井形正寿
『大阪春秋 第80号』1995.10より転載
昭和はじめの聖天さんの情景を『近代大阪』のなかで北尾鐐之助が次のように描いている。
「午前四時には開門するが、東の空が漸く白む頃の夏の朝など、開門を待つ参詣者の群れでいつも充満している。相場師、花柳界、商人など、近在から十数里の道を遠しとせずして、ここに、増益福徳、災害降伏を祈るものが雲集する。
本殿の前には、早朝から毎日線香の煙りが絶えたことがない。火爐の中には真赤な一団の火となって、濛々たる煙りが、四辺を立て篭めてめている。そこに立って、その煙りを、自分の方へかきよせるやうにして頻りに肩をくすべ、腕をくすべ、更に煙りにかざした両手をもって顔をさすり、足を撫でなどして礼拝する」
このような昭和初めの庶民信仰、ひいては明治時代にさかのぼる庶民憩いの場としての雰囲気は今はない。聖天さんの戦災復興五十周年記念事業として聖天堂はじめ鐘楼・山門・庫裡も立派になった。しかし、欲をいうなれば、寺の環境整備の一環として例えば「浦江の里歴史資料館」(仮称)とか、寺と地域住民とのふれあいの場として使える会館などが出来ればと願うのは私一人ではあるまい。
いま、聖天さんに最も近い商店街、聖天通商店街振興組合は、街づくりの調査・計画策定に熱心で、商店街あげてこれに取組んでいる。策定された原案のなかに聖天さんを「歴史的・伝統的イメージと、現代的・文化的都会のイメージが交差するエアポケット空間の演出」を最大り街づくりのテーマとして<アーチ・街路灯・カラー舗装などによる町なみ修景と環境整備>によって快適にして縁日的風景を演出したいとしている。
かつて、出入橋筋から浄正橋筋―聖天通―浦江聖天さんへと街道が通り、商店街が発展した。あと五年で二十一世紀を迎える。浄正橋筋を中心に、この時、この町は大きく変貌しているであろう。その時も、浦江聖天さんは附近の商店街に依存され、仏法を守護する神様―ガネーシャ―の寺として庶民の信仰をあつめ、庶民の憩いの場として存在して欲しい。寅さん映画のあの東京・葛飾区、柴又・帝釈天の題経寺のように―。
(福島区歴史研究会事務局長)
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