厳密には抽象写真と言うジャンルは存在しません。
写真が記録伝達の役割をまだまだ担っているからです。
しかしその影で、今まで幾度と無く抽象的な写真表現の試みが行われてきたことも事実であり、幾人もの先人達がいたことも明らかです。
単純に純粋な記録を主体とした具象写真、ではない作品ということであれば、
例えば「アレ・ブレ・ボケ」で呼ばれる一連の流れもそうですし、3色分解技法を使って瀬戸内海の海の輝きを表現したもの、その他暗室で行う特殊な技法、さらには光跡を使ったものも存在します。花火も最近はそのままを撮るスタイルでは無くなってきています。
写真の記録伝達性をことさらに主張なさる方も多いですが、忘れてならないのは、音声・匂い・連続時間の記録は出来ないということです。
そして、具象写真とは別に実は写真にしか出来ない唯一の表現領域がまだ存在します。
その未開拓な領域の一端を表現したものがこのバーチャルギャラリーに展示されている作品であり、また作者の抽象写真表現に対する思想でもあります。
写真は具象でなければならない。ピントはくっきり、露出は適切で構図がしっかりしていてきちんと瞬間を切り撮れていなければならない…まだまだこのようにおっしゃる方が大多数でしょう。
しかし複雑多様化する社会と、スピリチュアルなものがさらに求められるであろうこれから先の状況、そして自身のスピリチュアルな表現に対しての従来の写真の枠組みでのキャパシティーの狭さを考えるとこのまま具象写真のみで進むことは難しいかもしれません。
少なくとも私はそう考えています。
また私自身の写真表現の変遷を振り返って考察したとき、改めてそう思います。
そして具象写真の被写体のイメージを借りた表現方法では、被写体自体のイメージに引きずられて違う方向に解釈される可能性が大きいのと、膨大なスピリチュアルな要素を作品に盛り込もうとすると具象イメージの壁に阻まれる結果となるのです。
既存のイメージで解釈できないと言う鑑賞者に多大な負担を強いることになっても私が抽象写真表現に拘るのは、ダイレクトに見る人にその瞬間の感動に結びつく感覚を伝達したい、ということです。さらには自身が何所か違う視覚的なイメージを持ち合わせていることもその理由かもしれませんが…。