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ひさびさの更新となりましたが(一年ぶり)、今回も夏休みに私用で訪れた千葉市内のスポットです。
マリーンズファンの私は毎年夏休みには千葉に野球観戦に来るのですが(笑)、せっかくの18きっぷなので史跡を探して回っています。
さて、不勉強な私は、千葉の市街地には古代史のものはまずないだろうと思っていました。ここは古代には下総国の中心地域ではないからです。そもそも「千葉」という地名からして、御家人として有名な千葉氏から考えても、せいぜい平安中期くらいに生まれた地名だと思っていました。
ところがとんでもない失礼な話で、『和名抄』を見ると「千葉」は下総国の郡名・郷名という非常にメジャーな地名であり、さらに『万葉集』にも「千葉(野)」という地名は見えています(20-4387)。千葉の野の 児手柏の 含まれど あやにかなしみ 置きて高来ぬ
右の一首、千葉郡の大田部足人今回歩いたのは、寒川神社と千葉寺、それから荒久古墳です。
JR本千葉駅から南西に少し(かなり?)歩くと、寒川神社が見えてきます。予想していたよりずっと大きくて驚きました。
祭神は寒川比古命・寒川比売命・天照大神で、この地域の鎮守社として崇敬を受けていたとのことです。「寒川神社」は延喜式内社ですが、この寒川神社をそれに比定するのは異論があるようです。神社の名称もずっと「神明社」「結城明神」だったのが、明治元年に「寒川神社」に改称されたものです。
角川『日本地名大辞典』によれば、千葉県船橋市三山町にある二宮神社を式内社の寒川神社に当てる説が有力とのことです。しかし、「寒川」という地名がここにあるのをどう考えるのかが分かりません。それこそ『式内社の研究』でも確認しないと何とも言えませんが、一応ご紹介しておきます。ここからJRをまたいで千葉寺へ向かいます。
千葉寺は、和銅2年の創建と伝える古寺。おなじみの行基さんがこの地で丈六の十一面観音を刻み、それを聞いた聖武によって堂舎が建立されたとのことです。
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戦後の発掘調査で奈良時代の布目瓦が出土しており、まんざら伝説だけとも言えないようです。平安時代の経筒も見つかっているようです。
→実測図(JPEGで72K)へ
もっとも、境内の大イチョウ(鶴ヶ岡八幡宮のより大きいとか)も行基さんが「もたらしたもの」というのは、ちょっと無理があると思いますが..。最後に気になったのですが、千葉寺の近くに「葛城」という地名があります。奈良の葛城と関係があるのか、あるならどういう関係なのか、全然分かりません。ひきつづき調べてみます。
そういったことが調べられるかと思い、略図では近い千葉県中央博物館まで歩いてみたのですが、これが遠い遠い。何とかという総合公園の中(奥)にあって、なかなかたどり着かずに難儀しました。前夜(夜行列車)の疲れもあったでしょうが..。また、展示の中心は自然科学方面(地学とか)で、歴史についてはあまり詳しくはなかったのも残念でした。かと言って、埋蔵文化センターまで行く気力も時間もありませんでした。
一つ思わぬ収穫は、この公園の片隅に古墳が保存されていたことです。
古墳の名前は荒久(あらく)古墳。すでに原型をとどめておらず出土品も散逸してしまっているようですが、一辺約20mの方墳(横穴式石室)で、終末期(8世紀)のもののようです。→くわしい説明の画像(GIFで56K)へ ![]()
いやあ、しんどかった..。