火曜サスペンス劇場(九十四年)夜の事情
原作・連城三紀彦 脚本・パルプンテ 演出・大室 清
〈登場人物〉 外 浦 淳 一(三十七才) 佐 野 史 郎 ○ 安 原 信 夫(五十九才) 芦 田 伸 介 ○ 安 原 千栄子(五十六才) 久 我 美 子 ○ 中 谷(二十九才) 竹 内 力 ○ 外 浦 幸 枝(三十才) 金 久 美 子 小野田 玲 子(二十四才) 田 村 翔 子 ○ そ の 他
○ 郊外の閑静な住宅街(深夜) ある一軒家――。 二階の書斎に男の影がひとつ、薄闇に溶けるように ぼんやりと浮かび上がる。 外浦淳一、デスクについて虚空を見つめたまま、じ っと身じろぎもしない。 壁際のコンポのデジタル時刻が、二十三時五十九分 から0時0分へと音もなく変わる。 外浦、どこか疲労のにじんだ様子で小さく吐息、ゆ らりと立ち上がる。 続き部屋になった寝室の戸口に立ち、硬い視線を隣 の暗闇に凝らしてたたずむ。 ○ 同・二階の寝室(深夜) 女がひとり、ダブルベッドの上で絞殺されて、仰向 けに横たわっている。
○ 安原の家・茶の間(深夜) テレビから『君が代』のメロディが流れている。 座椅子についた安原信夫が、壁の時計を見上げる。 もう明日になっている。 安 原「……遅い」 不機嫌に呟いて、リモコンのスイッチをOFF。 やや苛ついた様子で、座卓の皿のラップをめくる。 握り飯をほおばり、かたわらの冷えた茶をすする。 と、しじまを破る電話の呼び出し音。 安 原「……!」 間髪を入れず受話器に飛びついて、 安 原「産まれたかッ」 中谷の声「係長」 安 原「(拍子抜け)……中谷」 刑事課の部下、中谷の声が短く響いている。 中谷の声「コロシです。いま車を迎えにやります」 ○ 外浦の家・全景(未明) 新築間もない一戸建ての外壁が、点滅する赤灯に染 まって不気味に浮かび上がる。 警察関係の車両群がずらりと集結して、物々しい警 戒体制が敷かれている。 ○ 同・二階の寝室(未明) 鑑識のカメラのフラッシュが焚かれ、慌ただしい現 場検証が行われている。 外浦の妻、幸枝の死体の首に巻かれた青いネクタイ。 床に倒れて電球が粉々に砕け散ったスタンド。 ドア付近にひっくり返ったナイトテーブル。 その上から転げ落ちたのか、大ぶりの灰皿と周辺の フロアに散乱する煙草の吸殻――。 何者かが争ったあとも生々しい空間である。 ○ 同・一階のリビング(未明) 応接セットをはさんで、若手の刑事川西を従えた安
原が、外浦と対している。 安 原「所轄の安原といいます、この度は……」 外 浦「外浦です、ご迷惑をおかけして」 外浦、慇懃に一礼して名刺を手渡す。 安 原「(遠く読む)関東国税局、総務部資料室付、係長」 外 浦「そちらと同じ、親方日の丸の身分というわけです」 かすかに皮肉めかす眼鏡の奥で、冷たく安原を値踏 みする目が光っている。 安原、身についた刑事の目でじっと見返す。 二人の鋭い見つめ合いが一瞬――。 同時に視線が離れて、安原ふわりと部屋を見回す。 安 原「(感嘆の声)それにしても、立派なお宅で驚きました」 外 浦「分不相応な御殿住まいの報いですか、ハハ」 自嘲を込めたすさんだ笑い声が短く。 安 原「(奇妙な違和感に)……」 と、検死官が作業を終えて降りてくる。 安 原「どうです」 検死官「詳しい結果は解剖待ちだが、死亡推定時刻は今夜の午後 九時から十時のあいだ。死因はネクタイによる絞殺と見 てまず間違いないだろう」 外 浦「(無反応に聞く)……」 安原、納得したように頷いて、 安 原「外浦さん、お聞きのとおりです。早速ですが、奥さんの 死体を発見されたあたりの事情から……」 外 浦「その前に、煙草を吸わせてもらえますか」 外浦、ひょいと外してパッケージを取り出し、火を 点けて美味そうにくゆらせていく。 安 原「(じっと目をそらさない)……」 外 浦「(意に介したふうもなく)皮肉なもんですね」 安 原「はい?」 外 浦「妻は生前、私が家で煙草を吸うのをひどく嫌っていまし た。この部屋で一服するのは初めてなんです」 ふうっと煙を吐きだして、薄く笑いかける。 安 原「(次の言葉を待つ)……」 と、 外 浦「幸枝には私のほかに愛人がいた」 外浦、誰にともなく傍白――。 安 原「(抑えて)……ほう?」 外 浦「もう一年以上になりますか、今夜もその相手が二階にい
たことは間違いありません」 焦点を置き忘れた目で斜交いにのぞき込んで、 外 浦「刑事さんも見たでしょう、妻の死体の側には、これとは 違う吸殻が何本も散らばっていた」 煙そうに顔をしかめながら、煙草をねじり消す。 外 浦「(謎でもかけるように)それにあの通り、クローゼット の扉も開きっぱなしになっていましたし……」 ○ 元の寝室(未明) 壁にはめ込みの収納ドアが、大きく開いている。 そのポールに掛けられた、無数のネクタイ類。 ○ 元のリビング(未明) 安 原「(探るように)……つまり、その男がタンスにあったネ クタイで奥さんを殺害したと」 外 浦「さあ、私は警察じゃありませんからそこまでは」 揶揄するように笑う外浦、そのワイシャツにはネク タイが締められていない。 安 原「(正体のつかめない疑惑に)……」 と、 中 谷「係長、ちょっと」 顔を覗かせる中谷が、物言いたげに外へ誘っている。 ○ 同・一階の和室(未明) 中 谷「これを見てください」 中谷、押収した書類の束を差し出す。 安 原「家のローンの契約書か……三十一万四千六百円!」 中 谷「新築一年、あと二十九年間、毎月それだけを払いつづけ ていく計算になっています」 安 原「(目を剥いて)……」 中 谷「それどころじゃないんですよ、次が女房名義のクレジッ トカードの請求書なんですが」 分厚いメールの束を指し示して、 中 谷「宝石店、ブティック、美術商……信じられない額が、月 々亭主宛てに請求されてきてます」 安 原「(一枚ずつ確認して)……これは公務員の給料の限界を
はるかに超えている」 中 谷「で、最後にこういう面白いものが出てきました」 やおら得意げに、一番下の書類を抜き出してみせる。 安 原「……夫婦掛け合いの生命保険証」 中 谷「額面は死亡時一億円、今回の場合受取人はもちろん」 安 原「外浦淳一か」 安原、凝然とその保険証に見入っていく。 中 谷「(早くも断定口調で)良くある情痴事件というやつです よ。わざわざ係長に電話をするまでもなかったな」 ○ 元のリビング(未明) 中谷、自信をただよわせて戻ってくる。 安 原「(続いて)……」 と、外浦の姿が消えている。 中 谷「あの男は?」 川 西「(のんびりと)トイレですが」 中 谷「バカッ、何で監視してない!」 思わず怒声で踵を返し、表へ飛び出しかける。 と、うっそりと入ってくる外浦と鉢合わせ。 中 谷「(気まずく)……」 事態を悟ったのか、外浦の唇に微苦笑が浮かぶ。 外 浦「刑事さんはいま、私が妻を殺した犯人だと疑っている」 両刑事「(意表をつかれて)……!」 外浦、ゆっくりとソファーに座りなおし、何の感興 も見せずに言葉を継いでいく。 外 浦「どう思われても仕方ありませんが、残念ながらその件に 関しては、私には確かなアリバイがある」 中 谷「アリバイ?」 安 原「(凝視して)……」 外 浦「先ほど、幸枝の死亡推定時刻は午後九時から十時のあい だだったと聞きました。だったらその時間、私は神奈川 県のある場所で別の女と一緒に過ごしていた」 中 谷「あんた、いつまでもいい加減なこと言ってると」 安 原「外浦さんのほうにも、愛人がいるというんですか」 気色ばむ中谷を制して、口をついた質問に、 外 浦「とことん間が悪く生まれついてるんですよ、ボクは」 自虐を含んで呟く外浦、まるで事態を愉しむように 顔いっぱいの表情で笑いかける。
外 浦「妻が殺されたまさにその時間、私は自分の愛人を真鶴の 別荘で殺していたんです」 安 原「(絶句)……!」 ○ 真鶴有料道路(早朝) 海沿いのアスファルトを、サイレン音もけたたまし く覆面パトカーが疾走していく。 ○ ある別荘風の洋館・表(早朝) その面パトが急停止して、神奈川県警の鈴村、高井 両刑事が転げるように降り立つ。 と、先に駆けつけていた二人の制服警官が敬礼。 鈴 村「中はッ!」 警官A「誰も応答がありません!」 警官B「鍵は開いているようです」 鈴 村「(手袋をはめながら)ヨシ、入るぞ」 高井を促して玄関を開け、内へなだれ込んでいく。 ○ 同・二階の寝室(早朝) 階下から上を望む二人、油断なく目を配りながら階 段を上がってくる。 両刑事「(一室の前に立って)……」 高井、緊張した仕種でそっとドアを開ける。 廊下の照明が差し込む薄暗い室内に、 両刑事「……!」 凝固、思わず息を呑んで立ち尽くしている。 ○ 東京の所轄署・全景(早朝) ○ 同・取調室(早朝) 川西に監視された外浦が、飄々と控えている。 憮然とした表情の安原と中谷が入ってくる。 外 浦「(その顔に)どうです、言ったとおりだったでしょう」 中 谷「まだ身元が確認されたわけじゃない」 外 浦「だから、その女は赤坂のクラブのホステスで、名前を小
野田玲子というんです」 柳に風でうそぶくのへ、安原、苦虫を噛みつぶした 感じで対面に腰を下ろす。 安 原「……確かにあんたが供述したとおりの場所で、若い女の 不審死体が発見された」 外浦、他人事のように薄笑い。 安 原「神奈川県警はその女性の死亡推定時刻を、午後九時から 十時のあいだと見ていると連絡してきた」 外 浦「同じだ、こっちの事件と」 空気が淀んだように動きが止まった室内。 外 浦「要するにこういうことですよね。車でいくら高速を飛ば しても、最低二時間はかかる真鶴で、玲子を殺していた 私に東京で妻を殺すことは不可能だという……」 毛虫のような感触の声が、安原の耳を這っていく。 外 浦「良かった。これでようやく、ボクが幸枝を殺していない ことが信じてもらえます。ハハハ」 中 谷「(この男何者だと)……」 安 原「(沸き上がる強い疑惑に)……」 と、 川 西「係長」 一旦出て戻ってきた川西が、廊下へ招いている。 ○ 同・廊下(早朝) 川 西「いま奥さんから電話がありました。母子ともに健康、男 の子だそうです。おめでとうございます」 安 原「そうか……」 仏頂面で頷く安原、安堵と複雑さのまじった吐息。 ○ 同・会議室 署長の佐野、刑事課長の倉本以下、安原、中谷ら関 係者たちが一堂に会した捜査会議――。 倉 本「神奈川が、外浦を任意出頭させてくれと言ってきた」 中 谷「待ってくださいよ、こっちのヤマはどうなるんです」 倉 本「(むっつりと)ヤツが真鶴のコロシを主張している以上、 無視するわけにもいかないだろう」 中 谷「じゃあ、幸枝は誰がやったんです。愛人が殺したなんて、 言い逃れに決まってるじゃないですか」
