これからの写真はどこへ行こうとしているのだろうか?
カメラ付き携帯がこれだけ出回って誰でも気軽に写真が撮れる時代だと、単純な記録伝達としての写真の意味が無くなってくる。
ただ撮るだけなら、その場にいる誰でもいいのである。
ずいぶん昔から、具象と抽象の写真の問題は言われてきたが、写真は芸術ではないと言う方はとっても沢山いらっしゃる。さてその写真のルーツはどこだ?ということになると実は美術からの枝分かれだったりするのだ。
ピンホールカメラが最近流行っているが、もともとそのカメラは、カメラオブスキュラ(暗い部屋の意)であり、何に使われていたかと言えば、画家のデッサンのトレースツールとして登場した。中にキャンバスまたは紙を置き、薄暗く照らし出された投影像をなぞっていくのである。
後にダゲールやタルボット等によって発明された写真機(カメラオブスキュラの改良)と写真感光材によってその役割は取って代わられ、美術は写実の縛りから開放され、独自の表現追及へと歩み始めた。
一方、登場した写真は、カメラ機材の発達によって、独自の視点を手に入れ、記録伝達の役割としてのメディアとなっていく。
現在、記録伝達と言う意味で、写真よりも、もっと臨場感を持って伝達できるメディアが存在する。ムービーである。匂いは無いが音声が同時に再生され、しかも動画であるのだから当然である。
ただし、写真する人達のなかで、この事を正しく認識している方はごく一部かもしれない。確かに動画と静止画では表現の仕方が違い、写真だってオリジナルなものだから存在意義は十二分にあると言う事だろう。しかし、同じシチュエーションで同じテーマのものをムービーとスチールで比べると、私でさえ記録伝達性はムービーが勝っていると思う。
写真は記録伝達が全てだとおっしゃる方はこの事実をどう捉えていらっしゃるのだろうか…。
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