2004年 備忘録

2004年12月31日(金)
大晦日
遂に今年も終わりだ。遂にというよりも,はやばやとと言ったほうが適切な表現かもしれない。今年の年末はテレビもつまらなそうだし,どうしようかな〜と午後5時になる今頃考えているところ。みなさまはどのようにお過ごしになるのかな?年越し蕎麦は必ず食べるだろうけど,都会の住まいの方は年始の初詣に出かけるのかな,真夜中から…。では今年はこの辺で,来年もよろしくお願いします。
2004年12月30日(木) 今日昼ごろに鳴門を出て帰省した。割にスムーズに帰ってこれたが,それでも約4時間かかった。地図で見ると鳴門と大阪は対岸で,直線距離ではそれほど離れてないのだが,一旦淡路を縦断して舞子に出た後大阪の都心経由でぐるっと回る必要があるので,どうしても時間がかかってしまう。南をまわろうとすると,フェリーなどを使わなくてはならず,これも時間がかかる。なんとも帰省するだけで半日仕事。それに帰ってきたはいいが,とにかく昔の家は隙間風がひどくて寒い。
2004年12月29日(水) 今年は年の瀬まで気ぜわしく走り回った。それは昨日までノルマがあったために年次休暇が取れなかったのだ。というわけで昨日の午後年賀状の印刷をして,今日の午後に年賀状の宛名プリントをし,午後3時過ぎにやっと仕上げて仕分けをし郵便局へ出しに行ってきた。朝のうちは雨が降っていたが,午後に入って風は吹いていたが晴れ間が覗いたのでちょうど出かけるにはよかった。ついでに明日から帰省するため生活必需品の荷物を宅配便で送り出しもした。あ〜やっとこれで今年もほぼ無事に越すことができる。それはそうと,ちょうど自転車を踏んでいる最中に知った顔が道路の向こうのほうに見えたので近づいてみたら同僚の奥さんだった。魚屋さんへ買い物に行ってきたとのこと。しばらく立ち話をしてしまった。忙しいところだっただろうに迷惑だったかもしれない。
2004年12月28日(火)
納めの不動
仕事納め
午後6時半ごろ新潟で鎮まりかけていた地震が再び起こった。震度5弱とのこと。つい2日前マグニチュード9のスマトラ沖地震があったばかりなので,地元の方々はこの前に続いてドキッとされたことと思う。今頃は冬の到来に伴って寒波も押し寄せている地方なのに,家の中でゆっくりとくつろぐこともできない正月になりそうな気配である。もうそろそろおさまってくれと言いたいくらい。それはそうとスマトラ沖地震で死亡された方は最終的には4万人を超えそうだという。自然の仕業とはいえ大変な大惨事になっている。津波の怖さが如実にわかる地震ではあった。
2004年12月27日(月) スマトラ沖地震の津波被害がやたらに大きくなっている。マグニチュード9の地震が海底で起こり,それも余震の震源域も入れるとほぼ海岸線に平行な方向に非常に長い領域だったことから,波面がちょうど陸地の沿岸線に平行となり,それが狭く浅い湾状の領域へと押し寄せたからさらに波高が高まったものと思われる。風の被害よりもこういった水の被害のほうが破壊力が大きいので,家もろともに流されることになる。ちょうど水害時の土石流と変わりがないほどの破壊力だ。それにしても最近マグニチュードの大きな地震が各地で起こっているのがどうも気になって仕方がない。日本でも南側日本海溝への沈み込むプレートがあるので,要注意だ。マグニチュード9が起こると,やっぱり波高の高い津波が押し寄せることは間違いないので・・・。
2004年12月26日(日) 寒い日曜日だった。ということで一歩も外に出なかった。運動不足このうえないが暖かい部屋の中から急に寒いところに出ると身体にさわるので,今日は昨日し損なった部屋の掃除をし,普段まったくやることができずに放り出しておいた使い古した中心部分が破れかけたタオルを雑巾に縫う作業も完了。ミシンを出したついでに毛布のホツレも修繕した。これもかなり長い間寝ながら襟元にホツレができていたので気にはなっていたのだが,修繕する暇がなかったもの。これで新年を迎えられるようになった。明日・明後日と出勤すればおしまい。勤務先のコンピューターのサーバーの一部が28日の16時から1月4日の午前9時まで停止するのでこの間はその入力ができない。この間は親父も純粋に休みにするつもり。しかし,よく考えてみると(考えなくてもか(笑))今週の土曜日がもう来年の元日なんだ。何という時の進みの速さ!!!
