| 2008年4月11日、ファンダイビング1本目のエキジット間際に減圧症に罹患しました。激しい呼吸困難を伴うU型呼吸循環器系(チョークス)です。肺水腫と心不全を起こしていました。その時の体験記を下にまとめました。発症時の様子、病院での診察、そして治療、退院してからの体調などを自分自身の記録として、また他のダイビングを楽しむ人の参考にして頂けたら、と思います。 |
[4月11日(Fri)]
今年初のダイビング。しかも初めて自分の器材!この日は北谷砂辺を潜る予定。海はかなり荒れているようでサーファーがいっぱい。大丈夫かしら?誰もダイバーがいないけど?でも何とか潜れるようです。去年と同じダイブショップのガイドさんと一緒に器材をセッティングし、波がマシになったところでエントリー。
カレントがあるので浅瀬はチェーンをつかんで進んでいきます。ポイントは「砂辺No.1」。海の透明度は非常に悪い。まず水深20Mの砂場へ。しかしハゼ達は今日は全然出てきてくれません。引返し深度を上げて壁づたいに移動。上がってお花畑に。やっぱりここはキレイ。私たちはドロップオフの下まで進み、大きなブダイがいたり、小ぶりだけどツバメウオがいたりと、シャッターを押す。
さてそろそろ浮上する時間です。安全停止も大丈夫だったので浮上サイン。ガイドさんに続いてゆっくりドロップオフを上がります。
上の浅瀬に上がると、めーーーっちゃ荒れてます!!!チェーン離したら一瞬にして流されそう。しかもそこは水路でカレントが出来ていて、引き潮のすごいこと。揉みくちゃにされながらチェーンを掴んで耐え、波が収まったスキに前に進むカンジ。そしたら・・・・なんかちょっと息苦しい感じが。え、まさかエア切れ?残圧を見るとまだまだ大丈夫。あれ、持病の喘息?おかしいなぁ、こんな急に出ることって無いのに、しかも発作なんて20年以上出てないよ、、、、って深呼吸。しかし、なんかどんどん苦しくなってくる。
しかも気管に痰なのか水なのか何か液体みたいなものが一杯に貯まってる感じ。咳してその痰を出しては飲み込んで、を繰返してもまたすぐにその液体が気管から湧き出してくる。えええ!!!???
一体どうしたんやろ??しかもその液体が増えてくるにしたがって、ほんとに苦しい!喘息の発作??でもこんな大量の痰みたいなのが湧き出してくるってあり得ないよ、何なん、この喘息、苦しい!!早く、早く、上がりたい!!!。海が荒れてるからなかなか岸へ辿りつけなくて、まだ〜〜?まだ?早く早くぅ〜〜、くるしい!!やっと人の脚が見えたところでエキジット。
上がってレギュレータをようやく口から外し大きく呼吸してみるけど、やっぱり苦しくて息吸っても入ってこないカンジ。喘息?と思ってたけど、その痰みたいなのを吐くと、なんと、オレンジ色!!しかも泡状!!あり得ない。「なんか体が変、すごい胸が苦しい・・」って言いつつも、「大丈夫です。とりあえず上まで行きます」って気丈にタンクかついだまま階段を上がりました。ダンナが後ろからタンクを支えてくれてました。子供の頃に喘息の重積発作を体験しているある私はあの時の苦しさに比べたらまだマシだし、薬持ってきてるから大丈夫って思える余裕がありました。
階段上がるとほんとに苦しくて、思わず座り込んでしまいました。でも、しかもそのオレンジの泡がひっきりなしに気管に沸いてきます。肺がゴボゴボ音たててる。何度も何度も咳きしてそれを吐くけど、次々と沸いてくる!。さすがに私も怖くなって、なんだろう??喘息じゃないってことに気づく。
BCを下ろして近くの休憩室へ行くけど、あ---、苦しい、その泡を(その頃には液体のようになってました)を吐くと少し息ができるが溜まってくると息ができない。これ何なんだろう、吐いたものを触ってみると、水っぽくてサラサラしてるが少しだけネバってる。でも痰ってカンジではない。何、これ?ウェットスーツ脱がせてもらうと少し楽に。このウェット、サーフィン用で買った時からかなりりキツいのに最近筋トレで筋肉増えたせいかさらに苦しくて。もしかして水中でスクイズみたいになって胸が圧迫されてた?とか思うけど、でも苦しくなったの浅瀬だよ、んじゃ一体何これ?頭の中は「????」。でも考える間もなく、ひっきりなしに気管に液体が溜まってくるから、咳して液体を出すことに集中。ダンナとガイドさんが器材をまとめに外へ出ていって一人になると、このまま息できなくて死んでしまうのでは?って一瞬不安になる。自分に「大丈夫、大丈夫、はい、咳して液出して、はい深呼吸」って号令をかける。
ダイブショップの別のスタッフが来てくれる。彼も喘息持ちらしくて、喘息かなぁとかお互い言うけど、でも気管からこんなん出るんですって、オレンジの液体吐くと、「えーっ!!」て無言に。
しばらく座ってると少しマシになってきたけど、すぐに病院に行こうってことに。
その時には私は「このまま少し様子みて、治ってなければ夕方病院行ったらいいか」と思えるぐらい落ち着いてました。あと2,3時間じっとしてたら治るかな、今晩はご飯食べに行けるかなぁ、明日のダイビングは無理よねぇ、、とか暢気なことを考えたりしていました。なんせ、昔のその喘息の重積発作を思うと、全然楽だったからです。でもやっぱり「行きましょう」とショップの人が言ってくれたので連れてってもらうことに(今から思うとほんとに感謝です。)
部屋に戻ってシャワーも浴びずにとりあえず服に着替える。そうだ。部屋にあった灰皿にその液体を吐いてそれを病院で見てもらおうと。一人部屋でそうやって着替えてると、落ち着いてるのに突然また「息止まって死ぬんでは?」って不安に襲われ、早く着替えてみんなのいるとこに行こうと思う。そして自分に「落ちつけー、ちゃんと深呼吸しろ〜!」って。
---嘉手納の病院で---
車で嘉手納にある病院へ連れてってもらう。車の中では少し楽になってきたので、ベラベラ喋ってる私。喋らなん方がええんちゃう?ってダンナに言われるが、話してる方がなんか落ち着く。到着して問診表に記入し呼ばれるのを待つ。病院にはほとんど患者らしき人がおらず、休憩時間?って思いながら待つ。その間にずいぶん楽になりかなり落ち着いてきた。
名前を呼ばれ診察室へ。事の成り行きと症状を話し、体温と血圧を測る。そこで熱が37.6度に。えー、熱?それから指先にセンサーをつけて酸素量を計測。なんか低いみたい。そこで動脈から血液をとって更に酸素濃度を調べるとかで、注射器を刺されるのだけど、これが大変。動脈って静脈と違って見えないとこにあるんだって。それで注射器刺してグリグリして探しあてるみたい、あれ、違うな、、ってまた違うとこにブス!って。痛みに強い私でよかった〜。
次にレントゲンを取りに。その頃にはかなり状態も落ち着いてきて、歩いても平気なカンジ。レントゲンを撮って上がってくると先生が、さっきの血液検査で酸素量が66%しかない!って。普通の人は大体い100%近いらしい。えええー、それって私、めっちゃ酸欠??その割には平気で歩いてるんですけど、、、私って日頃から自虐系で筋トレもこれでもか〜!!!っていう位やって筋肉痛にうっとりする性質ですが、この酸素濃度で平然としているとは、、、自分でも呆れてしまいました。それでそのレントゲン、先生が見せてくれながら説明してくれたのですが、まず初めに
『あなた海水飲んだ?』
