井形正寿
『大阪春秋 第40号』より転載
そこでいよいよ額田の妙徳寺を訪問しよう
ということになって、春は花見の四月十五日
にわが福島区歴史研究会のメンバーに檄を飛
ばし現地、額田駅集合となった。会するもの
八名。額田駅からだらだら坂を三百メートル
下った辻に高さ一・五メートル位の「龍王山
妙徳寺」の石碑が立っている。裏面には「藤
名所野田是より西」側面に「願主<な
建」とある。この石碑は道しるべをかねてい
るものであって、福島の旧地から運ばれて来
たものである。私達には<なという屋号のは
いった道しるべが区内に三基ほど残っている
ことを知っていたので、あゝあの山名氏の道
しるべと同一のものだ―と直感した。
禅寺特有の山門をくぐると、この春一番の
桜が境内一面、見事に満開で咲いているで
はないか。庫裏から来訪をつげると住職の奥
さんが出て来られた。昨晩、電話で連絡はし
てあったとはいえ「今年の桜は今が一番の咲
き頃。あなた達をこちらからお招きしたよう
な、好い日に来て下さった」と迷惑がらずに
大歓迎である。住職は法事で他出しておられ
たが本堂へ案内して下さる。
もともと妙徳寺の本尊は釈迦如来であった
が、さきの天満焼で消火に従事したひとが運
び出そうとした時、この釈迦如来のお手だけ
がポロリとはずれて、運び出されたという、
いわくつきのお手だけがこの本堂の奥に祀ら
れている。明冶中期に妙徳寺から他寺に預け
られていた文珠、普賢両菩薩を迎えて現在は
本尊としている。この両菩薩は旧地では釈迦
如来の脇士として祀られていたものである。
私達は本堂のご本尊の前であらためて手を
合した。そして本尊の前には五百羅漢が十数
体安置されていたので目ざす羅漢さんがある
ことから、私達は案内の奥さんに寺移転の経
緯など年来の疑問を一気に質問した。
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