2004年12月25日(土)
クリスマス/終い天神
朝のうち晴れていたが,昼前に曇り始めて夕方には雨。寒冷前線が通過したためだと思われるがこの雨が降ってからというもの一気に寒くなった。ついに足元の暖房器具をつけた。夕食には1人暮らしではあっても身体が温まる鍋にした。野菜の補給にもなるし・・・。いつもの年なら今日くらいに帰省して27日頃には墓参の準備をしているところだが,今年は27日まで仕事があるので帰省するのは28日夜か29日になりそう。
2004年12月24日(金)
納めの地蔵
クリスマスイブだ〜。おまけに,祝日と土曜休日の谷間にはまった平日で何もやる気が起こらない。しかし,会議が設定されていたのでやむなく出勤(笑)。今日の会議はいつもよりは早く終わるかと思っていたが,そうは問屋がおろさなかった。14時40分開始で,いつもなら約1時間半ほどで終わるのだが,今日は審議事項のおまけがたくさんついていて,結局18時前までかかった。延々3時間余りという長〜〜い会議だった。終わる頃には頭の中がこんがらがって来そうになって,もう少しで本性暴露的発言をしそうになってしまったが,辛うじて正常範囲の意識のうちに終了できた。帰りにスーパーに寄ったらいつも買えるはずの惣菜コーナーはクリスマス特集惣菜セット一色。これが家族用になっているので単身赴任の身には大量すぎて買う気にならない。ケーキ屋さんも大はやり。帰って夕食をしたのが8時前。明日が土曜日でよかったよ!
2004年12月23日(木)
天皇誕生日
1日中寒気が居座っていてまさに冬到来という雲行き。北陸や東北・北海道では雪雲が厚く垂れ込めた何ヶ月かとなる時期である。新潟中越地震の被災地でもテントでの避難生活をしていた方々が自分の故郷の戻ったと聞く。しかし破壊されてしまった家自体は,そうやすやすともとに戻ることはなく避難所ではなくなったというだけで,仮設住宅での生活が続く。さらに最近でも震度こそ小さいがまだまだ余震に見舞われている様子。もっとも大事な故郷での平和な生活を脅かされる年の瀬となる方々の気分たるや察するに余りある。一刻も早い地震の沈静化と普段どおりの安定した生活に戻ることができることを祈るのみである。
2004年12月22日(水) 今年最後の会議デー。9時から10時半まで一つ目の重要会議。10時40分から11時50分ごろまで二つ目。昼飯を慌て気味に食って,13時10分から16時20分ごろまで三つ目と四つ目を連続で。それに加えて,明日が休日ということもあって,今夜は午後6時から8時ごろまで弟子と同僚とで忘年会。というわけで,朝家を出てから帰って来るまで自分の部屋の椅子に座った時間は合計で半時間足らず。くたびれてしまった。しかし,忘年会はいつもながら楽しかった。明日は少しゆっくりしたいが,今日の会議の報告書つくりが控えている。今年ももう少し。がんばれ自分!
2004年12月21日(火)
冬至/納めの大師
さすがに冬至だけあって寒い1日だった。雨は降らなかったものの雲行きも怪しく雪が降りそうな気配も漂っていた。いよいよ真冬の到来です。天気図も西高東低になりつつあってこれからは朝起きたら突然強風が吹いているとか,窓に結露ができて水が滴り落ちているとか・・・。あ〜嫌な季節がやってきたな〜。でもまあ真夏の暑過ぎるのよりはましだからいいとしよう。冬の寒いのは着込めば済むから・・・。
2004年12月20日(月) 何故か今日は1日体調不良だった。恐らく低気圧のせいだと思われるが,丸々1日眠たさが身体中に充満している感じが抜けきらなかった。気圧のせいだけではなく,どうもどこか体内に異変が起きているような感じがして仕方がない。ただ3週間か1か月に1回はこういった状況に陥ることが多い。よほど注意をしていても身体の調子がよいときには少々のこと無理をしてしまうのでこうなってしまうのだ。体調不良のときには注意しなければと思うのだが,四六時中そうも思ってはおれないし・・・。あ〜困った困った。
2004年12月19日(日) 昨日は曇っていたのと仕事を持ち帰っていたのとで忙しくちゃんと隅々まで掃除をする暇がなかったので部屋の掃除をした。午前中は晴れ間も見えていたし昨日に比べて気温も高かったため掃除は比較的楽にできた。これで来週1週間また気分よく過ごすことができそう。夕方から買い物に出かけた。夜に入って厚い雲がかかり始めた。明日の天気はどうかな。
2004年12月18日(土)
納めの観音
寒い1日で,さすがに冬至が近づいていることがよくわかる。仕事を持ち帰っていたので,午後にはそれを済ませようとがんばりすぎて肩が凝ってきた。最近は事務的な文章ばかり書いている。嫌になってくるな〜。でも今日でほとんどの部分を書き上げてしまった。明日日曜日まで持ち越さなくて済んだ。明日は昼寝をするぞ!