って聞かれたんです。えー、飲んだ記憶ないんだけど。「飲んでないです」って答えると、先生はこの状態、肺水腫ですね、肺に水が溜まって白くなってるんです、「これ、溺れた人と同じ状態ですよ、あなたほんとに海水飲んでない?」って。
海水飲んだかって?それって飲んで気管に入ったってことでしょ?普通むせますよね?むせた記憶ないし、レギュレータ咥えてたから飲んでないと思いますって。でも先生が、うーーーん、溺れた人と同じ状態なんだよね、って。私も段々自信がなくなってきて、あの浅瀬でカレントに掴まりぐちゃぐちゃに引き潮に揉まれている時知らない間に飲んでしまったんかなー、だから急に気管から泡みたいなのが沸いてきたんだろうか?とか、でも後から後から沸いてくるカンジは誤って飲んだのとは違うし、、、。でも先生は飲んだんじゃないか、って言うから、そうなんかなー、耳から入ったんかなー、いや、鼻から?マスクにちょっと水入ってたし、、、とか段々やっぱり海水飲んだ説が正しいのかなーと思い始めました。でも、、、普通そんだけいっぱい気管に入ったらむせるはず、、、
お医者さんもなんか納得がいかなかったのか、一旦私を外に。しばらくして呼ばれると、「ここではこれ以上対応できませんから、違う病院に行ってもらいます。今、紹介状を書きます。今晩は帰れませんから」って。え?今晩帰れない?それは入院ってことですか?って聞いたら、「そうです、帰れないですよ、そんな状態で帰れません」って。そんな状態??その頃には状態も落ち着いてきたんで、そのままご飯でも食べに行けそうな気がしたのに。しかも、、、次の病院には救急車で行ってもらいます。酸素吸入しながら来るようにって指示ですって。え、別にもうそんなに苦しくないんですけど、、、救急車???えーー、入院?私、海水いっぱい飲んで??えーー???また頭の中が「????」に。
それで酸素吸入を始めてると、救急車到着。サーキットの救急車は転倒した際2回乗ったことあるけど、岡山と鈴鹿で、本物の救急車は初めてやわ〜。いっぱい隊員さんが出てきて、タンカーで運び入れられました。歩けるのになぁ、申し訳ないって気持ちで。私の足元を持ってくれていたちょっと年配の隊員さんが、あらぁ〜、キレイな人だなぁって言ってくれたてたような。このような場でなんと答えていいのか分からず、、、というかそんな幻聴が聞こえる位酸欠だったのか(・_・;)
さて救急車に乗せられ、いろんな装置に目がキョロキョロしてしまう。隊員さんがダイビングの時の様子や名前や生年月日や住所を聞いてくる。あと急浮上したか?、とか。考えたら喘息の発作の時は苦しくて寝てなんかいられないのに、この時は普通に寝かされてたんだから、やっぱりそれほど苦しくなかったのかも。私的に余裕があったのか、消防署で働いていて若かりし頃は救急隊員だった父親に、今の救急車は
どんなものか後で教えてあげなくっちゃ、とか思ったり。
---中部病院で---
中部病院へ救急車は到着。そのままタンカーで緊急治療室、ERらしき部屋へ運ばれる。救急隊員さんが病院側に色々と説明している、搬送中の酸素量とが何リッターとか色々。なんだかここはとっても若い女医さんに若い看護士か見習い医師なのかスタッフがいっぱい。ちゃんとお礼も言えぬまま隊員さん達は帰って行かれた。あっという間に酸素吸入に点滴に心電図とるやつまで装着される。なんか人が多くて騒々しくてなんか緊迫したカンジ。同じことをまた聞かれ、ダイビングの様子や名前や住所とか。体温を測られると、なんと38.6度!。えー、さっきより上がってるやん!!(ダンナによるとここの病院に着いてからの方が顔が青ざめてて体調悪そうやった、って)そしてまた、例の動脈からの血を採られる。ううう。しかもまた2回注射器刺された!それから動いてはいけないとのこと
で、ベッドのままレントゲン室へ運ばれる。部屋に戻されててトイレに行かせてほしいって言うと、絶対動いてはいけないからトイレしたいなら便器もってきますって言われて。え、うそ、さっきの病院では歩いて行きましたけど、マジ?って言うと年配の看護婦さんが、マジ、です、ってマジな顔で。。うそ〜〜。どうします?って言うから、します!持ってきてください!って。しましたわ。
そのうち物腰の柔らかい年配の男性医師が現れ、担当の何々ですって自己紹介。すごくインテリな雰囲気なのに優しそうな雰囲気で話し方もとてもソフト。先生がまたいくつか質問して、聴診器当てたり。えらい時間がかかるし、動けへんし、一体どうなるんやろ?って思ってたら、さっきの医師が現れ、とても静かな声で、
『オサダさん、あなたは減圧症です』
最初、耳を疑いました、え、減圧症??って頭には全くなかったですから。私の知ってる減圧症はそれこそ指の痺れとか関節痛とか皮膚の炎症とか、、、え、これが減圧症?こんな減圧症あるんですか?急浮上もしてないし、だって20Mしか潜ってなくて平均10Mで、安全停止もしてるし、え、何で減圧症になるんですか!?!?!?前の病院では海水飲んだって言われました、多分、自覚は無いけど飲んだんじゃないですか?って必死で言う私。そしたら医師は
「ダイビング50本ぐらいされてるんですよね、じゃぁ海水飲んだか飲んでないか自分で分かりますよね?それに海水飲んだだけでこんなにレントゲンに写らないんですよ、しかもそういう場合半日以上経たないとレントゲンには写りません」って。静かなのにとても説得力のある言葉。あなたの症状は減圧症の呼吸循環器がなんやらかんやらと、、、私は呆然として頭に入りませんでした。しかもやっぱり減圧症って信じられなくて。。。そしたらその先生は、減圧症はここでは対応できないので、設備のある病院に、ヘリコプターで運びますから、って言ったのです。
「えー-−−、ヘリコプター!?!?!?!?! なんでぇーーー????しかも歩けるんですけど
、えー、それに一体いくらかかるんですか???」って叫ぶ私。きっと私の目はまん丸になってたと思います。先生は費用はかからないから
心配しなくていいから、って。あーーー、どうしよ〜〜、えらい大事になってしまったよぉーーー、。ひぇーーーー、減圧症、ヘリコプター、治療ってあのチャンバーってやつ??私、一体どうなるぅ〜〜!?!?。
そしたらダンナが呼ばれ「できるだけ早急に治療しなくてはいけないので、今からヘリコプターで搬送します」って先生が説明すると、
「えー、ヘリコプター!?!?!!!!!!」
って絶叫して目がまん丸になっていた彼。。そしてヘリが呼ばれて救急車でヘリが待機している公園みたなとこに救急車で運ばれる。家族は付き添えますって言われたので、ダンナも一緒に救急車に。ダイブジショップからはさっきの同じく喘息持っているという男性スタッフも来てくれてて、ヘリで北部の病院に行くと説明受けると、「え、減圧症?そんなわけないですよ、それに南部じゃダメなんですか?そんなとこ行ってどうやって帰ってくるんですか、それにだいたいヘリで行くって高度とか大丈夫なんですか、減圧症でしょ?」ってガンガン言ってくれるのを聞いて、その慌て方に何だか申し訳なくなってきて、、、。ごめんなさい、迷惑かけて、って叫びたかったです。医師は冷静に、高度300m以下で行きますから大丈夫ですって。あー、やっぱり私は空輸されるんだわ。しかしヘリコプターって歩ける状態なのに乗ってもいいのか?それとも私の肺はそんなにヤバイ?
