朝日新聞と毎日新聞に反感を抱く人々へ
大矢 勝 (2009.1.12)

【はじめに】
 最近、朝日新聞や毎日新聞に反感を抱く人々が目立つようになってきた。いわゆる「リベラル派」への反発がネット・コミュニティを中心に広がっていることを示すものである。その心情を理解なくもないが、その反感の表明がかなり感情的なものになっている傾向に危惧を抱く。このような社会的な問題に対しては、あくまで冷静で実りのある方向への対応が望まれる。そこで、この問題を論理的に理解するための一つの考え方を紹介したい。社会の在り方を図1に示すように「資本主義−反資本主義」「ヨコ型−タテ型」の2つの軸で捉えるというものである。そして、今後どのように対応すればよいか、提案したい。

【資本主義と反資本主義】
 資本主義とは資本家と労働者からなる社会の土台となるシステムである。現在の世界経済は資本主義のシステムとして動いており、株式会社では株主が資本家、そして株式会社に勤務する者が労働者である。そのた、会社や事業所のオーナーがいて、そこに勤務する形で労働者が雇用される。企業の収入は労働者が稼ぎ出し、その収入をオーナーと労働者が分け合う。オーナーの取り分は、しばしば労働者からの搾取分だと認識される。特に労働者は低賃金で抑え、オーナーには莫大な金額が入って大富豪になるといった場合には、労働者からの搾取として認識される。
 一方で反資本主義は社会主義や共産主義として捉えられるものであるが、共通して資本主義における労働者からの搾取を最大の「悪」として位置付ける。資本は個人ではなく、共同体としての社会が共有する。または、資本の所有という概念を限りなく少なくした共同体としての社会を目指す。これらの社会の実現のためには、大企業による社会支配を打倒することが重要な目標となる。この反資本主義の思想に徹底的に染まりきったのが団塊の世代であり、マスコミの中でその流れを引き継ぐのが朝日新聞や毎日新聞なのである。
 実際これらの反資本主義勢力は、戦後の日本社会の中で市民の権利を守るのに大きな貢献を果たしてきた。たとえば大手メーカーの菓子を購入し、それを開封すると虫が入っていたとしよう。どうなるか。大企業が完全に世の中を牛耳る社会では、消費者は企業に脅されれば泣き寝入りせねばならない。しかし、今の日本では少なくとも名の通った大手企業は、おおっぴらに消費者を抑圧して不利益を被らせることはできなくなった。もしもそのような対応がなされたならば、消費者は反資本主義思想の団体やマスコミ等に駆け込めばよい。客観的に見て、一方的に企業が悪いという事例が明らかになれば、その企業は社会的に大ダメージを受けることになる。反資本主義組織が存在することによって、市民を守ってくれるシステムが整ったのである。
 今後のグローバル時代における資本主義の弊害は益々広がっていくものと考えられる。米国等の金融、エネルギー、農業関連等の巨大資本の途上国からの搾取は大きな問題として注目されており、反資本主義的組織による国際レベルでの監視体制等は今後とも必要不可欠なものであり続けると考えられる。
 しかし、それでも朝日新聞や毎日新聞の論調は問題視されるべき点が多々あるように思われる。これらの新聞の主張は日本に滅んでほしいと考えているのではないかと思われるような記述が多い。資本主義=米国・日本、反資本主義=中国・韓国という位置づけからの結果であろうが、鮮明な反日・反米、親中・親韓の姿勢が垣間見られ、新聞媒体としてのマスコミに求められる中立性が確保されているようには思われない。事実を事実として伝えるのではなく、事実を曲げて伝えて自らの支持する方向へ民意を操作しようとする形跡もネット上ではあげつらわれている。
 その結果、これらの新聞の問題と関連付けられて反資本主義自体に対する否定的意見が発せられるようになってきた。社会主義や共産主義の思想自体に間違いがあるかのごとくである。資本主義を否定する思想に問題があるとの論調である。しかし、これもまた行き過ぎの反応である。資本主義の体制を守るとしても、反資本主義的観点からその体制を監視するシステムは重要である。
 以上のように朝日新聞や毎日新聞をめぐる問題は、資本主義社会の中での反資本主義思想のマスコミの問題として捉えることができるが、資本主義=正義、反資本主義=悪との図式結論付けるのでは全く問題解決につながらない。そこで、「資本主義−反資本主義」の構図に、新たな対立軸を設けて問題を整理することが求められるのである。