倉 本「そういうのを見込み捜査というんだ!」 一瞬険悪な空気がただよって、気まずい沈黙。 安 原「……どちらにしても、うちも当分あの男からは目を離せ ない。私が同行しよう」 と、 佐 野「安原さんはあと十日で定年でしたね」 佐野がまだ三十そこそこの風貌に、拭いがたいエリ ート臭を匂わせて口を開く。 佐 野「この事件はどうやら長引きそうです。いかがでしょう、 あとは若い者に任せていただいて、ベテランにはお知恵 だけを拝借するということで」 おざなりのねぎらいを込めた微笑。 安 原「(敏感に)……どういう意味ですか」 佐 野「はい?」 安 原「(淡々と)確かに署長から見れば、私は親父のような年 寄りかもしれないが、せめて働くことを許されたあいだ は、きっちり仕事をさせてもらえませんか」 佐 野「(気圧されて)私はただご苦労さまでしたと」 ○ 東名高速道路 所轄の覆面パトカーが下り車線を疾走していく。 ○ 同・車内 運転席の中谷、後席の安原、そして外浦――。 中 谷「皆んな裏で拍手してましたよ」 安 原「うん?」 中 谷「(嘆き節)あの署長とオレ、同い年なんです。同じ大卒 で、どうしてこうも差がつくんですかね」 外浦、その話に口唇をゆがめて、流れさる景色に目 を移している。 安 原「(じっと窺って)……」 ○ 神奈川県警・全景 ○ 同・取調室 机の上の、証拠品の赤いネクタイ――。
安原、中谷の立会いのもと、外浦が鈴村、高井両刑 事の尋問を受けている。 外 浦「玲子とは一年半ほど前に知り合いました。役人の特権で、 業者の接待を受けて店へ通っているうちに、どちらから ともなく愛し合うようになって……」 前にも増して捉えどころのない口調。 外 浦「あとはお定まりの修羅場です。すっかり玲子に入れ揚げ てしまって。やがて妻のほうにも愛人ができたのは、そ んな事情もあったのかもしれません……」 むしろ安原と中谷を意識する感じで、 外 浦「ところが、その玲子に新しい男ができて別れ話が持ち上 がった」 高 井「男?」 鈴 村「小野田玲子にも愛人がいたのか」 外 浦「別れるくらいならこの手で殺してやる。あの日は最初か らそのつもりで、いつも玲子との情事に使っていた別荘 に彼女を誘い出しました。そして、以前誕生日にプレゼ ントされたこの赤いネクタイで……」 無表情にぎゅっと首を絞める手真似。 中 谷「こっちも凶器はネクタイか。女房には男、亭主には女、 その女には新しい男。揃っていいタマだな」 安 原「(じっと見つめて)……」 ○ 真鶴の別荘・表 面パトが着いて降り立つ安原と中谷、ひょいと制服 警官に警察手帳を示す。 警官A「(敬礼)……!」 ○ 同・二階の寝室 二人、警官Bに案内されて階段を上がってくる。 警官B「こちらです。死体が搬出されている以外は、すべて発見 時のまま現場保存してあります」 安原、頷いて何気なく部屋に足を踏み入れた途端、 安 原「……これは!」 思わず小さく叫んでその場に立ち尽くす。 ダブルベッドの上に、そこで殺人があったことを示 すマーキングの人型。
床に倒れて電球が粉々に砕け散ったスタンド。 ドア付近にひっくり返ったナイトテーブル。 その上から転げ落ちたのか、大ぶりの灰皿と周辺の フロアに散乱する煙草の吸殻――。 何者かが争ったあとも生々しい空間である。 中谷もその光景に、同じ思いで愕然とたたずむ。 中 谷「まるで東京の現場のコピーじゃないか!」 ○ 同・現場の再現(事件当日の夜) 赤いネクタイで絞殺された女、小野田玲子がダブル ベッドの上に仰向けに横たわっている。 そのだらりと下がった左腕の時計が、午後九時半を さしたまま止まっていて……。 ○ 県警・刑事課の部屋 安原、中谷、割り切れない様子で戻ってくる。 と、デスクで何やら書面を作成していた鈴村が、 鈴 村「(上機嫌)ああ東京さん、ちょうど良かった。これから 外浦の逮捕状を請求するところです」 両刑事「……!」 鈴 村「小野田玲子の首に巻きついていたネクタイが、事件当日 外浦が局を出るときに締めていたものだったという、部 下の証言がとれたんですよ」 高 井「(横合いから)現場に散乱していた煙草も、日頃外浦が 表で吸っている銘柄と一致しました。吸い口から検出さ れた血液型も、ヤツと同じAB型でしたし」 安 原「(慌て気味)その前に、あの現場のことで……」 鈴 村「(遮って)何と言っても、別荘に女の死体があるという、 犯人しか知りえない供述が決定的な証拠になりました。 お先に一件落着にさせてもらいましたよ、ハハハ」 中 谷「(カッと)冗談でしょう。最初にヤツの身柄を引っ張っ たのは東京ですよ」 高 井「外浦がゲロしてるのは、うちの管轄のコロシだ」 安 原「とにかく……執行はもう少し待っていただきたい」 やや険悪な雰囲気になりかけるとき、廊下を慌ただ しく駆けてくる足音。 刑事A、ノックもせずにドアを開けて、
刑事A「(叫ぶ)鈴チョーさん、外浦がッ!」 ○ 同・取調室 押っ取り刀で飛び込んでくる中谷、続いて鈴村と高 井、そして安原がうっそりと。 と、外浦が悪びれもしない表情で控えている。 外 浦「すみません、安原さんに改めてお話したいことが」 安 原「……(対面に座る)」 外 浦「今までの供述はぜんぶ嘘です。私は玲子を殺してはいま せん。玲子を殺したのは、あいつの新しい男です」 高 井「このヤロー……!」 鈴村、中谷、一瞬声を失って佇立している。 安 原「(抑えて)……どういうことだ」 外 浦「今度こそ本当のことを言います。あの日は確かに午後六 時に玲子と逢いましたが、それは車を貸してくれという、 彼女の頼みを聞くためでした」 安 原「……」 外 浦「騙されたんですよ。てっきり買い物に使うんだと思って たんですが、玲子はそのあと男と一緒にあの別荘に行っ たんです。彼女には合鍵も渡してありましたから」 落ちつきはらった表情をふと曇らせて、 外 浦「真鶴の別荘で見つかった吸殻は、私の車の灰皿にあった ものでしょう。残念ながら顔も名前も知らないんですが、 その男が私を陥れるためにしたことですよ」 鈴 村「しかし、凶器のネクタイはあんたのものだった」 外 浦「(どこ吹く風と)あの堅苦しい庁舎を出たら、誰だって ネクタイくらい外したくなるでしょう。車を降りるとき に中に忘れてきたんです」 高 井「だったら、何でいままで自分が殺したと」 外 浦「妻殺しの嫌疑から逃れるための一心でした。つい嘘に嘘 を重ねて……でも、玲子を殺したのは私じゃありません。 私にはアリバイがあるんです」 中 谷「アリバイ?」 外 浦「ええ、安原さんたちも良くご存じのアリバイが」 芝居がかった目で斜交いにのぞき込むと、 外 浦「真鶴で玲子が殺された午後九時半には、ボクは東京の自 宅で妻を殺していましたからね」 あの顔いっぱいの表情を浮かべて笑いかけている。
安 原「(激しく見つめて)……!」 ○ 同・玄関 引き立てられてくる外浦が、安原と中谷に伴われて 再び覆面パトカーに乗り込む。 鈴村と高井が歯噛みするように見送っている。 発車――。 ○ 外浦の家・表(事件当日の夜) 外浦が徒歩で帰宅してくる。 門の前で立ち止まり、ふと屋敷を見上げる。 二階の一室に、ぼんやりと明かりが灯っている。 外浦の声「あの日、家に帰りついたのは午後の九時すぎでした」 玄関のドアレバーに連動した、電気錠の暗証番号を 押し、扉を開けて邸内へ入っていく。 ○ 同・二階の寝室(事件当日の夜) 外浦、階段を上がってきてぬっと部屋へ。 と、険しい表情でベッドから跳ね起きる幸枝。 幸 枝「ノックぐらいしてよ、いつ帰ってきたの!」 外 浦「(目敏く)……!」 そのかたわらのナイトテーブルの上の灰皿に、煙草 の吸殻が山積みになっている。 外 浦「(思わず)お前は亭主には吸うなと言っておきながら、 違う男には部屋で煙草を許すのか!」 隠しようのない事態に、幸枝は居直って向き直る。 幸 枝「(わざとらしい吐息)そうよ、煙草だけじゃないわ」 外 浦「何ッ」 幸 枝「(憎悪の極みで)どうせなら、あの人にもう少しいても らうんだった。二人が一緒のところを見たら、あなたも 別れる決心がついたでしょうからね」 外 浦「……殺してやるッ!」 外浦、カッと我を失って飛びかかる。 幸 枝「……!」 拍子にスタンドが倒れて、ガチャンと電球が切れる。 暗くなった室内で、逃れようとする幸枝の足がナイ
トテーブルを蹴る。 すさまじい物音を立ててテーブルが倒れ、灰皿の吸 殻があたりに散乱する。 外 浦「チクショー……!」 叫んで、壁のクローゼットの扉を開ける。 青いネクタイを抜き出し、幸枝の首に巻きつける。 渾身の力で締め上げていく。 幸 枝「(必死に抵抗するが)……!」 幸枝、全身を痙攣させて――絶命。 外 浦「(大きく肩で息をつく)……」 次の瞬間、外浦はハッと我に返る。 茫然、頭を抱えて床に座り込んでいる。 ○ 同・表(事件当日の夜) 二階の明かりが消えている。 外浦の声「とんでもないことをしてしまった。どうしたらいいか 分からなくて、そのまま頭を抱え込んでいました。気が ついたら、いつの間にか二時間も経っていて……」 ○ 元の寝室から書斎(事件当日の夜) 外浦、同じ姿勢でじっとうなだれている。 と、突然、隣室の書斎で電話のベルが鳴る。 外 浦「(顔を上げる)……!」 ベルの音、催促するように鳴りやまない。 外 浦「(恐る恐る)……はい」 電話の声「外浦さんかい」 外 浦「……」 電話の声「初めましてだな。オレが誰か、分かるよな」 外 浦「……玲子の?」 電話の声「その玲子を真鶴の別荘で殺した。あんたの車に忘れて あったネクタイを使ってな」 外 浦「(慄然)……!」 電話の声「ちょっとした痴話喧嘩の弾みでね。オレはいま東京に 戻ってきた。車は近くの公園に乗り捨ててあるから、す ぐに取りにいったほうがいい」 あざ笑うように通話が切れている。
