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観光地として有名な明治村。明治の雰囲気にどっぷり浸れるこの名所に、実は古代史があるのをご存知ですか?
明治村は大きな人工池に面していますが、まず、この池の名前が「入鹿池」なのです。
この人工池ができたのは17世紀前半で、水不足解消が大きな目的だったようです(ため池としては日本第二位。ちなみに第一位は、空海さんの香川県の溝農地)。ただ、「入鹿村」という地名はやはりそれ以前からあったようです。果たして蘇我入鹿と関係があるのかどうか?
書紀安閑2年5月9日条に列挙されている屯倉の中に、「尾張国間敷屯倉・入鹿屯倉」という記述があります。この記事を信じれば、蘇我入鹿の生れるはるか前に「入鹿」という地名が尾張にあったことになります。
『國史大事典』は、間敷屯倉を尾張国中嶋郡三宅郷、入鹿屯倉を海部郡三宅郷に比定していました(根拠はよく分かりませんが)。岩波文庫の補注では、後者の候補として入鹿池にあった入鹿村をあげてています。
明治村へ行ってみると、聖ヨハネ教会堂の前に、入鹿池の看板がありました。そこにはちゃーんと、宣化紀の「入鹿屯倉」設置記事も紹介されていました。
また看板によると、池をつくる際に、村にあった寺院や神社は前原へ移転した、とのことです。どの寺社のことかは書かれていませんが、追跡調査ができれば、「入鹿屯倉」について何か分かるかもしれません。

もう一つ、右の地図を見てください。
明治村の一角、京都市電の終着近く、幸田露伴邸のすぐ近くに「入鹿村古墳」があります。立派な看板までありましたが、入鹿屯倉と関係する人物の墓だろうという程度の説明しかありません。
柵がないことを幸いに、草を分け入って斜面を上ってみました(^^; 全体の大きさからして恐らく後期古墳だろうと思い、「お約束」の盗掘穴を探したところ、やっぱりありました(穴は小さくて中は見えませんでしたが)。
しかし、明治村はじまって以来、あそこへ「潜入」した観光客は、もしかして私だけかも....。
まあ、そう大したものではないですが、古代史ファンの方が明治村を訪れ時には、一度お立ち寄りください。