そうしてるうちに救急車はヘリの待機してる公園に到着。そこからタンカーで運ばれるはずが、段差があったのか、いきなり歩いてくださいって言われて。あれ、わたくし、歩いてはいけないのでは???と思いながらも、ヘリのローターがグルグル回ってすごい風ぇ〜。公園の人はジロジロ見てるし、早く乗らせてー。そしたら一緒にいたダンナが(彼は相当な飛行
機オタクなのですが)、ヘリに乗れる!ってことで私を心配しながらも目を輝かせていた彼、、、パイロットに「家族は乗れませんよ!」って言われて、「えーー!!!えーーーー!!!」ってウロタえていた彼 今だから爆笑。そして私はまたタンカーに乗せられヘリの中に固定され、颯爽とヘリは公園を飛び立ったのでした。
私は何処へ〜???
一体どこの病院に連れて行かれるのかも分からないまま、飛び立ってしばらくすると海が見えてきた。ANAホテル。うわ
ー、万座の上だわ〜、海きれい。でもわたし、ドクターヘリに
乗せられてる重病人やからあんまりキョロキョロしたらマズイよなぁ、、、(汗) で
も気になってキョロついていると、後ろに乗ってたドクターと女医さん?が私が怖がってると思ったのか大丈夫ですか?って何回も
聞いてくれて、、。すみません。なんかすごいことになってしまった、、、これは現実なのか!?って思ってるうちに到着みたい。めっちゃ早い!。後ろの医師が「あそこに着陸するからね」って指指した先を見ると、
カメラを持った男の人が二人。えーーー、なんか野次馬??何写真撮ってんやろ!(怒)って思ったけど、それが病院のスタッフ、しかも担当してくださる有名な先生だとは思いませんでした。
。。すみませーーん(汗)
---北部地区医師会病院で---
救急車に乗せられて病院に向かって走り出しました。誰かが「え
、明石?僕西宮やから近いなぁ」って言って
る人が。え、どの人?でもわたし、重病人だかたら、えー、偶然関西ですねぇってペラペラ喋っていいのかも憚られ、っていうかその頃にはすっかり疲れてしまい、喋るのもしんどくて。しか
もゲホゲホ激しい咳をしてたせいで、喉が痛
くて声が枯れてしまっていた。一体どれが関西人?っていうか何人乗ってる
この救急車?しかも私はどこに運ばれたんだ
?っていうかダンナも居なくなったし、私の荷物は??何にもないし、携帯すら、どうればい
いんだ〜??しかもお腹空いたし、疲れた〜
〜 なんか次々病院行くたびにすごい事になってしまってここでは何されるんだ?て不安も。。。
タンカーでどうやらER室に運ばれたようだ。広い部屋でベッドに移されて。サーファ
ーみたいな医師が来て、私の顔を覗き込んで「減圧症になっちゃったの?」って。納得してたはずなのに自分でまだ減圧症と認めたく
ないのか、「減圧症って言われたんですけど、
多分違うと思います」、、、とか何とか答えたような。。。また前回の病院と同じように
熱測って血圧測って指先から酸素量、点滴して、それからまたここでも女医さんが動脈から血を採る。ちょっと痛いけど、って言われたんで、「今日は違う病院で2回採られて2回とも失敗したからもう慣れました、大丈夫です」って苦笑しながら言うと、ここの女医さんは一
発で血管を探り当て、「一回で採ったよ〜!」
って。素晴らしい、この病院一番良いかも(笑)。
それからまたベッドで移動してレントゲンとCTを撮りました。CT撮ったのは初めてだったから
変わったレントゲンだなぁと。なんせ寝たまま移動なんで、どこの部屋に連れて行かれてのかサッパリわからなくて。一通りの検査が終
わったら、今回私を治療してくれた『小濱先生』が現れました。多分自己紹介されて私も挨拶したと思うのですが、なん
せ疲れきっていた私にはその頃の記憶がハッ
キリありません。さっきの西ノ宮の人とも結びつかず、気が付いたら、あれ、この人先生?って^_^;。
これから減圧症の症状チェックみたいで、脚とか手にギザギザのルレットみたいなのをゴロゴロ転がして、これ左右一緒?って検査です。左右同じように感じます。大丈夫のようです。ルレットが終わったら、今度は鳥の羽みたいなヤツ出してきて、いろんなとこそれで触って、やっぱり左右
一緒かどうかチェック。それが顔とか撫でるしなんか可笑しくて、ルーラーは知ってたけど、羽根で???(笑) 今度は痛みのテストとかで針みたいなのを見せられて、えー、痛そうっ
て尻込みしたら、だーいじょぶだいじょぶって。でも先生、時々痛かったんですけどぉ。
それで皮膚の感覚テストはO.Kだったみた
い。次にハンマーみたいなの出してきて曲げた私の膝叩いたり。それもO.K.
次々に出てくる道具に"Now
what!?"ってカンジだっ
たけど、次は足首が曲がるかどうかのテスト?力抜いて〜、って先生が私の足の裏を叩
いて曲げるんだけど、私の足首っていうかアキレス腱硬いんだよねー、あんまり曲がらなくて先生が、「はい、力抜いて!」ってバ
シバシ叩くんだけど、「いや、力抜いてます」って。でも先生は「力入ってるって、ほら、はい、力抜いて抜いてって!」バシバシ
叩くんだけど、、、「先生、私、元から足首
硬いんです」って言ったら、「あ、そう」って。あ、そうって 苦笑
しかし荒っぽい なぁ、この人医者なんやろか?とか思ってま
したが、まさかこの方が減圧症の権威の小濱先生とは〜〜、この名札が目に入らぬか!
?
それからまたダイビングの時のことを聞かれて、何メートル潜った?とか潜水時間は?と
か。あと安全停止した?って聞かれて、はい
しました、って答えると、何メートルで?って聞かれて、私のダイコン、そこまでログが残らないし、”安全停止を今から開始!”ってじっと3分やってたわけではなく、ガイドさんに安全停止大丈夫?って聞かれて「STOP」サインが出てないからO.K.って。ガイドさんとほとんど一緒の深度にいたし、どこかで安全停止になってたんだろうなぁ、、、、って初めてダイコンつけて潜ったのに情けない回答。。。それから仕事のことや、スポーツしてる?とか今まで
の病気とか飲んでる薬とか。あと昨日お酒飲んだ?とかちゃんと睡眠とったとかの質問。それでレントゲンやCTを見て診断が下り
ました。
やっぱり私は減圧症だそうです。減圧症U型呼吸循環器系
Chokesとの事です。肺水腫と心不全を起こしているそうです。
肺水腫は分かってたけど、心不全!?女医さんが脈が弱いって言ってたような。そんなヤバい状態なの??それでもやっぱり私は信
じたくなかったです。だって全く安全なダイ
ビングをして、ダンナもガイドさんも大丈夫で、何で私だけ減圧症?って。減圧症だけ
じゃなくて単に心不全起こして肺水腫になっ
たのでは?