2004年12月17日(金) 昨日書いた会議の日程は来週の水曜日22日の朝9時からに決まった。暮れも押し詰まってからいくつもの会議が降ってわいたように出てくる。午後4時20分から6時前までノルマをこなした。このノルマはあと1月21日にもう1回やって終わり。そろそろ冬至が近づいてきているのでやたらに日の入りの時刻が早くなってきている。夕方バス停で帰りのバスを待っているときには既に真っ暗。1人でバスを待っているのは寒いし侘しいもんだ。
2004年12月16日(木) そろそろ仕事から逃亡したい気持ちになっていると昨日の日記に書いたとたんに,走り回らなくてはならない仕事が飛び込んできた。スタッフを集めて説明しなければならない事態が発生したためだ。それほど重要ではないときにはメール会議で済ますことができるのだが,今回の案件については直接会議にかけておいたほうがよいと判断したから。来週空にこの会議をクリアーして今年中に結果を出してしまうことにしよう。
2004年12月15日(水)
年賀郵便特別扱始め
今日も忙しい1日だった。これで息つく暇もないほど忙しい日が3日続いた。明日は午後にはノルマが入っているが午前中はノルマがないので,少しゆっくりはできるかと思うが,そう思っていると突然電話が飛び込んできたりするのが通常。気を許していると,見る見るうちに仕事の山ができて行く。もう処理能力の限界。そろそろ音をあげることにしようか。
2004年12月14日(火)
義士祭
晴で日中はかなり暖かくなった。今日は,ほぼ1日中会議室に閉じこもらなければならないくらいの密集した会議だった。終わってから考えたら,一体何の会議に出ていたのかを忘れてしまうくらい頭の切り替えができないほどの密集度だった。自分の部屋で椅子に座っていたのは昼飯時だけ。疲労困憊。
2004年12月13日(月) 昨日とは打って変わってよく晴れた。午前中は定期診察のため病院に行く。主治医といろいろ話したが,MRIの結果について「加齢による脳の萎縮が認められる」という診断が下ったとの話をして笑った。そのうちわけのわからないことをいうようになるかもしれないので,家族にも周りの方々にも,辻褄が合わないことを言い始めたら直接注意をしてくださいと言ってあることを話もした。親父の親父はアルツハイマーでいわゆる老人ボケのまま何年間か生きていましたので,周りの家族が大変でした。こういうことになるまいと心に誓っていますが,さあ,どうなることやら・・・。
2004年12月12日(日) 曇りがちの日曜日。先週1週間の疲労が出てしまい,今朝は10時半まで寝てしまった。外も比較的暗かったので寝やすかったのもあってずいぶん久方ぶりに十分に寝ることができたが,まだ寝足りない感じ。午後には,一昨日あった会議の報告をつくった。この報告書は内容を網羅しておかなければならないので少しばかり時間がかかった。肩凝りになった。明日中にはこの報告を届けておくことにしよう。
2004年12月11日(土) 晴の好天気。朝は平日よりも早いくらいの6時ごろに目が覚めたので2時間ほど二度寝して8時に起床。土曜日の日課の布団干しと洗濯,それに部屋の掃除をした。日中ほんのわずかな時間だけ曇ったが後は太陽の光が十分で乾燥もしていたしよく乾いた。毎週土曜日がこれくらいの天気だったらよいのに・・・。そろそろ年賀状の印刷をしないといけないのだがなにやら気乗りがしない。
2004年12月10日(金) 今週はやたらにいろいろなことがあって忙しいというよりも過剰に忙しい週だった。今日も10時40分から12時10分まで会議。この会議はかなり重要なものだったし自分が議長だったので気を遣ったがスムーズに進行できてほっとした。この会議が無事終わったことによって昼飯の味が倍増した。同僚からメールがいくつか送られてきたのでそれに逐一返事を書いたら時間がかかってしまった。夕方16時20分から18時までは同僚の弟子の指導を見学。このあと同僚はまだもうヒトツ弟子の指導をすると言っていたので,お先に帰ってきた。やっと訪れた金曜日!少しばかり気分的にゆったりしていられるかな?
2004年12月09日(木)
障害者の日
今日は障害者の日でNHKの番組では,新潟地震の際に障害者への援助がほとんどなかったので,避難するのが大変であったことが伝えられていた。その中には全盲の方の場合も報道されていたが,普通に視力がある場合でも歩行できなくらいに道路が破壊されてしまっているのに,全盲の方にとっては避難どころではなかっただろうと察することができる。ただこういったときには,自分の命さえ守るのが大変なのに,他人に関与しているだけの気持ちの余裕がないのが一般的であり,この矛盾する状況を如何に切り抜けるかが障害を持った人たちに援助する際に大問題となる。今後起こりうる大きな地震に対する対策を考えなければならない。
2004年12月08日(水)
針供養/こと納め
納めの薬師
9時前に出勤したら即座に突然臨時的な打合せ会議が飛び込んできた。10時15分までこのために時間を費やした。意思の疎通がこのところの忙しさにかまけて少し不十分になっていたための補修措置的な打合せ会議だった。これが済んでから昼食までの時間に午後の会議の準備をしておく。13時30分から15時までもうひとつの会議。この会議に間に合うと思っていたちーせんからの送付物が間に合わなかった。残念!会議終了後,依頼のあった書類に目を通して確認する作業を行った。これだけの仕事で今日1日が終わった。ある意味空しい気分がした1日だった。今午後6時40分だが,なにやらよからぬ予感がして仕方がない。体調不良になりかけているのかもしれないがいつもとは少し違った胸騒ぎ的な予感。一両日中に,どこかでまた大地震でも揺るのかな????ホントにならないでほしい胸騒ぎだ。
2004年12月07日(火)
大雪
大雪。24節気のひとつで,太陽の黄経が255度に達した日をいう。やっとのことで強風は去って今朝は比較的穏やかだった。普段の週なら水曜日が会議デーなのだが,今週だけは今日火曜日が会議デーに設定された。9時から11時半ごろまで一つ目。昼飯をはさんで13時10分から16時まで二つ目。10分の休憩をはさんで16時10分から17時40分まで三つ目。というわけで丸々1日中会議室に篭りっきりという事態に。今日はまだ少しばかり体調がよくこの連続会議でもそれほどくたびれなかったので助かった。しかし,報告をつくる気力はさすがになくなってしまったので,すべての会議の報告書は今週中に書けばよいくらいに思っておこう。
2004年12月06日(月) 寒いのかそれほどでもないのかわかりづらいほど中途半端な気象状況。そうはいっても今日は昨日のような強風はおさまってやや安定した天気。午後1時から2時半までは弟子の指導。2時40分から4時10分まではノルマ。久しぶりに立て続けに密度の高い仕事が続いたら疲労困憊になった。これはもうあまり集中して仕事ができないな〜と思う。かといって怠けていると身体がそれを覚えてしまってかえって体力が落ちていくことにはなるし・・・。もともと左半身に障害を抱えた身には人が5でよいところを8くらいの力を出さないと動きが鈍くなるという具合に,かなりしんどいところがあるんだよな〜!
