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| <代表への想い> 05年6月15日 La Nacion 2003年4月のある日、ガブリエル・エインセはPSGのトレーニングセンターに入ってきた。クラブの人間がファックスを手に近づき、彼が代表に招集されたと告げた。 エインセの最初の反応は、関係ないやというものだった。そして、よく見てと言った。というのは、それは当時PSGにいた彼の同僚で、既にマルセロ・ビエルサが指揮するチームの一員だったDFのマウリシオ・ポチェッティーノ宛てのはずだったから。 しかし、ファックスに自分の名前が記されているのに気づいた時には、今でも覚えているが、足ががくがくしていた。すぐさま彼の妻フロレンシアに電話し、それから故郷クレスポの住民ほぼ全員に伝わった。 彼はトレーニングに15分遅刻して、監督ルイス・フェルナンデスに詳しく状況を説明しなければならなかった。遅刻について、ヨーロッパサッカーでお決まりの罰金が科されそうだったので。 エインセとアルゼンチン代表のつながりの始まりはそんなふうだった。彼の心の隅々までを感動で満たす絆である。 03年6月、ソウルのSang-Amスタジアムでアルゼンチンが韓国に1−0で勝った親善試合が終わった時、子供みたいに泣いている、なりはでかいその“グリンゴ”は見ものだった。彼に何があったのか?初めてアルビセレステのスターティングメンバーに選ばれたのだ。マンチェスター・ユナイテッドと1226万USドルで契約したこの27歳のDFは、代表のカミセタをそんなふうに感じている。 南米予選のエクアドル、ブラジル戦を戦うチームメイトより先に、彼はクレスポで1週間、代表チームのマッサジスタ、チーノ・フェルナンデスと一緒に特別にトレーニングしていた。プレミアリーグが彼にとって、ファイナルから5試合のところで終わるもとになった怪我の回復のために。 代表をすっぽかす?とんでもない。エインセにとってそれは不名誉だろう。彼はこう言っている。今では、空色と白を身にまとう誇りについて話した時の、マラドーナのことが分かると。 05/6/22 |
| <静かなるローカル・ヒーロー> 05年1月3日 The
Times オールド・トラフォードから遠く離れて、アルゼンチンのエントレ・リオス州では、町はほとんど機能を停止していた。クレスポでは、生活のペースはいつもそう慌しいわけではないが、クリスマスの1週間前のこの日、町の一番有名な息子が帰還した。そして市民は、彼の栄誉を祝ってフィエスタを催す用意をしている。 彼の兄エルナンの家から出てきて、人々が集まったサルミエント広場に向かって300メートルの距離を歩いていく時、最も良い時でも控えめな英雄は恥ずかしそうである。そこで、彼を囲んだ家族とともにアルゼンチン国旗の前に立ち、オリンピックの金メダルが日差しにきらめき、こうしてガブリエル・イヴァン・ハインツェはクレスポの町の大使に任命された。 数日後、マンチェスター・ユナイテッドのロッカールームに戻って、彼がアルゼンチンでのミッドシーズンの休暇をどう過ごしたか聞かれた時、彼はこのセレモニーには触れそうもない。ハインツェは感情をあらわにするタイプではないし、いずれにせよ、この栄誉の意義はチームメイトには伝わらないかもしれない。 しかしこの26歳の、ヨーロッパで名を上げようとしているさまよえるアルゼンチン人にとって、それはとても重要だった。4月に亡くなった彼の父ホルヘへの感動的なトリビュートの後で、彼は集まった人々に、この栄誉は「何よりも美しい」と語った。 ハインツェがくつろげるのは、ここ、家族の中なのだ。「あそこはいつも、まったく変わらないから」。ひとたびプレイング・デイが過ぎれば彼が真っ先に帰るだろう小さな町を、どうしてそんなに愛しているのか聞かれて、彼は言った。「とても静かで、もっぱら農業の田舎町なんだ。みんなが知り合いで、彼らは僕をフットボーラーではなく、1人の人間として接してくれる」 パーソナルなレベルで、クレスポでの彼の認知され方はほとんど変わっていない。しかし、例えばブエノスアイレスでは同じことは当てはまらない。1年前にはそこで、彼は気づかれずに歩くことができたのだ。 