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阿騎野の「人麻呂」

2005.5.23.up

2005年のクレセント(長岡良子さん非公式ファンサイト)のオフは
平城宮の「お墓参り」と阿騎野でした。
私は車がないので、阿騎野に行くのはなかなか大変なのですが、
今回は乗用車に乗せて頂くことになり、とても助かりました<(_ _)>

天気が悪く、長居できなかったのが残念でした。

阿騎野・人麻呂公園

 

 奈良市内から自動車でさっと移動。天理の横をかすめて桜井へ。さらに南へ進み、阿騎野の「道の駅」に到着しました。
 ちょっと休憩しましたが、今にも雨が降りそうなので、昼食は後回しにして先を急ぎました。

 まず到着したのは、「阿騎野・人麻呂公園」。体育館のすぐ隣です。


↑クリックで拡大地図(33KB)

↑クリックで説明板(31KB)
↓クリックで説明板(39KB)

 詳しくは説明板をご覧いただきたいのですが、ここは1995年に実施した発掘調査によって見つかった遺跡で、弥生〜近世にわたる大規模なもので、特に飛鳥時代の遺跡からは大きな掘立柱建物が見つかっており、古代の狩猟場であった「阿騎野」の重要施設、『日本書紀』に「菟田吾城」とあるのに該当すると考えられています。

 遺構の復元も行われており、ちょっとした古代空間になっていました。これは期待外のことで、ちょっとトクした気分になりました。

公園全体はこんな感じです

 

柱跡が見えます。

 

飛鳥時代の竪穴住居の復元(右)は珍しいと思います。方形でした。

 上の写真にも小さく写っていますが、ここには真新しい「柿本人麻呂像」があります。


解説文はこちら(28KB)

 なぜ「人麻呂」かと言えば、持統6年(692)冬、この地に軽王らが狩りに訪れた際に人麻呂も同行し、その時に詠んだ歌が『万葉集』に残っているからです。なかでも特に有名なのが、

東の 野に炎(かぎろひ)の 立つ見えて かえり見すれば 月傾きぬ 1-48

の歌ですね。

 なお、この像の姿は、中山正實氏がこの人麻呂の歌を画材として制作した壁画「阿騎野の朝」(大宇陀町の中央公民館にある)をもとにしているとのことです。

 

 

かぎろひの丘万葉公園

 さて、上の「人麻呂公園」からすぐ近く(というかすぐ目の前の)の小高い丘が、「かぎろひの丘万葉公園」です。雨がしっかり降ってきましたが、傘をさしつつ歩きました。


↑クリックで拡大地図(30KB)

 さきの人麻呂の「かぎろひ」の歌は、研究によると旧暦の11月17日午前6時頃にあたるそうです。そこで大宇陀町は、町の行事として「かぎろひを見る会」を30年前から毎年続けています。
 クレセントのメンバーの遙さんは、この「かぎろひを見る会」に参加されたことがあるそうで、ここがその会の行われる場所だそうです。

 以前、クイズで考察したことがありますが、この歌の描写は東に「昇ろうとする太陽」があり、振り返ると西に「月が傾いている」わけですから、その月は満月前後ということになります。ところが、マンガなどではこの月はかなり欠けた月に描かれています。うーん、雰囲気重視なのかな〜と、ちょっと残念です。

←石碑と掲示板は、クリックすると拡大写真が見れます(29KBと44KB)

「かぎろひ」が立つ?のは
この方向らしいです→

 

 ところで、"阿騎野の狩り"というと、この持統朝のものがやたらと有名ですが、もちろんこの年だけ行われたわけではありません。
  例えば、推古19年の5月5日に「兎田野」「薬狩」が行われています。"5月5日の薬狩"は、今の端午の節句の起源で、古くは若鹿の角採りだったと考えられています。この時にもそれが行われたのでしょう。天皇が男じゃないというのがなかなか面白いです。

 また、ここは壬申の乱のさいも舞台になりました。『日本書紀』天武元年(672)6月24日条に「菟田吾城」が登場しますし、天武9年にはここに天皇が行幸しています。乱を偲んでいたのかもしれませんね。


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説明板 歌碑碑文