○ 東名を走る覆面パトカー 中谷、安原、そして外浦――。 安 原「(ボソリ)あんたみたいなホシには、オレの長い刑事生 活のなかでも出会ったことがない」 外 浦「褒め言葉だと信じて、素直に受け取っておきますよ」 安 原「恐らくこのヤマが、オレの現役最後の仕事になるだろう。 有終の美が飾れるかどうか……」 外 浦「ボクもせいぜい楽しませてもらいます」 あとはそれぞれの思いを秘めた沈黙を乗せて、車は 来たときとは逆に東京へとひた走っていく。 ○ 関東国税局・全景 ○ 同・総務部の応接室 怜悧な風貌の部長、仁科が安原と中谷に対している。 仁 科「(記者会見でもするように)最初に申し上げておきます が、今回の事件は外浦君が私的に起こしたものであり、 私どもはいっさい関知しておりません」 典型的な官僚口調をにじませて、煙草をふかす。 中 谷「外浦の奥さんは、都心でフィットネスクラブを経営して、 手広く活躍していたようですが」 仁 科「幸枝さんといいましたか、彼女は本庁のかつての局長の 娘さんという出自ですが、最近の人となりについてはま ったく知る立場にございません」 中 谷「例えば、夫婦仲が悪かったというような話も」 仁 科「(頷いて)小野田玲子さんについても、確かにあの赤坂 のクラブは出入りの店の一つですが、外浦君と彼女が情 を通じた関係だとは、誰一人想像すらしませんでした」 中 谷「外浦は、まったく逆の供述をしてるんですが」 仁 科「(木で鼻をくくったように)いま申し上げたとおりです。 付け加えることは何もございません」 ほとんど取りつく島もなく、チェーンスモーク。 話が途切れて、やや気まずい沈黙。 安 原「(気分を変えようと)随分煙草を吸われるんですね」 仁 科「(それがどうしたと)……」 安 原「そういえば、外浦淳一は五年前のある脱税指南事件に連 座していたそうで」
仁 科「(ピクリと反応)……!」 安原、その変化を見逃さずにすかさず、 安 原「優秀だったそうですね、事件にかかわるまでの外浦は」 仁科、探るように安原のとぼけた風貌を凝視する。 中 谷「(もわけが分からず)……?」 仁 科「……いいでしょう、あの事件は一時マスコミにも騒がれ たことですから」 仁科、気持ち居直ってまた煙草に火を点ける。 仁 科「仰言るとおり、外浦君は同期の連中の中でも飛び抜けて 切れる人材だった。その上本庁の上司の娘をめとってこ れ以上こわいものはない。いずれポストの階段を順調に 登っていくのは、誰の目にも明らかでした」 安 原「……」 仁 科「魔がさしたんですな。ちやほやされて舞い上がっている うちに、いつの間にか業者接待の誘惑に巻き込まれてい た。まあ実態は、当時の課長の背任を見て見ぬふりする しかなかったというところだったようですが」 中 谷「(初めて聞く話に)……」 仁 科「泣いて馬稷を切るというやつですか。局長の一声で課長 は懲戒免職、その部下だった外浦君も局の資料室付とい う閑職に一気に降格された。見事な懲罰人事だと一時は 評判になったもんです。ま、一二年待てば本庁に呼び戻 すくらいの約束はあったんでしょうが」 安 原「……その義理の父親も、三年前にクモ膜下出血で」 仁 科「(むしろ愉快そうに)あれは決定的な挫折だった。本庁 復帰の望みを完璧に絶たれたあとは、与えられた仕事を タレ流しているだけのデモシカ組に成り下がって。以来、 ずっと昼行灯のままというわけです、ハハハ」 ○ フィットネスクラブ レオタード姿の女性会員たちが、音楽に合わせてエ アロビクスの汗を流している。 ○ 同・オフィス 安原と中谷がやや居心地悪そうに、ハイレグの若い インストラクターと対している。 安 原「(見回して感嘆の声)大したもんだ」
陽 子「でも幸枝さん、間が悪かったんです」 陽子、身についた営業スマイルを満面に、 陽 子「彼女、お父さんが亡くなる前に、生前分与で長い間の夢 だったオーナーに就任したんですけど」 中 谷「生前分与?」 陽 子「すぐにこの不景気でしょう、思ったほどはお客さんが」 安 原「そういえば真鶴の別荘も、父親が亡くなる前に幸枝さん が受け継いだものらしいですね」 陽 子「何でも知ってるんだ、刑事さん」 中 谷「(オレは知らないと)……」 と、 陽 子「(いきなり)やっぱり、旦那さまが犯人なんでしょう」 中 谷「(眩しく)え。あ、いや」 安 原「……何か心当たりが?」 陽 子「ええ、幸枝さん、生徒としてもあんまり熱心なんで、旦 那さま幸せねってからかったことがあるんです。そした らとんでもない、私たちはもう完全に冷えきってるの、 私が身体を磨くのは他の人のためなのよって」 安 原「……!」 陽 子「ホントは夫と別れてその人と一緒になりたいんだけど、 そんなことを言ったら殺されてしまうって」 中 谷「その相手の名前は!」 陽 子「ゴメンナサイ。彼女、口ほどには男遊びするタイプじゃ なかったから、その時には半分冗談だと思って」 と、ガラスの向こうを、中年女性会員を引き連れた 男性インストラクターが通りかかる。 陽 子「(呼び止める)栗ちゃん」 栗林、ドア越しに軽薄な笑顔をのぞかせる。 陽 子「幸枝さんのことで刑事さんが見えてるんだけど、あなた 何か知ってることない」 栗林、途端にむっと口をとがらせて、 栗 林「知るわけないでしょうが、雇われインストラクターがオ ーナーのことなんか」 ニベもなく言い捨て、振り切るように去っていく。 陽 子「可愛くないヤツ」 女性会員たちが好奇心丸出しで、額を寄せている。 と、中谷のポケベルが場違いな音を立てて――。 ○ 臨海公園・駐車場
覆面パトカーが滑り込んでくる。 と、外れの一角に車を停めた青年が人待ち顔で。 中 谷「真木さん?」 真 木「(ペコリ)……」 中 谷「署のほうに電話をもらったそうで」 ○ 同・海辺 季節外れのウィンドサーファーの姿がちらほら。 安 原「そうですか、車のセールスを。時節がら大変でしょう」 真 木「(屈託なく)まあ体力だけが勝負ですからね。毎晩ジョ ギングで体を鍛えています。それで、たまたまアパート があの家の近くなもんですから」 中 谷「事件の夜にも、何か目撃したことがあるとか」 真 木「(頷いて)いつも九時半ちょうどに部屋を出て走ってる んで、時間は九時三十五分ぐらいだったと思います。あ の家の前を通りかかったら……」 ○ 外浦の家・表(事件当日の夜) トレーナー姿の真木がジョギングしてくる。 と、 男の声「殺してやるッ!」 怒声――。 真 木「(思わず足を止めて見上げる)……!」 その視線の先に、明かりが灯った二階の部屋。 続けざまにガラスの割れる音が響いて、同時にスタ ンドの照明が消える。 一瞬で暗くなった部屋から、何かが倒れて人が争う ようなすさまじい物音――。 男の声「チクショー……!」 真 木「(呆気に取られてたたずむ)……」 ○ 元の海辺 中 谷「男の怒鳴り声がしたんですか!」 真 木「ええ、どう見ても只事じゃないし、一瞬110番すべき かなと思ったんですけど……」
○ 元の外浦の家・表(事件当日の夜) 真木、道路をはさんだ公衆電話を見返る。 『故障中』の札が、デカデカと貼ってある。 どうしようかと思案、もう一度二階を見上げる。 と、 男の声「あ、すみません、ただの夫婦喧嘩ですから」 暗い部屋からつくろうような声が掛かって、カーテ ンがスルスルと閉まっている。 ○ ファーストフード店(夕景) 中谷、がぶりとビッグバーガーにかぶりつく。 中 谷「引っ掛かりますね。ただの夫婦喧嘩ですからなんて、外 浦はそんなことオレたちには一言も供述していない」 安 原「……顔を見たならともかく、声だけじゃ確認は無理か」 中 谷「結局、女房を出世の手段に利用しようとして裏切られた 男の、逆恨みの犯行ということですか」 安 原「……どっちにしろ、幸枝の殺害時刻はあのセールスマン の証言から考えて、午後九時三十五分と断定してほぼ間違 いない。玲子が殺されたのが午後九時三十分、わずか五分 の違いでどちらも外浦に関係のある女が殺されたことだけ は、揺るぎのない事実だ」 中 谷「それにしても驚いたな。いつの間に、あんな外浦の昔の ことを調べ上げたんですか」 安 原「(不思議そうにバーガーを食べながら)高校時代の友人 で、たまたま国税庁に勤めている男がいてね」 中 谷「(納得)……」 安 原「その男が言うには、例の事件は一種の冤罪らしいんだ」 中 谷「冤罪?」 安 原「外浦たちはただ詰め腹を切らされただけだと。本当の脱 税指南の黒幕は、彼の直属の上司だった局長……」 中 谷「幸枝の親父だって言うんですか!」 安 原「(あくまで淡々と)それが本当だとしたら、外浦の屈折 は相当根深いだろうな」 中 谷「しかし、それじゃ実の娘も切って捨てたということに」 安 原「その見返りに、あの体育クラブを出す金と別荘を、父親 から巻き上げたとも考えられる」
中 谷「(打たれたように見て)……恐ろしい人だな」 安 原「ひとつ質問してもいいかい」 中 谷「はい?」 安 原「(にこりともせず)最近の若いデカさんは、毎日こんな 不思議なものを食ってるのかね」 中谷、軽く受けてひょいと立ち上がる。 中 谷「じゃあ、行きましょうか」 安 原「まだ開店には間があるぞ」 中 谷「(悪戯っぽく)その前に寄るところがあるでしょう。忘 れてるとは言わせませんよ」 ○ 大学病院・全景(夜) ○ 同・病室(夜) 産婦人科病棟を来る安原、突き当たりの部屋の名札 を確かめて室内へ。 由美子「(赤ん坊を傍らに)お父さん」 一人娘の由美子が、母親の笑顔で迎える。 千栄子「やっと現れましたか」 妻の千栄子が、呆れ顔で皮肉めかして笑う。 安原、ことさらな無表情で赤ん坊を一瞥する。 千栄子「ほら克也ちゃん、忙しぶりっ子のおじいちゃんですよ」 安 原「克也?」 千栄子「あなたがいつまでも顔を出さないから、勝手に名前をつ けさせてもらいました。おお、可愛い可愛い」 千栄子、抱き上げて嬉しそうにあやしていく。 初めて見る孫の顔が、安原の間近にある。 安 原「(一瞬頬がゆるむのをこらえて)……」 と、 由美子「(さりげなく)あ、これ隆志さんから二人に」 由美子、枕元から小さな封筒を差し出して示す。 安原、怪訝に受け取って見る。 由美子「私たちの感謝状。修善寺温泉の無料宿泊券。交通費も入 れといたから、日にちは二人で相談して決めて」 千栄子「……由美子!」 由美子「(おどけに紛らせて)長い間ご苦労さまでした。ゆっく りとフルムーンを楽しんで、骨休めしてきてください」 千栄子「ありがとう……! ほら、あなたも」
安 原「まだ一週間も先の話だ」 安原、木で鼻をくくったように言い残し、前にも増 した仏頂面でプイと出ていく。 母 子「(顔を見合わせて微苦笑)……」 ○ 赤坂・全景(夜) ○ 同・あるクラブ(夜) 突然、ホステスたちのけたたましい笑い声。 小ママ「浦チャンと玲子が? 嘘でしょう」 安原と中谷が、一角のボックスで聞き込み中。 小ママ「(問題外と)悪いけど、浦チャンってああいう粘着タイ プでしょう、女の子たちの評判は最悪だったわよ。それ に初めからレールを外れてる人だし、あのハデ好みの玲 子が付き合っても何の得もないじゃない。ねえ」 相席のホステスたちが、同意して黄色く笑う。 安 原「……やっぱり、外浦の愛人話には信憑性がないと」 小ママ「当たり前じゃない。嘘ついてるのよ、浦チャン。第一、 玲子には別の本命がいたはずよ」 安 原「(ピクリ)……?」 小ママ「いくら聞いても相手は教えてくれなかったけど、その人 と結婚するのが夢なんだって。でもその夢は絶対に叶わ ないんだって、ノロケてるんだか悲しんでるんだか分か らない感じでいつも。ねえ」 ○ 玲子のマンション(夜) エレベーターが開いて、安原と中谷が降りてくる。 中 谷「302号室ですから、左だと思います」 二人、部屋番号を探して歩きかける時、 男の声「安原さん」 フロアの蔭から、渋面をのぞかせる人影。 安 原「鈴村さん……」 鈴村、高井、両刑事である。 鈴 村「東京さんが、小野田玲子のマンションに何の用で」 安 原「(それには答えず)狙いは玲子の新しい男ですか」 鈴 村「(こちらも答えず)おたくの方こそ、その後どう?」 安 原「まあ、靴の上から足を掻いているところです」