2004年12月05日(日)
納めの水天宮
今日は毎年12月に行われる年中行事「科学絵画展」の審査員を引き受けていたので,午前8時50分に家を出て迎えに来てくださった同じく審査員をやってくださる先生の車に便乗させてもらい審査場所まで出かけた。10時から12時まで2時間かけて200点余りの作品中から20数点の入選作を選び,さらにその中から最優秀作品を1点選ぶ作業をした。毎年思うことだが,美術というのはある意味で客観的な基準を確立できるまでに時間がかかってしまうので,なかなかこれが最優秀だと決定するまでには時間を要した。しかし,一応2時間あまりですべて完了し,1時過ぎには家に帰ってくることができた。その後昨日に続いて再度部屋の掃除もした。昨日は通過しているすごい低気圧のせいで不整脈が出ていたが,今日は不整脈の頻度が減っているところをみると風は強く吹いているが明日の天候は回復に向かうものと思われる。
2004年12月04日(土)
人権週間
朝のうちは曇りだったが,午後に入って雨が降り始め,夜には風雨に見舞われている。日頃の疲れが出てきたらしく朝起きるのがつらい。幸い今日は土曜日で休みだったので朝は最近になくゆっくりと11時ごろまで寝てしまった。しかし,起きてから夜までの時間が非常に短くて,土曜日課の部屋の掃除と洗濯とをしたらもう既に2時ごろになっていた。5時には同僚の家での夕食にご招待され,お呼ばれすることになっていたので久しぶりに夕食を自炊する必要がなくて少し気楽。5時から9時ごろまでしゃべりながら食事をご馳走になった。鴨鍋!美味しかった〜〜。Kさんご馳走になりありがとうございました。
2004年12月03日(金) 今日は最悪の日だった。午前9時から12時まで会議。日中はまったくノルマがなくて午後4時20分から6時までノルマ。というわけで朝と夕方にそれぞれノルマが分散されてしまっていて非能率的な1日だった。かといって昼の時間が空いた時間帯は午前中の会議の報告書をつくる必要があったので昼寝をしているわけにもいかなかった。この間に不思議なメールが知り合いから届いたので電話で確認を入れておいたら夕刻のノルマ中に返事の電話をくれた。最終的には間違いメールを発信してしまったとのことだった。どおりでなにやら身に覚えがない内容のメールだと思った。金曜日の割には何とも忙しすぎる日だったな〜!
2004年12月02日(木) ノルマがまったくない1日だった。そこで出がけに郵便局で振込みが必要な本の予約金などを振り込んでから出勤した。同僚から電話があって友人の連れ合いのお父さんが亡くなったのだがどうしようという相談。直接の関係がないので何もしないことにしようということで話がまとまった。午後は昨日まとめてスタッフに提示した書類の見直しを行った。まちがい箇所を発見したためメールでこの点を修正することを知らせた。そろそろ忘年会の話が持ち上がる時期になってきた。メールでも忘年会の予定を問い合わせる内容が流れ始めている。
2004年12月01日(水)
歳末助け合い運動
鉄の記念日/映画の日
毎水曜日が会議デーとして設定されてはいるのだが,今日は珍しく午前10時40分から12時過ぎまで会議ひとつがあっただけ。午後は本当にフリーだったのも水曜日にしては珍しいこと。ところが,このフリーを利用して昼寝をしようと椅子にもたれていい気持ちになろうかとしていたところへ先輩からの電話と同僚からの電話が2件飛び込んできた。最初の先輩からの電話がかかってきたときには5分くらいというので相手をしていたら話がどんどんと拡張されて約30〜40分も話が長引いてしまった。この電話で目が冴えてしまったので最終的に昼寝もせずじまい。その代わりと言っては何だが早めに帰宅することにして4時半に部屋を出て帰りのバスを待つためバス停へ。夕食のネタを仕込んで帰ってきた。 ちーせんと何度かメールのやり取りをした。パソコンの仕様に関するものだたが,メーカーごとのネガティブな特徴のようなものを教えてほしいという内容だったので,たまたま今朝の会議の席で話をした矢先だったのでタイミングよくこのときの内容などを知らせておく。
