このページは成年向けのセックスを扱ったマンガのページです。
更新
2006/10/01 3. に追記を追加
2001/03/11 章ごとにファイルを分割
2001/03/03 文章追加
2001/02/27 文章追加と修正
※ただいま文章作成&整理中
とり・みきの半生記マンガとでもいう「あしたのために」(『犬家の一族』徳間書店、1993.8 収録)に、大学時代、ボロアパートで布団にもぐっている作者のもとへ、エロ本の自動販売機が訪ねてくるというくだりがある。とり・みきは1958年の2月生まれというから、年齢でいうと私より一歳上、学年でいうと二つ上になるのだが、当時の雰囲気としてはそういう感じである。ただ、私の場合、エロ本の自動販売機が訪ねてくる事態にまで発展するのを恐れて、最初からエロ本の自動販売機とは親しく交際しなかったというところが違う。まったく買わなかったわけではないが、マンガ雑誌、写真もの含めて年に1冊くらいの割合だった。別に私が淡泊だったわけでもない。絵にしろ写真にしろ、極端にいえば自分の好きな一コマ、またはワンカットがあれば、そこから勝手に想像力を働かせる方が好きだったので、あまり買い続けよう、コレクションしよう、という方向にいかなかったのだ。お金もないし、雑誌が溜まるのもちょっと恥ずかしいという気も確かに少しはあった。たまに通りすがりに自動販売機をながめて、買いたくなるほどの表紙の雑誌または写真集というのが、それでも1年に1冊くらいはあったのだった。エロ本の自動販売機というのは、私のイメージの中では、いつも国道沿いにあって、雨風と排気ガスにさらされて古びて薄汚れている。エロ本の自動販売機で買った数少ないエロ劇画雑誌の中に“劇画アリス”の増刊号『能篠純一傑作選 天使の恍惚』というのがあった。表紙の、夏服のセーラー服をめくって、自分の乳房を触っている女の子の表紙が、エロというより美しかったので買ったのだ。能篠純一という名前は全然知らなかった。“劇画アリス”という名前はどうだったかなあ?この表紙の裏が編集者からのメッセージということで、編集長だった亀和田武が革ジャン着て、ちょっとつっぱり気味な顔をしている写真で登場していて「エロ劇画?それで俺は結構さ!!」というタイトルの文章が載っている。1978年の初夏のことで、まだ「劇画全共闘」という言葉は私は聞いてなかったと思う。“噂の真相”が“マスコミ評論”から分かれて創刊されるのが翌年の春である(ちなみに“噂の真相”の最初の1年の表紙はエロ劇画雑誌ぽかったのだ、私が初めて買ったのは創刊2号だったが、セーラー服の女の子が表紙だった)。この表紙は現在もヴィニール・ファイルに入れて保存して、今、手元にあるのだが、肝心のマンガの内容の方は全然ピンと来ずに、すぐ処分してしまった。
能篠純一のマンガがピンとこなかったと書いたが、今同じものを読めば、違った印象を抱くかも知れない。当時、いろんなところで名前が取り上げられていたエロ劇画系作家というと石井隆で、その名前はよく目にしていたし、絵柄だけは、いろんな雑誌などで取り上げられるときにたいていカットがいくつか載るから、どういう絵を描く人かは分かっていたのだが、ちゃんと読んだ、または何かの雑誌に作品が載っているのを見て記憶に残ったということもないのだ。80年代にサン出版から出ていたエロ雑誌に“The Gang”という雑誌があり、何度か買ったことがある。そのうち1冊だけ完全な形で保存していて、このあいだ、ひさびさに取りだしてみたら、中島史雄のマンガが載っていたのに気づいた。1982年の4月号で「アコのあこがれ」という作品なのだが(ちょうどこのたび出た旧作再録シリーズの新刊『少女狩り』に収録されている)、作品も作者の名前も全然記憶になかったのだ。同じ号に載っていた蛭子能収の、女性教師が教壇で生徒に自分を犯すように命令するが誰も相手にせず、仕方なしにオナニーを始めるというギャグマンガは良く覚えていたのだが。なにしろ、このホームページで好きなマンガ家の一人としてコーナーを作っている中島史雄ですら、こういう具合である。15,16歳の頃自分で買い始めたマンガ単行本はモンキー・パンチ『ルパン三世』、望月三起也『ワイルド7』だった私は、『巨人の星』後半の川崎のぼる、『愛と誠』のながやす巧、そして連載を追っかけた『男組』の池上遼一は別格として、その他については好むマンガの絵の方向として、泥くさい劇画的なものからなるたけ離れたいという志向があった(といって、特に例えば大友克洋にはまったとか、そういうこともないんですね)。
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