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NHKスペシャル
法隆寺再建の謎
NHK公式サイトより番組要旨 |
飛鳥時代に聖徳太子が創建した法隆寺。現存する世界最古の木造建築であり、比類のない寺宝を持つ。昨年、その中心となる伽藍・金堂で大規模な修復工事が行われた。それに伴い金堂内の仏像群を堂外に移動することとなり、普段は間近に見ることのできない国宝の仏像を詳細に撮影できる希有な機会が訪れた。また建物の科学調査が進められ、この調査に密着取材することができた。法隆寺は一度火災に遭い、現在の伽藍はその後再建されたものだとされてきた。ところが今回、金堂に使われている木材の年輪を調査したところ、そうした常識を覆す結果が出た。そこから浮かび上がってきたのは、国難に直面した人々が聖徳太子の権威を借りて国をひとつにまとめていこうとする物語だった。番組では最新の研究を基に、金堂の建設当初の姿を今に蘇らせ、そこに秘められた聖徳太子を巡る知られざる物語を明らかにしていく。 |
このサイトの久々の更新が、NHKの番組への不満になってしまうところに、かなり不幸なものを感じます…。
ずっと以前(ほぼ2年前)に、NHKスペシャル「大化改新 隠された真相」について、かなり詳細に批判させていただきました。あの時ほどの「怒り」ではありませんが…。
はじめに
批判ばかりというのもどうかと思うので、最初に良かったところを。
昨年に行われた、金堂(須弥壇)の老朽化にともなう金堂の修復が今回の「発見」のスタートですが、その現場にカメラを入れ、詳細に見せてもらえたこと自体がまず有り難いことです。釈迦三尊を運ぶ映像もユニークですし、その重量が(後背などを外しても)200キロもあるというのも驚きました。仏像の映像もクリアでした(番組中でも語っていたように、金堂内部は薄暗くてとても見にくいので)。このあたり、NHKならではといった感じです。
豪華なCGも相変わらずです。金色の状態のままの釈迦三尊像や救済観音像、彩色の玉虫厨子、それらを納める創建当初の金堂など、見応えがありました(現在の金堂には、2層と1層の屋根の間に補強目的の竜を刻んだ柱がつけられていますが、これは近世に付けられたものです。復元映画像ではちゃんと取り外されていました)。
個人的には、「年輪年代測定法」を映像でやってくれたのが、仕事(高校で日本史教えてます)の上ではとても有り難かったです。あれは説明が難しいので…。
ということで、以下にざっと問題点を指摘しておきます。
何しろアバンタイトルで「常識を覆す調査結果」と断言しているわけですから、こちらの期待も高まるところです。
では、いったいこの番組は何を言いたかったのでしょうか。結論はこうです。白村江の敗戦で豪族の離反の危機に立った天智天皇が、聖徳太子の仏教的権威で国をまとめようと、現在の法隆寺金堂を建設した。…最終結論(Z)
これだけ読むと、「まあ、そういうこともあったかもしれないな」というのが、私の感想です。前回(「大化改新 隠された真相」)の時ほどの違和感があるわけではありません。
では、どこに抵抗感があるかというと、まずその結論が出てくる論拠というか、論証のプロセスに無理があることが一つ。もう一つは、番組全体の構成の「つまらなさ」です。そこで、まず論証についてです。
上の最終結論がどのような論拠によって導かれているか。番組をご覧になった方は思い出していただきたいのですが、おおよそ次のような流れかと思います。論拠a 法隆寺金堂には火災(670年)以前の仏像が焼損もせずに現存している。
→火災前に別の場所に移されていた。…推論A論拠b 法隆寺金堂天井の木材の中に火災前(668年)伐採のものがあった。
→現在の金堂は火災前に建てられていた。…推論B推論A・Bより→現在の金堂はもとの法隆寺の焼失前(天智朝)に釈迦三尊像などを納めるために作られた…推論X
論拠c 金堂釈迦三尊像は聖徳太子の死後にその身の丈を写して作られたと像銘にある。
論拠d 夢殿救済観音像は、聖徳太子の生前にその姿を写して作ったと平安時代の史料にある。
論拠e 釈迦三尊像の左隣の阿弥陀如来像は鎌倉時代のものだが、台座は飛鳥時代のものであり、上面の漆塗りの余白の形と大きさは、夢殿救済観音像の台座とほぼ一致する。→救済観音像はもとは釈迦三尊像と並んで金堂内に安置されていた。…推論E
論拠c・dと推論Eより→現在の法隆寺金堂は、聖徳太子を讃え、太子を通じて仏教を広めるための建物だった…推論Y
論拠f 法隆寺を創建した聖徳太子の一族は643年に滅亡しているのに、法隆寺は再建されている。
論拠g 天智朝は、白村江の敗戦で、豪族の離反など危機的状況にあった。
推論X・Yと論拠f・gより→白村江の敗戦で豪族の離反の危機に立った天智天皇が、聖徳太子の仏教的権威で国をまとめようと、現在の法隆寺金堂を建設した。…最終結論Z
おおよそ、このような論証がなされているものと考えられます。かなりややこしい…。
では、私が違和感を感じるのはどこあたりか、書いてみます。
- 論拠bの木材のことですが、金堂の材木に670年以前のものがあるというのは、今回(去年)はじめて確認されたことではありません(もちろん近年のことではありますが)。ほぼ同じ時期の木材が数年前すでに確認されていますが、番組がそのことに触れずに、あたかも「今回の調査で分かった新事実」のように扱うのはフェアではありません。
あるいは、天井の部材であることに意味があるのかもしれませんが、それならそのように扱うべきです。- 論拠eの救済観音像が聖徳太子を模したというくだりですが、平安時代の史料にしかない「言い伝え」を大きな論拠にするのはどんなもんでしょうか。台座の余白についても、あり得なくはないですが「可能性が高い」とも言えないでしょう。また、聖徳太子を象徴している(として、ですが)像が2つ並ぶというのは却って変ではないでしょうか。どっちが本尊なんですか?
