Я[なにわふくしま資料館]Я
2006.8.21

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福島区関係文献目録


『大阪府全志 巻之二 上福島聯合(1)』

井上正雄 大阪府全志発行所 1922


  

北区
上福島聯合(上福島尋常小学校設置負担区域)

    上福島一丁目・同二丁目・同三丁目・上福島中一丁目・
    同中二丁目・同中三丁目・同 中四丁目・同中五丁目・
    上福島北一丁目・同北二丁目・同北三丁目(十一ヶ町)

 本聯合は東は曾根崎新地三丁目・西梅田町・北梅田町、北は西成郡鷺洲町の浦江より西に亘りて西野田平松町・下福島一丁目・同二丁目に接し、南は曾根崎川を隔てて堂島に対す。旧上福島村なり。村は西成郡に属し、南中島の内にして福島村と称せしが、延宝五年分れて上福島村・下福島村の両村となれり、本村は其の一なり。其の東南部なる曾根崎川に沿へるの辺は、大阪市街に近きを以て夙に発達して市街の形を為し、上砂町・下砂町・明島町・渡場町・野中町・宮前町・大道町・北の場町・橋詰町・カラスキヤ町・中の町・下の町(中の町・下の町は俗に中福島といふ)等の名をなせり。明治二十二年四月一日町村制の施行に際し、独立して一村を設け、同三十年四月一日大阪市に編入せられて北区に属し、上福島と称せしが、同三十三年四月一日従来の名称を廃し、更に地区を按排して新に町名を設定せり、即ち字上砂・同下砂・同江の口・同川岸の内九百十五番地西端以東の反別参町参反五畝弐拾六歩を区域として上福島一丁目、字明島・同宮の前・同渡し場・同大道・同北の場・同川岸の内九百十五番地西端以西九百三十七番地の二西端以東の反別四町四反四畝弐拾八歩を区域として上福島二丁目、字中・同コモ池・同九十婦・同樋下・同樋の下・同川岸の内九百三十七番地の二西端以西の反別四町八反五畝六歩を区域として上福島三丁目、字見古田・同見コウ田・同見コウデン・同尺古田・同真砂の反別四町五反四畝拾壱歩を区域として上福島中一丁目、字中道・同中通・同中通り・同野中の反別参町参反五畝拾歩を区域として上福島中二丁目、字廻り江・字廻江の反別弐町五反七畝弐拾八歩を区域として上福島中三丁目、字南堂田の反別五町弐畝六歩を区域として上福島中四丁目、字越ヶ樋・同越ヵ樋・同コシガヒの反別参町九反弐拾四歩を区域として上福島中五丁目、字打越・同横堤の反別九町参畝九歩を区域として上福島北一丁目、字長福寺・同ヒダナ・同ヒタナ・同ヒダナ第一号の反別五町壱反弐歩を区域として上福島北二丁目、字道端・同カイトノ前・同カイドノ前の反別七町参反参畝弐拾壱歩を区域として上福島北三丁目、と改称せり、現在の各町是れなり。
 摂陽群談には此の旧福島村を「上中下に分ち三邑を成す」と記すれども、今は中福島の称なし。然れども摂津名所図会にも、福島天神祠の條に「福島天神祠は上福島・中福島・下福島の三所にあり、何れも菅神を祀る」と見ゆれば、もと上福島・中福島・下福島の三村たりしも、後、上・下福島の二村となりて中福島は上福島村に合せられたるものと思はる。現に天満宮中之社の境内の建石には表面に「五番天神宮、中福島村」側面に「安永八亥九月讃岐屋治郎右衛門」と刻せるものあり。摂津志村里の條に「福島上下有二、属邑一」と記せる属邑は已に上福島に属せし以後の中福島を指したるものならん。伝へいふ、此の福島の地は餓鬼島と呼びし所なりしが、菅原道真の筑紫に左遷の途次、船を此に着けて地名を尋ねられしとき、餓鬼島なりと対へしに、是れ不祥の名なりとて福島と改むべき旨を告げられ、其れより福島と称するに至れりと。又葭原島とも呼びしといふ。


上福島聯合(2)/『大阪府全志』目次(福島区関係)
大阪府全志 巻之二』目次(抄)

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