リーベルプレートのスタンドにいる人にとっては、ハインツェはドイツ語の姓(どこのヘッドライン・ライターにも知られていないが、この姓はアルゼンチンの発音では“Ain-say”という。だから、※「お豆がたっぷり(元気いっぱい)」であることとは関係ない)と、ニューウェルス・オールドボーイズでたった8試合プレーした後、19歳の時彼をスペインのレアル・バジャドリーに導いた珍しいキャリアでしか知られていなかった。 ※‘ハインツ’のベイクト・ビーンズとかけているんじゃないかと思います。 ハインツェが認められるのには時間がかかった。彼はスポルティング・リスボンにレンタルされ、それから昨年6月、690万ポンドでパリ・サンジェルマンからユナイテッドに加入した。そこから後はノンストップだった─コパ・アメリカ決勝のブラジル戦でPKを外し、数週間後にオリンピックで金メダルを勝ち取り、バークレイズ・プレミアシップでのキャリアの素晴らしいスタートを切った。 ただ1つ悔やまれるのは、彼の父親が生きてそれを見届けられなかったことだ。彼の父は昨年4月、※パラグアイ戦で息子が母国を代表してプレーするのを見守ったほんの数時間後にこの世を去った。 ※エクアドル戦の誤り 「僕に教えてくれたすべてのために、父は人生で一番大事な1人だったし、今でもそうだよ」と、ハインツェは言う。「父が亡くなった時、僕は残りのキャリアを彼に捧げると誓ったんだ。父はフットボールが大好きだったから。良き父親で、偉大な人だった。僕の人生に最も影響を与えた人なんだよ。僕が今あるのは父のおかげさ」 我々が取材した時、ハインツェはマンチェスターに戻っていた。彼は気分が重たいのだと打ち明けた。「故郷で家族や友達に会ってきた時には、ちょっとセンチメンタルでノスタルジックになるものだよね。戻ってくると、少し後ろ髪を引かれる気分になるけど、それはプロであることの一部なんだ。それで結構」 それ以上に、彼はまるで一度も休んでなどいなかったかのようだ。帰ってきて以来、彼は3試合でトップレベルのパフォーマンスを見せた。 ユナイテッドでの彼のキャリアのスタートが遅れた時、サー・アレックス・ファーガソンが、このディフェンダーが代表の務めを免除される頃までには、彼は「あごひげをたくわえているだろう」と言っていたのが印象的ではあったのだが、その後のハインツェは驚くべき存在だった。 「彼にはまったく驚かされたよ」と、ユナイテッドの監督は言った。「完璧な勝者のメンタリティを持った選手だ。それに、彼はディフェンスの価値を信じている。珍しいことだね。多くのディフェンダーは“作られて”いる。彼らは初めはセンターフォワードやアウトサイドだったりするものだ。だが、こいつはディフェンスが好きなんだよ。南米のディフェンダーはそういう傾向がある」 それは、かすかな微笑みを引き出す評価である。 「自分のクオリティについて話すのは好きじゃないんだ」と、ハインツェは言う。「僕はただ謙虚でありたいし、一生懸命働くよう努めている。ルーニーやフェルナンド・トーレスみたいに、途方もない天賦の才能があって、出世するのに何年も要らないような選手もいる。でもそうでない選手たちは、自分の試合で頑張らなきゃならない。僕がキャリアで経験しているような幾多のステージを、努力して通過する感じを味わうのはいいものだと思うよ」 この学ぶ意欲は、ピッチでの彼のアプローチと同じくらい、ハインツェがイングランドに順応するのを助けてきたように思われる。ここイングランドでは、例えばファン・セバスチャン・ベロンやエルナン・クレスポといった、もっと有名な代表のチームメイトの何人かはうまくいかなかった。 「彼らのケースについてきちんとした意見は、僕には言いにくいよ。彼らの周りで起きていたことは、正確には知らないから」と、彼。「僕はセバ(ベロン)がユナイテッドで素晴らしい試合をするのを何度か見たし、彼はリーグタイトルも勝ち取った。でも、こうしたすべてに慣れるのは簡単じゃない。ここではフットボールはとてもダイナミックで、ハイテンポだ。全然楽じゃないよ」 とはいえ、ボルトン・ワンダラーズ戦でのデビューでゴールを決めたときから、ハインツェは馴染んで見えた。ユナイテッドのサポーターには、南米の選手がかかわるところにはシニカルになるだけの理由があるが、彼らはすぐさま説き伏せられ、アーセナル戦の2−0の勝利でさらに彼のパッションに魅了された。