- また、阿弥陀如来像は確かに鎌倉時代のものですが、その光背銘に、もとの像は平安中期に盗難にあっていることが記されています。でも、そのことは完全無視なんですね。
- 推論Xのように釈迦三尊が新しい金堂に移されたのならば、古い方の法隆寺は本尊を失ったのでしょうか。また、せっかく金堂に集めたのに、なぜ救世観音像は夢殿へ移されてしまったのでしょうか。こういった都合の悪いことは説明がありません。
- 結論ですが、天智が仏教を利用して国をまとめようとするなら、なぜ斑鳩なのでしょうか。667年には近江大津宮に遷都しているのは矛盾していませんか。
まあ、こんなところでしょうか。
量的にも質的にも、決定的な誤りなどはありません。だから、「まあ、そういうこともあったかもしれないな」ということなんですが、逆に言えば「常識を覆す」というほどの目新しさや信憑性も特段ありません。全体としては、ちょっと面白いけど、論拠も論証も弱いなあ、という感じです。
番組の側でも、その弱さを自覚しているから、あるいは放送時間が余ってしまうからか、さまざまな解説や映像を加えています。それがまた私にとっては不満でした。それが、さきに、番組全体の構成の「つまらなさ」と書いたことなんですが、これは次に述べます。
気になったのは、全体に漂う「イメージ戦略」です。
法隆寺や仏像の映像と解説がふんだんに出てきますが(それはそれとして貴重ですが)、それらの大半が、論証している本論とはズレています。多分意図的に。
例えば、金堂釈迦三尊像に対して、それこそ表情から指先まで実に詳細な説明がなされていますが、それらは当時の仏像の一般的な特徴(例えばアルカイックスマイルとか手の指の間の水かきとか)であり、聖徳太子とは関係ありません。が、そのことを言わないのと、番組全体の流れで、それがあたかも太子の思想を示しているかのようにこちらが感じてしまうように仕組まれています。
そもそも、釈迦三尊像の銘文には「尺寸王身」とあるだけです(しかも構成の偽作説あり)。偽作でないとしても、それは「聖徳太子の身の丈を写して釈迦の像を造った」だけです。番組でも最初はそう言っています。ところが、すぐ後でこれを「(太子の)姿をあえて等身の釈迦像としてとめおいたのです」と言い換えてしまいます。これは意図的な改変です。捏造と言ってもいい。「身の丈」がいつのまにか「姿」に変わってしまっているのですから。そして、これがさらに「太子の姿を写した」という断定に変わり、それが所与の前提であるかのように、番組は進行していきます。この強引な流れをごまかしているのが、仏像の神々しい映像とバックに流れる荘重な音楽です。有無を言わせないというか、反論を思いつきにくい雰囲気、まさに「イメージ戦略」なのです。
今回は、こういう内容の映像や説明が多くて、首をかしげてばかりでした。
- 太子の生涯や「菩薩」の解説などにかなりの時間と映像が割かれていますが、これらは聖徳太子や仏教のイメージを強めているだけで、実は本論(例えば天智天皇)とは直接関係がありません。
- 法隆寺のド派手な火災訓練の映像を使っていますが、あれは戦後すぐに金堂壁画が焼失した火災を教訓として行われているもののはずです(以前にそういう番組をNHKで見た)。なのに、それを670年の火災の説明にかぶせて使うのは、事実に反するとまでは言いませんが、不正確なイメージ操作です。
- 金堂の四天王像はいつから金堂に置かれていたのかは不明のはずです。番組では、当然のように最初からあったものとして展開しています。
- 広目天について、「訪れる人を監視しているかのよう」と印象だけで述べていて、イメージばかりで話を組み立てています。広目天像がこういう形で作られるのは法隆寺だけではありません。同様に、邪鬼や菩薩、蓮の葉などなども、別に法隆寺だけの話ではなく、同じ時代に共通した様式です。
- 番組の終盤は、太子信仰について延々と時間を費やしています。時代も合わないし、天智の意図とも違うし、全く本論と関係ないです。
前回(「大化改新 隠された真相」)の時と、タイトルは同じです。思えば、前回批判した白村江の戦いの巨大戦艦のCGもそのまま引用されていました。『多武峰縁起絵巻』にある、入鹿暗殺の場面もまた使われていました。それが、何かの象徴のようでもあります。
最初に申し上げたように、この番組の結論そのものは、「まあ、そういうこともあったかもしれないな」と思います。でも、あげられている論拠や論証いずれも弱く、言い回しや雰囲気(イメージ)で大仰な番組になっているだけのような気がします。
もっと論点を絞って、短い時間の番組にすれば良かったのではないかと思います。
それでは採算が会わないのでしょうか…。結論は前回と同じです。
広告収入と関係のないNHKは、視聴率と関係なく番組を作ることができます。それが、公共放送の長所です。いたずらにセンセーショナルな番組を作るのではなく、丁寧でバランスの取れた、落ち着いた番組を作って頂きたいものです。