本能的な刑事同士の化かし合い。 と、 高 井「(気配に)鈴チョーさん」 目配せにつれて、四人、さりげなく物陰に身を隠す。 エレベーターのドアが開いて、男が一人降りてくる。 目深に帽子をかぶった、二十歳前後の優男――。 男、外廊下を歩いてふと302号室の前に立つ。 安 原「(表情が変わる)……」 男、そっとノブを回すが鍵が掛かっている。 メーター裏の、鍵の隠し場所を探る素振り。 男 「(見つからない)……」 コートのポケットから道具を取り出し、慣れた手つ きで解錠にかかってゆく。 高 井「そこまでだッ」 高井、待ちきれずに大見得で飛び出す。 男 「(瞬間)……!」 非常口に肩から激突、脱兎のごとく逃げだす男。 中 谷「(跳躍)……!」 先を争うように、二人が追跡を開始――。 ○ 同・非常階段から駐車場(夜) 男、必死で鉄階段を駆け下る。 中 谷「ジャマだッ!」 高井を押し退け、転がるように追いすがる。 あと三段からジャンプ一番。 コンクリートにもつれ込んで、鮮やかな関節技。 高 井「立てッ、この人殺しが!」 こっちのものだとばかり、高井が横合いから襟首を つかんで引き上げる。 中谷、負けじと男の帽子を鷲づかむ。 男 「(坊主頭を剥き出しに)何だよッ、何で姉貴の家にサツ が張ってんだよ!」 ○ 近所の交番(夜) 高 井「(素っ頓狂に)弟ォ?」 健 作「だから、姉貴が死んだなんて知らなかったんだよオ」 玲子の弟、健作、机に突っ伏して滂沱の涙。
健 作「昨日ムショから出てきたばっかりでよお、金借りようと 思って来たら……チクショー!」 絶叫、やおら立ち上がって、 健 作「誰がやったんだ、ヤローぶっ殺してやる!」 頭に血が昇って、手当たり次第あたりを蹴飛ばす。 鈴 村「(気まずく)分かったからもうやめろ、なッ」 安原、中谷、拍子抜けした感じで見つめている。 ○ 所轄署・取調室 安原をかたわらに、中谷が出来上がった調書を事務 的に読み上げてゆく。 中 谷「そのジョギングをしていたセールスマンが目撃したこと は、すべて事実です。以上、妻の幸枝を殺害した経緯に ついて申し上げました。今はただ罪の意識に苛まれ、取 り返しのつかない罪を犯してしまったと深く後悔してお ります。この上は一日も早い法の裁きを願って、妻の冥 福を祈るばかりです」 外 浦「(微笑のなかの無表情な目)……」 安 原「(ぶっきらぼうに)上がな、とにかく起訴の材料をそろ えろとうるさい。あんたが言うとおりに書いた。それで 良かったら、署名捺印してくれ」 ボールペンと朱肉を差し出して、憮然。 外浦、微笑のまま調書を取ってゆっくり目を通す。 何の前触れもなく、静かに二つに切り裂いてゆく。 中 谷「(唖然)……!」 と、外浦の表情に、例の小馬鹿にしたような顔いっ ぱいの笑みが浮かび上がる。 外 浦「安原さん、この調書はぜんぶ嘘です」 安 原「(不思議に驚きもなく)……」 外 浦「(うわ言のようにくねって)やっぱり本当のことを言い ます。玲子の本命の男はいくら探しても無駄ですよ。そ れは私だったのですから……周囲にはただの客とホステ スを装ってひた隠しにしていましたが、本当の関係はも う底無しの泥沼になっていたんです」 安 原「(次の言葉を待つ)……」 外 浦「証拠があります。事件の何日か前、義理のある結婚式に 夫婦でいやいや出席させられて。そのあいだに留守番電 話に録音された、玲子の声が残っています」
○ 関東国税局・資料室 フロッピーがうず高く並べられた一角に、何かの資 料らしいマイクロテープの陳列棚。 安原、中谷の二人が、仁科の立ち会いのもとに一本 一本をヘッドホンで確かめてゆく。 外浦の声「局の資料室を探してみてください、そこにテープが隠 してある。それを聞いてもらえば、私が玲子を殺そうと 決心した気持ちが分かってもらえるはずです」 その何本目かに、中谷の表情がアッと変わる。 外浦の声「私には妻が殺された時刻のアリバイがあるんです。真 鶴で玲子を殺していたという確かなアリバイが……」 ○ 所轄署・会議室 刑事課一同がそろった席上で、マイクロテープの音 声が再生されていく。 玲子の声「夫婦そろって、着飾ってお出かけですか。私がいない と駄目だなんて甘い言葉をささやいたのは誰よ。あなた の立場を考えて私、二人の関係をひた隠しにしてるけど、 こうなったら全部をばらすわよ。局のお偉方には、ひい きのお客さんも大勢いるんだし……」 嫉妬もあらわに受話器を叩きつける音。 中谷が硬い表情でテープを止めて、 中 谷「お聞きのとおりです。小野田玲子の声だという裏は、複 数の関係者から取ってあります。テープに細工をした跡 は、一切見つかりませんでした」 安 原「記録からみて、事件の五日前に吹き込まれたものである ことは間違いない。外浦の隠し球だったというわけだ」 倉 本「あのコウモリ野郎、どういうつもりなんだ。コロシのア リバイにコロシを主張するなんて」 混乱して、一座が同じ思いの苦い沈黙。 と、 佐 野「法律を甘く見ているんです」 一 同「……?」 佐 野「両方の犯人がどちらも自分だということを立証できない 以上、まず起訴されることはないし、有罪判決を下され ることもないとタカをくくってるんですよ」
倉 本「それはどういう?」 佐 野「分かりませんか。二つの事件でともに有罪だと立証でき ない限り、法律はどちらの事件にも無罪だという決定を 下すほかないでしょう」 安 原「(ふと)外浦はそんな底の浅いヤツじゃない」 佐 野「(敏感に反応)……じゃあ、安原さんはどういう風に考 えているんです」 安 原「分かりません。ただ二つの現場はあまりにも似通いすぎ ている。外浦が何かの意図を持って、われわれに挑戦状 を突きつけていることだけは確かでしょう」 佐 野「結構ですね、何も進展していない」 佐野、キッと眉を吊り上げて口の端をゆがめる。 佐 野「私は一年で警察庁に戻るからといって、預かり者の立場 に甘んじるような男じゃありません。信賞必罰で、非協 力的な部下には捜査を外れてもらいますからね」 倉 本「係長。署長ももう……」 佐野、虚勢を張るように一同を睥睨して、傲岸に署 長の威厳をつくろう。 佐 野「今回の一件では、マスコミも妙な動きを見せ始めていま す。誤解を招かないためにも、事件解決までは一切の取 材に応じないように。これは本部長命令です」 ○ 同・刑事課の部屋 中 谷「(憤懣やる方なく)何が誤解を招かないようにだ。責任 逃れしてるだけだろうが」 安原、毒づく中谷を従えて戻ってくる。 と、デスクから立ち上がる女性職員。 女性職員「あ、オトーサン、お客さんです」 三十がらみの女がソファーから立ち上がって、 女 「相馬でございます」 安原、どうもと頭を下げて中谷に、 安 原「幸枝さんの大学時代の親友だ。お前さんも話を聞くか」 ○ 同・取調室 外浦と安原、そして中谷が対峙している。 中 谷「その親友の証言によれば、あんたと幸枝サンは本気で愛 し合って一緒になった。二人の結婚生活が破綻したのは、
五年前の脱税指南事件のときだ」 外 浦「(他人事のように)……」 中 谷「あんたの女房の父親は、保身のために平然と、何も知ら ない娘婿に自分の罪を押しつけた。信じられない裏切り に一度は役所を辞めようと思ったあんただが、発覚を恐 れる義理の父親の手はあらゆる方向に延びていた」 外 浦「(聞いているのかいないのか)……」 中 谷「(軽蔑を含んで)手足をもぎ取られたあんたが選んだ道 は、結局すべてを諦めて飼い殺しの身に甘んじることだ った。そんな情けない男の本性を見せられたら、女じゃ なくても亭主にも父親にも失望するだろうな」 外 浦「幸枝は、その見返りをたっぷり手に入れました」 中 谷「生前分与でか。夫婦してサイテーだよ」 外 浦「いまのボクよりは、ずっとマシだと思いますが」 安原、無言のまま強い視線で外浦を凝視――。 外 浦「(おどけに紛らせて)いいでしょう、安原さんには負け ました。これが最後です、正直に言います。ボクが本当 に殺したのは、やっぱり幸枝のほうなんです」 外浦、韜晦を弄ぶようにすべてを侮蔑して嗤う。 と、 安 原「オレはあんたが二人とも殺したんだとにらんでいる」 静かに核心をつく安原の呟き。 中 谷「(虚をつかれて)……!」 外 浦「……なるほど」 安 原「それ以外の可能性を考えたことは一度もない」 にわかに凛とした緊張、二人の視線がからみ合う。 外 浦「……亭主に愛想を尽かした妻、嫉妬に狂って人を罵倒す るだけの愛人、その上に泥沼の三角四角関係ときたら、 確かに二人を殺す動機は十分だ」 安 原「茶番はもういい。あんたのチャチなアリバイは、必ずオ レが崩してみせる」 外 浦「間に合うといいですね、定年までに」 安 原「(真っ直ぐに)……!」 中 谷「(言葉を失ってそんな二人を見比べる)……」 無言の刃を斬り結ぶ安原と外浦の耳に、表に到着す るパトカーのサイレン音が響いている。 ○ 冴え冴えと冷たい夜空
○ 所轄署・留置場(深夜) 外浦が虚空に視線を泳がせて、うずくまっている。 孤独の影を宿して、ひっそりと身じろぎもしない。 外 浦「(呟くように口ずさむ)♪月がとっても青いから 遠回 りして帰ろ あのすずかけの並木路は〜」 次第に激して、声が大きくなってくる。 外 浦「(ゆらりと立ち上がる)♪思い出の小道よ 腕をやさし く組み合って 二人きりでさあ帰ろう〜」 看 守「外浦ッ、何してる!」 最後の異常な大声に、看守があわてて駆けつける。 外 浦「♪月がとっても青いから 遠回りして帰ろ〜」 外浦、まったく無視、本音を屈折させた身ぶりで喉 も裂けよと蛮声を張り上げている。 ○ 夕刊紙の見出し記事 『エリート署長の憂鬱・宙に浮いた逮捕状!』 『前代未聞・アリバイの往復に翻弄される警察!』 『ボクが殺したのはどっち・国税マンの挑戦状!』 ○ 刑事課の部屋 ひっきりなしに電話のベルが鳴り響いている。 川 西「ハイ、刑事課……ああ、その件なら私が伺います」 中 谷「(別の電話に)バカヤロー、悪戯電話に付き合ってるヒ マはないんだよッ」 受話器を叩きつける途端にもう次のベル。 中 谷「ハイッ、捜査本部」 そんな騒ぎの真っ只中、佐野がデスクの倉本に夕刊 紙を突きつけてがなり立てている。 佐 野「(度を失って)何なんですか、これは。誰がリークした んですかッ……課長ッ!」 倉本、送話口を手でふさいで、 倉 本「忙しいんです、後にしてくれませんか。ハイ、じゃあお たく、外浦の家の近所にお住まいなわけね」 なお電話が鳴り響いて、 女性職員「署長、手が空いてるんだったら電話に出てください」 佐 野「(わなわなと)……許せませんよ、こんなものッ!」
