家族旅行で渥美半島に行った際、ちょっと寄り道してた、渥美半島の古代史スポットをご紹介します。
といっても、今回の旅行自体がかなりの強行軍でしたので、回れなかったところが多くて残念でした。
まず、豊橋市に隣接している田原町から。
ここは、江戸後期の蛮社の獄の犠牲となった渡邊崋山で有名なところですが(私はみなもと太郎さんの『風雲児たち』ファン)、古代史関係の史跡もあります。
まず、豊橋鉄道渥美線の終点、三河田原駅からすぐの城宝寺古墳[図A]。
6世紀末のもので、石室は渥美郡では最大とのこと。城宝寺は崋山の墓所ですが、古墳はちょっと探しにくい、目立たない位置にありました。
霊巌寺近くの神明社古墳もかなり立派なようですが、バスの時間の関係で回れませんでした。他にも、山崎遺跡・向山古墳群・式内阿志神社[図B]など、時間と交通手段があれば行きたいところ多数です。
ついでに、三河田原の前の駅は神戸(かんべ)。神戸とくれば伊賀神戸を思い出しますが、ここもやはり伊勢神宮の領地だったようです。伊勢湾は、高速船で30分。古代から伊勢と渥美は近かったようです。
ここではレンタサイクルを借りました。それはいいのですが、岬近くの道が想像以上の長い急な坂で、苦労しました。レンタサイクルで行かれる方は、岬周辺は避けた方が無難でしょう。
まず、岬1号遺跡[図C]。ここは、古代の製塩遺跡です。
この地域は塩の産地だったようで、平城宮の木簡にも、
参河国渥美郡大壁郷海部□首万呂調塩一斗
参河国渥美郡大壁郷松間里丈部煮得調塩一斗天平八年七
などと見えます(データは奈文研の木簡データベースより)。
この岬1号遺跡には、製塩のマウンドが保存されています。と言われても、どーもイメージは簡単には浮かばないのですが…。
ここの製塩土器は、伊良湖岬のやしの実博物館で見ることができます。
なお、ここの博物館には、町内の東大寺瓦窯跡[図D]から発掘された東大寺の瓦(平安末の再建の時のもの)をはじめ、この地域の歴史に関する展示が数多くあります。やしの実だけではないので、要チェックです。
さて、岬の先端部には、「万葉の歌碑」[図E]があります。
ここに刻まれているのは、天武朝に伊良湖に流された麻続(おみ)王の歌、
うつせみの 命を惜しみ 波に濡れ 伊良虞の島の 玉藻刈り食む 1-24
(塙書房『萬葉集・訳文編』)
です。でも、万葉仮名じゃなくて平仮名だったのが残念..(;_;)
さて、実はこの歌は返歌です。万葉の詞書によると、「麻続王、伊勢国の伊良虞の島に流さるる時に、人の哀傷して作る歌」、
打麻(うつそ)を 麻続王 海人なれや 伊良虞の島の 玉藻刈ります 1-23
に対して、「麻続王、これを聞き感傷して和(コタ)ふる歌」なのです。
この1-25の歌は、皇族の名前が(2人称として)詠み込まれている、私の知っている唯一の例です。
学生時代、古代の人たちが互いにどう呼び合っていたかにこだわっていたので、この歌は貴重な資料でした。その思い出があって、ぜひ行ってみたかったんです。
このあと、伊良湖神社[図F]に行きたかったのですが、手元の地図がイマイチなのと時間がないのとで、途中であきらめました。
渥美半島は広かった、です。