愛を語る




愛とはなにか?一緒に考えて見ましょう
私たちにとって難しい永遠のテーマかも知れません。

テレビを賑わす歌手の歌のテーマには愛のさまざまな模様が描かがれています。
映画やドラマでも、アクション、サスペンスなどに並び恋愛物が主流です。

人は誰しも誰かに愛されることを求めているのです。

愛を辞典で開くと かわいがり、いつくしむ心。異性を恋慕うこころ。大切に思う気持ち
と書かれています。

独身の方が愛と聞いてまず第一に思い浮かぶのが、恋人たちの恋愛だと思います。
お互いをいなくてはならないものとして、求め合い相手に気に入られようと、良い服を着て
プレゼントをまめに贈り、クリスマスはキャンドルの火を見ながらレストランでディナー、
電話やメールは欠かせない・・・・
でも、誰もが経験したようにその愛が壊れることもしばしばです。

次に思い浮かぶのは夫婦の愛でしょう。
理想としては、硬い絆で結ばれ、互いをいつくしみ、たまに喧嘩はしても、健康に暮らし、
子供を立派に育て上げて、白髪になるまでともに暮らす・・・・
でも現実は、離婚するカップルの多いことに驚きます。

友達との友情、これも愛の一つといえるでしょう。
恋人もしくは妻がいて、親がいたとしても、まったく友達のいないのは、
なんて寂しいことでしょうか。
たまに、一緒に会って心を割って、うそ偽り無く語り合う、
たとえ何年も会わなくても、会った時は、昔のまま接してくれる友達は、なんとありがたく
貴重な存在でしょう。
しかし、友達の中にはお金や、利潤が絡んで仲たがいする友達もあります。

一番堅い愛は、親が子を思う愛ではないでしょうか。
たとえ子供をりっばに育て上げたとしても、その親は見返りを求めるでしょうか。
子供を自分以上に大切にし、ちょっとでも病気になれは゛病院に連れて行き、直るまで看護し、
子供が五十歳になってたとしても、自分の子供は、いつまでたっても子供でかわいいものだそうです。

「お前を大学まで行かせて、有名会社にこねで行かせてやったからその分一千万円くれ
お前を育てるのに本当は二千万円かかっているのだから安いものだ」と言う親はあまり
聞きません。
一方で、わが子にタバコの火を押しつける、ご飯を食べさせないなど、信じられない
幼児虐待のニュースに驚きます。

これらの例を見ると愛は不完全なものであって、貴方が愛してくれるなら私も愛すると
言ったような条件付きの愛が多いように思われるのです。
親の愛でさえ、時には自分中心の愛になってしまいます。

では、私たちはいつまでも愛されることを期待しすぎては、いけないと言うことなのでしょうか?

しかしここに完璧な、大きな愛があります。
それが神様の愛です。
神様から人に見返りを一切求めないで一方的に注がれた愛があります。

神さまの愛を一身に受けて造られた、初めの人間であるアダムとその妻エバが、エデンの園という
ユートピアにすんでいましたが、彼らは神様の言いつけを破り、罪を犯してしまいました。
その為、それまでにあった神様との完全な愛の関係がくずれてしまい、ついにはエデンの園を追放され、
それ以来、私たちは生まれながらに罪を受け継ぎました。
罪があるままでは、どんなに修行や努力しても天国にいけない者となってしまいました。

そこで神様は自分の子であるイエスをこの世界に送り、私たちの罪の身代わりとなって
人々の罪を清算するために十字架に掛かり死んでくださったからです。
私たちは、そのことを信じるだけで、天国へいけるようにして下さったのです。
友達のため命を捨てる、これほどの愛はあるでしょうか。

神様がこのような犠牲を払われたほどに私たちは、愛されています。
誰からも愛されて無いように見えても、また一人ぼっちのように思えても
貴方は神様に愛されています。
神様の愛を知らないで、本当に人を愛することは出来ません。
なぜなら神は愛だからです。

神様の愛を知ると、神様の愛が私たちの心に流れてきて、私たちも人を愛することが
出来るようになります。

聖書による愛とはこのように書かれています。

愛は、寛容(心がひろくてよく人を許し受け入れる。人の過ちをとがめだてせず許す)です。
愛は親切です。愛は人をねたみません。
愛は自慢せず、高慢になりません。
愛は礼儀に反することをしません。
自分の利益を求めません。愛は怒りません。
愛は人のした悪を思わない。
正しくないことをを喜ばす。真理を喜びます。
すべてを我慢し、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐えしのびます。
愛は決して耐えることがありません。

貴方も神様の愛を知って安らぎの日々をすごしましょう。

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