2004年11月30日(火) 忙しい1日だった。9時から11時まで会議があったがこれが実は10時半終了予定だったもの。11時過ぎに自分の部屋に帰って病院の予約センターに電話を入れて耳鼻咽喉科の今日の診察予約を入れてからタクシーを呼び病院へ急ぐ。今日は新人の医師が担当していたので,やたらに丁寧な診察が続いていて,次々と遅れていて,結局11時半に行ったのに診察は2時半をまわったころになってしまった。薬局で薬をもらい再び病院前からタクシーを飛ばして勤務先へ戻り,メールを読んだり事務分掌を片付けたりしてから,16時20分から17時50分まで同僚とともに弟子の指導。18時33分のバスに間に合って帰宅。ゆったりと椅子を温めている暇がなかった。お蔭で弟子の指導中から帰りにかけて不整脈多発。自宅に帰り着いて一服したらやっとおさまった。
2004年11月29日(月) このところ晴れ続き。予報では明日もよく晴れるとのこと。でも昨日の夜(もうひとつ別の)日記を書いているときに,そちらにはちゃんと記されているのだが,天気がよくて体調がいいはずなのに何かしらへんな胸騒ぎがして,ここ2〜3日の間に何か起こりそうな気がすると書いた。あまりよくないことにこの予感が的中というか当たって北海道東部で震度5強の地震が起こってしまった。何もないことを祈りながらその日記には記したのだが。動物的本能というのは割に当たるものだということが不思議なくらいだ。まあでもたまたまだということにしておこう。次回も何か感じたときには前もって書き残しておくことにしよう。
2004年11月28日(日)
税関記念日
既にパソコン暦の通算の週表示が今日で49週目に入った。1年は52週プラス1日なので今年も後わずかになってしまったということ。12月まで今日も含めてあと3日しかなくなってしまった。月日の経つのは早いものである。また気ぜわしい年末がやってきた。特に今年は最後の週まで忙しく立ち働くことになりそう。12月くらいは少しは雑用から解放されてゆったりと過ごしたいのだが・・・。
2004年11月27日(土) 途中で少し曇りはしたが,ほぼ晴の好天気。日頃の過労をとるのに昼ごろまで寝ようと思っていたが,朝から予期せぬ来客が続き,3人もの方が訪問されることとなった。3人とも日頃から大変お世話になっている方。というわけで,来客のお相手以外はいつもの週末土曜日と同じように部屋の掃除と洗濯に明け暮れた。日中と夜との温度差が非常に大きいのと空気が乾燥しているので風邪を引きやすい状況。親父もここ2〜3日どうも風邪気味。喉がいがらっぽい。うがいと手洗いを欠かさないようにしよう。
2004年11月26日(金)
三の酉
天気予報では午前中は晴だが夕刻には雨になるとのことだったので,出がけに自転車で出かけても帰りは駐輪場に放り出したままで帰ってこなければならないだろうと思っていた。ところが,風はかなり強く吹いていたが帰りにも雨は降っていなかったので自転車で夕食の買い物をして帰ることができた。無性に焼きそばを食いたくなったので焼いて売っているのを買って帰り手軽に済ませた。夏には体重が標準までちゃんと落ちていたのだが最近やっぱり馬肥ゆる何とやらで少しというか2.5kgばかり増えてしまった。少し食い物の量を減らさないと満腹まで食っていたら元に戻ってしまうかもしれない。ところで今日は16時20分から17時50分までノルマ。金曜日の最後までノルマというのは非常にくたびれる。
2004年11月25日(木) 昨日に続いて9時から会議。終了は予定通りの10時半。最近の会議で予定通りに終わったのは珍しい。午後は珍しくノルマが何もなかったので,この時間の空きを利用して昨日行われた会議の報告書をつくりスタッフにメールで配信しておいた。午後は気温も上がって職場室内の温度は22度になった。この少し高めの気温のために眠気を催して椅子にもたれて昼寝もできた。窓から入ってくる陽射しが心地よかった。
2004年11月24日(水) 丸々1日会議だった。朝は9時から11時までひとつ目。済んでから午後の会議までの間にこの報告書をつくって必要な方々にメール送信。12時半ごろに昼飯が終わってほんのしばらく椅子にもたれて休息した後すぐにふたつ目の会議のために会議室へ。13時10分に始まったこの会議は16時過ぎに終了した。くたびれ果てたのでふたつ目の会議の報告は明日まとめて発信することにした。もうくたびれ過ぎ!
