上晁氏ノ書脱文
毎日に其当座ハ、弐百人 五六百人程ツヽ縛られ候而、奉
行所へ参候事御座候得共、是ハくやしんはうにてやたら
捕候事ニ而、少しも胡乱らしきやつハ、やにむに引きとら
へて連て来るの也、五六百人も有候、中ニ而糺しても見よう
と云者壱人歟弐人かニ不過、其上ニ近国へやたら触を
廻し候ニ付、方々から働キふりにやたら捕へて出し、牢屋ハ
焼てなし、置所もなきのに得知レぬ者計、マウ能い\/と云
のに跡から送てよこし、町奉行も是にハ手こずり申候様子、
皆々サツ\/と帰して遣り申候様子ニ及承候、下略、
一天保八年冬登坂、同九二月帰府致候由、出役之者両人
御勘定留役 山本新十郎
支配勘定 白石*重太夫
一塩盗妻妾子家人、京都柳馬場旅人宿まなバしやと申ニて、
被召捕候由、飛脚屋丸屋孫市咄也、
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