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飛鳥2004春
2005.09.26>10.30.微修正

 2004年4月17日(土)、クレセントの春オフで、ひさびさに飛鳥を訪れました。
その時のようすからご紹介します。
(upが今頃になってすみません)

 近鉄吉野線飛鳥駅。ここに来たのは本当に久しぶり(最近は橿原神宮前駅からスタートすることが多かったので)。

駅前の総合案内所はとてもキレイ。

←こんなバスもあるようです。次は乗ってみようかなぁ。

今回は飛鳥駅前でレンタサイクルを借りて回ることにしました。

古代史とは関係ないですがジョニー#54の帽子とバレンタイン#2のカバン。
レンタサイクルの番号も54番を選んでたりします(^^;


主たる目的地は最近発見の続いた飛鳥の南部ですが、途中の名所にも寄っていきます。

 

猿石(吉備姫王陵)など

飛鳥の名所といえば「謎の石像物」ということで、まずは猿石から。

左の写真の赤線部分の拡大
 猿石があるのは、飛鳥駅からほど近い、吉備姫王墓の柵の中です。写真が撮りにくい。
 吉備姫王は、例の皇極・孝徳の姉弟の母です。母系でいうと天智・天武の母の母というわけで、系譜的には結構重要な壱にあると思うのですが、猿石の知名度には遠く及びませんね。

↓こんな可愛い看板が…

 

おまけ:隣にある立派な古墳が"欽明天皇陵"です。

もっとも、欽明天皇の墓はたぶんここじゃないです。時代が合わないので..。
(見瀬丸山古墳が有力ですね)
墳丘の形も幕末の修陵事業によって捏造したらしいです。やりそうですね。

 

鬼の雪隠・鬼の俎など

雪隠(せっちん)=トイレ、俎(まないた)ですね。


こちらが雪隠

こちらが俎

現地の説明板にあった復元図です。わかりやすいです。

おまけ:すこし行けば天武持統天皇陵に出ます。

ここはこの二人の墓と言うことで信用して良いです。
二人仲良く?眠っています。ダンナさんの方は…閉口していたりして(^^;

 

亀石

お弁当をすませて再出発。最初に出会うのが有名な亀石です。

若い頃は上に昇ったりしましたけどね..(^^;

笑い話なのですが、この時にここで自民党(当時)の大物政治家、亀井静香氏に遭遇しました。
よくできたシャレのようですが、実話です。
当の本人も横に並んで秘書?に写真を撮ってもらいながら、
「亀石と亀井静香」
と笑いながら言ってましたから(^^;(^^;

それからもう一つ、こんな写真もご覧ください。

ちょっと目には分かりませんが、これ、張り子です(^^)

あとでご紹介する、石舞台古墳の下の駐車場前(小学校の跡地)に置かれていたものです。
くわしいことは分かりませんが、何かのイベントで使われたもののようです。

 

飛鳥浄御原宮正殿跡

さて今回の主たる目的地は2つあります。石はあくまでオマケ。
この前月(2004年3月)、飛鳥で相次いで大きな発見がありました。
一つが、飛鳥浄御原宮の正殿と見られる建物跡が発掘されたというニュースです。

まあたぶん埋められているだろうとは思ったのですが、
新聞の切り抜きを片手に、そのあたりに行ってみました。

↑ご存じ「史跡・飛鳥板蓋宮跡」→


 ただし、ここは板蓋宮ではなく、浄御原宮跡だったろうと、かなり前から言われていました。

新聞記事にのっている地図と航空写真、
現場の写真を手がかりにだいぶウロウロしてましたが、
おそらくここだろう!という場所にたどりつきました。

左の写真(クリックで拡大します)カメラアングルが
朝日新聞(2004年3月9日付)の一面にのった写真と同じです。
この灰色の土がいかにも不自然で、急いで埋めたっぽいです。

記事によると、ここから大型建物跡・石敷き広場・三重塀・池などが出てきたとのことでした。

県立橿原考古学研究所のHPに
そのときの現地説明会の資料が掲載されています。
写真もあるので参照してください。
http://www.kashikoken.jp/from-site/2003/asuka1/asuka1.html
「写真3」が、朝日新聞の一面にあったものです。

 

石舞台古墳

足を延ばすことになりますが、石舞台古墳まで走りました。
石舞台までは上りなのでちょっと疲れました。

右上の写真ですが、桃の花だと思ってシャッターを切りました(違うかも)。
というのは、石舞台古墳は蘇我馬子の墓と推定されており、
『日本書紀』に蘇我馬子の墓を「桃原墓」と記しているからです。
たぶん、それを意識して植えているんじゃないかなーと。

巨大な石室に入ってみました。さすがの迫力です。
それにしても、なぜ小銭(写真中央)?

 

島庄遺跡と方形池の跡

今回の主目的の2つ目は、この石舞台のすぐ近くの島庄遺跡です。
この年の3月11日、
飛鳥時代の大型建物群が発見されたという発表があり、こちらも新聞で大きく扱われていました。

なにしろこの地(島庄遺跡)は、
蘇我馬子(嶋大臣)の屋敷であり、さらに草壁皇子の「嶋宮」でもあった場所です。


ですが、現地は完全に埋められていました(^^;
新聞の写真によれば、この(学校跡地)駐車場がズバリの場所なんですけど....。

発掘の概要は、明日香村の公式HPに記載がありますので、ご参照ください。
http://www.asukamura.jp/discovery_asuka/shima-18.html

 

これではあんまりなので、
「嶋」の名の由来とされる人工池の位置だけでも確認しようと、うろつきました。


←現地の案内板から→

現地の案内板の地図や写真をもとに歩いてみたのですが、
下の写真の箇所が「怪しい」と思います。
畑の角の具合が不自然ですし、航空写真とも合致します。


最後に飛鳥川

今回の行程はこれで終了です。

帰りは駅まで自転車を走らせただけですが、
途中で飛鳥川がキレイに見通せる場所があったので、写真におさめてみました。


場所はもはやうろ覚えなんですが、石舞台から川原寺へ降りるちょっと手前、南都銀行明日香支店の近くの川沿いだったかと。


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