でも考えてるうちに、この日の朝、また左手の指先が痺れていたこと、実は前回のダイビン
グ後に減圧症かも?って不安になっていたこと
を思い出し、もしかして既に気泡が出来てた?って思い始めました。先生からはいくら
安全なダイビングしててもストレスが溜まっ
ていたりすると減圧症になることがあるってって説明受けました。前回の時減圧症らし
き症状があったって話そうとしたのですが、
私も頭が回ってなくちゃんと説明できず、それだけでは今となっては分からないって言われました。後日先生に詳しく説明すると前回のそれらの症状はやっぱり減圧症で”重症化する前兆だな”だそうです。
ちなみに今回のログです。
(砂辺No.1ポイント)
Max:20.7M Ave:11.4M 潜水時間:42分 水温22℃ |
そして前回のログです。1日目の潜水のあとスポーツジムへ行き結構トレーニングしてしまいました。後日ガイドをやってる知人に言うと、2日目の方が深度が深い、普通は初日に一番深いところを潜るはず。こんなプラン立てるショップが信じられない、って言ってました。私が潜水のあとジムへ行って運動したこと、間違ったプラン、、、これが原因だったのかと思います。
| 1日目 |
2日目 |
1本目 (砂辺No.1ポイント)
Max:17M Ave:10M 潜水時間:40分
2本目 (砂辺No.1 お花畑)
Max:16M Ave:6M 潜水時間:40分 |
1本目 (真栄田岬 つばめの根)
Max:36M Ave:15.9M 潜水時間:34分
2本目 (青の洞窟)
Max:19.3M Ave:7.3M 潜水時間:45分 |
今回言われた原因、「ストレス」、、、
そんなにストレ
ス溜まってたっけ?確かに忙しかったよなぁ。特にこの週は週初めにジムで結構トレーニングして
、次の日はサーキットで久しぶりに大型バイ
クで練習。緊張もかなりあったし、やっぱり普段のトレーニングで鍛えてなかったふくらはぎの外側が筋肉痛に。来月のレースへのプレッシャーとか、
あと仕事でもイライラしてストレス溜まって
たよなぁ、、、
しかし風邪引いてたり、もっとしんどい時に潜っても大丈夫だったのに、
一体今回はなんで???って思ったりしまし
たが、今回初めて自分の器材で潜ってちゃんと機能するかってちょっとした不安や、以前借りた器材のインフレータが塩噛みしてて突然空気が勝手に入りだし吹き上げくらいそうになった経験有りでそれを突然思い出して怖くなってあまりBCに空気入れれず、中世浮力がイマイチだったこと、バイクで疲れたふくらはぎが攣りそうになったりとか、サーフィン用のスーツで少し寒かったこと、去年より筋肉ついたのかラッシュガードが分厚かったのかかなりキツクて苦しかったとか、その前の週ぐらいまで花粉症がかなりヒドくて薬飲んでも効かなかったりして市販の薬をプラスオンしたりしてたよなぁ、
、、って。しかもトレーニングしすぎていろんな箇所傷めてたり。いつも体のどこかが痛かったり筋肉痛だったりちょっと前は腰の筋肉切ったり。スタジオでも無理してやってたよなぁ、、、喘息の薬で気管広げてからガンガンやったり、、、かなり体が疲れてたのでしょう。
こうやって徐々に自分の体がストレスにさらされていて、減圧症になってしまったことは、その後2,3日経って落ち着いてから納得できるようになりました。先生からもらった減圧症についての文書を読んでて、まさにその通り、と。またこれもやはり後日ですが、前回にすでに発症してたことから今回のような重症な状態になったんだと納得することができました。
それでやっぱり私はチャンバーとやらに入らないといけないそうです。しかも、しかも
なんと5時間!!
先生が熱心に、U.S.
Navy Table 6に従ってやらなければいけない、病院によっては2,3時間入れて救急代だけ取って帰すとこがあるが、うちは徹底的に治療しますって説明してくれるんだけど、私には何のこっちゃ?で、それってアメリカ人の体格に合わせてるんじゃぁ、、そのTableはどこまであるんやろ?日本人だったらTable5とか4とかやったらあかんわけ?Japan
Self-Defense Forceにはそーいうの無いのか?一体何の基準だ?とか有り難い話もほとんど耳に入らず(すみません・・)、5時間にビビってました〜。
高気圧酸素治療というそうですが、その効果と副作用について説明を受けまし
た。私もここまで来たら入らないわけにはい
きません。なんだか怖かったけど、しかも私が知ってたのは部屋みたいになってて複数名が座って受けれるやつ。これはガラスのカプセルみたいになってて一人だけ。ひぇーSFチック。なんか怖いよ〜。副作用で肺に
なんかがあったら破裂することがあるとか言われて、ますます怖くなり、「私の肺は大丈夫ですかぁ?」って言ったら「大丈夫ちゃんとCTとレントゲンで確認したから」、って。ダンナの到着を待ってから同意書にサインして始めたいところだが、一刻も早くやった方がいいと言うことでサインしました。
それで しばらくは絶対安静ってことと、このチャンバーに5時間も入るので私は自分でお手洗いに行けないということです。なので管を通した方が楽だよって。ええ、この際もう降参です、何でもしてください、治るためだったら管でも何でも通してくださーいって心境で、初めて経験しました。そして全ての金属を外すってことで、ピアスやブレスレット、ヘソぴとか色々外しました。アクセサリー全くしてないって何十年ぶり???コンタクトもチャンバーの中はかなり乾燥するから外しましょうってことで、ちゃんと保存液とケースのセットが準備されていました。
点滴やらおしっこの管やら心電図やいっぱい付けられた上、ナースコールと加圧された後に吸う酸素マスクを握り締めいざ、チャンバ
ーへ!。その頃ようやくダンナが車で到着しました。
蓋が閉められました。では開始ってことですぐに加圧。うっわー、耳にくる〜、必死で耳抜きするけど、めっちゃ抜けが悪い。耳が〜ダメ〜!サインを出して加圧を止めてもらい抜けるまで待ってもらう。
それを何回か繰り返す。ほんとに抜けない。
先生がチャンバー除きこんで、あごを左右に動かしてこうやって抜くんだよって。でも
先生、そんなんで抜けへんもん(泣)
なんとか10分で加圧するところを16分かかり2.8気圧、深海18Mへ。ここで酸素を20分吸います。20分吸って5分休憩
。これを何回か繰り返す。休憩に入るたびに看護士さんが息苦しさが減ったかどうかのチェック。言われてみると、なんだか途中から良くなってるような、、、。最初の状態を「10」、何も症状がないのを「0」として、今は数字でどれぐらい?って聞かれます。最初の酸素吸入で「8」ぐらいまで良くなったような、、、。
5時間、、、長いと思っていたけど、TVを見たり途中寝てたようで、あっという間に5時間
過ぎました。もう3時前。みなさん、こんな夜中までありがとうございました。減圧症って初期治療がとても大事だそうで、遅れると後遺症を残したりするそうです。ヘリまで出してくれて夜中までかかって処置して
いただき、本当にありがとうございました。
心からそう思えるようになったのは、減圧症の恐ろしさを自分で調べて知ったその2日後ぐらいからなんですけど
(汗)。
私がこの日に受けた高圧酸素治療はU.S.Navy Treatment
Table 6(アメリカ海軍第6治療表)/Royal Navy Treatment
Table 62(イギリス海軍第62治療表)に従っ
たものです。 参考までに↓。なおこちらの病院では加圧するのに基本的に10分のようです。(私は初
日に16分かかってしまいましたが)
| US Navy Treatment Table Six: |
 |
[4月12日(Sat]