彼はこの勝利を、「緊張感に満ちて、すごくアグレッシヴ─それがゲームの魅力なんだよ」と振り返る。 簡単に負けるチームになる危機に直面していたユナイテッドに少々のファイトを加えるのに、アラン・スミスと共に彼をうってつけな存在にしたのは、この真摯なアプローチ、この闘志である。ファーガソンは彼に会うのに、望んでいたより長く待たなければならなかったかもしれない。しかしハインツェは、アルゼンチンのためにプレーすることを決して謝ろうとしなかった。 「事実じゃないエピソードについて、いろんなことが書かれたよ」と、彼は言う。「僕はアルゼンチン代表として2つのトーナメントでプレーするために招集された。僕はナショナルチームのユニフォームを着るのをとても誇りに思っている。マンチェスター・ユナイテッドのためにプレーするのが誇らしいのと同じようにね。代表のユニフォームを身に着けるのは素晴らしい名誉であって、それを着る者は最後までそれを守る覚悟ができているんだ」 「母国の誇り、それだけで十分なものだけど、オリンピックはもっとスペシャルだったよ。スポーツの真の意味を知ることができたんだから。いっしょのホテルで、他のスポーツ選手のみんなと交流する。サッカー選手であれ、自転車、卓球の選手であれ、だれもが平等なんだ。金メダルを獲得したのはとても素晴らしかったけど、多くのさまざまなスポーツ、さまざまなアスリート、ただの1ペニーの報酬ももらっていないような人達と知り合う機会ができたのもまた素晴らしかった。それが僕にとってのスポーツの意義なんだよ」 |
| <消えるウェルシュ スピーカー> 04年12月15日 ic
Wales 彼は美しいゲームを最もよく実践している1人かもしれない。しかし、ガブリエルという名のマンチェスター・ユナイテッドのライジング・スターの1人は、明らかに「天国の言葉」に堪能ではない。 アルゼンチン人ディフェンダー、ガブリエル・ハインツェが、パタゴニアから来たウェールズ語のスピーカーだという噂は、クラブのスタッフの努力にもかかわらず駆け巡っている。その噂は彼がクラブとサインして以来、マンチェスター・ユナイテッドのフォーラムや、UEFAの公式サイトでまでも話題にされてきた。 もしそれが事実なら、驚くべき状況だろう。つまり、英語で教育を受けたウェールズ生まれのインターナショナル・ウィンガー、ライアン・ギグスは、彼よりウェールズ語を話す南米のチームメイトの傍らでプレーしているのだ。 しかし、ウェールズの言語運動家たちが新しいスポーツ界のアイコンに大喜びする前に、ドイツ系の父とイタリア系の母を持ち、アルゼンチンのクレスポで生まれたハインツェについてのこの都市伝説には、ほとんど真実味はないように思われる。 この話はどうやら、ハインツェが、19世紀に多くのウェールズ移民が移住したパタゴニア出身であることから出てきたらしい。この言語は今でもそこで一部住民によって話されており、当地の吟遊詩人たちは※National Eisteddfod等を通じてウェールズと結びついている。 しかし今週Radio Five Liveで報道され、噂はクラブ側が一連のウェブサイト上の記事の削除に乗り出すまでに至った。 クラブのスポークスウーマンが昨夜語ったところによると、 「みなさんはお信じにならないでしょうが、この件でクラブにもうどれだけの電話があったことか。でも、大変申し上げにくいのですが、はっきり言ってガブリエルはウェールズ語を話せません。一体どこでそんな話になったのやら…。噂は多くのウェブサイト上でじわじわ広がりました。私達は正確を期していただくために、そういったサイトに削除を要請してきたんです」 ヨーロピアン・フットボールの公式サイト、uefa.comもその1つ。uefa.comはこう報じている。 「ドイツの父とイタリアの母を持つことに加えて、ハインツェは多くのパタゴニアンと同じように、きちんとしたウェールズ語を話せる」 加えてマンチェスター・ユナイテッドのウェブサイト、manutdzone.comは、 「少々意外だが、ハインツェはウェールズ語が話せる。彼はパタゴニアの出身で、その地域は19世紀に多くのウェールズ人が移住し、ウェールズ語がある程度話されている」 クラブのスポークスウーマンはこう付け加えた。 