Я[なにわふくしま資料館]Я
2011.6.14

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収録論文一覧


『西成郡史』
その2−4−9

大阪府西成郡役所編集・発行
1915


(九)鷺洲村

本村は、大阪市北区上福島、及、西野田の北に位し、新淀川の両岸に跨 れり。其北岸にあるは塚本、及、大字海老江の幾部分にして、南岸にあ るは、大字海老江の大部分と浦江・大仁との地なりとす。 明治廿二年四月、町村制実施の際、戸長役場管理区域第弐拾壱役場たり し海老江・浦江・大仁の各村、及、光立寺・下三番・小島新田・成小路・ 小島古堤の各村と共に、第弐拾参役場管理区域に属せし塚本村とを以て 新に一村を立てしものにして、其村名を鷺洲村と撰定せしは、蓋し鷺島                         もと なる旧称と、海老洲の古名 此名難波古図に出づ とに覓めたるならん。 西成郡町村分合取調書には、単に鷺島荘なりしを以て、鷺洲村となすと 作る 其役場を大字海老江字南野弐百弐拾七番屋敷に置きたり。後三十一 年十二月七日、大字浦江字八反田参百四拾四番地の壱番に移転し、尋で 三十六年に至り、金壱千参百参拾六円余を投じて、村役場を同大字南八 反田四百八拾八番地の弐番に新築し、四月八日を似て、再び爰に移転せ り。是、即、現今の役場なりとす。 扨又、大阪より兵庫県川辺郡尼崎町に達する要路たる、梅田街道は、本 村の大字海老江・浦江を貫通し、往来極めて煩繁なり。 而して阪神電車野田停留所は、大阪市北区西野田と本村との市郡界に接 して本村領に、淀川停留所は、新淀川の南岸、即、村の西方なる稗島村 との村界を東に距る数拾間の処にありて、共に海老江・浦江方面への交 通、最も便なり。村内、又、里道適所に通じ、人馬車の往来を資くるこ と多し。 明治三十年九月、淀川改修工事の挙あるや、大字海老江に於て、九拾町 弐反八畝拾九歩・同浦江に於て、拾壱町六反八畝拾参歩・同塚本に於て、 拾弐町壱反五畝拾六歩の地を其河川敷に買収せられしかば、大に其耕地 反別を減少したり。是より先、本村は一会社一工場のあるなくして、而 も殆ど純農村の観ありしが、明治廿七八年戦役後に於ける大阪市の発展 は、遂に本村にも影響し、三十年二月に至りて、岡島友仙合名会社起り、 三十二年二月、鉄道用達合資会社・九月、日本刷子木管株式会社抔、相 次で起り、爾来、漸を以て尚発達の傾向を顕し来りしが、更に又、三十 七八年日露戦捷後に於ける本村の発達は、弥々、急進の状勢を示し、即、 新淀川に於ける西成大橋、及、電単軌道の布設ある等、然も交通の整備 と市の膨脹の余響とに由て、俄に家屋の増加、又は道路の新設ありしに 次で、巡査派出所、及、郵便局等の設置をも見るに至り、就中、浦江・                            ひさし なら 大仁の地の如きは、寄席・料理屋・飲食店・小売諸商店等の檐を駢ぶる あり。 尚其間に各会社、若くは、個人の経営に係る十数ケ所の工場等設置せる          がいく あり、以て整然たる街衢を形づくり、随て各職工・労働者等多く住居し、 人口一万六千三拾五 四三年末 の激増を見るに至り、宛然大阪市の幾部 分と何等択ぶ所ある莫し。 されば、村財政の如きも、其発展に件ひ、各事業の年々膨脹して、而も 尚止まざるの光景あるのみならず、殊に教育事業の如きは、人口増加に かんけい 干繋して、愈々、其施設の拡張、著しきものあり。今四十三年度の歳出 総額を見るに、実に六万壱千参百八拾余円の鉅額に達し、他に多く之が 類例を求むること能はざるに至れり。


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