○ 同・剣道の稽古場 喧騒をよそに、安原が板の間にたたずんでいる。 その視線の先に剣道着姿の署員が二人、裂帛の気合 で竹刀を斬り結んでいる。 安 原「(じっと見入って)……」 と、中谷がふらりと入ってくる。 中 谷「やっぱりここでしたか」 安 原「ああ、あんまり下がうるさいんでな」 中 谷「まったく、飯食ってる暇もありませんよ。大部分は無責 任なガセ電話ですが、いくつか引っ掛かる情報も……」 ファイルされたメモ書きを数枚手渡す。 安 原「(一枚ずつ子細にめくって)……幸枝と玲子の新しい男 の情報はないのか?」 中 谷「やっぱりネタ流したのは、係長なんだ」 安 原「うん?」 ふと目を上げると、中谷がどこか共感を込めた表情 で見つめている。 中 谷「オレ、外浦が二人とも殺したという、安原さんの珍説に 乗っかることに決めましたんで。ヨロシク」 安原、渋面を返事の代わりに、当たりをつけたメモ をひょいと抜き出す。 安 原「行くぞ」 さっさと踵を返して、出口へ向かっている。 ○ 都心のホテル・ロビー 安原と中谷が、濃い化粧の女ミチルに対している。 中 谷「じゃあ、おたくは一年前に、玲子さんと同じあの赤坂の 店に勤めていたわけだ」 ミチル「それで事件の何日か前にね、このホテルのロビーで浦チ ャンとマジな顔で話し込んでる玲子を見たわけよ」 安 原「(手応えの予感)……」 ミチル「(一角を指して)ほら、あそこの席。思わず声かけよう かと思ったんだけど……」 ○ 同・ロビー(ミチルの回想)
昂然と顔を上げ、邪険に男の手を払う玲子。 かたわらに座った外浦が、なだめすかすように小声 で何かを頼み込んでいる。 ミチルの声「何か揉めてる感じだったし。ま、いいかって……」 ○ 元のロビー 中 谷「……何を話してたか分かりますか!」 ミチル「(言下に)ムリよお、あんな遠いとこだもん。それより さあ、あそこの奥、蔭になったとこにスッゴイ目で二人 をにらみつけてる女がいてさあ」 ○ 同・ロビー(ミチルの回想) 外浦と玲子の背中を望むテーブル。 ミチルの声「幸枝さんて言うの、あれ浦チャンの奥さんだった」 嫉妬に燃えた目の幸枝が、身じろぎもせずに……。 ○ 元のロビー 安 原「外浦幸枝が?」 ミチル「(夕刊紙を示して)だからあ、この写真見てすぐにアッ と思ったの。そんで電話したんじゃない」 中 谷「愛人のいる女房が、何でいまさら亭主に嫉妬するんだ」 ミチル「知んないわよ。私は見たままを喋ってるんだから」 安 原「(不審げに)……」 ○ 外浦の家・付近の路地 少し離れた並びの家――。 前庭に立つ主婦が、安原と中谷に向けて、 主 婦「(饒舌なお愛想笑い)どうも。お役に立てるかどうか」 安 原「(メモを見て)事件の数日前に、この辺りで小野田玲子 さんを見かけたというお話で」 主 婦「そうなんですよ。何だか思い詰めたような暗い顔で、門 の前を行ったり来たりしてるもんですからね」 ○ 外浦の家・表(主婦の回想)
玲子が煮詰まった表情で、家の気配を窺っている。 カートを押して帰ってくる主婦、ふと足を止める。 主 婦「外浦さんのお宅に御用?」 玲 子「(ビクッと振り返る)……!」 主 婦「さっきから、ずっとそこにいらっしゃるわよね」 玲 子「(いきなりの敵意)いけませんか」 主 婦「……外浦さんなら、ご夫婦揃って知り合いの結婚式よ」 玲 子「(金切り声にも似て)二人で出掛けたの!」 ○ 元の付近の路地 安 原「結婚式?」 主 婦「こっちにまで恨みがあるような顔で、ジロッとにらみつ けられて。思い出しても寒けがする」 主婦、ぶるっと身震い、両腕をさすって頷く。 中 谷「と言うことは、あの留守番電話」 安 原「その直後にかけたものだ。幸枝もあのテープを聞いたと すれば、三つ巴の修羅場になってもおかしくない」 主 婦「(得意満面)でしょう。だからこういうことは、きちん と協力しなきゃいけないって主人にも……」 と、中谷のポケットベルがけたたましく。 中 谷「あ、ちょっと」 中谷、見回して路上の公衆電話に駆け寄っていく。 安原の目に、そのダイヤルを押していく姿。 安 原「(ふと)……そう言えば事件があった夜、あの公衆電話 が故障していたという話を聞きましたが」 主 婦「はい?」 主婦、その質問に首をひねって、 主 婦「おかしいわね。明け方、新聞記者が電話してるの見たけ ど……夜のうちに直したのかしら」 安 原「(小骨が刺さった感じ)……」 と、 中 谷「係長、大当たりですよッ!」 道をはさんで中谷の興奮した大声。 中 谷「幸枝の男を知ってるというタレ込みですッ!」 安 原「(待ち望んでいたものに)……!」 ○ フィットネスクラブ・表
タイヤを軋ませて、面パトが急停車する。 押っ取り刀で飛び出す安原、今日は中谷を後ろに置 いてフロアへ向け突進。 と、対面からスポーツバッグをさげた目指す人影。 安 原「(射すくめるような一喝)栗林ッ!」 ○ 同・オフィス 突然、弾けるような栗林の高笑い。 栗 林「ボクがオーナーの愛人ですか、そりゃ傑作だ」 露悪趣味をただよわせて肩をひくつかせ、 栗 林「おおかた、オバタリアンたちの誰かがチクったんでしょ う。ちょっといい女だと、見境いなく口説くと噂のイン ストラクターですからね」 中 谷「(疑いも見せず)外浦幸枝もその一人だったのか」 栗 林「(まだ愉快そうに)まあ、口説いたことだけは認めます よ。でもね、鼻にも引っかけてもらえませんでした。男 を見る目がないというか、ハハ」 安原、眼光紙背に徹す迫力、剃刀のような鋭さで栗 林の奥底を切り裂こうとのぞき込む。 栗 林「そんな蛇みたいな目でにらまないでくださいよ」 安 原「……まず、事件の日の行動から」 栗 林「(気圧されながらも)いいですよ。幸か不幸か、あの日 はデモンストレーションで沖縄に出張してました」 中 谷「沖縄?」 栗 林「那覇のホテルでイベントがありましてね」 と、表を陽子がはつらつと通りかかる。 栗 林「(救いの神に)陽子」 陽子、安原たちに気づいて軽く会釈。 栗 林「(ことさら甘えるように)刑事さんたちに言ってやって くれよ。×月×日は二人で南の島にいて、仕事が終わっ たあとはホテルで朝まで違う汗かいてましたって」 陽 子「……バカ!」 栗 林「と言うわけです。自家用ジェットでも持っていない限り、 夜中に沖縄から東京に戻ってくるのはムリですよ」 中 谷「いい加減なこと言ってんじゃねえよ!」 陽 子「(事態に気づいて)……栗ちゃんの言うことは本当です。 あの日は十二時すぎまで皆んなと呑んでて、そのあと」 陽子、頬を染めて消え入るようにうつむいていく。
意気込みが萎んだぶん、何かの残骸のような沈黙。 栗 林「お互い、とんだガセネタに踊らされたもんだ。ハハハ」 安 原「(落胆の色も濃く)……」 ○ 安原の家・茶の間(夜) 座卓についた老眼鏡姿の安原が、大学ノートを広げ て万年筆を走らせている。 千栄子が、どこかうきうきとした様子で、その前に 腰を下ろす。 千栄子「あなた、克也の写真が出来上がってきました」 DPEの封筒を示し、嬉々として笑いかける。 安 原「(顔も上げず)あとで見る」 千栄子、気にかけた風もなく、写真を一枚ずつ確か めながらミニアルバムに収めていく。 安原の声「外浦は真実を三つ話す顔で、嘘を七つ話す。問題は幸 枝の新しい男、玲子の新しい男、この二人が何故これほ ど徹底的に捜査をしても、手掛かりすら浮かび上がって こないかという点だ。この二人の人物が、事件の核心を 握っていることだけは疑いがない。定年まであと四日間、 真相究明に残された時間は限られている……」 むっつりと、手探りで湯呑みをさぐる。 と、絶妙の頃合いで熱いお茶が目の前に。 千栄子「最後の捜査ノートですね」 安 原「うん?」 初めて目を合わせる安原の背後、その書棚にずらり と並んだ歴史を物語る大学ノート群。 千栄子「あまり、うまくいってないんでしょう」 安 原「(仏頂面の答え)……」 老夫婦、何となく向かい合う恰好になって、 千栄子「旅行、いつにしましょうか」 安 原「任せる」 千栄子「修善寺なら、坂巻さんのお墓参りができますね」 安 原「……!」 安原、ピクリと反応、思わず千栄子を凝視。 千栄子、そんな視線を柔らかく受け止めて、 千栄子「ひとつ、お願いがあるんですけど」 安 原「……?」 千栄子「濡れ落ち葉族にだけはならないでくださいね」
安 原「ヌレオチバ?」 千栄子「あなたみたいに仕事一筋できた人が、定年を迎えるとと かくそうなるんですって。何にもすることがなくなって、 ただ女房の背中にベッタリまとわりつくだけで」 安 原「(ムッと)誰がいまさら」 千栄子、軽くかわして一人笑い。 布巾を手に、ゆっくりと座卓を拭いながら、 千栄子「(ポツン)また剣道を始める気はないんですか」 安 原「(敏感に)……!」 千栄子「私、お面をかぶったあなたの姿を見て、ああこの人なら と決めたんですけど」 安 原「……二度と竹刀は握らない」 安原、過剰とも思える呟きを口の端に乗せて、 安 原「あの時にきっぱり誓ったんだ。お前も最後はそれでいい と、泣いたじゃないか」 千栄子「(見つめ返して)……」 苦いものを含んだ沈黙――。 と、千栄子、一瞬で感傷を振り切るように、 千栄子「(おどける)警部補殿、リンゴでもむきましょうか」 安原には長年見慣れたはずのその表情が、自分でも 驚くほど癇に障る。 安 原「お前は私に出世してほしかったのか」 千栄子「(かすかに眉をひそめ)誰もそんなこと……気持ちは分 かりますけど、あなたらしくもない」 安 原「オレらしいというのは、どういうことだ」 千栄子「(ふわりと受けて)大丈夫ですよ、焦らなくても。あな たなら、きっと解決できます」 おかしそうに笑ってリンゴをむき始めている。 安 原「……出掛けてくる」 安原、憮然と外して立ちズボンに足を通してゆく。 千栄子「電話もないのにどこへ」 安 原「散歩だ」 ニベもなく上着を羽織って、玄関へ向かっている。 千栄子「(見送って小さく吐息)……」 ○ アーケード(夜) 安原が石畳の上を、アテもなく歩いていく。 人けの途絶えた一帯に靴音が響いて、その背中には