「最近彼にそのことを聞きましたが、彼は噂は事実じゃないと言いましたよ。でも今、それは明らかにちょっとした都市伝説になりつつあります」 しかしながら、アルゼンチン、ポルトガル、スペイン、フランスと渡り歩いて今はイングランドでプレーしているハインツェは、言葉についていえば確かに順応性がある。 ブリテンに来て以来、彼はパワフルで真面目なディフェンダーとの評判を確立した。彼はその粘り強さとリーダーシップでも知られ、空中戦に強い。 契約を済ませた後で、サー・アレックスは、「我々は長いことガブリエルに注目してきた。彼はアルゼンチン人ディフェンダーのトップクラスのクオリティすべてを示している。強さ、スピード、そして優れたテクニックといったものをね」と語っている。 彼の初めてのトレーニングセッションの後で、同僚のディフェンダー、ギャリー・ネヴィルは語った。「彼はきっと難なくフィットするよ。馴染みやすいロッカールームだしね。彼の国の言葉を話す人が大勢いる」 ネヴィルはその言葉が何か、具体的には言わなかった。しかし今では、彼はスペイン語のことを言っていたように思われる。 ※ウェールズの、ウェールズ語による芸術祭のことらしい |
| <ハインツェは金メダルを亡き父に捧げる> 04年8月28日 ロイター(英) ガブリエル・ハインツェは彼の金メダルにキスし、空に掲げ、オリンピックでの彼とアルゼンチン代表の成功を、静かに亡き父Jorgeに捧げた。 「あれは僕の親父に」と、ハインツェ。彼の父親は6月の初めに亡くなった(注:実際は4月)。 「このまたとない時を味わいたい。人生でまた、こんな経験をするチャンスがあるかどうか分からないから」 このマンチェスター・ユナイテッドのディフェンダーは、トーナメントで負った骨盤の負傷に苦しみながら決勝を戦った。 「まだ痛むんだ。でもこの試合で、母国のために持てるすべてを捧げたかった。これはとても特別な試合で、100%を出し切らなきゃいけなかった」 アルゼンチンにオリンピックでのフットボール初の金メダルをもたらした土曜の勝利は、彼のキャリアのハイライトだという。 「来週末のペルーでのワールドカップ予選については、今は考えたくない。この瞬間、とても美しくてスペシャルなこの時を味わいたいんだ。ペルーのことはその後で考えればいい」 「今はすごく幸せだよ。僕達みんな、このチーム全体にとっても。だって僕達はこのトーナメントを勝ち取るために、多くを犠牲にしてきたんだから。コパ・アメリカで僕達に起きたことの後で、今はとてもスペシャルなひとときなんだよ」 |
| <ハインツェとソリンの感動的な別れ> 04年5月25日 ル・パリジャン 元気で。君も元気で。ある者と握手し、またある者と抱擁を交わす。 昨日カンデロージュは感動的なひとときを体験した。ファン・パブロ・ソリンとガブリエル・ハインツェがPSGに別れを告げるのに、選手達は涙をこらえたのだった。2人のアルゼンチン人は今夜、6月2日に予定されているゴージャスなアルゼンチン対ブラジルの一戦に向けて飛び立つ。したがって、パリは土曜のフランスカップ決勝シャトールー戦を、彼らを欠いて戦うことになる。何より、パリのフロントは既に、この2人の素晴らしい選手抜きで来季の準備をしている。ハインツェはマンチェスター・ユナイテッド、バルセロナ、バレンシアが予想され、OMはソリンを切望している。 11時ちょうど、全員そろっての最後のトレーニング。サンジェルマンアンレのプレハブの中で、ヴァヒド・ハリロジッチと選手達は、いつもの試合の翌日どおり気楽な対話のために閉じこもった。 「彼は僕達の働きとリーグ2位の成績に満足していると言ってた。決勝に向けて集中を切らさないようにとも。僕達の中には、これで会うのが最後になる選手もいた」。リオネル・レティジは打ち明ける。 それからパリジャン達はトレーニングに出て行った。2人を除いて。ハインツェとソリンはハリロジッチと差し向かいで残った。30分間ずっと、彼らは男同士で話していた。 それから2人のアルゼンチン人はチームメイトに合流した。全員が輪になって、グラウンドに腰を下ろしている。代わる代わる、ソリンとハインツェは口を開く。 「彼らはここに残って僕達と決勝を戦うために、アルゼンチンサッカー協会に対してやれるだけのことをやったと言ってた。