2004年11月23日(火)
勤労感謝の日
神農祭
このところ晴の日が続いているので昼と夜の温度差が非常に大きくて,晴れるのは結構なことなのだが,体調管理をするのがやたらに難しい。そこで少し早めなのだが,エアコンで夜には少しばかり暖房をかけることにした。厚着をすれば済むことなのだが,衣類を着込むと肩が凝るので,部屋の温度を少し上げて薄着でいるほうが身体にもよい。朝10時ごろに妻から電話が入って,従兄(とはいっても20歳も年上なのだが)が亡くなったとの連絡。今夜がお通夜で明日が葬儀とのことだが,明日はウィークデーなのと水曜日で会議がいっぱい詰まっているので実家に帰っているわけにもいかず,お参りしておいてくれるように妻に依頼しておいた。ここ1年ぐらいはかなり体調をくずされていたようだった。いい方だったのに惜しい方が亡くなってしまった。
2004年11月22日(月)
小雪
「小雪」は「しょうせつ」と読む。かく言う親父も恥ずかしながら「こゆき」と読むのかと思っていた時期があった。年の功なんて言ってはおれない事態だ。それはともかく24節気のひとつで太陽の黄経が240度になる日を指していう。太陽の黄経が270度で当時が訪れるのだから,まさにもう冬のさなかである。コタツやほかほかカーペットが恋しい時期がやってきた。昔の人はうまい名前をつけてあるものだとつくづく思う。
2004年11月21日(日) 日曜日で少し気分的にゆったり。特に昨日から今日にかけては意味もなくゆったりできた。食事も今日は店屋物を交えずに昼も夜も自分でつくった。主食もしばらく口にしていなかった蕎麦をゆでてつけ麺にした。麺類はご飯と違って消化がよいからすぐに腹に収まってくれるので身体にはいいが,時間が立つとすぐに腹が減ってしまうという難点がある。できるだけ間食はしないように気をつけているが主食に麺類を食ったときには,夜中に少し間食しないとあまりにも腹が空きすぎるのだ。これを辛抱できるようにならないと・・・。
2004年11月20日(土) 快晴で空気も乾燥していて洗濯日和の土曜日。というわけで朝はいつもより早いくらいの7時過ぎに起床。8時過ぎから敷き毛布やパジャマの洗濯をして外にぶら下げた。いくら日が短いといっても快晴で乾燥していたので4時ごろにはすべて乾いて,布団もフカフカ。所帯な日々を過ごした。夕方には実家への宅配便を送りに出かけて,その帰りに久しぶりに本屋さんやらスーパーやらをめぐってきた。朝早く起きると1日が長くて,充実してよいが,睡眠不足になる。最近は,何かと気ぜわしくて休みの日になると何もやる気がなくなってしまう。
2004年11月19日(金) 曇がちでほんのわずかに小雨が降った。肌寒く感じる1日だった。絹に続いてまったく何もない日だったので今日こそ休みにしてしまおうかと思ったのだが,日頃の習性で出勤し,書類の整理やメールの整理をした。返事が必要なメール及びこちらから知らせなくてはならない事項が2件も出てきた。出勤しておいてよかった。また,同僚が今日から海外出張に出かけるそうで準備中だった。それはそうと最近は忙しすぎて外国旅行も行ったことがないし国内旅行さえもままならないな〜。
2004年11月18日(木) ノルマ何もなしの日。だったはずなのに午後にはノルマが入った。1日中雨。午前中に書類の修正箇所に手を加えて,一応完成したものを関係者宛にメール添付ファイルとして発信した。しばらくしたらこのメールに対する返事が返ってきたので,返事への返事を書いて送っておいた。帰り際に同僚の部屋に寄ったら,普段なら既に帰っているところなのにまだいた。雨なのでもうひとりの同僚が車で送ってくれるとのことだったので,便乗することにして待っていた。一緒に送ってもらった。助かった。
2004年11月17日(水) お決まりの会議デー。くたびれ果てた。10時40分から12時過ぎまで一つ目。昼飯をはさんで13時過ぎから14時ごろまで次の会議の資料を準備。14時40分から16時半ごろまで二つ目。その後一旦部屋に帰りかけたが,少し思うところがあって上司に話を通しておく必要があることがあったので上司3人を順次訪問。17時半に終了。やっとのことで1日が終わったという感じ。17時47分のバスで帰宅。本屋さんに寄って予約していた本を買って帰った。昼は暖かなのに,朝晩は身にしみるほど冷たい。
2004年11月16日(火)
急に寒波が襲来した。朝の気温は室内で16度まで下がっていた。これは今年初めて。外気の冷たさは昨日とは打って変わっていた。おまけに今日は9時からの会議に出なければならなかったので,7時半ごろには出勤して会議までに一仕事終えるつもりで出かけたが,合物の服装をして行ったために寒さが衣服の中までしみ込んで凍えそうになっててしまった。明日からは上着も下着も冬物に変えることにしよう。で,早朝の会議は比較的早く進行して,9時から10時までで済んだ。13時からの会議までに少しゆっくりとすることができた。13時から15時まで重要な打ち合わせ会議。一応かたがついて,あと書類の手直しを少しするだけになった。その後16時20分から18時まで同僚とともに弟子の指導。帰りは18時33分のバス。寒かったのもあって体調が優れず保健センターで診察をしてもらったが,心電図には異常が出ていなかったのでひとまず安心。でもやっぱり不整脈が出るのは気持ちが悪い。
2004年11月15日(月)
七五三
朝は雨が降っていたが午後には雨もあがり,それにともなって寒気到来。夜には気温が19度以下に下がってしまった。じっとしていると足元が冷えてくる。そんな中,午後半日費やして会議があった。13時30分開始,16時30分まで。これくらい長い会議ともなると終了時点で頭痛がし始めていた。その後は何もやる気がなくて,そのまましばらく一服してからバス停に出て17時47分のバスで帰宅。バス停の周辺は真っ暗で侘しいと思っていたら,天気予報では日の入りが4時58分とのこと。何と4時台にもう太陽が沈んでしまう時期がやってきたのだ。これからは鍋物が恋しくなる時期に入る。