ここから入院日記です。初日と違って心境も落ち着いてきたので、ここからは黒文字だけです(笑)
長い一日でした。治療が終わって部屋に通されました。そこはナースステーションに続いている大部屋で、看護士さんが「夜中にこっちのお婆ちゃんとあっちのお爺ちゃんが大声で叫ぶけど気にしないでね。明日は個室に移すから今日はガマンしてね」って。はい、確かに、10分に一回ぐらいの割合で、おばあとおじいが代わる代わる叫んでました(苦笑)
そんな中で私はウトウト。ダンナは待合室のベンチで就寝。私の心電図のモニター音が響いています。
あっという間に朝になり検温や酸素量のチェック。ベッドの周りをみると私のバッグが置いてあり、でも、いろんな管だらけの私は動けない!しかも絶対安静だし。あーーー、海から上がったまんまでシャワーも浴びてなくて、髪の毛バリバリなってるんちゃうん?顔も洗ってないし、どんな状態なってるんだろ??鏡見た〜〜い!7時半頃ダンナが来てくれて、やっと携帯や自分の荷物を手に出来て安心。これからまた検査が続くようです。しばらくすると個室へ移動しました。
個室に移って落ち着いた頃に小濱先生が看護士さんと共に回診に。「先生、どれぐらい治療するんですか?いつ頃退院できますか?」って聞くと、経過が良ければ早くても水曜日とのこと。しかも、確か前日説明受けたけど、帰りは飛行機が使えないからフェリーで帰らないといけないと。そうなると少なくても関西まで3日かかるようだから家に帰れるのは週末?じゃぁ、その週末に出るはずだったバイクのレースに出れない!「もうちょっと早く帰れないですか?」って聞くと、「無理!しかもそんなすぐにレースなんか出れないよ、もしかしたらバランス感覚もなくなってるかもしれないしね、それもまたチェックするから、とにかくレースは諦めて」って。わたくし、思わず涙が・・・・・・。めちゃくちゃ楽しみにしてたXRの耐久レース。去年から女子ペアで出てるけど、ほんとに楽しみにしていました。今回思いもしない減圧症なんかになってしまい、入院、しかも遠い沖縄で。レースに出れない悔しさと、これからの不安が一気に噴出したのかもしれません。泣いてる私を先生は気の毒に思ったのか、優しい声で「バイク好きなの?でも体治す方がまず大事だからね」と。全くその通りです。「今日もこれから治療があるから」。「はい、お願いします」って鼻声のかすれ声で言いました。ほんと早く治さないと。
海から上がって初めてドリンクを口にしました。寝たままストローで。前日の激しい咳で喉がやられたのか、ポカリスエットがめちゃくちゃ喉に沁みます。朝食が出ているらしいけど、しかし朝食にありつく前に検査がスタートし(涙)、またベッドのままレントゲンやエコーやらいろんな検査室へ運ばれて行ったのでした。前夜のチャンバーで耳の抜けが悪かったせいか、なんだか耳が不調。詰まってるカンジ。しかも声もかすれてるし。検査の時もベッドへは看護士さんたちに抱えられて移動。なんだか情けない・・・。
部屋に戻ってきてようやく久しぶりの食事です。ダンナに食べさせてもらいました。考えたら浜屋さんのソバを食べてから何も食べていなかった!この日も昼からチャンバーへ入ります。またTable
6の5時間コース。その間にダンナは入院に必要なものを買いに行ってくれました。なんせ数々の怪我で入院慣れしてる彼だから、そりゃー何が必要かもよーーーく分かっているようで、パーフェクトな買い物でした。
この日は少し慣れたのか、最初の加圧時間が前日よりも短かったみたい。ダイビングと違ってゆっくりゆっくり加圧するから、ずっと耳抜きしてないといけないのです。ダイビングでも私の耳は抜けにくいのですが、やっぱりここでも。。。この日はチャンバーの中が辛かった!何が辛いかというと、ずっと寝たきりなので背中が痛い!寝返りを打とうとしても、体中管だらけで、あんまり動くとおしっこの管が抜けるような気がして、ごそごそと何度も体の向きを変えるがやっぱり背中が痛い〜。この日もチャンバーで酸素吸うとやっぱり少し胸が楽になるようなカンジ!。でも背中が痛くて深呼吸しても痛い、それがひょっとして胸が痛いのかししら、と心配になったり。でも治療が終わるとやっぱり呼吸が楽になってます!。右の胸が詰まったカンジはありますが、やっぱり随分楽になってる。嬉しい。しかも検査結果が良かったのか、絶対安静は解除され、動いても良いことに。
部屋に戻るともう夕方。ダンナが買ってきてくれたウエットティッシュやらなんやらを置くと、ほんとに入院生活がスタートしたって気がして複雑な心境に。一体いつ帰れるんだろう?そうこうしてたら看護婦さんが来てくれておしっこの管を抜いてくれました。やった〜、これで自由の身だわ!!(^.^)点滴をロックしてもらい、ようやくシャワーを浴びることができました。あーーー、髪の毛、傷んだやろなぁ、、、。
この日ダンナは泊まってるホテルへ戻りました。さすがに連続でベンチで寝るのは辛いと。私も個室に移してもらったので、今夜はゆっくり寝れそうです。しかしこの夜とんでもない頭痛に!!。夜の検診の時はそれほどでもなかったのに、夜中に吐き気がするほどの頭痛が。思わずナースコール。すぐに脳外科の先生が来てくれました。先生が指を動かしてそれを目で追ってみたり、ライトで私の目を照らしたりして検査されてました。減圧症はね、泡が脳に飛んだら大変だからね。まだ動着回らないでね、それでは薬出しておくからって。えー、チャンバー2回入ったのにまだ泡があるかもしれないのか、、、動いてもいいと言われたけど、ダメなのかなぁ、、、。うう、薬まだかしら??頭痛い!気持ち悪い!看護士さんが薬を持って来てくれるのが長く感じられました。薬を飲むと頭痛も消えこの日はグッスリ寝れました。
[4月13日(Sun]
この日は心臓のエコーを取りました。初めて見る自分の心臓。ちゃんと動いているのだろうか。実は減圧症じゃなくて心不全を最初に起こして肺水腫になったのではないのだろうか?とか心配になり、実は過去の喘息の影響で心臓が元々悪かったのでは???と思ったりする。検査技師さんが「キレイに心臓動いてますよ」って言ってくれた時は本当にホッとしました。親切に心臓の動きを左右の心室と心房ごとに説明してくれて、次に肺動脈の映像を写しました。ここも腫れたりしてなくて正常ですよって。とにかく私の心臓は正常のようです。先ほど心配していた、心不全を起こして肺水腫になったのでは?という疑問は後で先生から頂いた資料を読んで解決したのですが、このときはまだ読む余裕がなく心配していました。心不全からくる肺水腫の場合エコーを撮ると炎症部がbutterfly
Shadowを示すが、減圧症から来る肺水腫・心不全の場合は炎症がバラバラに点在しているのです。後日自分の肺の写真を見せてもらい、そこにはbutterfly状ではなく点在した炎症が見られました。
高気圧酸素治療は(以後H.B.O:Hyperbaric Oxygen Therapyと略します)はこの日から2時間半コースになりました。やった!しかも少し続いていた頭痛もチャンバーに入って酸素吸うと、あっという間に無くなっていました。この日も治療が終わる頃には胸の重さがまた良くなっていました。
| US Navy Treatment Table Five: |
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治療が終わって部屋へ戻るとダンナが来てくれてました。彼は夕方の飛行機で家へ戻ります。30分ほど話す時間があり、帰りのフェリーを部屋のTVについてるネットもどきで調べたり、家で飼ってる淡水のフグ(アベニー・パファ4匹)と熱帯魚の世話の水換えを説明したり、、、。あっという間に帰る時間になったので、病院の玄関までガラガラと点滴を押しながら歩いて見送りに行きました。ダンナが帰るとき、寂しかったわ〜(泣) 一人で旅行するのも大好きな私なのに、さすがに一瞬心細くなったのかしら。。。お互い見えなくなるまで振り返って手を振ってました。