【良い資本主義、悪い資本主義、良い反資本主義、悪い反資本主義とは?】
 資本主義と反資本主義の対立軸は重要であるが、それだけでは問題の本質が見えてこない。そこで、良い資本主義と悪い資本主義、そして良い反資本主義と悪い反資本主義とはどのようなものかを考えてみることとする。
 悪い資本主義社会とは特定の大企業が社会を牛耳り、その権力を利用して企業経営者が労働者から搾取し、またメジャー企業が途上国から搾取するなど、特定の資本家が不公正な利益を得て益々力を強めていき、社会の貧富の差が大きく広がる社会を指す。良い資本主義社会とは企業は公正な競争、労働者に対する過不足ない利益配分が行われ、更に利益を得た企業・個人からは相応額の社会福祉的用途の収入が還元されるような社会を指す。資本主義社会自体、個人の自由を最大限に尊重することを基本姿勢とするが、その際に他者の権利を脅かさないことも前提条件として求められる。他者へ迷惑をかけないように配慮しつつ公正な競争で成立する社会が良い資本主義社会である。
 一方、反資本主義についてであるが、悪い反資本主義とは個人の権利を無視した独裁国家などが代表例である。主流派の意にそぐわぬ個人や団体等を弾圧・粛清するなどが過去の反資本主義的国家の歴史の一部として恐れられている。良い反資本主義社会とは「平等」の観点から各人の生きる権利が保障される社会である。個人単位で財産を所有する必要がなく、必要に応じた物資・サービスが社会システムとして保障される社会である。
 このように非常に単純化して整理すると、面白いことが見えてくる。悪い資本主義と悪い反資本主義は実はほとんど同じものなのである。ある個人が資本主義社会の中で巨大企業を起こして大変な権力を得て他者を弾圧して最終的には国家的なボスになるという悪い資本主義。ある個人が反資本主義社会の中で政敵を抑え込んで絶対的権力を得て、その国の政治・経済の全てを個人の意のままに動かすことのできるという悪い反資本主義社会。個人の独裁的体制ということでは何ら変わりはない。
 一方で、良い資本主義社会と良い反資本主義社会も似たものとなる。良い資本主義社会とは他者の権利を尊重する公正な競争のもとで、頑張った者は収入が多く、頑張らなかった者は収入が少なくなるが、収入の多い者から社会に資金が還元され、それをもとに収入の少ない者にも安全で健康な生活が保障される社会である。一方、良い反資本主義社会とは、個人で財産は所有せず、共同体としての組織で生産体制を築き、市民全員に安全で健康な生活が保障されるという社会である。
 つまり、悪い資本主義も悪い反資本主義も、両方とも特定の人物やグループに権力が集中して、他の多くの市民の権利が侵害されることが問題点となる。一方、良い資本主義も良い反資本主義も、権力が一極に集中することなく、社会として各個人の権利が重んじられる体制が整備されるという点が特徴となる。よって、資本主義の是非が問題なのではなく、権力集中か権力の非集中かが問題なのである。上記の権力の集中・非集中の体制の違いを「タテ型社会−ヨコ型社会」の枠組みとして捉えると問題の本質が理解しやすくなる。

【タテ型社会とヨコ型社会】
 タテ型社会とヨコ型社会とは図2に示すような人間関係のあり方の違いを表わす。タテ型社会とは上下の人間関係を、ヨコ型社会とは平等な人間関係を土台とする社会である。タテ型社会の上下の人間関係とは絶対的なもので、上位の者は下位の者に対して圧倒的に優位な立場にあり、下位の者は上位の者に絶対服従を強いられるという社会である。一方で、ヨコ型の人間関係とは他者と自分とが同等の権利を有するという前提で、それらを規定する規則に従うことを旨とする社会である。


