。無駄のない動きが、殺人者にあるまじき流れを描く。
 優雅な線が冬を裂き、殺戮の弧になる。ふたつの銃口を向け、身をかわし、重低音の咆哮に自分の在処を思い知る。手を汚すのは自分だけでたくさんだった。アイリスフィールもイリヤスフィールも、そしてセイバーにも、こんな血生臭い世界とは無縁でいてほしかった。だから自分は血を知った。多くの死を生み、誰に弾劾されようとも、正義を貫こうと誓った。
 言峰の姿がかき消える。目を細めて感覚を自分に戻し、あらんかぎりの力で周囲を感じ取る。
 静寂の間を揺らす枯葉のさざめき、青白い月光、過敏になった神経が総毛立つ。
 ふりむくとそこには言峰がいて、凪ぎ払われた黒鍵の切っ先が耳元で風を切る。黒鍵はその長さにたがわず複雑な流れを見せ、こちらの隙を狙ってくる。
 言峰の瞳が見えた。漆黒にとりこまれた歓喜の色―――常人ならざる力の担い手は、この状況を楽しんでいる。
 耳の皮膚が切れ、血の生暖かさが肌を伝う。腕をあげて引き金を絞るが、言峰はそれをなんなくやりすごし、外套の裾を弾丸が通過していく。
 刃の濁流に襲われている。上、下、死角と、あらゆる角度からやってきては切っ先の余韻を刻む。もはや先を読んでいる暇はなかった。
 身を旋回させる言峰の所作は鋭利かつ柔軟な形を持ち、それでいてとてつもない速さと正確さを生みだしている。下手すれば銃を握る腕ごと斬り落とされるだろう。銃を使うこちらが有利だというのに、気圧されはじめている。
 言峰が地面に向けて黒鍵を凪ぐと、枯葉が渦となって巻きあがった。
 嵐のようだ。視界に枯葉が舞い、無数の葉が肌を切りつける。不思議と痛みは感じず、むしろ血の感触に興奮をけしかけられる。葉の乱舞を腕で払いのけながら、銃を構えようと手をあげた。
 その手に重圧がかかる。言峰の脚が自分の腕をとらえており、蹴りあげられた。
 ひどい痺れと痛みが走り、銃を落としかけてしまう。そのせいで気づくの遅れた。目の前を漆黒が横切り、脇腹に膝を叩きこまれる。
 内蔵がねじれ、脳髄にまで振動がやって来る。地面に落ちる寸前でようやく身体を上に向け、刺しこまれる刃を避ける。
 枯葉のさざめきがすぐ近くに聞こえ、こみあげてくる吐瀉をこらえて、なんとか銃を握りしめた。膝で地面をとらえ、背後に向けて撃つ。見えなくても、言峰の動揺が知れた。
 目眩にあがらいながら立ちあがり、その動揺に銃口を向ける。
 首筋に冷たい感触が沿う。
 景色が凍りついたように思えた。
 目の前に言峰がいる。自分はその眉間と心臓にそれぞれ狙いをつけている。
 そして黒鍵が自分の首をはさみ、刃が左右の首筋にあてがわれている。すべての動きが停止した中、額から汗が一筋おちていく。すこしでも身じろぎすれば頸動脈が切れるだろう。
 笑みがこぼれる。言峰の言葉を思いだす。理想に酔うとはこういうことだった。
 今は自問も自嘲もなく、言峰を殺したくて仕方がなかった。