自由に歩けるようになったので、部屋についてたネットもどきで、さっそく減圧症について調べることにしました。そこで目にしたのは、私が罹患したU型は重症例と書かれていました。確かに死にそうなほど苦しかったんだもん、重症よね、、、と愕然と。また呼吸循環器系というのは珍しい症状のようで、検索してもエア切れで急浮上した人とかがなってる例しか出てきませんでした。先に書きましたが自分の体がめちゃくちゃストレスを受けていたこと、前回のダイビングで既に減圧症を発症していたことはまだこの時には判っていなかったので、ますます自分が稀な体質で、よっぽど弱い循環器だったのか、、、とショックを受けました。
夜になり、ダンナから帰ったで〜、私の実家にいるよって電話が入りました。両親に電話かわってもらうと、親もかなり心配しているようで、なんかネコ撫で声。気持ちわるいぃ〜〜。(っていうかいつも心配かけてすみませんーーーーんm(__)m)
そして家に到着してからまたフグたちの様子を報告してもらったのでした。3日間食べていなかったから、アカムシの奪い合いだったようで、爆食した模様。この日から日課としてダンナから毎日フグたちの様子が写メで送られてくるようになりました。あぁ、キョロちゃんにカムシあげたい!おかーさんのこと忘れたらあかんよ〜〜と思う毎日でした。
[4月14日(Mon)]
本来なら普通に会社に出勤して、お土産のちんすこうでも配ってるんやろなぁ。こんな事になって入院してるって今頃みんな驚いてるかしら。。。(-_-;)。この病院はスタッフがとても親切でみんな本当に良い人。この日ぐらいに初めて知ったけど自分は循環器病棟に入院していて、そして回りはほとんど年配の患者さんばっかり。減圧症でこの病棟に入院する人は珍しいみたいで、看護士さん変わるたびにいろいろ聞かれて話が弾んだり。そういえば、南部の病院出身の看護士さんが言っていたが南部の病院に私と同じU型の減圧症の女性が入院しているらしい。やっぱり「とてもバイタリティ溢れる人で性格が私と似ている」らしい。うーーん、やっぱりこういうタイプは危ないのか!?。
この日はまた部屋を移動。この個室を使いたい人がいるらしい。私は個室を希望していたので、もう一つ上等なお部屋へ引っ越しました。ここの病院、ほんとに部屋代が安くて助かりました。地元だとあれだけの部屋だったら最低でも7,8千円は行くと思うのですが、広めの個室で3千円でした。私は電話やメールが多いしまさか大部屋で堂々と携帯使えないのでやっぱり個室よね。っていうかほんとは個室でも携帯ってダメなんやっけ?大目に見ていただきありがとうございました(汗)
この日のHBOはまたTable 5の2時間半コース。先生が緊急オペとのことで開始が遅れました。夕方開始で20:00頃終了。部屋に戻って夕食をとり、その後点滴の針を変えてもらって本日の業務終了。この頃には酸素量も100%になり酸素吸わなくてもOKって。ただ熱がまだ朝も夜も37.0度あたり。シャワー浴びると37.5度とか。微熱はまだ続いています。
余裕が出てきたのかついつい夜更かししてしまいます。遅くまで減圧症について調べてみました。また自分が受けている治療についても。最初の日に、U.S.NAVY
Table 6とか聞いて、何のこっちゃと思っていたけど、それがどれだけ大事か、また初期治療の大切さ、大げさにヘリで運ばれた、とか思ってましたが本当にありがたかったんだなぁって、段々身に染みて分かってきました。また初日にもらっていた減圧症についての資料をようやくちゃんと読める余裕が出てきて、そこに書いてある「減圧症を引き起こす要因」に自分なりの解釈で○、Xを入れ、一体自分は何でこんなにヒドイ減圧症を発症したのか?徹底的に知りたい!と思うようになりました。gf明日は先生を捕まえて聞かなければ!
[4月15日(Tue)]
その資料をベッドの横に用意して、朝の回診の先生を待ち構えていました。、、、のはずが、看護士さんの検診が終わったらまた爆睡してしまい、「おはよう!」って先生に起こされて、あああ、しまった、寝てたじゃないか、、、とうろたえる私。聴診器で胸の音を聞き、喉元を押したりして色々チェックする先生に「聞きたいことがあるんです」って。それでその資料を見せながら、自分が何故発症したのかを詳しく聞いてみました。
先生は、「だいたい減圧症が起こるのはこういう理由だけだと多くの人が思っているが」と急浮上やD.C.への過信、潜水後の高所移動、不十分は減圧停止、不適切な減圧設定の箇所を指差しました。そして続けて「でも実際はこっちの理由で減圧症になることもある。特に君の場合はこれだろう」と潜水前のストレス環境を指さしました。でもそのストレス環境っていうのが私にはよく分かっていませんでした。
特に言われたことは、その下に書かれていた、個人の体質や疾患の欄の、肥満・脱水:筋関節疾患:先天性心疾患:精神疾患の筋関節疾患。私はバイクレースとかやってるから、過去のケガとかでヘルニアとかがあるかもしれないってことです。確かに骨盤かなり打って歩けなかったことあるし、最近は半月板も傷めてるようなぁ、、、。次に年齢の欄の、中高年の体力低下:生活習慣病:若年でも過度の運動。わたくし40歳で確かに中年ではありますが、あれだけ鍛えてるから体力低下なんてあり得ないわよね、ってことで思いっきりXをつけていて、「これは違うと思うんですよね」って堂々とその中高年の体力低下を指差すと、先生は「これは当てはまるだろ!体力低下してるよ!女性の40歳はね、もう新しい細胞は生まれて来ないんだから!!!」と。「20歳の子について100M走れないだろ?」っていう先生に「えー、全然走れますよ!!!」って口答えする私。だって陸上部の子には負けるけど普通の20歳には絶対負けへん自信あるもーん!・・・でもね、例え勝ててもきっとその後の回復力が違うんだよってことを先生は言いたかったのですね。そしておまけに「君の場合はこれもた」って指さした先には「若年でも過度の運動」でした。はいその通りです。最近も100Kgぐらいのウエイトをレッグプレスで上げていて腰の筋肉を切ったばかりでした。はぁ、、、。そして更なる要因は仕事での過労・睡眠不足:飲酒(潜水前のストレス)です。先生に、それらのこと全てが水中ではストレスになるからって。なるほど、ストレスってのはそういう意味だったのですね。納得。
そして気になっていた、前回のダイビングで減圧症になってたかも?って不安をここでもう一度ちゃんと話ました。
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私:「前回のダイビング、一日目の夜スポーツクラブ行ってトレーニングやったんです。次の日ディープダイビングで36M潜って。帰宅してその翌朝、肩が痛くなってたんです」
先生:「それだったら筋肉痛かもしれんしなー」
私:「でもね、左手の指先も痺れていたんです」
先生:「・・・・・」
私:「それで他にも気づいたんですけど、両方の太ももに赤いブツブツが出来てたんですよ・」
先生:「それ減圧症だよ、しかも重症化する前兆だな」
がーーーん!やっぱり前回すでに減圧症を発症してたんだ〜。
ってことで私の今回の発症要因が特定できました。やっぱりなぁ、、、前の症状はやっぱり減圧症だったんだ、、、。みなさーん、ちょっとでも兆候あったら絶対病院行ってください!!そのまま放っておいたら私のように重症化した恐ろしい減圧症になってしまうかもしれません!!!