 ヨコ型社会における規則とは、たとえば他者を攻撃したり傷つけたりする、他者の所有物を盗む、ウソをついて騙すなどということは、相手が誰であっても許されることではないと定める。通常「モラル」として捉えられる基準をもとに是非が判断されるのである。一方で、タテ型社会では上位の者は下位の者を傷つける、所有物を奪い取る、うそをついて騙すといった行為が特に問題視されることはない。上位の者に不正な行為があったとしても、それを問題視することは許されない。力関係の上位・下位の関係のみが重要であって、上位者の判断こそが規則そのものとなる。
 さて、このタテ型社会とヨコ型社会の間には、情報の流通に関して非常に大きな違いがある。ヨコ型社会では情報に関して真実性が非常に重視され、また客観的であること、論理的であること、科学的であることなどが求められる。一方で、タテ型社会では情報が真実であるか否かはあまり重要ではない。たとえば歴史問題などでも、上位者の決定に異議を唱えるといったことはあり得ない。上位者の決定事項は、そのまま絶対的なものとして位置付ける。ヨコ型社会では真実が正しいこととして取り扱われるべきと考えるので、たとえば歴史問題等でも資料や証拠を収集して真実を追求することが尊重されるが、タテ型社会では歴史に関する情報の歪曲や捏造なども特に問題視されることはない。
 さて、今後の人間社会ではタテ型社会とヨコ型社会と、どちらが求められるだろうか。ほとんどの人々はヨコ型社会が望ましいと考えるであろう。一般にタテ型社会は批判対象として扱われることが多い。たとえば、資本主義に対して異議を唱える者は大企業による支配体制、つまり資本主義のタテ型社会の側面を問題視する。朝日新聞や毎日新聞は、この路線から資本主義、そして日本や米国に対して否定的な態度をとる。
 一方、反資本主義に対して異議を唱える者は、反資本主義の独裁国家における弾圧、つまり反資本主義のタテ型社会の側面を問題視する。朝日新聞や毎日新聞を問題視する者が典型的で、それらの新聞では大企業による一般市民への弾圧を問題視しながら、反資本主義的な国々の人権問題は無視する傾向があり、その点に非難が集まる。片方の弾圧は糾弾して、もう一方の弾圧はなぜ無視するのかという疑問が寄せられる。しかし、もうお分かりであろうが、朝日新聞や毎日新聞は「弾圧」を糾弾することは手段であって、目的は資本主義の否定と反資本主義の肯定なのである。

【問題の本質は?】
 以上のように考えていくと、問題の本質が見えてくる。朝日新聞や毎日新聞が「資本主義−反資本主義」のモノサシ以外に視点がなく、いつまでたっても「打倒資本主義」の呪縛から逃れられない点が混乱の原因なのである。
 通常、資本主義を積極的に支持する者は、ヨコ型社会的な資本主義とタテ型社会的な反資本主義を、つまり、他者の権利を尊重した公正な競争社会と人権無視の独裁国家を比較している。一方、反資本主義を積極的に支持する者はヨコ型社会的な反資本主義とタテ型社会的な資本主義を、つまり人々が平和に暮らす平等な共同体社会と大企業の悪質な独占社会を比較している。よって、朝日新聞や毎日新聞は資本が個人に帰さない平等な社会を理想として、私利私欲にまみれた大企業の悪人を打倒することを目的として記事を書いているのである。反資本主義国家での市民の弾圧等は好ましいことではないが、それよりも資本主義を打倒することの方がずっと優先されるべきと考えている。そのため、反資本主義的国家や団体等に不利になる情報はできるだけ抑えようとする。
 反資本主義勢力の強力な援軍となっている中国や韓国を敵に回すわけにはいかないので、それらの国々に対しては日本を卑下しつつ徹底的に持ち上げる。これが「資本主義−反資本主義」の視点をほとんど有していない者にとっては大変異様に映り、日本の大手新聞が反日を目的とした記事ばかり掲載するのは何事かと憤る。日本が嫌いならば、日本から出ていけばよいではないかと考える。たとえば、国旗に敬意を表すというのは世界中でも当り前のことであるが、なぜ、日本では国旗に敬意を示さない教員がいて、その態度を大手新聞が支持するのか?これでは、新聞社が反日国家に支配されているのではないかと疑う人も出てくることも当然のこととして受け止められる。
 また反資本主義的陣営は平和・反戦と声高に叫ぶが、そう言いつつ示す好戦的な態度は何なのだ?どう見ても今の日本の中で一番争いごとが好きなのは平和・反戦を声高に叫んでいる人たちではないのか?それらの戦争好きに見える陣営に対して明確な支持を打ち出す新聞社の意図は何なのだ?このような疑問を抱く人々が増えるのはごく当たり前のことなのである。
 しかし「資本主義−反資本主義」のみに捉われている新聞社の視点からは、これらの否定的見解は理解されない。私利私欲に走った悪質な資本家の戦略に、まんまと乗せられた頭の悪い人々だと見られているのだろう。「資本主義−反資本主義」の尺度しか有していないことが根本的な原因なのである。
 よって、朝日新聞や毎日新聞に問題意識を持つ人は、同じく「資本主義−反資本主義」的な尺度で考えてはいけない。「資本主義が悪い」という意見に「反資本主義も悪い」と言い返したところで何も話は進展しない。異なる尺度として、たとえば「ヨコ型社会−タテ型社会」の観点からのアプローチが求められるのである。ヨコ型社会の実現のためには、真実を大切にする態度こそが重視されるべきで、情報を操作して何らかの方向に世論を導こうとするのは下賎で蔑まされるべき態度だと伝えることが求められる。
 情報操作を避けるためにも、正しい事実を正確に伝える部分と個人的な意見は明確に分けて情報は伝えるべきである。判断は各読者に任せることが本来あるべき姿であって、もしも市民の判断を操作しようなどと考えたならば、それは自分自身がタテ型社会への推進者として「社会悪」になり下がったことを意味する。