孤独な焦燥感がにじんでいる。 ○ 所轄署・取調室(深夜) 昼間の喧騒が消えた空間に、外浦と安原が二人きり で向かい合っている。 外 浦「(むしろ楽しむように)規則違反じゃないんですか。こ んな時間に、それも一対一で」 安 原「オレは昔からムシャクシャすることがあるとここに来る んだ。黙ってそこに座ってろ」 口を尖らせてじっと宙をにらんだまま――。 外浦、そんな安原の様子を興味深く見つめる。 外 浦「(薄く笑って)……安原さん、あなたどうして警察官な んかになったんです」 安 原「……?」 外 浦「あなたは自分の組織から、一行はみ出してる人だ」 安 原「あんたこそ、役人が似合わない男じゃないか」 外浦、雰囲気を愉しんで謎でもかけるように、 外 浦「ボクは子供のころから、将来は総理大臣になるんだと作 文に書くような子でしたからね」 安 原「あんたのような人間の悲劇は、他の大部分の人間が馬鹿 に見えるということだ。そのくせ一度挫折を経験すると、 簡単に馬脚をあらわしてしまう」 外 浦「(軽く受けて)何でもお見通しなんだな」 安 原「……あんたは五年前の事件以来、本物の自分からコピー の自分に裏返った。無理やりにねじ曲げてでも、そう決 めた。あんたの野心は、もぎ取られたプライドを取り戻 す一点だけに向けられた。あんたは自分をこんな風に貶 めた、すべてのものに復讐することに決めたんだ」 外 浦「そこらの野良犬にでも食わせたいような、最低のプライ ドだと思いませんか」 自分をあざ笑う響きに、安原はじっと外浦を窺う。 安 原「あんたが本当に欲しかったものは何なんだ」 外 浦「(肩をすくめ)だから、ボクは生まれつき間が悪いんだ と言ったでしょう」 外浦、皮肉に笑ってあとはもう口を開こうとしない。 ○ 外浦の家・表
路地に面パトが停車して、安原と中谷が降り立つ。 中 谷「(ボヤく)結局、ここに戻ってきたのか」 安 原「現場百ぺんの譬えもある。残された道は、原点に戻って 洗い直してみることしかない」 中 谷「あと三日か……」 安 原「(玄関の前に立ち)まだ三日だ。開けてくれ」 中 谷「いい加減に暗証番号覚えてくださいよ」 中谷、気乗り薄に電気錠の四桁番号を押していく。 ○ 同・二階の寝室 割れたスタンドが片隅に立てかけられ、ナイトテー ブルも元に戻された検証後の空間。 中谷が吐息で窓辺に立ち、意味もなくカーテンを開 け閉めしてたたずんでいる。 ○ 同・隣の書斎 安 原「(見えない痕跡を求め)……」 安原、執念を見せて隅々にまで目を凝らしていく。 と、中谷がなかば諦めを見せてドアを入ってくる。 ふと壁のステレオに目を留める。 中 谷「(皮肉に)それにしても、大した趣味の持ち主だよな」 安 原「うん?」 中 谷「このコンポ、オレらには手も届かない代物なんですよ」 安 原「……小さくないか」 中 谷「(受けて)オレはこのずっと格下のヤツを、目覚まし代 わりに使ってるんですけどね」 安 原「目覚まし?」 中 谷「タイマーですよ。ほらここ、やってみましょうか」 カセットボックスから適当な一本を抜き出し、何気 なくテープデッキにセットする。 デジタル時刻を一分後に合わせ、タイマーをON。 中 谷「(腕時計を見て)五秒待ってください」 と、きっかりに電源がON、テープが回り始めて、 外浦の声「(いきなり大音量)八ヶ岳山麓、夕景のなかの音楽」 中 谷「おっと」 思いがけないボリュームに、あわててツマミを絞る。 川のせせらぎに乗せて、チチチ……と澄みきった鳥
のさえずりがこだましてゆく。 中 谷「と、本当はドリカムの美和ちゃんの歌で起きるんですが。 ちょっと選曲に失敗しました」 安 原「……山の音か」 中 谷「(も耳を傾けて)外浦が録音したんですかね。らしくな いけど、いい音作ってるな」 深い幽谷を思わせる山の調べが、やや場違いに部屋 の空気を震わせている――。 と、来客を告げるチャイムの音。 中谷が怪訝に壁のインターホンの受話器を取る。 中 谷「……はい」 巡回員の声「イースタン警備保障でございます。ホームセキュリ ティの定期検査に伺いました」 ○ 同・一階のリビング セキュリティ・パネルを前に、作業服姿の巡回員と 安原、中谷が対している。 巡回員「そうですか。手順で回ってるんで、このお宅がそんなこ とになってるなんてちっとも知りませんでした」 妙に馴れ馴れしい営業スマイルで、 巡回員「(敬礼)ご苦労さまです。じつはね、私も三年前に官を 辞めたデューダ組なんですわ」 安 原「……そのセキュリティというのが、私には良く」 中 谷「時々テレビでやってるでしょう。外から電話をかけて風 呂沸かしたり、エアコンつけたりするやつ」 巡回員「このパネルのなかに、コンピューターに連動した回線が 内蔵されているわけです」 安 原「ほう……」 パネルを見やる視線が、何も理解していない。 巡回員「(笑って)こりゃ、見てもらうのが一番早そうだ」 床のキットボックスから、携帯電話を取り出す。 名簿と照らし合わせて、電話番号をプッシュ。 と、親機のホームテレホンに呼び出し音。 巡回員「(離れて)いいですか」 テレコントロールの暗証番号を押す。 と、リビングの照明が一斉に点灯――。 安 原「……なるほど」 巡回員「まだまだ、もっと色んなことができますよ。どうですか、
お二人のお宅にも」 ○ 同・ガレージ 中谷がリモコンを押して、電動シャッターが上がる。 内へ入ると、駐車した外浦の車。 中谷、キーを差し込んでドアを開け、 中 谷「中のほうはお願いします」 ボンネットを開け、念入りにチェックしていく。 安 原「しかし、この家は車まで機械だらけだな」 安原、操作ボタンのメカ群に目を留めて呆れた呟き。 試しにひょいとボタンの一つを押してみる。 と、サイドウインドーがスルスルと下がる。 安 原「……(隣のボタンを押す)」 今度はウインドーが低い唸りで上がってくる。 安 原「(目に映るものに)……?」 ガラスに一片の小さな紙が張りついている。 窓の隙間に入り込んでいたものが、開閉につれて姿 を現したものらしい。 安 原「中谷」 手に取って示すのへ、寄ってきた中谷とのぞき込む。 次の瞬間――、 中 谷「係長!」 安 原「(鋭く)真鶴道路の領収書だ」 中 谷「××円、普通車、×月×日……」 安 原「事件のあった日か!」 中 谷「(輝く)これ……もしかしたら!」 ○ 真鶴有料道路・全景 ○ 同・料金所 付近の広い路肩スペース――。 安原と中谷が、中年の係員に詰め寄って直談判。 中 谷「(領収書を振りかざし)この料金所を、午後九時五十分 に通過してるレシートなんです!」 安 原「その時間に、不審な車を見たという記憶は」 係 員「(勢いにたじたじと)ムリですよ。確かにその日、ゲー トに立ってたのは私ですけどね」
中谷、最後まで聞かず畳みかけるように、 中 谷「この男なんですが……!」 外浦の写真を取り出して、正面に突きつける。 係 員「参ったな……」 と、 係員の表情が、怪訝に変わってためつすがめつ。 係 員「……ああ、あの男の人だ」 安 原「(予感)……!」 係 員「(もう一度じっくりと見て)うん、思い出した。この人 のことならはっきり覚えてますよ」 中 谷「(手応えに)……!」 係員、そうだそうだと写真を指差しながら、 係 員「料金を払った後で、急に気分が悪くなったらしくて」 安 原「気分が?」 係 員「ちょうどここ、この辺に車を停めて……」 ○ 同・料金所(事件当日の夜) 同じ場所に、外浦の乗用車が停まっている。 辺りにかすかに響く、苦悶のうめき声。 係 員「……?」 係員、不審げにボックスを出て車に歩み寄る。 風を入れるためか、ウィンドーを開けた運転席に突 っ伏して声を殺している人影。 係 員「もしもし」 脂汗にまみれた顔を上げる男、外浦――。 係 員「大丈夫ですかッ、救急車呼びましょうか」 外 浦「……(手で拒絶)」 顔をそむけるように、車をダッシュさせている。 係 員「(呆気に取られて見送る)……」 ○ 元の料金所 係 員「薬でもやってたんじゃないですか。あのあとすぐ交代し たんだから、うん、確かに十時ちょっと前だ」 中谷、すわと安原に顔を見合わせる。 中 谷「外浦は真鶴にいた……!」 安 原「(抑えて)玲子が殺されたのが九時半、あの別荘からこ こまでは十分もかからない」
中 谷「あのヤロー、さんざん振り回しやがって」 安 原「外浦は玲子を殺している。その直後にこの道を通って東 京に帰った。それだけは間違いない」 中 谷「やりましたね、安原さん!」 中谷、一瞬会心の笑みを浮かべて快哉。 が、すぐに我に返って、 中 谷「……しかし、それじゃ幸枝殺しのほうは?」 安 原「(むっつりと頷いて)どうやらオレたちは、よその事件 を解決してしまったようだ」 中 谷「(一挙に興奮が冷め)……」 ○ 所轄署・玄関 いきなりカメラのフラッシュが連発――。 マスコミ連の怒号が渦巻くなか、鼻高々の鈴村と高 井に連行された外浦が姿を現す。 外浦、不敵な表情を浮かべながらも誰かを探す視線、 見つからずに車へ乗り込む。 護送車、後足で砂でもかけるように去っていく。 ○ 夕刊紙の見出し記事 『やっと解決・コウモリ野郎愛人殺しで再逮捕!』 『神奈川県警・代打逆転サヨナラホームラン!』 『東京は面目丸つぶれ・女房を殺したのは誰!』 ○ 神奈川県警・全景(夜) 折からのにわか雨が、コンクリートを叩いていく。 ○ 同・廊下(夜) 静まり返っていた一帯に、突然笑い声が響く。 安原が鈴村に伴われて歩いてくる。 鈴 村「まあ本来は規則違反なんですが、安原さんには格別のお 手伝いをいただいたことだし。二三十分は大目に見るこ とにしましょう、ハハハ」 取調室の鍵を開けるのへ、安原、うっそりと中に。 高井の事情聴取を受けていた外浦が、さして驚きも
