Я[なにわふくしま資料館]Я
2005.8.23

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「五百羅漢寺の後日物語

―福島から東大阪額田へ―」

その2

井形正寿

『大阪春秋 第40号』より転載


◇禁転載◇

天満焼で市電境内を通る

 摂津名所図会(巻之三)には妙徳寺のこと を「福島の北にあり。禅宗黄檗派龍王山と号 す。開基鉄梅和尚。正徳年中南源和尚造立、 俗に五百羅漢の寺という」とある。またさき の大阪府全志(巻二−一一八八頁〜一九一○頁) に「妙徳寺は上福島中三丁目字廻江にあり、 龍王山と号し、黄檗宗万福寺末にして釈迦如 来を本尊とす。僧正行基の開創なりと伝うれ ども、中世の沿革は詳ならず。天和元年正月 十七日僧鉄梅入りて住し、元禄十年十二月本 堂を再建して、翌十一年其の師天徳南源和尚 を請じて中興開山と為し、本山に送入して其 の末寺となる。故に亦鉄梅寺の名あり。宝永 五年五月十五日禅堂成り、正徳元年十一月八 日鐘楼堂成る、其の他諸堂造営の年月は詳な らず。安政四年諸堂大破に及びしを以て、十 方信施の協力によりて造営再興し……其の 結構は全く唐土の制を倣い、世間幾多の同門 中当寺に比するものなき壮観を呈せり」とそ の堂宇の壮大さが目に浮ぶようだ。続いて 「第十世天真の時に至りて五百羅漢を安置せ り。是れ有名なる福島の五百羅漢にして、遂 に寺名を称せずして五百羅漢を以て世に称せ られるに至れり。降て明治四十一年八月三十 一日隣接せる同宗にして万福寺末なる久安寺 を合併せり……然るに同寺合併の翌四十二 年七月三十一日の大火に際し、壮麗を極めし 建物全部は忽ち類焼されて灰燼と化し去り ぬ。依て之が再建に着手し、大正六年五月一 日、本堂・後堂・渡り間・渡廊下・押入・浜 椽・伝廊下・向拝・庫裏・玄関・表門・台所 門・鐘楼堂・土蔵・井戸家形及び弁財天堂・ 地蔵堂等竣成せり。之がため寺観備はりたる も、以て旧観に比すべくもあらず。かつ境内 は電車敷に削られて縮少し、今は僅となれり 惜しむべし」とある。

 文中の電車敷とは天満焼のあとで、その焼 跡地を利用して大正元年九月十二日に開通し た梅田新道―桜橋―福島西通までの市電路線 (福島曽根崎線)のことである。この時、寺 は大阪市へ百数十坪を譲渡しているので、私 が所蔵している明治四十四年六月刊行の大阪 地籍地図(吉江集画堂発行)によるとこの時、 寺の境内は八三八坪九合七勺となっている。


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