殺戮遊戯

 「どうした、幽霊にでも見えるか」
 動かない身体に向かって言峰は歩いていく。黒鍵を刺された衛宮は地に腕をついたまま、顔をあげているだけで精一杯のようだ。 
「言峰、おまえ……」
「残念だが、このとおり生きている。聖杯に助けられた、とでも言うべきかな」
 自分を見あげる衛宮の顔は苦痛に歪み、呼吸も十分におこなえていない。みずからにかけられた試練に耐えている。たいしたものだと言峰は思う。これだけの呪詛を浴びせられれば、とうに発狂していてもいいはずだ。
「わかるか―――これが聖杯の呪いだ」
 衛宮に刺さった黒鍵に手をかけ、ゆっくりと引き抜く。衛宮が嗚咽を洩らす。刃にからみついた血が、煤に汚れたコートに赤い色を重ねていく。衛宮の気管から音が洩れ、口端から血が流れおちる。
 何かにしばりつけられたかのように衛宮は動かない。コートがめくれ、ホルスターに装填された銃が見えた。造形が古びており、凝った装飾が銃身に施されている。実戦には不向きなようだが、衛宮なりの愛玩なのだろう。
 そのコルトを抜いて歩幅をとり、衛宮に狙いをつけた。撃鉄を起こす音を聞くと、銃を好む理由がわかる気がした。自分にもそして相手にも、この音は殺戮の合図になる。
 衛宮は自分を目におさめたまま、苦痛に唇を歪ませる。笑顔なのかもしれなかった。
「あんなものに生かされただと―――」
 そう言って衛宮は血を吐き捨て、
「なるほどね。聖杯もわかってるじゃないか……生かすことが、おまえへの呪いなんだよ―――」
「知った口を」
 脚めがけて引き金を引いた。衛宮が叫び声をあげ、身体の片側が崩れおちる。言峰はもういちど撃鉄に手をかけ、こんどは腕を狙った。
 呻きの下から衛宮が目をあわせてきた。
「生きて―――苦しめ」
 充血しきった瞳に宿る、強い意思と拒絶。
 銃声が響き、反動に腕がしなる。衛宮の腕に血が弾け、飛沫が散り、身体が地に倒れこむ。意識を保ったまま責苦と戦っているのだろう、抵抗が小刻みな震えになっていた。泥と煤で汚れた顔に乱れた髪が貼りつき、苦痛を彩る。それでもこちらに爛々とした目を向け、罪を弾劾するかのように睨みつけてくる。
 歓喜と嫌悪が同時にあった。衛宮の苦痛は見るに値するが、純真な信念など見ていたくもない。衛宮の信念は自分が理解できず手に入れられないものを土壌にしている。正しき心、善なる衝動、無条件の愛―――自分には遠く、欠片すらつかめなかったものたち。
 自分は定義に気づき、追随を手放し、あきらめてしまった。残されたのは茨でおおわれた、自分ひとりだけが通る暗闇の道筋。快楽のために傷を戴く、赦しのない未来。
 だから目の前に転がっているのは、まったく意味のない、忌むべき存在でしかない。
「その言葉、そっくり貴様に返そう」
 銃を下げて地面に置き、
「呪いは貴様が死ぬまで解けん。せいぜい苦しむがいい。それが―――私の至福になろう」
 自分でも陰鬱な笑みを浮かべているのがわかった。
 衛宮に背を向ける。動脈を傷つけても死ななかった男だ、肉体の傷は即座に治してしまうだろう。だが、精神にとりついた傷はどんな力をもってしても取り除けない。
 衛宮の内で、聖杯は連綿と死を謳いつづける。
 そして自分の心臓にも、死の鼓動をうちつづけていくのだろう。