そしてこの日は退院できるかどうか最後のレントゲン&エコー検査です。キレイに治ってるといいんだけど。。。
この日も治療はU.S.Navy Table 5でした。そしてビックリしたことに、このチャンバーに入るたびに私の肺がよくなってるのはもちろん、なんと膝の半月板も良くなってるのですよ!!!しゃがんでスクワットしても痛くなくなってる。まだ違和感はあるものの、痛たたたた、、、、ってなってたのに、それがありません。うわー、確かにHBOって本来減圧症の治療だけじゃなくてスポーツ外傷やいろんなことに効くとは知ってましたが、ほんとに効いてます!確かにベッカムやスポーツ選手が入るのも理解できるわ〜〜、すごぉ〜い!
そして治療が終わったら診察室へ呼ばれました。なんと、肺がめっちゃキレイに治っているみたいです。初日運ばれてきた日に撮ったレントゲン、肺が真っ白で心臓が肥大!最初、「これ胃?」かと思ったぐらい^_^; しかもエコーを見るといっぱい白いモヤモヤが肺の中に点在しているけど、それがその日の画像ではまったく消えているのです。すごーーーーい!素晴らしい!確かに呼吸も楽になってて治ってきてるのが自覚できてたけど、そうやって肺の画像を見せてもらって本当に安心しました。点滴も外れ完全フリーに。そして退院許可が出ました。
[4月16日(Wed)]
ほんとはこの日に退院できたのですが、両親が沖縄入りできるのがどうしてもこの日の夜になるので、明日の退院にしてもらいました。両親はもちろん私のことをすごく心配してくれてて来てくれるとの事ですが、久しぶりに沖縄に来れるということで、なんとなく旅行気分でウキウキしてたような、、、(そんなことない?) 携帯と部屋のネットを駆使して両親と泊まるホテルを予約したり、帰りのフェリーを予約したりしました。17日に退院してその晩と次の晩は沖縄に泊まり19日早朝のフェリーで鹿児島へ向かいます。鹿児島まではダンナが車で迎えに来てくれるのでそこで合流して山口で一泊してから帰宅する予定。私が火曜日の検査で退院許可が出るか分からなかったけど、きっと大丈夫だろうってことで両親にも結果が出る前にエアチケット取ってもらってたので、退院許可が出て内心ホっとしていました。
この日も血中酸素量は100%、体温は37.1度。HBOは今日は1.5時間でした。チャンバーにもすっかり慣れました。最初あれだけ耳抜きに苦労したのに今や全くトラブルなしで10分で加圧。「ボトムに到着しました!」の声で深度18Mに到着です。チャンバー室のスタッフとも顔馴染みになり沖縄弁を教えてもらったり、女性が集まると賑やかになりますねぇ(笑) 歩けるようになってからチャンバーに入る前と後でバランステストをやるのですが、両足を直線状に前後になるように立ち、手をクロスして胸につけ目を瞑って何秒ふらつかずに立っていられるか、ってテストです。入る前は1分間楽勝でクリアですが、なぜか入った後はふらついてしまいます。足を入れ替えて今度は逆の足を前にするのですが、特に左足を前にするとフラついたような、、、。でもチャンバーで寝てる状態からいきなり起きてやると誰でもフラつくのでは?、、。この日は快調で結構長い間出来たと思います。
明日退院できる、また今晩両親が沖縄入りするということでワクワクします。部屋を片付けたり、明日着る洋服を出してみたり。久しぶりに自分の洋服を出すと嬉しくなりました。また初めて病院の外にも出てみました。この日は蒸し暑くてちょっと歩くだけで汗が出てきそう。病室からは海が見えて景色がきれいのですが、どこか外で眺めのいいところがないかなぁとウロウロ。そのうち蚊におでこを刺されてあまりの痒さに退散、、。しかもそこがめっちゃ腫れてしまい、消毒液を塗る。あぁ琉球の蚊は恐ろしいわ・・・・。しかし久しぶりに歩いたせいかなんだか夜息苦しくなってきました。しかも熱が37.5度。明日本当に退院しても大丈夫なんかなぁ?って心配になってきました。だってほとんど歩いてなかったし、実際退院してちょっと歩いただけで苦しくなったらどうしよう?突然悪化して心不全とか起こさないのかなぁ。退院を目前になぜか不安な気持ちになってきました。夜に両親が無事沖縄入り。「明日もう一度最後のチャンバー治療があって、その後先生からお話があるそうだからお昼ぐらいに来てね」って。さて、無事レンタカーを借りてここまでちゃんと来れるのだろうか??と不安に思いながらベッドに入りました。あー、明日は退院!
