総合TOP古代史雑談「時には古代の話を」考察の部屋>ドラマ「聖徳太子」について


※あえて色は変えました

 さる11月10日、NHK大阪新放送会館完成記念番組として、前後合計3時間におよぶ歴史ドラマ「聖徳太子」が放映されました。
 大河ドラマはなかなか古代にまで遡らず、かといって制作費用からして民放にこのテのドラマを期待するのは酷ということで、古代史ファンとしては心待ちにしていた企画と言えるでしょう。
 作品としての出来映えもなかなかのものでした。

 このコーナーでは、私スズメ♂になりに気づいたこと、気になったことを書いてみたいと思います。

《第一部》

◆音楽は冨田勲

 現役だったんですね〜(^^; テロップが出る前からそれとわかる音楽でした。重厚です。新日本紀行みたい..。

◆スタッフ

 作・池端俊策、演出・佐藤幹夫。この組み合わせは、例えば大河『太平記』の時だそうです。太平記は好きでした。
 時代考証・門脇禎二、風俗考証・猪熊兼勝、建築考証・鈴木嘉吉、総合芸術文化監修・野村万之丞。すごい顔ぶれですね。
 例えば、即位儀礼のようす、二人称を「いまし(汝)」と言わせていること、衣装、巫女の様子などなど、あれで本当に合っているのかどうかは私には分かりませんが、このメンバーなら信用するしかない(?)かも。少なくとも、それっぽい雰囲気を出そうとしているのは分かります。

◆うまやと

 「厩戸」は一貫して「うまやと」でした。調べてみると、辞典類では「と」説「ど」説どちらもあるようです。金石文に「刀」としているものがあるようで、「と」が有利?

◆言葉のこと

 朝鮮語がバンバン出ていました。古代語が分かるのかとか、百済と新羅は違うはずだとか、うるさく言い出せばキリがないのですが、それは日本語も同じ。ドラマ的にはあれでいいでしょう。
 それはそれとして、古代風に聞かせるにはセリフはどうすればいいのでしょう?私が思うに、漢文訓読調がいいのではないか、と。

◆子役のこと

 聖徳太子役は浅利陽介クン。大河の時宗、朝ドラ「あすか」にも出てました。私が気になったのは刀自古の子役。ワンシーンだけなんですが、やたら可愛くてびっくり。

◆馬子のこと

 さすが緒形拳。深みのある演技で魅せてくれました。物部との戦では判断も甘く、反撃にあって腰を抜かすようなキャラだったのが、どんどん図太くなっていきます。
 彼は(崇仏派でありながら)仏教を初めから信じ切っていなかった、というのを、うまく表現していました。
 ところで、馬子は劇中「大臣」と呼ばれているのですが、イントネーションが下りで短いので、「近江」に聞こえて困りました。

◆聖徳太子の「力」

 彼のスーパーマンぶりをどう表現するかに注目していましたが、暗記力や集中力、聴覚が人並み外れていること、予知夢を見ることにとどめていました。太子を「人間」として描くとすれば、ここがギリギリのラインでしょうね。
 疱瘡の重病人に衣をかぶせてやる場面がありましたが、あれは例の「片岡山の仙人」の説話をふまえているのでしょうか。また、物部の伏兵に気づいたあの馬は、やはり伝説の黒駒クンでしょうか。

◆オリジナルキャラ・伊真

 これはまずまず成功ではないでしょうか。俳優さんもいい味を出していましたし..。物部守屋を射落とす役を彼に回したのも、ドラマとしてはOK。ただ、それならば迹見赤檮の名前はまったく出さない方がよかったのではないか、とは思います。
 日本語が上手くないのもかえって効果的でしたが、(これは第二部ですが)いまわのきわの言葉だけは、朝鮮語でいったほうがよかったかも。

◆その他

 用明天皇が没する場面。厩戸クンがかけつけるのですが、その姿はしっかり「孝子像」してました。うーん、細かい技だ(^_^)
 物部軍の「旗印」的な存在と思われる童が手にしていたのは、石上神宮にあるのと似た「七枝刀」でしたね。

 不満は少ないのですが、いくつか。
 推古の存在感がいまイチ出ていません。例えば、せっかくあそこで竹田皇子が死ぬ設定にしたのなら、そこで嘆く推古の絵がほしかったです。後半でも、推古がうまく活躍できていない気がしました。
 隋の科挙制度をものすごく高く評価していましたが、実際には隋も唐も貴族制が強く、農民から有能な人材をバンバン登用したというわけではないし、それを「天寿国」と呼ぶのはちょっと無茶かと思います。まあ、日本や新羅がそういうふうに「誤解」した可能性はあるかも知れませんが..。

《第二部》

◆新羅遠征について

 ドラマは、聖徳太子=平和主義者で一貫しています。そうすると、特に推古朝初期の新羅遠征が「矛盾」してくるのですが、ああいう風に解釈するとうまくいきますね。
 ホントのところはどうでしょうね。弟を将軍にしたのが、太子が新羅出兵に協力的だったことの証拠、というのが通説ですが..。