【科学的態度がなぜ必要か】
 私は政治や経済の専門家ではなく、洗剤・洗浄を対象として研究している者である。ただ、合成洗剤・石けん論争、つまり合成洗剤は有害なので石けんを使用すべきとする消費者運動に関連して社会的な問題についてもあれこれ考察し発言してきた経験から、朝日新聞や毎日新聞の問題に共通する課題に突き当たった。実は、合成洗剤を否定して石けん支持する人々の特徴が朝日新聞や毎日新聞の論調と重なるところが多かったのである。それらの新聞が合成洗剤を否定しているとは思わないが、本質的な部分でそれらの新聞社の政治的発言と石けん推進派の言動に同じ流れが感じとられるのである。
 「合成洗剤=資本主義」の構図からであろう、反合成洗剤のシンボルである石けんは反資本主義的な考え方を有する人々から大きな支持を得てきた。そこで疑問に思ったのが「反資本主義的な考え方の個人・組織が科学的・論理的態度を軽んじる事例が多いのはなぜだ?」ということ。合成洗剤追放の目的のためなら、データの捏造や歪曲等も構わないという態度を示す人・組織をよく見かけたからだ。
 そこで私は、「正義の仮面をかぶって不正な情報操作をするとは許せない連中だ」と怒りにまかせてネット上のWEBサイトや書籍で吠えたてたこともあった。しかし、その後、当該の人々はその情報操作に悪意はなく正しいことだと信じ込んでいたこと、そしてデータの捏造等に対する罪悪感がほとんどないということ、そして同じ組織の上位者を全面的に肯定し、上位者は下位者を利用することになんら罪悪感を感じることのないといった特徴を感じとった。自分に不都合な情報は力づくで抑え込んでしまおうとするような態度にも驚いた。洗剤問題を論議するにしても「科学」や「論理」が通用せず、全くコミュニケーションが成立しないのである。これらの経験を通して、今回「タテ型社会」と表現した人間関係を認識したのであった。
 そして、「合成洗剤 vs 石けん」の尺度のもとで論争しても何ら問題解決に結びつかないことを知った。もっと問題の本質に迫らねば意味がない。石けんと合成洗剤の性質や特徴について論議するよりも、科学的に正しいことを素直に正しいとして受け入れる態度を共有することが何より重要だ。ここでいう「科学的」とは難しい学術的なレベルでの研究成果を指すのではない。「真実が正しい」とする価値観の最上位の概念としての「科学的」という意味を指す。真実をそのまま受け入れて、各個人が自分自身の頭で判断することが求められる。タテ型社会を実現するため、つまり他者に迷惑をかけないという大前提の下、公正でクリアな人間関係を構築するには、ありのままの事実と一般常識的な公正なルールに基づいて判断が下されるべきである。
 環境や安全に関連する争点に関してならば、それはできるだけ多様なデータや意見を取り上げ、それらをもとに科学的な土俵の上で論議され判断されるべきである。偏りのあるデータのみを提示して、またデータを捏造するなどして、情報を意図的に操作するようなことは絶対にあってはならない。これがヨコ型社会で最も重視されるべき理念であり、その理念を社会的に共有できるよう働きかけることが求められるのである。
 残念なことに、反資本主義的組織の多くが、上記の石けん支持者に共通するタテ型社会的な特徴を有している。資本主義に対抗するために反資本主義的組織の結束力を強化し規模を増大せねばならなかったのであろう。そのためには資本主義の問題点を明白にすることが重要であり、多少の情報操作等は問題視されなくなったのであろう。その歪みが朝日新聞や毎日新聞に特に目立つようになり、反発を生むようになってきたものと考えられる。