2004年11月14日(日)
二の酉
快晴とまではいかないまでも,夕方には雨になるという天気予報は当たらずに夕刻にも晴れ間が見えていた。さすがに先週は丸々1週間,昨日の土曜日にも出勤したので疲労いっぱいで今朝は10時ごろまで寝てしまった。ちーせんは昨日も今日も出勤している模様で,それも今日は初発の電車に乗った様子。朝の4時台の電車。12時ごろに寝てるはずなのに4時台の電車に乗るなんぞは・・・。何といおうかもう誰にも真似ができない状況。体調管理には十分に気をつけてほしい。
2004年11月13日(土) 土曜出勤日。本当は義務的に出勤する必要はなかったのだが同僚がみな出勤する予定なので,僕も少しゆっくりではあるが出勤することにして9時ごろに自転車で家を出た。ウィークデーには通っているバスがまったく時間が違っていたので駅からタクシーで出勤した。メールを読んだりしながら午後のノルマまで待機。2時前に会議室へ行き必要な仕事を手際よく済ませた。この仕事は3時過ぎには終わったので3時45分発のバスで帰宅。HPを見たらちーせんもどよう出勤している模様だった。
2004年11月12日(金) 夕方遅くにノルマがある日だったため朝は遅出。9時起床で10時半に家を出て11時13分のバスで出勤。出勤したらすぐに昼飯。昨日の大雨が嘘のように午後からは快晴となった。1時半ごろにノルマの準備をしておいた。金曜日の夕方のノルマというのは一番身体がくたびれ果てているときなので余計に疲労感が増す。18時10分で終了したのですぐに支度をして18時33分発のバスに乗ることができた。同僚もすぐ後からバス停へやってきたので一緒に話をしながら帰った。あ明日は土曜出勤の日なのだが,晴の予報なので一安心。今年は気候が異変気味なので体調も低空飛行。
2004年11月11日(木)
世界平和記念日
ノルマがまったくない1日となった。その空き時間を利用して昨日行われた会議報告を途中まで作った。私事ながら今日はわが息子の誕生日。というといかにもまだ子どものような気になってしまうが昭和51年生まれだからもう既に満28歳になったわけだ。歳の割には精神的に成長していないな〜。過保護にしているつもりはないのだがまだ学生を続けているので,仕方がないのかもしれない。話は変わるが,今日は日中激しい雨に見舞われた。ちょうど外に出ているときだったのでスラックスの裾から腰のあたりまでびしょ濡れ。というよりも洗濯したてほどずぶぬれ!!階段は滝のように水が流れ落ちているし・・・。部屋に帰ってスラックスをはき替えて干しておいたが夕方帰りになってもまだ濡れていた。靴下に至っては絞ると水が滴り落ちるほど。こんなの台風の日以来だ。
2004年11月10日(水)
技能の日
辛うじて今日も晴だったが,夕方からは低気圧の影響で風が強まりかえりの自転車が前に進みにくいくらいだった。例によって水曜日で会議デー。午前10時40分から一つ目の会議。13時10分から17時15分まで,あいだで10分間の休憩を挟んだだけでぶっ続けの会議二つ目。引き続き17時25分から18時15分まで三つ目の会議と丸々1日会議に費やした。済んだらくたくた。しかしちょうど体調良好の日だったためにそれほどばててしまってはいなかったので自分でも少し安心。帰りは同僚に自転車置き場まで車に乗せてもらった。疲れ果てていたので珍しくローソン食にしたがまるで美味しくなかった。最近少しばかり質が落ちているのではないかな?
2004年11月09日(火)
全国火災予防運動
太陽暦採用記念日
晴が続いている。日中は気温も上がって心地よいくらいの気候にはなるが,朝夕には寒いくらいまで気温が下がってしまうため温度差が非常に大きく,かえって風邪を引き易い状況なのかもしれない。このところ周辺では風邪を引いている方が多い。僕自身は同僚のコメントをずっと守って帰宅時には手洗いとうがいを欠かさずにやっているので,幸い風邪の兆候は今のところ見られない。午前9時から10時35分まで会議。午後は16時20分から18時まで,これも同僚と2人でノルマ。早朝と夕刻に仕事のノルマがあるというのは困ったもので,あいだの時間を有効に使うことができずに何も実があることができない。
2004年11月08日(月)
世界都市計画の日
京都伏見稲荷火焚祭
晴れて,日中は気温も上がり室内では22度を超えた。かなり暖かくなったのでしのぎ易い1日だった。9時から10時半案で会議が入っていて,その会議の資料準備もあったので朝は6時過ぎに起きて7時過ぎに出かけた。準備完了して8時45分に会議室へ。いつもなら超過する時間も今日はちょうど10時半に終わった。午後は1時から2時半まで弟子の指導。昨晩は寝室に入り込んだ1匹の蚊に悩まされて睡眠不足になっていたので,この弟子の指導の最中に睡魔に襲われそうになった。アメリカに出張していた同僚が昨晩帰国し今日は出勤して連絡をくれた。忙しかったがなかなか多くの成果があったということだった。
2004年11月07日(日)
立冬
立冬がやってきた。太陽の黄経が225度に達したということを意味する。既に冬に突入してしまったわけだが,今日は冬の到来というほど寒さはなく太陽も顔を出していたので比較的過ごしやすい1日だった。いつもより少しだけ余分に睡眠をとって,朝は9時半ごろに起床。その後2日続きで布団を外に出して紫外線を当てた。立冬ともなるとそろそろ年賀状の準備もしなくてはならないので,干支のデザイン集で何かいいものがないかを探しに本屋さんまで出かけてきた。今年は酉年で僕が十干十二支すべての組み合わせを経験し,新たに次の二周り目に入る年である。還暦の年なのだ。子どものころは親と同世代の還暦の人を見るといかにも歳を食っているように感じたものだが,自分がその時期にさしかかっている。不思議そのものである。無理かもしれないが75歳まで生きるとしてもあと15年しかないわけだ。つまり今まで生きてきた年限の1/4しか時間がないことになる。こういう風に考えると何と人間の寿命というのは短いことか!