◆瓦屋根・朱塗りの柱の馬子の館

 いくら大臣の家が立派でも、あれは違うのでは?門は瓦葺きに朱塗りで、ほとんど後の都の建物のようでした。

◆馬子の異常な食欲

 見事に不気味な絵と演技ですが、これは何の暗示でしょう。馬子の精神が異常をきたし始めているのでしょうか。それとも、果てしない権力欲を表しているのでしょうか。
 それにしても、なぜエビ?(^^;

◆摂政

 「皇太子」もそうなのですが、聖徳太子の時代にこれらが政治的地位として存在したのかは疑問とされています。また、推古天皇がほとんど出てこないのもどうかと思います。
 ドラマでは、わかりやすさを重視しているのでしょうか。昔の教科書のような感じがしました。

◆群臣との「議論」

 小野妹子は小野氏でかつての名族丸邇氏の系統です。確かに中央大豪族には適いませんが、あそこまで庶民呼ばわりされなくてよいのでは?
 今田クンは、四天王寺でコケる場面のための起用だったりして..。
 官位の導入についての豪族たちの反発のようすはうまく表せていますが、説明がちょっと抽象的。何より、蘇我馬子は実際には官位(冠位)から外れるわけですが、そこら辺りの事情が描けていないのが残念。

◆十七条憲法

 最初に条数を決めたという描き方でした。それはいいのですが、それならなぜ17なのかを言ってほしかったです。
 一般に、奇数の最大9と偶数の最大8を加えたもので、陰陽思想の反映であるとされています(また、後世の法典などに51カ条のものがあるのは、この17の3倍です)。それでいいのかな?
 太子の周囲の連中が憲法を一緒に考えたという場面。来目皇子案は実際の憲法の第3条、妹子案は第17条の冒頭そのままです。チラっと画面に映った木簡に書かれていた「承詔必謹」「夫事不可独断」は、書紀にある通りの文言で、細かいところをきちんと作っているのが分かります。
 しかしドラマでは、太子は来目案を「七つめか八つめだな」と言っていました。なぜあえて番号を変えたのか、すごく気になります。

◆来目の死

 ここの設定はなかなか斬新で驚きました。
 ただ、私は見ながら別の死因を予想していました。それは、いよいよ追い詰められた来目が現地で自殺するのではないか、そうすれば、司令官の死による穢(けが)れから出陣が遅れるか中止されると考えたことにする、という予測です。
 次の将軍になった当摩皇子は妻の病死で派遣が中止になるのですが、私の予測から類推すると、当摩が妻を殺して..というより深刻な悲劇が作れます。
 ドラマ的には、あのようにして馬子との決定的な対立へつなげたわけで、うまく組み立てていた、というべきでしょう。

◆クライマックス

 あの仏像の使い方、見事な演出でした。でも、力が足りないぞ>厩戸クン。
 「さあ殺せ!!!!」と迫って、その迫力に相手が呑まれてしまう、という図が多用されていますが、これは意図的なものでしょう。同じパターンをあえて使って、シンメトリーな効果を狙っているのだと好意的に解釈しています。
 緒形馬子、最後はほとんどセリフなし。ただ表情と全身の動きで表現していました。その演技力は流石ですね。

◆「和をもって貴しとなせ」

 今回は単発のドラマということで、全体をこの一言でまとめています。
 こういう風に作ると、どうしても無理が生じます。しかし、それは形態上やむをえないでしょう。変に総花的にやってテーマが拡散するよりマシかもしれません(そういう作品が少なくない)

 「憲法」「戦はしない」というテーマは、現在の憲法の平和主義(9条)を連想させます。またおそらく、それは意図的にそう作ったのだと思います。
 これについては否定的な方もおられると思いますが、個人的には、時節柄、心に残るものがありました。

 なお、「以和為貴」の「和」については、2004.01.18.「今週の"ことの葉"」で取り上げ、私なりの解釈を加えてみました。そちらの方もご覧頂けたらと思います。

《おわりに》

 全体として見ると、主役のモッくんをはじめ、キャスト・スタッフについては、文句なしの高い水準と言えるのではないでしょうか。
 不満な点はないわけではありませんが、それらはたいてい、時間不足のために「描き切れていない」「もったいない」というものです。
 また、せっかく組み立てた時代考証、特殊な衣装、セットなども、これきりで終わらせてしまうのはあまりにも惜しいと思います。

 NHKには、ぜひ続編、いや長編化してほしいです。大河ドラマが理想ですが、無理なら(1年はキツい気もする)、むかし「真田太平記」や「武蔵坊弁慶」をやっていたようなワクを作れないものでしょうか。ダメなら、1時間ものをワンクール(12回くらい)でもいいです。月1回1年間、ダメならドラマDモードでも、金曜時代劇でもいいです。ぜひぜひお願いします<(_ _)>

※この文章は、ニフティ歴史フォーラム日本史館3番会議室にupしたものを、
多少手直ししたものです。(FREKIJ-MES(3)-#09061,#09065)


もどる