古い話で恐縮ですが、2000年4月22〜23日、ニフティ古代史喫茶室のオフミで伊勢鈴鹿方面へ行きました。その時にとった写真などをご紹介します。
赤字の場所は、地図中に位置を入れました。
なお各スポットの解説は、おもに『ふるさとの文化遺産郷土資料事典24』(人文社)、『速報展・発掘された鈴鹿1999』(鈴鹿市博物館)によりました。
| 鈴鹿市考古博物館です。 国分寺跡の敷地に建てられています。写真は玄関前ですが、白く見えるのは柱跡の位置です。 内部の展示はこぢんまりとした感じですがよくできています。土器片などに触れるのもナイス。またビデオと屋上からの眺めは必見です。 |
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博物館の屋上から見た伊勢国分寺跡です。建物跡にそって菜の花が植えられています。素敵な眺めですが、他の季節はどうなるのでしょうか? |
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| 伊勢国分寺跡です。少し高くなっているのが上の写真から分かります。 |
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| 現在の伊勢国分寺です。屋根に文字がのこっています。 ただしこの寺は、明治20年に再建されたものです。 |
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延喜式内社、椿大神社です。全国の猿田彦大神の総本山で、伊勢一宮にあたります。 場所は、国分寺跡よりもかなり西の山の方へ登っていかなければなりません。 |
| 椿大神社敷地内にある、「土公神陵」と呼ばれる古墳(前方後円墳)で、「猿田彦の墓」ということだそうですが…。 | ![]() |
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| 別宮の椿岸神社です。祭られているのは猿田彦の妻、天之受女(アメノウズメ)命です。 アメノウズメは例の天の岩戸を開けさせた踊りの名手。それにあやかってか、多くの芸能分野の方の信仰を集めています。 右の写真にも、石倉三郎・加藤みどり(サザエさん)・山田スミ子・吉幾三・青芝フックなどの名前が見えます。 |
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| 左は、ヤマトタケルの墓という伝承を持つ白鳥塚古墳です。南北59m、東西78mの円形の古墳です。入り方が分からずにずいぶん迷いました。 右は、そのヤマトタケルを祭る加佐登(かさど)神社です。「加佐登」は「笠殿」で、タケルの笠=兜を祭っていたと言われています。 実は今回のルートには、もう一つ別の「ヤマトタケルの墓」があるのですが…。 |
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![]() 奥の林の中が右の2枚の写真です。 左手前の「空き地」も遺構です。 (多分、政庁南門跡) |
![]() 分かりにくいですが、少し高くなっているのが土壇部分です。 |
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| ここが、比較的最近発掘が進んだ長者屋敷遺跡です。 伊勢国府跡は、あとでご紹介する三宅神社付近(「国府」という地名がある)であるというのが定説でしたが、平成5年の調査で、近江国府政庁と同じ配置を持つ建物基壇が確認され、奈良時代後半頃の伊勢国府であることが確実視されています。 |
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![]() これ、池(古墳の壕?) の噴水です。 お茶目ですね。 |
| 能褒野御陵です。全長90mの前方後円墳で、宮内庁によってヤマトタケルの「御陵」と指定されています(よって近寄れない)。 付近は古墳群になっていて、16基の陪塚が確認されているとのことです。 神社の方(能褒野神社)は、タケルやオトナチバナを祭っています。ただし、こちらは明治17年に建てられたものです。 |
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三宅神社です。この地域には三宅神社は多いのですが、これは国府(こう)町にある三宅神社です。伊勢国の総社に比定されています。 この辺りが、従来、伊勢国府と考えられてきました。しかし、前述の長者屋敷遺跡の発掘結果から、こちらは平安時代以降移転してきた第二次国衙である可能性が指摘されています。 |