以外と写真は抽象的なものに対して否定的である。
それは昔から変わっておらず、これから未来永劫まで続いていくかのようだ(笑)
さてかつて写真学校時代に抽象的作品を創って学校全体の合同評論会に出したことがある。そこでどんな評論を受けたかと言うと、これが大騒動となったのだ。
当時の校長、重森弘淹先生の評価はとてもよかったのだが、講師陣が一斉に反発。渡辺兼人先生に至っては絶対に認めない。とまで言いきった。
他の先生方もおおむね評価は否定するか、判らないと言って評論を逃げる始末で、校長と講師陣の評価が対立することとなった。
当時の私は、何故そのような対立が起こっているのか全く判らなかったが、今となっては写真の役割の問題が多分に含まれているようにも思っている。
つまり、日本の写真の立場と役割、そして、これからの変化に対する。アレルギー反応とも言えるのだろうか。
写真の価値観が、記録写実性からがらりと変わってしまった場合、商業と写真作家にまたがって活動している人間は、一番打撃を受けかねない。つまり作家での評価によって与えられるブランドバリューをそのまま商業写真のブランドに流用できる。と言うビジネスモデルが瓦解しかねない。
だからこれからも抽象写真の流れが出てくるたびに、必死になって全力でその潮流を潰しにかかる人間が後を絶たないはずである。
だから、ずっと写真表現の価値観は具象に固定され続ける。と言うのは、あまりにも横柄か?(笑)
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