1970年
東京都に生まれ、高校の頃に写真と出会う。
1990年
東京綜合写真専門学校第2写真芸術学科に入り、実践を中心とした写真表現の基礎を学ぶ。
在学中に長時間露光の作品(後の「残像…漂うモナドたち」)を実験的に撮り始める。
1992年
中退後すぐに潟Xタジオバックに入社。そこでスタジオワークを学ぶ。
同時に[RAY paint]の手法の原型を使い、実験的な作品を制作。
足の怪我で退社直後「The Blue World…都市の概念」の原型を撮り始める。
1993年
泣Aド・フォーカスに荒木英仁氏のカメラマンアシスタントとして入社。撮影技術を学び、その後退社。
1998年
第35回太陽賞に「残像…漂うモナドたち」で応募するものの落選。しかし審査員を務めた写真家荒木経惟氏の選評にて第一次選通過22名のひとりとして雑誌「太陽(平凡社)」に名前が掲載された。
「The Blue World…都市の概念」が大手企業の家庭用プリンター売り込み宣伝のためのイメージ戦略に使われることになった。しかしさまざまなトラブルが重なり頓挫。最後には原版(ネガ)を狙われ仲介に入っていた友人に尾行がつく事態に発展…。
バーチャルギャラリー[Gallery RAY]開設。
2001年
グループ展(御徒町ギャルリーK)に参加。
2002年
バーチャルギャラリー[RAY paint SSS]開設。
2003年
「藝術公論」掲載。
「振脳 △ TRIANGLE SIGHT 2003」に参加。
2004年
「第76回 新構造展」入選。東京都美術館にて展示。
美術全集「藝苑 第参章(遊美堂)」に掲載。
美術全集「平成芸術の鼓動 - 美術春秋(芸術書院)」に掲載。
第27回写真新世紀に応募するも落選。しかし[ねばれ Stick to it] に名前と写真家森山大道氏のコメントが掲載された。
2005年
DVD美術全集[IDENTITY 〜日本の美〜(遊美堂)]に収録される。
埼玉県立近代美術館にて行われた、[2005年 第5回 EEA21(エコロジー・アース・アート21)]に参加出品。
2007年
「湘南メモリー」で、第8回九州産業大学フォトコンテスト上野彦馬賞、入選。東京都写真美術館にて12/1〜12/9まで展示。
「江ノ電メモリー」で、「"世紀のダ・ヴィンチを探せ!" 国際アートトリエンナーレ2007」入選。大阪芸術大学 芸術情報センター・展示ホールにて12/3〜12/22まで展示。
2008年
「第8回九州産業大学フォトコンテスト上野彦馬賞」入選展示(会場・福岡市美術館)。
「"世紀のダ・ヴィンチを探せ!" 国際アートトリエンナーレ2007」。7/18〜7/27入選展(会場・なんばパークス7階パークスホール)。
2008年 「第8回九州産業大学フォトコンテスト上野彦馬賞」。7/26〜8/31入選展(会場・尼崎市総合文化センター)。
1970年東京都に生まれ、高校の頃に写真と出会う。その時写真を一生の仕事にする事を決め、
1990年に東京綜合写真専門学校第2写真芸術学科に入り、実践を中心とした写真表現の基礎を学ぶ。
1992年中退後すぐに潟Xタジオバックに入社。そこでスタジオワークを学び
1993年に泣Aド・フォーカスにカメラマンアシスタントとして入社。撮影技術を学び、その後退社。
一旦、商業としての写真から離れるものの、写真を職業としていきたい思いは断ち切りがたく、
以後フリーとして活動を開始。現在に至る。
1991年頃から友人の所属するオーケストラの撮影を始める。
以後、数々のアマチュア楽団の演奏本番やリハーサル、
プロ指揮者の指導風景やリハーサル時の指揮写真撮影、指揮本番撮影を手がけ、
またプロの演奏会のリハーサル及び演奏本番撮影を手がけている。
それまでいまいち人付き合いが苦手で、いじめられっ子してたりしながらも人生のレールから外れることなく学校に普通に通っていたが、高校2年の時に不登校に陥る。
自己不全感、存在の実体感の喪失、気力の低下、絶望感、起床困難などのいわゆるうつ病の症状に陥った。
授業は出ず、午後・放課後に来てその年の夏に誘われた写真部に入り浸る。
次第に高校へ行く意味はもちろん、次第に生きることの意味さえも失い始める。
出席日数が足りずに秋に留年が決定。
中退を決意。
2年生の終わりには自殺の決行を考える毎日。
しかし、実行する勇気は無く、やがて精神面の問題を抱え込みながら写真方面への進路をとる事に…。
大検の予備校に通う頃から、心理学関係の書籍を読み漁るようになる。
しかし、そのことが混乱に拍車をかけていき、精神不安定の日々が続く。
精神力で何とか均衡を図るが、自己否定の罠から抜け出せなくなる。
写真家になると言う目標が唯一の支えだった日々がやがて、一筋の光をもたらす。
自己の存在を否定する必要がなくなって初めて精神面の事態は改善をもたらした。
そして、絶え間ざる答えの追求が絡まり合った糸を解いて行くかのごとく、
僅かずつ自分に対する自問自答の答えが解け始めていった…。
それとともに鬱の症状は完全に消失していった。
そして現在に至る。