北区
第九聯合 (芦分尋常小学校設置負担区域)
安治川上通一丁目・同二丁目・北安治川通一丁目・同二丁目・同三丁目(五ケ町)
安治川の開 通に依りて 転換せる航 路の影響 |
本聯合は安治川の北岸に沿へる帯の如き狭長の地なり。南は同川を隔てゝ川口町・富島町・南安治川通一丁日・同二丁目・同三丁目に対し、東は下福島三丁目、北は西野田十六町・同兼平町・安井町・酉九條上之町・同下之町、西は北安治川通四丁目に接す。貞享元年二月河村瑞軒の九條島を開鑿して新川(新堀川ともいふ)を通ぜしにに伴ひ、其の両岸に成りし新地の同川北岸にあるものなり。元禄元年町割のあるに及び新堀一丁日・同二丁目・新川北一丁目・同二丁目・同三丁目と称したりしが、同十一年四月に至り、新川を安治川、川端の町名を安治川と命名せられしかば、新堀一丁目・同二丁目は安治川上一丁目・同二丁目、新川北一丁目・同北二丁目・同北三丁目は安治川北一丁目・同二丁目・同三丁目と改めらる。安治川新地と呼ばれ堂島新地二十町の内にして、当初は北組・天満組の加郷なりしも、後天満組に属し来りしが、明治二年五月四日北大組に属し、同五年三月十七日町名の分合改称あるに際し、安治川北三丁目を除くの外は悉く異動せり。即ち安治川上一丁目に同上二丁目の内を加へて安治川通上一丁目、同上二丁目の残部を安治川通上二丁目、安治川北一丁目を両分して其の一部を安治川通北一丁目、同北二丁目の残部を同北二丁目に加へて
安冶川通北二丁目、安治川北三丁目を安治川通北三丁目と改称し、同四十五年二月八日更に安治川通上一丁自・同上二丁目を安治川上通一丁目・同二丁目、蛍治川通北一丁目・同二丁目・同三丁目を北安治川
通一丁目・同二丁目・同三丁目と改称せらる、現在の各町是れなり。 |
| 旧名 | 町名 | 明治2年5月4日 | 同4年5月8日 | 同5年3月17日改正名 | 同日 | 同8年4月20日 | 同9年9月30日 | 同12年2月21日 | 同13年7月2日 | 同14年8月29日 | 同17年7月1日 |
| 新堀一丁目 | 安治川上一丁目 | 九番組 | を組一番 を組一番 | 安治川通上一丁目 同上二丁目 | 十九区 | 四大区十九小区 | 四大区六小区 | 第六分画 | 第七聯合 | 第九戸長役場 | |
| 同二丁目 | 同上二丁目 | 九番組 | 十九区 | 四大区十九小区 | 四大区六小区 | 第六分画 | 第七聯合 | 第九戸長役場 | |||
| 新川北一丁目 | 同北一丁目 | 九番組 | を組二番 を組二番 | 同北一丁目 同北二丁目 | 十九区 | 四大区十九小区 | 四大区六小区 | 第六分画 | 第七聯合 | 第九戸長役場 | |
| 同北二丁目 | 同北二丁目 | 九番組 | 十九区 | 四大区十九小区 | 四大区六小区 | 第六分画 | 第七聯合 | 第九戸長役場 | |||
| 同北三丁目 | 同北三丁目 | 九番組 | を組二番 | 同北三丁目 | 十九区 | 四大区十九小区 | 四大区六小区 | 第六分画 | 第七聯合 | 第九戸長役場 |
備考 安治川通上一丁目・二丁目を安治川上通一丁目・二丁目、安治川通北一丁目乃至三丁目を北安治川通一丁目乃至三丁目、明治四十五年二月十四日改称せられしは前記の如くなるも、表記し得ざるにつき此に附記す。
管理人註
*1 篠崎竹陰( 〜1858)か、竹陰は漢学者、篠崎小竹の次女と結婚、小竹の跡を継ぐ。
*2 竹鼻纜山(たけはな らんざん)、幕末の詩人・書家。