大和田の史跡・文化財(7)
〔周辺地域〕
* 正福寺(蓮沼770)
林 貞造墓(筆子塔)
文化8(1811)年生まれ。天保11年(1840)、30歳
の時蓮沼の自宅に私塾開く。明治期私立五反田学校開設。
墓石は126名?の弟子により、明治10年12月25日(187
7)建立。
大和田村関係は次の通りである。
〈基礎・正面〉
門人筆子中
大和田村 柳沢保太郎
細沼 豊吉
同 徳ニ良
同 元ニ良
榎本 歌蔵
同 廣吉
嶋村林次郎
榎本○○女
河本みな女
野嵜由太郎
戸山 寅吉
野嵜茂三郎
柳沢 万吉
同 金蔵
同 浅次郎
浅子音次郎
同 峯女
河本 伊吉
柳沢峯三郎
榎本 勘蔵
細沼 ○女
河本 定女
同 姉五郎
嶋村八良兵エ
河本長五郎
蜻甚右ェ門
(注)人名は、「大宮の教育史調査報告書 T」大宮市教育委
員会 1987年より写す。26名、内女性5名。
* 神明社(蓮沼298)
松沢章山頌徳碑
清浦奎吾撰 「章山松澤君碑」(明治30年1月)にあ
る、門下生有志寄付者名の中の大和田関係者は次の39
名である。
〈背面4段目〉
大和田
金五円 島村 辰造
仝三円 浅子 代吉
仝三円五十銭 榎本鉄五郎
仝弍円 細沼 三吉
仝 小林沖右ェ門
仝 仝 林次郎
仝 戸山 代吉
仝 細沼市太郎
〈背面5段目〉
金弍円 戸山 八郎
仝壱円廿銭 細沼傳次郎
仝 榎本宗之助
戸山半次郎
仝 島村武之助
仝 河本熊次郎
仝 野嵜 由蔵
仝壱円 細沼志广蔵
仝 河本忠太郎
仝 浅子治兵エ
仝八十銭 河本伸次郎
仝 浅子傳次郎
仝 柳沢権次郎
仝 榎本辰五郎
仝 野崎吉之助
仝 仝 幸太郎
仝 細沼伊之助
仝 浅子徳次郎
仝七十銭 島村林次郎
仝 柳沢 萬吉
仝六十銭 浅子伊勢吉
仝 仝 吉之助
仝 柳沢 弥吉
仝五十銭 河本作次郎
仝 戸山寅三郎
〈背面6段目〉
金五十銭 榎本 モト
仝 柳沢 酉蔵
仝 小林萬次郎
仝 細沼鉄之助
仝 仝 弥吉
仝 榎本 仙蔵
(前記「大宮の教育史調査報告書 T」より写す。)
※松沢章山…天保2年(1831)蓮沼生まれ。初め林貞山に
学ぶ。嘉永4(1851)寺子屋開設。門弟は35ヶ村数
百人に及ぶという。明治18年大和田学校長で退職。
* 神明社(中丸)
塚上の石碑に、
(表面)
八海山神社
御嶽山神社
三笠山神社
(裏面)
慶応三丁卯二戊月吉日 (1867)
(基礎正面)
大和田村
小林定吉
大島重次郎
細沼治良吉
榎本治良兵エ
小林七五郎
とある。他に中川村、新右エ門新田、中丸村の関係者名。世話
人の1人に、大和田村 浅子清次郎の名がある。
* 石橋供養塔(大宮区寿能2丁目)
岩槻道(大和田公園道路)の芝川(見沼中悪水)の所に、安永6年
(1777)に建てられた「石橋供養塔」と、嘉永5年(1852)
に建てられた「石橋再建供養塔」がある。大和田村の名もある。
〇石橋供養塔(隅丸角柱)
(正面)(□以下はコンクリートに埋り見えない)
土□…(土呂村願主了圓とあったのか)
石橋供養塔
(右側面)
土呂村 薄田仲右衛門
同 村 小嶋治兵衛
大宮宿 北沢甚之丞
堀之内村 岩井惣右衛門
(左側面)(□はコンクリートに埋り見えない)
助成村 土手宿 大成□(村)
大和田村 砂村 堀嵜□(村)
蓮沼村 中丸村 本郷□(村)
堀之内村 天沼村 大宮□(宿)
與野町 岩附宿 高鼻□(村)
(裏面)(□はコンクリートに埋り見えない)
世話人
安永六年丁酉七月 小嶋平兵□(衛)(1777)
松永孫三□(良)
〇石橋再建供養塔(山状角柱)
(正面)
石橋再建供養塔 村中
(右側面)
風渡野村 深作村 大和田村
市宿町 膝子村 小深作村 セ 戸山八右エ門
久保宿町 中川村 嶋 村 蜻安左エ門
加倉村 中野村 堀崎村 ハ 淺子次兵エ
林道石 工 中丸村 砂 村 細沼傳右エ門
宮ヶ谷塔村 上蓮沼村 丸ヶ崎村 同 孫兵エ
宮下村 下蓮沼村 下瓦葺村 人 嶋村八良兵エ
(右側面下段)
土呂村新田方
世 川嶋佐右エ門
話 秋山弥左エ門
人 川嶋藤兵エ
(左側面)
大宮宿
宮 町 土手宿村 串引村 上加村
大門町 堀之内村 原並木村 下加村
中 町 上天沼村 前並木村 上加茂宮村
下 町 下天沼村 上小村田村 下加茂宮村
吉鋪町 上大成村 落合村 本郷村
一宮角井駿河守 中下大成村 与野町弥四郎
(左側面下段)
土呂村本田方セ 松永孫三郎
ハ 吉田伊兵衛エ
人 薄田新右エ門 嘉永五子(1852)
同村 セ 小嶋平兵エ
ハ 同 太兵エ
人 田中与兵エ 四月吉日
同村 大野岡右エ門

* 石橋供養塔?(見沼区大谷)
岩槻道(大谷中通り)の大谷中の少し先に、享保11年7月(1726)に
建立された石碑が建っている。
表面は摩滅して読めないが、側面に、大谷村の他に助成村として、蓮沼
村、大和田村、中丸村、中野村、中川村、御蔵村、新井村、笹丸村、山
村、片柳村の名が記されている。
近くを流れている加田屋川に架かっていた石橋の供養塔かもしれない。

* 地蔵院墓地(見沼区東大宮1丁目)
地蔵院墓地に、近くに住む島村家の墓があるが、墓石に大和田村
と刻されている。また、東覚院の末という林家の墓地もある。
現在は神明橋通りが大和田と東大宮の境界であるが、江戸時代は、
大砂土中学校のさらに北側まで大和田村の領地であった。
(トップページへ戻る)