「喜界島を訪ねて」

安田和人

 
二〇〇六年一月十一〜十二日、伝道センター及び平和・人権部門より旅費をいただき、喜界島を訪問することが出来ました。徳之島教会の青山実教師より、「沖縄の旅」を行うならば是非一度、喜界島の「象のオリ」を見てほしいという提起を受けたのと同時に、私自身も「奄美の視点」とは何だろうかということを問い直すためにも喜界島を訪ねたいという思いがあってのことでした。伝道センターでは今「沖縄の旅」を再開することを計画しています。私も委員としてその計画立案担当の一人となっています。喜界教会の丸山教師が「『奄美の視点』からの合同のとらえ直し」を第十八回宣教会議で訴えてから十三年。その間、九州教区では「象のオリ」問題と取り組むことを宣教基本方策などでも掲げながら、自分自身を含め一体何が出来てきたのだろうかと問い返さざるを得ません。今回の喜界島訪問でその事を痛感しました。
 喜界島空港に降り立つと、そこには丸山文子さんと相良比佐子さんが迎えに来てくださっていました。相良さんのトラックに三人で乗り込み、「象のオリ」がよく見える場所まで連れて行ってくださいました。ショックでした。もうそこには「オリ」の姿がほぼ出来上がっていたのです。小高い山の頂上に高さ五メートルほどのコンクリートが直径百六十メートルの円形を形作り、その中には既に十一本のアンテナが立っていました。今後、アンテナは約四十本に増えていくとのことです。沖縄県読谷村の「象のオリ」(楚辺通信所)とはイメージが違っていたのですが、よりスマート且つ高性能な傍受施設の建設がここまで進んでいるとは正直思ってもいなかったのです。その後、相良さんは「象のオリ」をすぐ間近で見ることが出来る場所まで案内してくださいました。その一帯は有刺鉄線の張られたフェンスに延々と囲まれています。私がトラックの上に乗りビデオ撮影していると、相良さんが焦った声で「降りて、降りて」と言います。何かと思ったら、警備会社の車がすぐ側に止まったのです。私たちは逃げるようにその場を立ち去りました。その途中、相良さんの「よその人だからあそこまで(ビデオ撮りが)出来るのよね」と言った言葉が突き刺さりました。人口約九千人の喜界島で暮らし、そこで「象のオリ」反対の立場を取っている人の緊張感は、「よその」私には計り知れないものがあることを知らされました。反対の思いをもってはいるが、それを公には出来ない人が大勢いるとのことです。特に「地縁血縁」でつながる島の人々の多くは、何らかの形で「象のオリ」の工事を請け負っている建設会社と関わりを持っているとのことでした。相良さんには、現在の自衛隊通信施設にも案内していただきました。
 その日の夕方、瀬戸内教会での集まりから帰られた丸山教師、青山教師と合流。夕食の後、反対運動を担ってこられた佐加克彦さん(元町議)、佐倉茂久さん、要守さんが私たちのために集まってくださり、話を聴くことが出来ました。防衛施設庁は建設予定の荒れ地に農地の三倍の値を付けて買収をしていったこと、「象のオリ」は中国主要部を射程に入れた半径三千キロの範囲の無線傍受が出来ること、それが米軍との密接な連携で解読されること、若い人が少なくなる喜界島では反対運動も難しくなってきていること、今後は水質汚染問題が起こって来るであろうこと、新しい通信施設が出来れば数百人の自衛隊員が常駐することで経済にも影響を及ぼし、さらに反対運動が厳しさを増すであろうことなどを伺いました。
 翌日、丸山教師は再び建設現場が一望できる山まで案内してくださいました。広大な土地が切り崩され、管理棟、自衛官宿舎、倉庫、燃料タンク、変電室などの関連施設の建設が進められている様子を目の当たりにしました。「丸山さんはどんな思いでこの光景を見ているのだろう」と思わずにはいられませんでした。
 「象のオリ」建設には二〇〇五年度に九五億五千万円、〇六年度には八三億円の予算がつけられています。用地取得に乗り出した九四年度からの予算総額は三〇八億円にのぼると言います。
 今後、九州教区はどのように反対運動を支援し、連帯していけるのかが問われています。四月に予定している「沖縄の旅」では、その事を模索するものともしていきたいと考えています。一月二十三日にもたれた喜界島報告会では、「沖縄の旅」についての意見も聴かせていただくことが出来、感謝をいたします。
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