でも、彼らは幹部をうまく説得できなかったんだ。彼らは僕達に、頑張って優勝してくれと言ったよ。心の中で、彼らは試合中僕達の後ろについていてくれるだろう」と、レティジは強調した。「そうさ、間違いなく彼らは僕達と残りたがってた」と、ベルナール・メンディが言葉を継ぐ。 ハインツェがソリンに、一緒にフッティングを始めるよう素振りで促した。彼らに気づいたメンディが通り道にひざまづき、人が貴族の前でそうするようにお辞儀をしている。「ちょっと待った!」。ファブリス・フィオレズが不意に叫んだ。「最後にもう一度一緒に走りたいんだ」。そして、3人は大笑いしながら並んで走った。今季のPSGの成功は、多くはこの友情のおかげだ。 「何ヶ月、何シーズンかを仲間と共に送ってきて、突然ほんの数分でお別れだなんて、思えば変なものだよね。二度と会えないかもしれない。僕達は共に楽しい時を過ごした。でも、こういった別れは僕達の仕事には付き物なんだ」。レティジは思いにふけった。 柵の向こう側から、サポーターが何人か貴重なサインを求めている。車のハンドルを手に、ウィンドーを下げ、ソリンは最後にもう一度彼らと話そうと車を止めた。「お願い、マルセイユには行かないで」。何人かが懇願する。ソリンはこうつぶやいてまた車を発進させた。「それは僕が決めることじゃない」 こんなふうに、別れを汚すかもしれない問題がある。 |
| <彼らはハインツェのために勝った> 04年4月4日ル・パリジャン フレデリク・デウーは声を詰まらせ、涙ぐんだ。PSGのキャプテンは感情の高まりを抑えることができない。「僕達はなんとしても手ごたえを掴みたかった。ガビーが僕達にそう望んだから」 「ガビー」、選手達はその名前しか口にしない。ガビー・ハインツェは先週の木曜に父親を亡くした。彼は金曜に帰国し、チームメイトは彼に土曜の試合を捧げた。彼らはユニフォームの下に、“Para Gaby”(スペイン語で「ガビーに捧げる」)と書かれたシャツを着ていた。 何より、パルクの観客によって捧げられた、ベンチの側で円陣を組んだPSGの選手達の胸を締めつけるような、驚くべき黙祷があった。 「偶然だけど、前回の対戦で、僕達はすでにキュビリエのお母さんに黙祷を捧げているんだ」。デウーはいぶかしげに指摘する。「それが運命のいたずらなのかは分からない。でもいずれにせよ、それは耐え難いことだ。僕達は、ガビーが毎試合そうしているのと同じくらいのメンタリティを示したかった。僕達は彼に敬意を表したんだ。僕は、仲間達がこの試合に勝つためにすべきことをしたと知って、悲しみに沈んでいる彼がひととき喜びを感じてくれれば、と思っている」 ベルナール・メンディはこう言う。「ランスに負けた後で、もともとモチベーションは高かったんだけど、僕達はその思いをいっそう強くした。僕達はガビーと心を共にしている。これは僕たちのため、そして彼のための勝利だよ」。ブランコ・ボスコヴィッチも彼の「アミ・ハインツェ」のことを思っている。ナント戦の勝利は、今季かつてないほど「チームの力はチームワークである」ということを立証していた。 スタジアムを去り際、フランシス・グラィユは彼の心情を伝えた。「まず頭に浮かんだのはガビーのことだ。チーム全員が彼にこの勝利を捧げている。彼の父親はまだ58歳だった。2人は先週火曜のアルゼンチン代表チームで、ガビーが初のスタメン出場を果たしたのを共に祝って喜んでいたんだ。私はガビーが帰国する前に彼に会った。打ちのめされていたよ。痛ましいことだ」 |
| <03-04シーズン初戦> 03年8月3日 ル・パリジャン 何も変わらなかった。というか、ほとんど変わらなかった。 いつものように、ガブリエル・ハインツェはピッチに入った。十字を切り、それから身をかがめて芝に触れた。その取るに足りない仕草、つまりこのライオンのたてがみのような髪をしたアルゼンチン人がパリのユニフォームを着るようになってから、何十回も繰り返した仕草を、我々は二度とパルク・デ・プランスで見られなくなるところだったのだ。 実際この何週間か、ハインツェはある夢しか見ていなかった。それはバルセロナに加入することだ。 「僕はPSGに敬意を抱いている。でも、バルセロナにノンというなんて、ほぼ不可能なことだ。