せずにゆっくりと見返る。 外 浦「来ましたね」 ○ 同・取調室(夜) 外浦と安原、二人が気負いもなく対峙してゆく。 外 浦「安原さんには、もう一度会いたいと思っていた」 安 原「なかなか、明鏡止水の心境とはいかないもんだな」 外 浦「そんなことはないでしょう、鮮やかに有終の美を飾った じゃないですか」 安 原「定年まであと二日、今度のことでオレは完全に現場を外 された。どういうめぐり合わせか、明日一日女房と温泉 旅行に行くはめになった」 外 浦「ゆっくりと寛いできてください」 安 原「それがな……オレは今でも、あんたが二人とも殺したと 思ってるんだ」 外 浦「(内心を窺わせず)……」 二人、探るように見つめ合って、空気までが張り詰 めたような緊張。 雨の音が降りしきって、長い静寂――。 外浦、安原、二人はそれぞれの胸に去来するものを 無言で噛みしめている。 安 原「(ポツン)オレは自分が警察官になるなどとは、思って もいなかった……」 外 浦「それにしては優秀じゃないですか」 安 原「ただ人より少し剣道の腕が達者だった。その腕を見込ま れて、警視庁に引き抜かれたというわけだ」 外 浦「(興味深げに)……それで、サムライ安原信夫としては もう最高位にまで昇りつめて」 安 原「竹刀は三十年も前に棄てた。それ以来防具を身につけた ことは一度もない」 外 浦「……?」 安 原「(虚空に目を彷徨わせ)目の前で同僚が殺されたんだ」 外 浦「え」 安 原「まだホシがひそんでいるのを確認しないで、現場に踏み 込んだオレのドジだった」 外 浦「(じっと見つめて)……」 安原、気持ちを抑えて淡々と言葉を継いでいく。 安 原「葬式の翌日が避けられない遠征試合でな。その乗り換え
駅の待合室で、用を足して戻ってくると……」 遠くを見やる視線で、ふうっと大きく吐息。 安 原「(自分を笑うような響き)わずかな隙の間に、自慢の防 具が盗まれていた」 外 浦「……!」 安 原「きれいさっぱりだ。その途端に何もかもがバカバカしく なった。警察官を辞めようと思ったが、女房が泣いて反 対した。要するに勇気がなかったということだ。親方日 の丸の身分を捨てる代わりに竹刀を棄てた」 外 浦「……そして、本物の自分からコピーの自分に裏返った」 安 原「……!」 外 浦「(怒ったように)本当は猛烈に腹が立ったんだ。同僚を 殺した犯人にも、防具を盗んだこそ泥にも、殺された同 僚にも隙だらけの自分にも。あなたはそのとき初めて気 がついたんですよ、野良犬の境遇なら許せても、負け犬 になるのは耐えられない屈辱だということにね」 安 原「……あんたのことを言ってるように聞こえるよ」 外 浦「……ボクは安原さんほど確信犯じゃありません」 外浦、安原、お互いの胸の内に濃密な視線を注ぐ。 雨の音、ますます強く降りしきって――。 と、 外浦の表情が、突然苦痛にゆがむ。 安 原「おい?」 外浦、全身を海老反りにして苦悶にのたうつ。 安 原「(尋常でない様子に)外浦ッ!」 外浦、脂汗を浮かべて必死に痛みに耐えながら、 外 浦「(声を絞り出す)……安原さん、今さら言っても無駄で しょうけど、皆んな何も分かっちゃいない。警察も検察 も、あなたも完璧にボクに負けたんですよ」 最後の気力を振り絞って笑いかけた刹那、魂が抜け たようにその場へ昏倒している――。 ○ 在来線の特急が走る ○ 同・車内 安原と千栄子が、旅装でシートに並んでいる。 千栄子「癌?」 安 原「それもあちこちに転移していて、手のつけようがないら
しい。保ってあと一ヵ月。こんな状態で良く取り調べに 耐えられたもんだと、医者も呆れていた」 千栄子「(も呆れて)本人はそれを知っていたんですか」 安 原「だろうな。近くの掛かりつけの医者に行って診察を受け たんだが、医者は詳しい症状を告げずに、すぐ大学病院 へ行けとそれだけを命じたらしい」 千栄子「……で」 安 原「行かなかった。恐らくもう手遅れだということを解って いたんだろう」 千栄子「それじゃあ」 安 原「死期を悟った男が、愛人を道連れにした覚悟の無理心中、 警察も検察もそういう形で結論をつけた。まあ結局、女 房殺しの犯人は分からないままというわけだが……」 千栄子「(表情を曇らせ)そんな状態じゃ裁判も……」 安 原「外浦は拘置所の医療病棟で、じっと死を待っている」 千栄子「どうして誰も気がつかなかったんですか」 安 原「(非難を含んだ口調に)……」 ○ 修善寺の温泉郷・全景 ○ ある寺院の墓地 坂巻浩司の墓――。 かつての同僚に花と線香を手向け、じっと手を合わ せてたたずむ安原。 そのかたわらで千栄子が、寡黙な思いやりをたたえ て雑草を摘み取っている。 千栄子「良かったですね、祥月命日にお参りできて」 ○ 温泉旅館・全景 ○ 同・客室 仲 居「こちらのお部屋でございます」 仲居に案内された安原と千栄子が入ってくる。 千栄子、うきうきと窓際に立っていきなり歓声。 千栄子「あなた」 安原、並んで見ると山肌が陽光に染まって、一面の 絶景が広がっている。
安 原「(満足げに)さすがは隆志君だな」 仲 居「ただいまお茶をいれて参りますから」 仲居が満面の笑みで出ていって、夫婦は旅装を解こ うと隣の部屋のふすまを開ける。 安 原「(一瞬)……!」 千栄子「(も足を止めて)あなた……」 艶めいた色彩の布団が二組、早くもぴったりと合わ せて延べてある。 安 原「(憮然と見て)……」 千栄子「でも、ちょっと面白そう」 千栄子が含み笑いで足を入れるのへ、 安 原「バカ、そんな歳か」 千栄子「分かってますよ。はい、二つに離しましょう」 千栄子がひょいと布団の一端を抱えて、安原ともど も引き離しにかかる。 安 原「(ふと)……?」 千栄子「(下ろしかけた手で)まだ離すんですか」 安 原「うん……いや」 安原、手を下ろして、二つに離れた布団を鋭い視線 で見つめてたたずんでいる。 ○ 同・客室(夜) 安原、千栄子、黙々と夕餉に舌鼓を打っている。 千栄子「どうしたんです、さっきから黙り込んで」 安 原「(心ここにあらず)……」 千栄子「(肩をすくめ)ごちそうさまでした。私はテレビでも見 させてもらいますよ」 備え付けのテレビのスイッチをON。 と、 千栄子「(目を見開く)何ですか、これ!」 ○ テレビの画面 全裸の若い女が、ベッドで身体をくねらせている。 激しい息づかいの喘ぎ声――。 その上に覆いかぶさっている、もう一人の若い女の 豊満な肉体があって……。
○ 元の客室(夜) 千栄子「いやらしい」 チャンネルを変えようと、浴衣の手を伸ばす。 安 原「そのままだ!」 一喝する声に振り返ると、安原の目が食い入るよう に画面を見つめている。 女同士の狂態、喘ぎ声がますます高まって、 千栄子「あなた……」 汚らわしいものでも見るように眉をひそめた時、 安 原「そうだったのか!」 安原の痛恨の叫びが、大きく室内に響いている。 ○ 神奈川拘置所・全景 ○ 同・医療病棟の病室 見る影もなく衰弱した外浦が、ベッドに半身を起こ して微笑んでいる。 旅装のままの出で立ちで訪ねた安原、そしてかたわ らに従う中谷の姿がある。 安 原「いよいよ今日で幕引きだ。明日からはもうこうしてあん たとも自由に会えなくなる」 外 浦「最後のお別れというわけですか」 外浦、中谷をうかがって人なつこい笑みで会釈。 外 浦「ようやく真相がつかめたようですね」 安 原「中谷刑事が私の推論に従って、色々と調べてくれた」 中谷、促された恰好で硬い表情、前へ進み出る。 安原、譲ってゆっくりと窓際に立ち、鉄格子越しの 表の景色をじっと見やる。 中 谷「外浦幸枝、小野田玲子、二人の本命と目される愛人がい くら手を尽くしても見つからなかったのは当然だ。この 二人こそが、他でもない愛人同士だったんだから」 外 浦「(否定も肯定もせず)……」 中 谷「そう考えると何もかも辻褄がハッキリする。玲子が店の 同僚たちに、自分の結婚の夢は絶対に叶わないと秘密め かしたわけ。そして、あんたの家の留守番電話に残した 脅迫まがいのメッセージ」 外 浦「……」
中 谷「あれはあんたに向けられた言葉じゃなかった。亭主とは 別れると言いながら、あんたと二人で着飾って出掛けた 幸枝に対する、嫉妬に駆られた行為だった」 安 原「……」 中 谷「当然、あんたの家の前でうろついているのを目撃された 時も、玲子は恋人の幸枝の行動を見張っていたのだとい うことになる。その逆で、新宿のホテルで目撃された幸 枝も、あんたと二人でいる玲子に嫉妬して憎悪の目でに らみつけていたというわけだ」 外 浦「(衒いが消えて)……その時ボクは、女房と別れて欲し いと談判していたとでもしておきますか」 中 谷「もともと人一倍プライドの高いあんただ。ただでさえ女 房を、それも女に寝取られて怒り狂っていたところに、 癌の宣告の追い打ちを受けた。絶望に駆られたあんたは、 せめて自分の命が尽きる前に、どん底へ突き落とした二 人の女を道連れにしてしまおうと考えた」 外 浦「さあ、いよいよ本論に入ってきましたね」 外浦、まるで他人事のように呟いて笑う。 安 原「(じっとたたずんだまま)……」 中 谷「分かってみれば実に単純な目くらましだった。現場が二 つだと思うから、いつまでも矛盾が解決しない。同じ場 所で二人が殺されたと考えれば、嘘のようにすべてのカ ラクリが解けるじゃないか」 外 浦「(納得したように頷く)……」 中 谷「二人は事件の日の午後九時すぎ、真鶴の別荘で落ち合う 約束をしていた。あんたは先回りして待ち伏せしていた んだ。九時半と九時三十五分、五分の死亡時刻のズレか ら見て、恐らく玲子のほうが一足先にやって来た」 ○ 真鶴の別荘(事件当日の夜) 玄関に立つ玲子が、合鍵でドアを開ける。 一階の明かりを点け、うきうきとした足取りで二階 への階段を上がっていく。 疑いもなく寝室へ入ってきた途端――、 物陰から飛び出す人影。 玲 子「浦チャン……!」 外 浦「(さらりと)サヨナラ」 外浦、手にした赤いネクタイで、有無を言わさずそ
の首を絞め上げていく。 玲子、ダブルベッドにもつれ込んで抵抗するが、 玲 子「(なす術もなく)……!」 絶命――。 外 浦「(大きく息をついて)……」 外浦、いきなりベッド脇のスタンドを蹴り倒す。 ガチャン、電球が割れて粉々に砕け散る。 続いて、ナイトテーブルを裏返しに叩きつける。 中谷の声「それからあんたは第一の現場を工作した。仕上げには 自分の車の灰皿を使ってな」 外浦、用意した灰皿から煙草の吸殻をまき散らす。 と、玄関にチャイムの音。 幸枝の声「玲子、来てたの」 弾むような調子で、幸枝が入ってくる気配。 外浦、すかさず寝室を出て踊り場の物陰にひそむ。 幸枝、浮き立つような足取りで階段を上がってくる。 幸 枝「今夜は思いっきり悪いことして愉しも、ね」 共犯者の笑みで階上をうかがって媚びる途端――、 ぬっと前に立ちはだかる外浦。 幸 枝「あなた……!」 外 浦「(失望の呟き)サイテーの遺言だ」 逃げる暇も与えず、青いネクタイをつかみだしてそ の首を渾身の力で絞め上げる。 外 浦「死ねッ……!」 幸 枝「(わずかに抗うが)……!」 幸枝、何が起こったのかも良く分からないまま、息 の止まった状態でくずおれてゆく。 ○ 元の病室 外 浦「……面白い話だ」 外浦、疲れたのかベッドに身体を横たえていく。 安原、そんな外浦の枕元の椅子に腰を下ろす。 中 谷「そしてあんたは、幸枝の死体を車のトランクに押し込ん で一路東京へ取って返した。ただ、真鶴の料金所で気分 が悪くなったのはまったく計算外だった。もうずいぶん 病状が進行していたんだろうがな」 外 浦「あの時は苦しかった……」 外浦、思い出すように呟いて目を閉じる。
