『大阪春秋 第98号』 大阪春秋社 2000.3 より
「水の都」「水都」ということばは、一般名詞である。このことばは、大阪を指すことばでもある。
花火大会に"水都祭"というのがある。大阪市民には馴染み深い行事である。現在、人工島・舞洲に渡る連絡船に「水都」というのがある。戦前の船にも「水都」はあった。観光艇「水都」である。大阪市は昭和十一年(一九三六)六月から観光艇「水都」を就航した。これは、行程二八キロ、所要時間二時間のコースだった。淀屋橋北詰桟橋(土佐堀川)を出航し、中之島剣先から堂島川に入り、安治川を下って大阪港を巡航して、木津川運河・木津川を上り、川口から土佐堀川に入って淀屋橋北詰に戻るというものだった。しかし、昭和十五年(一九四〇)には早くも一般運航が全く中止された(注1)。この観光艇「水都」は、戦時下にあって短命であった(注2)。
この大阪の冠辞「水都」「水の都」ということばは、近代に入ってから用いられたことばである。このことばは、近世都市大坂に現出していた水都景観からの命名であることに間違いない。
(注1)『新修大阪市史』第七巻 六三八頁 一九九四年 (注2)竹島昌威知「加々美市長と観光船『水都』」:『大阪春秋』第六三号 五七頁 一九九一年三月