[4月17日(Thu)] --退院の日--
朝目覚めると、昨夜の胸の苦しさも消えスッキリしていました。熱も下がり(でもまだ37.0度ぐらい)。しかし良かったぁ〜。いよいよ退院か。本日のメニューはチャンバーに1.5時間。これも最後です。
今回私の受けたHBOは、5時間を2回、2.5時間を3回、1.5時間を2回、合計7回チャンバーに入りました。しかしすごい効果だなぁ、だって肺水腫に心不全起こしてて、内服薬とか一切無しでチャンバーだけで良くなったのです。後から知合いの看護士に聞いたら普通は利尿剤とかガンガンかけるって。
片づけをしてるうちにHBOの時間に。チャンバーに入るのもこれが最後です。廊下で順番を待っていたら先生が登場。あれ、いつもと違う制服?「先生パイロットみたい」ってバカなことを言ってしまったけど、ドクターヘリ搭乗用の制服のようです。先生に「昨日外を歩いたら苦しくなって、それで熱が出て寝込んでました」っていうと、「え!?」って言って慌てて聴診器を当てる先生。「無理して歩いてハッハっ言うてたんじゃないの!?」って言うから「そんなに歩いてませんよ、蚊に刺されて帰ってきました」って私。チャンバー室の女性スタッフたちがすかさず、「えーー、もう蚊がいるんだ」。「いますよ〜蚊、しかもおでこかまれて、めーっちゃ腫れあがってアルコール塗ったんですよ、ほら、ここ!」。「ほんと赤くなってるぅ」。「沖縄の蚊ってデッカイですよね、昨日も部屋でしとめたら・・・・・」って感じで蚊の話に盛り上がってしまった私達。えーっと、私、何で苦しくなったんでしょう????「でももう大丈夫です、朝起きたら治ってました」って言うと、「無理したらダメよ!!」って先生。なんか何回もその言葉言われてたような、、、。すでに私の性格も見破られているようで、、、。沖縄弁の復習した後に、はい、最後のチャンバーです。
昨夜苦しくなったので、念のためもう一度レントゲン撮ることに。チャンバーが終わったあと一旦部屋に戻り昼食を食べてからレントゲンのようです。
部屋に戻ると、両親が無事に到着してました。ちゃんと来れたようでよかったよかった。そういう意味でも二人の顔を見て安心しました。ありがとうね、来てくれて。そして昼食を取り(父親は最上階の展望レストランでソーキソバを食べに。蕎麦アレルギーだけど沖縄のソバは蕎麦粉使ってないから大丈夫。念のために確認したらしい)、そして最後のレントゲンへ。部屋に戻ると、退院おめでとうございますって書かれた請求書が。レントゲンのチェックまだだけど、もう請求書来たし、まさか退院取り消しなんてならんよね(笑) そうこうしてると先生からお話があるということで全員でERの診察室へ降りました。
パイロット姿の先生、私のレントゲンとエコーを両親に見せて丁寧に説明してくださいました。最初の状態、そして今。私が減圧症によって肺水腫と心不全を起こしていたこと、それが心臓病から来たものではない根拠、そして高圧酸素治療をしてこれだけきれいに回復したこと。こんなに丁寧に説明してくださってありがとうございます。両親は「はぁそうですか・・・」と聞き入っていました。そして一連の説明が終わったら、、、、やはり思っていた通り、、、。「えー、それでね、もう君も年齢を考えてね、あんまり無理をしないように・・・」という先生の一言で、うちの両親も待ってました!とばかりに、「ほんとにねぇ、もう、先生、普段からいつもこの子には言ってるんですがねぇ、もうあんたもエエ加減にしとかな!」って、一体これはなんだ〜!?「何これ〜、みんなで私を怒る会!?」って言ってしまったよ。苦笑
先生と握手しました。最後に「先生ももうあまり若くないから無理しないでくださいね」ってお互い爆笑。よし言ってやった〜(笑)
ほんとに先生には感謝しています。最初になんだこの荒っぽい人は!!って思ったのはお許しください^_^;。最初の日は夜中の3時までかかって治療して頂き、その適切な初期治療を受けれたからこそ短期間で良くなったのだと思います。私はここの病院に連絡してもらってほんとに運が良かったなぁと思います。他にもチャンバーを置いてる病院はあるようですが、幸運にも潜水医学の専門の小濱先生がいらっしゃるところで、またドクターヘリを病院で運営しているこの病院だったからここまで回復したのだと思います。
長かったようで、あっという間の入院の日々。海から上がってあの苦しかった時がウソのように元気になりました。あの時苦しくてオレンジの液体が止め処なく肺に溢れてきて、気丈にしてたけど2回ぐらい死ぬかもって恐くなりました。最初は何も分からず病院を転々と、最後はヘリコプターで連れてこられ、いきなり減圧症と言われてチャンバーに入れられ、まだ減圧症と信じられなく一体どうなるんだろう?って不安になったあの夜。そんなに重症だったのかと自分の症状を知り落ち込んで。何で私だけが?こんなに多くの人がダイビング普通にやってるのに?!って。でもそれからこの数日でいろんなことを学び、私が罹患したことも理解できるようになりました。またさっきも書きましたが自分がいかに幸運で、このような治療を受けていることが喜べるようになりました。絶対治る!って思えるようなり、心境の変化も大きかったです。ここの病院は本当にスタッフも素晴らしくて、看護士さん達にはいつも気遣って励ましてもらい、とても心強かったです。いろんな人といいろんな話をしました。やっぱりダイバーだったり、関西育ちだったり、神戸のバンドが好きな看護士さだったり、、、沖縄の話を聞いたり、どの看護士さん、事務の方にも大変良くしていただきました。ありがとうございます。こんなにゆったりした気持ちで、元気になってからは自分がいつもニコニコしてることに気づきました。沖縄は大好きだったけど、またさらに好きになりました。
減圧症なんかにはなりたくなかったけど、これは私が無理した結果神様が出してくれたWarningだったと思います。振り返ると特にこの数ヶ月は無理なトレーニングで体のあちこちを壊し、極端な睡眠不足、プロテインばっかり飲んで晩御飯もちゃんと食べず。そして花粉症はひどくなり、無理やり薬で抑え込み、ダイビングの前後は更なるハードで緊張を強いられるハードスケジュール。また前回のダイビングは夜にジムに行ってガンガン踊ったりするアホな行動。。。これは為るべくしてなった結果だと思います。本当に自分の生活を反省しました。
また今回両親とゆっくり過ごすことができ、あんなにいろんな話をしたのは本当に久しぶり。一緒の部屋で眠り、観光し、子供の頃に戻ったようでした。実家も近いのにゆっくり帰ることもなく、たまには帰らなくちゃ、、と思うことがあったのですが、今回はほんとによい機会となりました。わざわざ沖縄まで迎えに来てくれて感謝しています。それとダンナにも感謝です。車で鹿児島まで迎えに来てくれました。あの距離を一人で運転するのはさぞかし大変だったと思います。ほんとにありがとう。一週間ぶりに会えた時は感激したよ〜。フェリーから思いっきり手を振りました。ありがとうね。
私の体調ですが、退院してからしばらくは何度か胸が重くなったり苦しくなることが時々ありました。また体が過敏になっていて、帰途中の旅館などでアレルギー症状が炸裂し(布団のホコリで)、鼻水や目の痒みなど、また普段大丈夫なアクセサリーにアレルギー症状が出たりしました。そのせいか退院後2週間ぐらいは風邪っぽく微熱が続き、また仕事復帰第一日目はかなりしんどかったです。地元の病院で念の為、肺にまた症状が出ていないか検査を受けました。退院して一週間後です。レントゲン、エコーともO.K.でした。また血液検査でも退院時にはまだ値が多かった白血球数も下がっていました。炎症反応もマイナスでした。5月に入り続いていた微熱はようやく下がりました。しかし未だに体が過敏で、些細なことで皮膚が痒くなったり、また左手に少し痺れが出る日があります。減圧症の後遺症なのかもしれません。医師に経過を連絡することになっていますが、指示に従って治療したいと思っています。
ガイドをやっている知人に今回のことを話したら、前回のダイビング・プランからして間違えている。夜にジムに行ったのもアカンけど、一日目より二日目にディープダイビングやらせるショップもおかしいって。安いのを売りにしてるショップはそういうところに配慮しないから、もう少しいい店を選ばないと、ということです。確かに私も何でもショップ任せで、プランについても何も思っていませんでした。今回もまた同じショップを使ったのすが、当日の海の荒れ方を見て(彼女のショップも偶然その日同じ場所でダイブ・ツアーを開催していた)、その日はNGってことで違う東海岸の方へ行ったそうです。確かに砂辺を潜っていたのは私たちのグループとあと1グループだけでした。あんな荒れてる海で潜らせるのは信じられないって。確かにチェーン離したらどこかへ飛んで行きそうでした。ああいうのもそてもストレスになるしとても危ないとのことです。
今後またダイバーとして復帰したいと思っています。ファンダイブを普通に出来るところまで復帰できるのか分かりませんが、そのレベルにまた戻れるようであれば、もっとダイビングについても勉強したいと思います。また高くても良いショップを選ぶようにしたいと思います(これは先生にも言われました)。年配のオーナーがやってるお店は丁寧で安全停止もまだかよ?っていうぐらい長かった経験がありますが、これからはそういう安全志向なお店を選ばないといけませんね。
時期を見て復帰プログラムを受けて海に戻りたいと思います。
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