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今回の夏休みの家族旅行は、立山黒部アルペンルートでした。お目当てはまずその涼しさ(^_^)、さらに多彩な交通手段や高山植物も楽しみでした。
さすがにここで古代史はなかろうと思っていたのですが、またもや、その予想は裏切られました。まず、これはまったくの私の無知なんですが、立山は万葉に歌われている山だったんです。
立山に 降り置ける雪を 常夏に 見れども飽かず 神からならし 17-4001
立山に 降り置ける雪の 常夏に 消ずて渡るは 神ながらとそ 17-4004
(塙書房『万葉集』訳文篇)
上の歌は、かの大伴家持の作です。そうです。彼は越中守としてこの地に赴任していましたから、『万葉集』に歌があるのも道理なわけです(しかし似すぎだぞこの2首)。
残念ながら、旅行当日はあいにくの雨。チャンスを見てはカメラを構えるのですが、立山連邦は完全に雲の中でした。立山を神として祭るのは雄山神社です。この神社は、雄山山頂と山麓の芦峅(あしくら)寺・岩峅(いわくら)寺の三つに祭られています。家族旅行なので残念ながらどこにも行けませんでしたが…。
さて、実はここにはもう一つ、古代史にからむ話題がありました。
アルペンルートの大きなターミナルは室堂です。バスターミナルがあり、大きなホテルがあって、周囲には高原散策路が広がっています。
その室堂ホテルの中、展望台への階段に、こんな像と案内がありました。
(案内は白黒で撮影)うーん、こんなの前(7年前)に来たときには気づかなかったなぁ....。
もっとも、こういう伝説はいかにも「ありがち」ですし、佐伯有若という名前も中世チックなので、正直あまり期待してはいませんでした。
ところが、調べてみると面白いことが分かりました。この「佐伯有若」が実在の人物らしいのです。
ただし、時代は下がります。『角川日本地名大辞典16富山県』によると、京都随心院伝来の延喜5年(905)7月付の「佐伯院附属状」に、「越中守従五位下佐伯宿禰有若」の署名があるのです。これはすごいことです。ただ、問題が二つあります。
一つは時代の違いです。確かに佐伯有若は実在ですが、大宝と延喜では200年違います。では立山開山は延喜年間のことで、それを大宝まで遡らせたのかというと、そうとも言えないようです。立山は、有若が越中守であった延喜年間よりはるか前から、諸国の修験者たちの修業の場となっていたからです(前掲書)。
もう一つは、有頼少年のことです。
上の案内板にあるのは、芦峅寺や岩峅寺に伝わる「立山縁起」ですが、ここでは主人公は有若の子の有頼です。が、これのもとになった『伊呂波字類抄』(「立山大菩薩」の項)では、主人公は有若自身になっています。このように、この伝説ができあがるまでには色々な要素がからみあっているようです。古い時代の開山伝説があり、それが実在の人物に仮託され、さらに少年を主人公とする物語に変わっていった、といったところでしょうか。
もし立山に行かれることがあれば、この像を探してみてください。