 言峰は火を目指して歩く。
 さらに奥地へ。たちこめてきた煙に、火が見え隠れしはじめる。
 そこを境にして、景色は一瞬にして焦土となっていた。足を踏み出すごとに、瓦礫が崩れおちる。そこからまた新しい火の手があがり、悲劇の残骸を灼く。
 一瞬にして燃えあがったのだろう、足もとに焦げついた鳥の死体が横たわっていた。それよりも大きな塊は、おそらく人だ。黒く変色したものもあれば、まだ生きているような艶をしたものもある。アスファルトに横たわる日々の澱。人々を踏みつぶした絶望の眺め。そのひとつひとつが、いままでにない高揚となっていく。
 瓦礫から季節外れの蝶が踊りでてきたのが見えた。忙しく羽を震わせ、安住の地を探すかのようだ。気まぐれに手を伸ばした言峰の目前で、蝶の羽に火が追いついた。混沌の模様が一瞬にして燃えあがり、手にわずかな灰が降りかかる。
 この儚さ。残る者と残らない者の差など、誰にもわからない。
「―――神父さま」
 か細い声に呼びとめられた。言峰は瓦礫の山を見わたし、その所在を探す。
 瓦が崩れ、柱が幾重にも折り重なった中に声の主はいた。女性のようだが、皮膚が火傷におおわれていて定かではない。崩れ落ちてきた家の下敷きになったのだろう、腕と顔の一部が露出していて、あとは柱の下に消えている。額から血を流しており、一瞥しただけで余命の短さが知れた。
「娘を……救ってやって」
 瓦礫を覗くと、女性の腕に抱かれている子供の一部分が見えた。一部に見えたのは、その子供が頭と胴体しかなかったからだ。腰から下は柱に挟みこまれ、潰れてしまっている。
 言峰は母親に向かって頷いてやる。
 それで安心したのか、母親の首がうなだれ、動かなくなる。赤い空を向いた目はそれでも澄み、たちこめはじめた雲をうつしこんでいる。
 言峰は母親の瞼を閉じてやり、子供の額に指を触れる。わずかに動く脈を伝って心臓の鼓動にたどりつき、脊椎と心臓を潰した。子供の喉から血が伝い出てきて、ふたつの死を赤く染めていく。
「祝福を」
 いたずらに生かすことだけが救いではない。家族を失い、四肢をも失ったこの子供が倖せに生きられはしないだろう。母親の望みどおり、この子供は安息を得る。生という名の苦痛から解放され、神の名において死という名の慈悲を与えられる。
 その場を離れるとき、自分が微笑んでいるのがわかった。
 この惨状。皮が削がれ、むきだしになった限界に魂を揺さぶられる。苦痛は美しく、崩壊は愛おしい。終末に向かう嘆き、生死の境にある断末魔のいななきこそ最上の音楽だった。
 ひとり、惨劇に酔いしれる。
 自分はこのまま生きる。人の痛みをわが恍惚とし、人の傷をおのが快楽として生きていく。世界から隔絶された存在のまま、受難の十字架を背負ったまま。
 おそらくそれは、自分に死の安息がおとずれる日まで。
 たとえ偽りの心臓に支えられたかりそめの人生であろうと、求めてはならないものを追い求め、何にも赦されず、死を司る加害者としてありつづける―――


 少しばかり気を失っていたようだ。
 目を開き、衛宮は自分の身体を見る。ひどいありさまだ。コートは穴だらけで、ところどころ裂けてもいる。スーツもシャツも血と泥に染まりきり、肌にごわつく。
 弾痕は塞がりかけ、痛みもひいていた。いまだ残っているのは、意識の底辺にこびりついた呪詛の渦だけだった。自分を強く保っていられればなんのことはない。ただ、気を張りつめていなければ、つけいられ、即座に死に迎えられるだろう。
 呪いが先か、自分の消耗が先か。
 衛宮は肘をつき、いまだ震える筋肉を叱咤しながら立ちあがった。
 聖杯は壊れた。自分に残された役割は、理想を持ちつづけることだ。
 火はおさまりかけていたが、眺めの悲惨さは増している。たちこめた終末の中で、生命の匂いを嗅ぎ取るなど不可能だと感じた。
 それでも、このまま終わるわけにはいかない。流れをひとつでも変えられれば、聖杯の生んだ間違いをひとつでも止められればそれでいい。そうすれば自分もふたたび理想を掲げ、その理想に誇りを持って生きていける。
「誰か」
 焼け野原に向かって声をあげる。
「生きていたら返事をしてくれ―――」
 衛宮に応える者はいない。聞こえるのは崩落の音と、壊れた水道管から噴出する水の音。紙の燃えかすが風に翻弄され、かさついた音が遠ざかっていく。
 火のかわりに太陽がのぼりはじめ、変わりはてた街は本来の明るさを取り戻しつつあった。周囲を見わたしながら歩くが、見るものといえば黒焦げになった瓦礫、溶けて折れ曲がった鉄骨、火に蹂躙しつくされた営み。たまに見る人は例外なく冷たくなっており、触れるたびに絶句することになった。
 こうして歩いていても、無駄なような気がしてくる。あの激しかった炎の中で、生きているほうが奇跡なのではないか。焦土を見ているだけで自分は何もできないのではないか。
 歩くのをやめようと思ったとき、目の端に何か白いものを見つけた。今まで黒か赤い色ばかり見ていたから目についたのかもしれない。
 近づいていくと、少年が仰向けに倒れていた。身体がところどころ火傷を負っていて、すこしも動かない。またもや絶望を味わうのかと思いながらも、少年に手を伸ばす。
 衛宮は自身の瞳孔が開くのを感じた。少年の肌はまだ暖かく、弱いながらも息があった。
「おい、生きているのか―――」
 頬を叩き、耳元に声をかける。少年の睫毛が二、三度うごめき、うすく瞼が開いた。意識が混濁しているらしく、瞳の位置が定まらないようだ。少年は再び目を閉じてしまうが、呼吸は続いている。きっと火災の中を逃げまどい、疲れきっているのだろう。
 少年の手に触れ、握りしめる。暖かい手、長いこと触れていなかった、人間の体温だ。
 涙がにじんでくる。この少年は絶望のなかに残された最後の希望だ。万が一の可能性を生きぬき、くじけそうだった自分の救いだ。
「―――ありがとう」
 身体に何かがぶつかり、顔をあげる。空には赤く染まった雨雲が広がっていて、雨粒が弱々しく、それでもこの景色を宥めるかのように落ちてくる。
 この惨劇に、ようやく終止符が打たれようとしていた。