殺戮遊戯

 教会を出るのは夕刻になった。
 言峰はアタシェケースの蓋を閉じて持ちあげる。考えていたよりも重くなってしまった。荷物は必要最低限にしたつもりだが、出先で何が起こるか予想できない以上、仕方のないことなのだろう。なにせ、標的を見つけるまでに何日かかるかわからないのだ。その上始末までやりとげるとなれば尚更だった。
 組まされた人間とは死別するのがおちだ。この前のように協力的な妨害が入れば話は別になるが、結局は自分だけで片付けなければならない。
 部屋に鍵をかけ、中庭に出る。濃い夕暮れが落ちかかり、伸びかけた蔓が朱色に染められている。頭上を旋回するのは本物の鴉だ。するどい鳴き声が、夏の夜のはじまりを告げる。
 回廊をめぐり、礼拝堂へ入る。祭壇を抜けると、見知った姿が長椅子に寝そべっていた。神前の最前列でこんな態度をとれるのは、この青年だけだろう。
「しばらく留守にする」
 言うと、青年が目を開けた。赤い瞳に出迎えられるのも慣れている。
「お楽しみか、羨ましいことよ」
「仕事だ」
「ならば余計ぞ」
 退屈をもてあました表情が、悪戯げに歪む。
「二度目の生はつまらんかね、ギルガメッシュ」
 自分の問いに、青年―――ギルガメッシュは身体を起こし、腕を頭の後ろで組む。
「雑種相手もつまらぬが、退屈も楽しみのうちよ。飽きたらわが主の寝首でも掻けばよい」
「見送りの挨拶にしては、ずいぶんと物騒なもの言いだな」
「冗談だ。我も餌を手放したくはない」
 ギルガメッシュにとって、このやりとりはあくまで本気の戯れだ。受肉してこの地にとどまっていても、王として君臨した時代そのまま、みずからの力と立場をよみがえらせている。ギルガメッシュにとって自分は取引の相手であり、共犯の一端だ。自分にとっては他の人間とおなじくカードの一枚となっていた。
「少しは身の処しかたをわきまえたか」
「笑止―――相変わらず小賢しい奴よな。早く行け」
 ギルガメッシュが笑いながら、手を払ってよこす。
 礼拝堂の扉を閉めてから、一連のやりとりが英雄王なりの礼儀だったのかと言峰は思う。
 教会から坂へ、そして街へ。幾度となく通ってきた道のりが、今は夕暮れから夜にうつりかわっている。夏特有の空気が吹きあげてきて、湿気を含んだ熱が頬を撫でていく。
 不毛な争いから五年の歳月がたち、あの災厄は過去のものとなっていた。弔いは過ぎ、嘆きはあきらめになった。非常は日常の波に包みこまれ、いまでは人々の記憶にその片鱗を残しているに過ぎない。
 自分を震撼させた風景はなく、災いもなくなった。だが心に巣食う矛盾はあのときのまま、進化も退化もしない。秘蹟を生む力も在り、備わるべき善も無いままだ。
 茨の道は深く濃く、愉悦の方角へと進ませ、そして相応の咎を刻みつけていく。おかしな話だ。悪に身をやつしたはずなのに、その道を選んだ理由を自分は探しつづけている。
 橋にさしかかると、向こう側から浴衣姿の人間が歩いてくるのが見えた。そういえばそんな季節にもなっていた。照明の下、色とりどりの浴衣が華やかな模様になっている。黒衣の自分とは対照的だ。
 ふと、親子づれが目についた。どうして着目したのかと感じてから、神経ににぶい驚愕が這いのぼってくるのがわかった。
 衛宮切嗣だ。だらしなく浴衣を着崩して団扇を持ち、風景の一部になっている。横に少年を連れ、親しげに喋っている。そういえば、孤児たちをひきとったとき、ひとりが養子に出されたと聞いた。
 だとしたらあの少年は犠牲者だ。衛宮切嗣と一緒にいて、真っ当な人生が送れるはずがない。あの理想を受けついだところで、待っているのは破綻だ。
 そして衛宮は精神を蝕まれつづけている。こうして見ても、命の灯が消えかかっているのがわかる。おだやかな微笑みがその証拠だ。微笑みはすべての感情を殺し、抑えこめる。
 衛宮が顔をあげ、こちらに気づく。一瞬だけ団扇の動きが止まるが、すぐに緩慢な動きに戻った。
 そのまますれ違った。衛宮はこちらを見ることなく、自分もまた衛宮を見ることなく、交錯は終わりを告げた。
 思えば、最初から自分と衛宮は背を向けあっていた。矛盾を抱えた者どうし、行く先はおなじ破綻だというのに。
 微笑みが浮かぶが、その出所はわからない。

 前方からの風が、外套の裾を揺らす。
 この身は夜の静寂とともに。

 深く甘い、闇を目指す。



終