義与利書
一去ル十九日五半時頃 東天満与力町出火致、天満不残焼
亡并船場辺内平野町、内本町、谷町筋焼失、絵図之
通御座候、
一同日五ツ時頃何方不知大筒之音聞え、川崎御材木蔵
へはりぬきの玉凡四寸斗みち火消候而落有之、手代
之者致持参見せし打上の玉の板ニ御座候、其後与力町出火
有之候、
一右出火之訳者与力大塩格之助父平八郎頭取ニ而徒党
致し、大坂中焼払候工ミ露顕致、十九日朝五ツ半時頃、
自分居宅江火をかけ、大筒并火薬を用意致シ、旗三
流押立、徒党之武士三十人計いつれも太刀鎗等ヲ
持、大筒并火薬持はこひ候者百人計ニ而、与力町より
押出シ、寺町へ廻り、南方へ大筒を打かけ、天満拾丁目
へ押出シ、所々の見せの火鉢江火薬をなけ入候間、一時
計之内ニ、五六ケ所 もえ上り、折節風つよく、天満辺
不残焼亡致シ申候、右之騒故火消人足一人も出不申
焼次第ニ御座候、風ハ弥強ク吹申候、徒党之者ハ夫 難
波橋を打渡り、鴻池三井等へ大筒鉄炮ヲ打かけ、騒動
ニまきれ、金銀等を盗取、淡路町辺へ押出し申候、昼八時過ニ御
座候、
一川崎御材木蔵并御役宅弐軒共風下ニ而、折節風強防
兼、所々もえ上り候得共、不審に弐軒共残り申候、尤家内者四ツ
時頃、舟ニ而京橋口へ立退セ申候、徒党者一条ニ而天満
橋往来留、御城代 馬乗二騎弓を持、外鉄炮弓鎗等
ニ而五十人計固メ有之候、右故渡し舟も差留ニ相成申候、御役
宅へ火移り候而者、立退候場所も無之、此節万一徒党之
者川さきへ押来候ハヽ、御蔵を打捨、迯候事も不成、御破
損奉行ハ打死 外ハ無御座候、恐事ニ御座候、
一、八ツ時過玉造方与力同心、鉄炮を持、徒党之者取鎮めの為罷
向候処、淡路町ニ而出合、玉造与力坂本鉉之助と申者、大筒ヲ
扱候者を鉄炮にてねらひ打ニ致シ、首を取引つゝき、同心
七十人計一度ニ鉄炮を打懸候、此勢ひに徒党之者大筒
を打捨迯去申候、右場所にて大筒并火薬等を此方へ奪取
申候、是ニ而大筒之音ハやミ候得共、兎角風強ク大火ニ相成
翌廿日夜四ツ半時漸々火しつまり申候
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