中 谷「片道二時間の距離。今にして思えば、あんたは最初から ヒントを与えていたんだ。何とか自宅に帰り着いたあん たは、幸枝の死体をベッドに寝かせると、今度は第二の 現場にちょっとした小細工をしてから、おもむろに女房 が殺されていると110番した」 外 浦「煙草は……東京の現場に転がっていた吸殻は、別荘に残 されていた銘柄とは違っていたはずですよ」 中 谷「だから小細工をしたと言っただろう。あの吸いさしが本 当は誰のものか、恐らくは国税局一のヘビースモーカー、 仁科部長のものだと係長はにらんでいる」 外 浦「(ゆっくりと身を起こす)……」 と、安原が苦渋を含んだ視線で見つめている。 外浦、突然快哉を叫ぶような拍手を送る。 外 浦「素晴らしい推理ですよ。でもね安原さん、その謎解きに は決定的な欠陥がある。あなたの推論に従うと、九時半 すぎに東京で聞こえた殺してやるという声と、スタンド が割れて明かりが消えたことの説明がつかなくなる」 安 原「その謎も、解けてみれば拍子抜けする仕掛けだったよ」 ○ 外浦の家(事件当日の夜) 寝室と書斎、その続き部屋のドアが開きっぱなしに なっていて……。 スタンドの明かりだけが点いた無人の部屋に、電話 の呼び出し音が響く。 と、 二十一時三十五分、デジタル表示のタイミングに合 わせて、コンポの予約スイッチがONになる。 外浦の声「殺してやるッ!」 回り始めたテープから、いきなり外浦の怒声が大音 量で流れる。 続けざまに、ガラスの割れる音が響いて何かが倒れ、 人が争うようなすさまじい物音。 外浦の声「チクショー……!」 その最中に、無機的な信号音が電話機から聞こえる。 暗証番号の遠隔操作が行われたらしく、スタンドの 明かりが不意に消える。 一瞬、静寂の間から――、 外浦の声「あ、すみません、ただの夫婦喧嘩ですから」
再び無機的な信号音が響いて、今度はカーテンが自 動的に閉まっている。 ○ 元の病室 中 谷「あんたの一人芝居の怒鳴り声、人が争うような派手な物 音。そんな音をテープに吹き込むことぐらい、録音マニ アのあんたには簡単なことだろう。あとはあのステレオ にテープを仕掛けて、九時三十五分に音が鳴るようにタ イマーを掛けておけば、いつも下を通るジョギングのセー ルスマンが確実に聞いてくれる」 外 浦「……少し窓を開けて音が洩れるようにしておけば、言う ことはありませんね」 中 谷「それに築後一年にしかならないあんたの家には、最新の セキュリティ・システムが完備されている。別荘の部屋 から電話をして、スタンドの明かりが消えるように操作 すれば簡単なことだ。カーテンの開け閉めまで自動で出 来るというんだから、オレも驚いた」 外 浦「……電話回線じゃ、顔までは見せられませんからね」 中 谷「仕上げは前もって、自宅の前の公衆電話に『故障中』の 紙を貼っておくことだ。翌朝にはなくなっていたという から、まず真鶴から戻ってきたあんたが剥がしたんだろ う。そこまで押さえておけば、どんなお節介野郎でもそ の場で警察に通報する恐れはない」 ○ 外浦の家・表(事件当日の夜) 帰宅してくるマイカーが、ガレージに停止する。 運転席の外浦、途中で回収した『故障中』の札を丸 めてポケットにしまう。 エンジンを切って降り立ち、辺りに人目がないのを 窺って、トランクの蓋をそっと開ける。 ビニールに包まれた幸枝の死体――。 ○ 同・二階の寝室(事件当日の夜) 外浦、幸枝の死体を抱えて入ってくる。 ダブルベッドに寝かせると、首にもう一度青いネク タイを巻きなおす。
明かりの消えたスタンドを、ゆっくりと床に倒す。 音を立てないように、細心の注意で電球を割る。 ナイトテーブルをひっくり返し、大ぶりの灰皿をそ っとフロアに転がす。 ハンカチにくるんだ仁科の吸殻を、辺りにまき散ら して第二の現場を工作していく。 110とボタンをプッシュする音がかぶって、 外浦の声「(いきなり切迫)……もしもし、妻が、いま戻ってき たら妻が殺されているんです!」 ○ 元の病室(夕景) 折からの夕景ににじんで、赤く染まった外浦が静か に窓外を見やっている。 その沈黙に付き合って、安原も虚空に目を据えたま まじっと無言を続けている。 二人のあいだに漂う濃密なものが、中谷にはこれ以 上立ち入る隙を与えない。 中 谷「……(小さく一礼)」 足音を殺して出ていく。 と、 外 浦「(罪深さを受容する目)さすがだな。白状すると、初め て安原さんの顔を見たとき、この刑事だけはいつか真相 にたどり着くだろうなと思ったんですよ」 安 原「……」 外 浦「(最後の小さな皮肉)でもね、安原さんの推理は肝心な ところで間違っている」 安 原「……?」 外 浦「いくら破滅寸前の仲の女房でも、亭主が癌で余命いくば くもないと知ったら、複雑なものがあって当然でしょう。 幸枝はボクの前で、あなたの死は必ず私が看取ってあげ ると言って泣きました。同じように玲子もね」 安 原「……」 外 浦「玲子はもともとボクの愛人だった。当時は幸枝のほうに 心が移っていたかも知れないが、それでもボクの病気が 回復不能だということを知って、幸枝と一緒にあなたの 死を看取ると手を取って泣いてくれたんです」 外浦の表情には何の怒りもすさみもなく、また喜び も哀しみも一切がない。
外 浦「(ただ穏やかに)事件の日の翌日、ボクは大学病院に行 って入院の手筈を整えることになっていた。もう二度と 外に出てくる日はないだろうから、最後の夜くらいは三 人で一緒に過ごそうという話になったんです。あの別荘 の寝室で、二人はこれまでになかったほどボクに優しく 接してくれた。そうされればされるほど、ボクは無性に 寂しくなってきて……こんなにボクを愛してくれている 女たちをこれ以上悲しませることはできない、そう思っ て気が付いたら……。二人を殺した動機を強いて言葉に すれば、そういうことになるのかな」 外浦、それですべてだと静かに横たわる。 安 原「……(手を貸してやる)」 外 浦「これからボクはどうなるんです」 安 原「……それは中谷が決めることだ」 外 浦「ボクは何でも構いませんよ。安原さんのおかげでやっと 静かに死ねるんですから」 外浦はそう呟くと、残骸のように眼を閉じる。 その瞼から清冽に光るものが一筋流れ落ちていく。 安原の胸にはそれが痛いほど響く。 息苦しいまでの赤い空気に融け込んで、二人はいつ までも静謐な空間にたたずんでいる――。 ○ 同・拘置所・表(夜) 安原、蹌踉とした足取りで出てくる。 と、中谷が壁に寄りかかって待っている。 中 谷「(ぶっきらぼうに)……報告書は少し遅れますから」 安 原「うん?」 中 谷「外浦が生きているあいだに出来るかどうか」 安 原「(思いが響いて)……それがいいのかもしれないな」 余韻を残した沈黙――。 ふと見ると、中谷が口をへの字に宙を仰いでいる。 安 原「中谷……」 中 谷「はい」 安 原「お前、オレと同じ道を歩むんじゃないぞ」 と、中谷、途端におどけた表情をつくろって、 中 谷「(明るく)オレは誰かサンと違って野心満々ですよ」 安 原「……それならいいんだ」 中 谷「(肩をすくめて)じゃあ行きましょうか、慰労会に。今
夜はとことん付き合ってもらいますからね」 安 原「ああ、何軒でも付き合うさ。ハンバーガー以外ならな」 安原、にこりともせずに車へ乗り込んでいく。 ○ 抜けるような青空(翌朝) ○ 公園 暖かい陽だまりのなか、安原と千栄子が並んでベン チに腰を下ろしている。 千栄子「(微苦笑)男の人って、最後まで見栄を張るんですね」 安 原「うん?」 千栄子「そんな寂しい嘘、誰が聞いたって分かりますよ。その人 には最初から愛人なんていなかった。その人はただ一人 の頼りだった奥さんにも裏切られて……」 安 原「女というのは、最後まで冷たいもんだな」 千栄子「はい?」 安 原「あの男は今、自分でもそうだったのだと信じている。黙 ってそういうことにしといてやればいいじゃないか」 千栄子「(小さく二度)……」 安原、その気配にふと見返る。 不意に顔をそむける千栄子が、目ににじむものをそ っと指で拭っている。 安原、見なかったふりでゆっくりと立ち上がる。 安 原「(ポツンと)……あの男は、自分の人生を白紙同然にし た『お国』に、小さな復讐をしたんだ」 呟いて、目の前に続く並木道を淡々と歩いていく。 千栄子「(並びかけ)……復讐」 安 原「同じ公務員だった者として、私にはあの男の気持ちが良 く分かる。どうせ人生最後の数ヵ月を、病院のベッドに 縛りつけられて過ごすのなら、むしろ警察の監視の下で とあの男は考えた」 千栄子「(突かれて)……」 安 原「たとえ自由の身だったとしても、死を看取ってくれる者 もいないあの男には、自分を公務員の名のもとに檻のな かに閉じ込めた『お国』に対して、一泡ふかせることし か眼中になかったんだ」 千栄子「……犯罪者としてなら、死ぬまでのあいだのベッドを国 が与えてくれる」
安 原「私は、あの男はそこまで計算していたと思っている。外 浦は罪を逃れるために、アリバイの往復を繰り返したん じゃない。捜査をひたすら混乱させて、真相が分かる日 を一日でも先に延ばし、ただ従容として死を迎えたかっ ただけなんだってね」 千栄子「(痛惜に言葉を失う)……」 あとはただやるせない沈黙が流れて……。 と、 千栄子「(感嘆の声)いいお天気ですねえ」 千栄子、立ち止まって一瞬で明るい笑顔。 安 原「(見上げて)……ああ」 千栄子「終わったんですね、本当に」 安 原「……そうだな」 千栄子「(半分おどけて)どうしましょう、今日から」 安 原「そんな濡れ落ち葉族みたいな目で見るな」 憮然と返す安原の顔が、意外にも照れを含んでいる。 安 原「私はあの男とは違う。ちゃんと余生を楽しむ方法は考え てあるさ」 千栄子「え?」 安 原「(言いよどむが)また……剣道を始めようと思う」 千栄子「あなた!」 安 原「(一瞬よぎった笑顔)これから、退職金で防具を買いに 行く。付き合ってくれるだろう」 千栄子「(輝く)もちろんです!」 安 原「ヨシ、じゃあその前にジジババ面して、可愛い孫の顔で も見に行くか」 千栄子「ハイ」 一番見慣れた夫らしい仏頂面に、老妻は心底嬉しそ うに笑って大きく頷き返している。 ○ 拘置所・裏門 ひっそりと霊柩車に乗せられる柩、裏門釈放の犯罪 者が一人、どこへとも知れず運び去られていく。 T 『外浦が深夜の病室で、静かに息を引き取っているのを発 見されたのは、それからわずか十日後のことだった』