Я[なにわふくしま資料館]Я
2011.12.13

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『上方 第46号 上方大風水害号』(抄)
その2

上方郷土研究会編輯 創元社 1934.12


築港(港区)(2)

管理人註
   

難破船千六百    安治川筋だけで

 廿一日夜十一時現在、大阪安治川水上署調査によると安治川筋におけ る難破船舶は汽船五隻、はしけ渡船その他千六百隻に上つた

死の築港を救へ

 颱風に次ぐ高潮の暴虐――二十一日朝の大阪港は忽ち大混乱を呈し船 舶の沈没数知れず、大桟橋は微塵に打ち砕かれ寸刻を争ふ危急に迫つた が、非常警備に総動員の大阪港水上署では警察本部に急報せんにも通信 機関は全部途絶してしまったので、小林署長は午前八時五分遂に意を決 し井上稔、小野武両巡査を伝令とし「港内大混乱惨状の極応援たのむ」 の悲壮なる報告等を携へ警察本部への連絡を命じた、丈余の怒涛物凄き 流木の群とても人間業では出来さうもない大任――しかも勇敢なる両巡 査は報告書をかたく肌につけ、シャツ、サルマタ一枚で飛び込み築港か ら境川まで約五キロの頭を没する濁流の中を、両巡査は泳ぐように突破、 午前十時四十分府庁に達し任務を果した、小林署長の決断は勿論、この 悲壮なる決意をもつて一身を犠牲にし重大な任務を果した両巡査は警察 官の模範として称賛の的となつてゐる        (大毎)         ◇  市内の最低地域港区市岡、築港等は二十三日朝来さすが執拗な濁水も 九條、安治川、尻無川方面を除いて漸次減水、各商店の開店も次第に増 して行き風呂屋も約七軒開湯したが、港区東田中町五ノ七五石炭商西山 中真一長女芳子(四つ)は赤痢、同区八幡屋大通三ノ三三出蔵善之丞長 男進(三つ)は疫痢、同区東田中町四ノ九四蒔野一久次男統(五つ)長 女ひろ子(八つ)八幡屋元町二北本茂市次女たか子(一つ)は赤痢、五 名の伝染病患者が発生し、築港署は市保健部と協力蔓延防止につとめて ゐる         ◇  市電大正橋から三軒家方面に入ると、かなり早く水のひいたこの一帯、 千島町の街上では流れ込んだ直径六尺長さ卅尺もある大丸太を卅余名の 人夫が汗だくで取のけてをり、千島市場はもう店を開いてゐる、まだ開 通しない立往生の電車は子供達で満員、罪のない電軍ごつこがはやつて ゐる、木材を満載したトラツクや市救護班、仏教団体の慰問隊の自動車 が威勢よく走り、街々はリユツクサツクや風呂敷包みを肩にした見舞人 で大混雑だ、やがて市電の試運転が初まる、南恩加島町の工場街は全滅 の形で中山製鋼、窯業セメントをはじめ大小工場の建物は骨ばかりを無 残に残し頑丈な煙突だけが煙も吐かずにつゝ立つてゐる。中でも三星化 学工業所などは煙突だけで工場は影も形もないが、やつとかけつけた職 工達が惨めに破壊された機械の中で勇ましく復興のハンマーをふるつて ゐる、鶴町では大体屋内の整理も済んでおかみさん達は筵の上に米を乾 し、めちやめちやだつた日本.小倉両石油多数の新しい自動車を塩水に ひたしたゼネラル・モータースの工場内でも碧眼の社員が人夫を督励し て整理を続けてゐる、木津川岸には直径丈余の陥没が数ケ所もあり、渡 船は流れる重油とコールタールにまみれて必死の運航ぶりだ、船町方面 は運航をはじめた渡船が物資の需給や見舞人の往来で満員である、船町 に入ると全滅した大阪鉄工所築港工場の門内には巨船のデッキから流れ て来た大型ボートが四隻も転がり、茫々たる原つばの中に帝国人造肥料、 日本人造肥料、帝国鋼管などの大工場では、かけつけた工場員が躍起に 焦つてゐるが、みじめな残骸は如何にもならない状態だ、日本空輸から 遠く藤永田新田造船所のあたりクレーンは折れ、汽船は半ば沈んで見渡 す限りはまるで戦場の跡のようだが、われらの工場再建への勇ましいハ ンマーの響きがかすかに聞えて来る       (大毎)

   

『上方 第46 号』(抄)目次/その1/その3

福島区とその周辺の災害
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