僕のキャリアの大きな前進になるだろう」(ムンド・デポルティボ) 粘り強いカタランの幹部は、まったく勝負を投げなかった。一方ハリルホジッチはハインツェの気持ちを気にかけなかった。「ハインツェは出さない」。フランシス・グライユに支えられ、ハリルホジッチは声高に主張している。望むと望まざるとに関わらず、ハリルホジッチに副キャプテンに指名されたこのアルゼンチン代表は、03-04ヴァージョンのPSGの主要なピースの一つなのだ。 あれから彼の少年時代のアイドルであり元の相棒だったポチェッティーノはボルドーに去り、クリストバルは引退後、バルセロナの方で幸せに暮らしている。この2人を失い、ハインツェはディフェンスを作り変えなければならない。何よりCBのパートナーであるエルカルクーリとのコンビネーションにおいて、オートマティズムを見つけなければならない。 しかし、モーリスに対する最初の荒っぽいチャージで、ガビーはサポーターを安心させた。‘パルクのお気に入り’は、彼のgrinta(闘争心)を何も失ってはいなかった。タックルは完璧なままで、パリの観客が何度も彼の名をコールするのに時間はかからなかった。 しかし、すべてがバラ色ではない。メンディ-エルカルクーリ-ハインツェ-ポティヨンのカルテットはまだ試行中だ。モーリスとベンサーダはパリDFを脅かし、27分、エルカルクーリはもう少しでアロンゾを裏切るところだった!その時、ハインツェは大声を出し、後方のチームメイトを鼓舞し、修正して、がむしゃらに戦いに身を投じた。 ハインツェは相変わらず非の打ち所がない。性格は変わらないものだ・・・ PSGの2番は何も変わっていない。あるいは、ほとんど。 |
| <15節ランス戦後、アルゼンチンコンビ敗戦の弁> 02年11月18日 ル・パリジャン ガブリエル・ハインツェは肩にバッグを掛け、いらいらした様子でプレスホールにやって来た。 このアルゼンチン人は彼の同国人ポチェッティーノとともに、セダン戦の敗北、パルクでのソショー戦の引き分けの後のパリの新たな敗戦について説明しようとしている。 40分の自らのヘディングゴールさえ、彼に作り笑いを取り戻させるのに十分でなかった。 「もう、ほんとに、最悪の気分だよ」 パリのDFはため息をついた。 「あのゴールのことはどうでもいいよ(注:と、大変品のない言葉で言っています)。僕に分かることは、結局僕らはまた3ポイントを失ったってことだけ」 しかしながら試合の前には、彼はこの試合のポジティヴな結果についてあまり疑いを持っていなかった。パリはこの試合を手中にして、勝利に向かっているように思われた。 「同点にしたときには、勝てる!と思った。アンドレ・ルイスが2点目を入れた時には・・・もう言わないよ!僕達がこの試合の最も重要な部分を支配していただけに、なおさら腹が立つんだ」 でも、パリはまた後半に弱気になった。 「“今夜、僕達は偉大なパリを目にした”って言って、ランスのケイタは笑った。でも、僕達が見たのはとても、とても偉大なランスだった。この試合、僕達はチームプレーではまさっていたのに」 PSGは立ち直るための方策を見出すことができなかった。しかし、いつものように礼儀正しい言葉で、良きキャプテン、ポチェッティーノはことさら深刻に話そうとはしない。 「何も話すことはありません。みんないい試合をしました」 この朝代表に合流するこのアルゼンチン人はさらに進めて、「ランスはやはりミランとラコルーニャを打ち破ったチームです。予想はしていました」 それでも、彼はこう認めた。 「実際、問題はフィジカルでもメンタルでもない。強いて言えば、すべてが絡み合ったものです。最近の3試合で僕達は勝とうと思いましたが、それは難しい・・・」 「でも、僕達の野心は何も変わらない。首位から5ポイント離されていますが、それはたいしたことじゃない。優勝するために、まだ時間は十分残っています」 ポチェッティーノは熱く言い切った。 一方ハインツェはそんなに遠くを見ようとはしない。 「勘定書きは最後に見るよ。今のところ重要なのは、ナントを破ること。失ったポイントを取り戻すために」 ハインツェはこの敗北を簡単に受け入れはしないだろう。 「僕達はここに勝ちに来たっていうのに。悲しくなるよ。僕達は引き分けさえほしくはなかったんだ」 |