Я[なにわふくしま資料館]Я
2011.4.6

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福島区関係文献目録


『大阪府全志 巻之二 第九聯合』

井上正雄 大阪府全志発行所 1922


 北区
 第九聯合 (芦分尋常小学校設置負担区域)

  安治川上通一丁目・同二丁目・北安治川通一丁目・同二丁目・同三丁目(五ケ町)



安治川の開
通に依りて
転換せる航
路の影響

 本聯合は安治川の北岸に沿へる帯の如き狭長の地なり。南は同川を隔てゝ川口町・富島町・南安治川通一丁日・同二丁目・同三丁目に対し、東は下福島三丁目、北は西野田十六町・同兼平町・安井町・酉九條上之町・同下之町、西は北安治川通四丁目に接す。貞享元年二月河村瑞軒の九條島を開鑿して新川(新堀川ともいふ)を通ぜしにに伴ひ、其の両岸に成りし新地の同川北岸にあるものなり。元禄元年町割のあるに及び新堀一丁日・同二丁目・新川北一丁目・同二丁目・同三丁目と称したりしが、同十一年四月に至り、新川を安治川、川端の町名を安治川と命名せられしかば、新堀一丁目・同二丁目は安治川上一丁目・同二丁目、新川北一丁目・同北二丁目・同北三丁目は安治川北一丁目・同二丁目・同三丁目と改めらる。安治川新地と呼ばれ堂島新地二十町の内にして、当初は北組・天満組の加郷なりしも、後天満組に属し来りしが、明治二年五月四日北大組に属し、同五年三月十七日町名の分合改称あるに際し、安治川北三丁目を除くの外は悉く異動せり。即ち安治川上一丁目に同上二丁目の内を加へて安治川通上一丁目、同上二丁目の残部を安治川通上二丁目、安治川北一丁目を両分して其の一部を安治川通北一丁目、同北二丁目の残部を同北二丁目に加へて 安冶川通北二丁目、安治川北三丁目を安治川通北三丁目と改称し、同四十五年二月八日更に安治川通上一丁自・同上二丁目を安治川上通一丁目・同二丁目、蛍治川通北一丁目・同二丁目・同三丁目を北安治川 通一丁目・同二丁目・同三丁目と改称せらる、現在の各町是れなり。

 安治川の開通以前にありては、諸国入津の船舶は伝法港に於て、其の貨物を小舟に積換へ、逆川を遡り富島・古川両町の間を過ぎて大阪に入りしを以て、伝法は当時海船入泊の要津たりしも、一たび安治川の開通せらるゝに及び、諸国入津の船舶は直に此の 新川に依りて大坂市に入るに至りしかば、盛衰忽ち転じて繁栄を極めし伝法は衰退して、其の船番所の廃止せられたるに反し、本地及び南岸の地は入津船舶輻輳し、従来四貫島にありし船番所を、北一丁目の岸頭に移され、川には帆橋林立し、陸には旅舎・問屋等櫛比の巷となり、遂に木津川口と大坂に於ける二大咽喉を為し、しかも其の盛況は木津川口を凌ぐに至れり。

 新地開発の際に於ては其の繁栄策として、茶屋株・風呂屋株・煮売屋株及び芝居の興行を許可せられしかば、享保の頃に至り、茶屋は茶立女・風呂屋は髪洗女等を置きて、揚屋遊女の形を為し、初めは上一丁目のみなりしも、文化の初めに及びては、下二丁目にも之を置き、其の盛なること上一丁目の上に出で、天保十三年末に至り、曾根崎新地・道頓堀等と共に飯盛女附旅籠屋を許可し、翌年十月更に旅籠屋を泊茶屋・抱女を飯焼女と称せしめ、泊茶屋の数を限らずして飯焼女の総人数を弐百参拾弐人と定められしかば、遂に一派の脂粉場を為し、船舶入津の地たるを以て、船員・舟子は此に群集しければ、いよ/\繁栄して世に新堀を以て称せらるゝに至れり。明治維新の後に及び漸次衰微に傾き、同二十七八年の頃には僅に一両軒を残すのみとなりて、自然消滅せり。而して此の新堀は他の遊里と異なりて歌妓と娼婦とを兼ね、且其の長ずる者を古瀬と呼び、少なるものを新造と呼べり、新造の称は新造船の意に出で、古瀬の名は水に因めり。此の語は此の地の専称なりしが、後遂に他の遊里にも用ひられしといふ。

    新  濠       筱崎武江*1
  燈火如花俯水流 倚欄娼婦媚含羞 妾心無転重於碇 夜々不離江上舟

    新  濠       竹鼻纜山*2
  江流影俯百楼台 解語花於風面開 誰言客弄烟波去 却是烟波弄客来



  町名及び区画の変遷表  (月日はアラビア数字に直しています。管理人)
旧名町名明治2年5月4日同4年5月8日同5年3月17日改正名同日同8年4月20日同9年9月30日同12年2月21日同13年7月2日同14年8月29日同17年7月1日
新堀一丁目安治川上一丁目九番組を組一番

を組一番
安治川通上一丁目

 同上二丁目
十九区四大区十九小区四大区六小区第六分画 第七聯合第九戸長役場
 同二丁目 同上二丁目九番組十九区四大区十九小区四大区六小区第六分画 第七聯合第九戸長役場
新川北一丁目 同北一丁目九番組を組二番

を組二番
 同北一丁目

 同北二丁目
十九区四大区十九小区四大区六小区第六分画 第七聯合第九戸長役場
 同北二丁目 同北二丁目九番組十九区四大区十九小区四大区六小区第六分画 第七聯合第九戸長役場
 同北三丁目 同北三丁目九番組を組二番 同北三丁目十九区四大区十九小区四大区六小区第六分画 第七聯合第九戸長役場

備考 安治川通上一丁目・二丁目を安治川上通一丁目・二丁目、安治川通北一丁目乃至三丁目を北安治川通一丁目乃至三丁目、明治四十五年二月十四日改称せられしは前記の如くなるも、表記し得ざるにつき此に附記す。


管理人註
*1 篠崎竹陰( 〜1858)か、竹陰は漢学者、篠崎小竹の次女と結婚、小竹の跡を継ぐ。
*2 竹鼻纜山(たけはな らんざん)、幕末の詩人・書家。


大阪府全志』目次(福島区関係)
大阪府全志 巻之二』目次(抄)

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