さる3月24日(日)に、奈良県御所(ごせ)市の巨勢山古墳群の巨勢山室古墓(9世紀初)と條ウル神古墳(6世紀後半)の現地説明会へ行ってきました。そのご紹介です。
当日は、御所駅(近鉄・JR)からチャーターバスが用意されていました。
今回はあえてJRを利用しました。和歌山線にのってみたかったからです。
高田駅からはワンマンカーとなりました。それにしても、桜井線からのこの駅名たち。古代史ファンにはお馴染みの地名のオンパレードです。
←クリックすると拡大 駅前で簡単な地図を受け取り、バスで説明会場へ。会場には遺物の展示テントとビデオ上映のテントがあり、その隣でリーフレットが配られ、全体の説明がありました。そのあとは現地に各自で移動することになります。
まず巨勢山室古墓です。これは11日に発表になったのですが、木棺を収めた木槨全体を木炭で包むようにして埋葬した「木炭木槨墓」が見つかりました。
古墓は、5世紀後半の前方後円墳471号墳を再利用し、前方部側面を削って墳丘を築造しています。
さらに、副葬品として石帯や金銅装短刀(長さ52.5cm)等々が見つかりました。石帯を「養老令」の規定で照合すると、被葬者は五位以上の高官と推定されるとのことです。また金銅装短刀は柄が蕨状になっており、このような刀は主に当時の東北地方から出土するとのことです。
柄の形が特徴→
これらのことから判断すると、被葬者は桓武天皇に使えた巨勢氏出身のかなり高位の人物で、自らの出自を明らかにするためにこの地の古墳を再利用したようだ、と市教委は説明しています。
![]() |
![]() |
現地で見た感想は、「ホントだ黒い!」という月並みなものでした(^^; それにしてもなぜ木炭なんだろう。高価なのは分かりますが....。
次に條ウル神古墳です。
こちらは新聞各紙で大きく取り上げられていました(3月15日朝刊)のでご存じかと思いますが、巨大な横穴式石室と家形石棺が発見されました。
横穴式石室は長さ7.1m+αで、これは同時期の古墳としては見瀬丸山(橿原市)の8.3m+α、石舞台(明日香村)の7.6mにつぐ最大級のものです。また、石棺は全長270cmで、国内最大の見瀬丸山の275cmに匹敵します。
さらに家形石棺は蓋の「縄掛突起」が8つ(1+3+1+3)あるという、他にほとんど例のないものです(ふつうは1+2+1+2で6つ)。※右図は現地説明会の資料より
これらのことは、実は大正期に当時の奈良県技手西崎辰之助さんによって報告されていました。しかし、その巨大さと特異さゆえに信用されなかったのが、今回の調査でようやく証明されたとのことです。
うーん、ヒドい話だ(-_-;條ウル神古墳遠景
残念ながら、現地でも石室内に入ることはできませんでした。というより、調査そのものが石室上部にある盗掘孔からにじり降りて行われたので、石舞台のようにオープンになっていないのです。見学者は、その盗掘孔から中をのぞき込んだだけなのですが、それでも石室や石棺の大きさをうかがうことはできましたし、石棺の蓋の縄掛突起が側面に3つあるのは確認できました。
↑拡大!(^_^)
さらに拡大した写真(デジカメの自動色補正がはたらきました) ○のところに突起が見えます→
当日は見学者が列をなしている状態で、石室の前には4人ずつ並んで、数十秒(もなかったかな?)で交代というあわただしいものでした(だって係員の人が横で時計で時間計っているんだから(;_;))。
リーフレットによると、ここは現地説明会後すぐに埋め戻してしまうようです。そんな気がしたので無理して説明会に参加したのですが、残念なことです。なんとか一般公開できないものでしょうか。
なお、被葬者には色々な説がすでに出ていますが、説明会では巨勢氏の盟主(許勢稲持・比良夫)を比定されていました。その一つの状況証拠は、條ウル神古墳の近くの条池南古墳の石棺から見つかった「作りつけの石枕」です。これと同様のものが巨勢谷から見つかっており、この地が巨勢氏と深い関係にあったことが窺える、とのことでした。
條ウル神古墳・条池南古墳付近の地図 ○が石枕 条池南古墳はこの写真の奥になります(^^;
当日はひさしぶりに寒い日で、移動の途中では無料のお茶サービスなどもあって助かりました。そこでは「おづぬ餅」なる和菓子(小角の修業に因んで松の実がトッピングされている)が売られていて、思わず買ってほおばりながら歩いていました。いやあ、さすがは葛城。
なかなか美味しかったですよ ナゾ?の首なし大仏 まったくの余談ですが、右上のアヤシイ写真は、巨勢山室古墓近くで見つけたものです。ここは動物やマンガキャラの大型人形のようなものを作っている工場のようで(写真にもキリンが見えます)、そこになぜか大仏がそれも首のないまま放置されていました。ちょっと面白かったので撮ってしまいました。奈良の大仏は戦国時代に首だけが焼き落ちたのですが(そのため現在の大仏は首の部分は江戸時代の修復)、その時の姿が思い浮かぶようでした。
すでに桜も花開き、遠くに金剛・葛城の山々や二上山がきれいでした。