具象写真に魅力を感じない自分がいる…。
光が照らし出すものより、光そのものを感じとって表現したいと思っていた。
しかし、人はそれを幻想だと言い放った。
幾人もの先人達がいるはずなのに…。
写真の約束事を窮屈に感じている。
それは、約束事がダイレクトな感情溢れる表現を邪魔するから。
いつまでもリアリティーに拘っていなければいけないのだろうか?
音も匂いも動的な連続した時間も記録できないのに。
しかし、人はそれをひとりよがりだと斬って捨てた。
リアリズムを否定した先駆者達もいたはずなのだが…。
ひとり一人がオリジナルな存在なのだから
その毎日の身の回りや家族・友人などを記録していけばオリジナルな表現作品ができるという。
私には悪しきアマチュアイズムにしか思えなかった…。
しかし、人は流行が分からない奴はセンスが無いと言いきった。
そんな人へ問い返したい。オリジナルな表現とは単なる流行りですか?…と。
まだ写真には切り取っていない時空間が存在する。
そしてやり尽くしていない表現がある。
しかし、人は瞬間の記録こそが写真であって、表現なんて関係無い。としたり顔で言う。
そんな事を言う人に限って、映像の力を忘れている…?!
具象では見落としている何かを浮かび上がらせる。時間軸の隙間に落ち込んだ光跡をたぐりよせて…。