井形正寿
『大阪春秋 第40号』より転載
ところで妙徳寺が福島の旧地から現在の額
田(東大阪市額田町二−三二)へ移転したのは
いつの頃なのだろうか。寺の記録によると、
大正十五年十一月から昭和三年にかけて福島
の妙徳寺を解体移築したとある。当時は運搬
手段が馬力、牛車が主体の時代だから、急坂
地であるこの地への重い墓石などの運搬は大
支なことのようだった。
庫裏は新築したもののようだが、鐘楼、大
師堂、弁財天堂、総門などは解体、移築した
ものである。本堂に掲げられている「龍王
山」の扁額は天満焼に焼残ったものである。
境内にはさきにも書いた貝原信進の墓が今も
あった。福島の侠客で鳴らした「春駒」の大
さな墓が人目をひく。
私は大塩(平八郎)事件研究会のメンバー
でもあるから「大塩、播磨屋、杉本各家歴代
供養碑」という新しい石碑には強い関心を持
った。そして帰宅後いろいろ調べてみたら、
大塩平八郎の遺児であると伝承されている播
磨屋こと杉本大と(大塩大七)の子孫杉本久
氏(東京都杉並区在住)が建立せられたものと
わかった。この播磨屋大七は正史に載ってい
ない遺児といわれ、明治維新後、平八郎の子
孫であることを公称していたといわれる。思
わぬところで思わぬ人の石碑に遭遇して驚い
ている。
桜満開の山門のあたりでパチパチ記念写真
を撮っていると、住職が帰って来られた。私
達は福島の旧地からこの額田へ移転して来た
当時の話しなどを立話しでひとしきりお伺い
し、来年も桜の時季にもう一度訪ねることを
約束してお別れをした。
(大塩事件研究会副会長)
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