【反資本主義を責めるのではない解決策】
 本来は「反資本主義=タテ型社会」ではない。反資本主義組織にみられる情報操作等の問題点は、反資本主義だから派生した問題ではない。乱れた資本主義からも同様の問題が発生する。よって、反資本主義的態度を責めるのも的外れな対応なのである。種々の政治的意見の発言は抑え込まれるべきではない。反資本主義的意見だけではなく、反日も愛国も、どちらも自由に意見を述べる権利は保障されるべきである。ただ、その意見の表明には虚偽の事実の提示、データの捏造、強迫的態度、強制などがあってはならない。個々人の自由な判断を尊重するよう、最大限の努力が払われるべきである。
 実は「資本主義−反資本主義」の軸を意識しない者からは、既に「タテ型−ヨコ型」尺度からみた社会の問題点が感じ取られるようになってきている。ヨコ型社会の土台は「社会モラル」である。他者の所有物を盗んではいけない、他者を傷つけてはいけない、嘘をついてはいけない、乱暴な言葉で脅してはいけない等々の基本的常識を共有し、自分以外の者の権利を侵害しないことが重視されるべきである。
 しかし、道徳的教育等は反資本主義的組織からは敵対視されてきた。軍国主義とのイメージの重なりが、その流れを生んだのであろう。軍国主義的な愛国思想と社会モラルとは全く異なるものであるはずだが、「道徳」は徹底的に抑え込まれてきた。その結果、社会としての道徳・モラルという概念が薄れる傾向に拍車をかけた。常識的に考えても、モラルの概念が薄れれば、モラルに反した行動が増える。朝日新聞や毎日新聞は犯罪が増えるのは国の責任だという主張を繰り返すが、「モラル教育を破壊した張本人の新聞社が何を言うのか?」と、これまた多くの反発を招く。
 教育現場でのモンスターペアレントにみられるように各分野でクレーマーが社会を乱すようになった。これらのクレーマーは、ヨコ型社会の社会ルールという概念が希薄で、タテ型社会的な人間関係を基本とする。その人間関係構造の中でクレーム先の相手よりも自分を上位者に位置づけている人物が悪質なクレーマーである。タテ型構造での下位者に対してクレームを投げかけているのだから、話が通じるはずもない。クレーム内容が適正かどうかは重要ではなく、自分の言い分をそのまま受け入れることが当然だと思っているのであるから。
 これと同様の人間関係の問題はどこにでも転がっている。ある種の人格障害の問題と重なる場合が多いだろうが、たとえば、人が人間関係でいやな思いをする経験の中で、このクレーマーと同様のタイプの人物、つまり他者の権利を尊重しないタイプの人間が関与したトラブルの割合はどれほどであろうか。かなり高い割合であろうことは容易に想像できる。共同体としての「社会」の認識がない、タテ型思考の人間が大きな原因になっているトラブルである。これらのトラブルの原因となる人々は、極端に言えば「社会」を認識する教育を受ける機会を反資本主義的組織による圧力によって奪われた人々であるとも表現できる。
 自分の属する社会のルールを大切にすることが社会を守ることにつながり、そして社会に属する自分も守られる。この点は資本主義であろうと反資本主義であろうとも重視すべきことに変わりはなり。不公正なことをしても自分が他者よりもトクすればよいと考えるのはダメだという感覚を共有すること、それは資本主義の是非を論じるよりも優先されるべきである。
 今後の社会がどうあるべきかを考えたならば、朝日新聞や毎日新聞を代表とする反資本主義勢力は「資本主義−反資本主義」の枠組みから「タテ型−ヨコ型」の枠組みへと思考パターンをシフトしてもらいたいと願う。反資本主義勢力そのものが消滅することは、社会にとっても大きな損失となる。また、朝日新聞や毎日新聞に反感を抱く人々も、反資本主義を責めるのではなく、「タテ型社会−ヨコ型社会」等の新たな軸足を提言するよう働きかけることが求められる。反資本主義的な社会を目指すにしても、反資本主義的なヨコ型社会を目指すべきであって、そのカギは「真実を大切にする」ということに他ならない。

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