2004年11月06日(土) ニュースを見ていると新潟の被災地を天皇皇后両陛下が訪問され避難を余儀なくされている現地の住民と親しく言葉を交わされたとのこと。小泉首相も同じように先日訪問したのだが,なぜこうも住民のレスポンスが違うのだろうか。察するに,タイミングの問題ということもできそうだが,本人に卑しい下心があるかまったく純粋な心から出ているかの違いを反映していそうな気がする。やらなければいけないこともせずに現地に出向くことだけが目的で,まっさらの作業服をこれ見よがしに身に着けて数分だけそそくさと体裁だけ訪問した小泉さんと,日頃とかなり異なったいわゆるジャンパーを羽織って被災者とまったく同じ目線で丁寧に話をされる天皇陛下とでは,心の温まり方もまったく違ったものがある。率直に言えば,人間性と言ったところだろうか。
2004年11月05日(金) 晴が続いている。午前中はノルマがなかったので少しゆっくりとした。事務書類に目を通して事務部に返却をしておいた。午後は,16時20分からのノルマの準備をし,16時20分から17時50分までノルマ。この間にちーせんからメールが入ってそれにレスを返しておいた。今日は何故か非常にくたびれた。明日は本格的にゆっくりと寝ることにしよう。
2004年11月04日(木)
消費者センター
開設記念日
晴れた2日目。大気も乾燥していて肌寒いくらいだが気持ちのよい1日だった。天気予報では湿度が25%まで下がったらしい。珍しいな〜。強制的なノルマではないのだが,同僚がやっている弟子の指導を手伝った。別の同僚は札幌と東京に出張中に風邪をこじらせて高熱が出たそうでその後遺症がまだ続いていてすっきりしないとこぼしていた。この時期体調管理は難しい。予報では明日も完璧に晴れるらしい。ほんの2〜3日でも秋空満喫といったところ。
2004年11月03日(水)
文化の日
東京明治神宮祭
晴れた。週の真ん中での休みは貴重な体調補強になる。今日は光ケーブルの敷設工事に10時半ごろに来た。12時ごろまでかかってターミナルアダプタの設置も完了。ついに通信速度でいらいらすることがなくなった。ルーターをはさむとその分遅くなるが,TAで直接測ったら下り88Mbps,上り55Mbpsで満足できるスピード。ルーターを介して測定した結果は最大41Mbpsとかなり速い。満足満足。早速Nifのほうも料金コースの変更をインターネットを通じてやった。これで大容量の写真を送ってきても大丈夫だ。
2004年11月02日(火)
一の酉
ノルマがなかった1日。というのは間違っていたことがあとになってわかった。1時から会議が入っていたらしいのだが,自分にだけ連絡メールが届けられていなかったらしいのだ。このメール不達が確認できたのが会議終了時間以降になってからだった。失態ではあるが,案内が届いていなかったことで免罪にしてもらおう。夕刻同僚の部屋に話をしに行って半時間ほどいろいろなことについて話した。いつもこの同僚と話をすると気分が癒されるのだ。帰宅時間に近くなってすごい雨が降ってきたので,この同僚に車で送ってもらった。話は変わるが,このところいくら寝ても睡眠不足。これはひょっとして無呼吸症候群にかかっているのかもしれない。
2004年11月01日(月)
灯台記念日/計量記念日
教育文化週間
ついに暦の残りもあと1枚が今月の後ろ側に重なっているのみになった。月日の経つのは早いものとはよく言ったものである。ということで,もう今日は11月1日で年賀はがきの発売日。今年も家族の分も含めて300枚を購入した。そして,新しい千円,五千円円,一万円のお札が発行され市場に出回り始める日でもあった。帰りにスーパーマーケットに買い物に寄ったが,まだ新札にはお目にかからなかった。都心で出回り始めた新札が鳴門のような場末にまで到達するのにはどれくらい時間がかかるのだろうか。新札で思い出したが,かなり前に発行されて一時流通していた二千円札は現在どうなっているのだろう。ほとんどどこでも目にすることがなくなってしまった。そういう親父も二千円札は5枚ほど記念に保存しているので,ひょっとしてこのように保存されている場合が多いのかもしれない。

[←自己紹介のページへ戻る]


管理人:親父 (NCA00701[at]nifty.com([at]を半角アットマークに差し替えてください。))