| 領主及び |
本地は元和年間より徳川氏代官の支配となり、代官継承して内海多次郎に至り、明治元年の初め新に御料となりて、同二月大阪裁判所司農局の支配に移り、同五月二日大阪府司農局に改まり、同七月北司農局に属し、同二年正月二十日摂津県の管轄に転じ、同三月また大阪府の管轄に復す。而して区画の制定あるに及び、同五年五月西成郡第三区九番組に属し、同八年四月三十日第六大区三小区九番組に改まり、同十年九月十八日番組廃せられて単に第六大区三小区となり、同十二年二月十日西成郡役所部内となり、同月二十一日第二十六分画に属し、同十三年七月二日一村と独立し、同十七年七月一日第二十戸長役場の管理域となりて、同二十二年四月一日の町村制施行に至れり。
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