僕はパルク・デ・プランスのお気に入りになりたい」
-ブランコ・ボスコヴィッチ


03年10月15日 psg.fr、 10月18日 ル・パリジャン

−ブランコ、まずPSGとパリでの新生活はどう?
「チームへの順応にはとても満足してる。特にロッカールームでは暖かく迎えてもらったよ。それ以外だと、僕の婚約者が合流したんだ。僕達はだんだん新しい生活に馴染んできている。ほかの家族はまだベオグラードだ」

−君のパリ移籍は特殊な状況の下だったね。初めにスイス代表のヤキンに決めた後、パリはまた左サイドの選手を探した。
「まだレッドスター・ベオグラードでプレーしていた時、僕はこの件を新聞で追っていた。でもその頃は自分のチームのことしか頭になかったし、僕にはまだ、PSGは遠くのことだった。その後で、僕はこの状況をうまく活かしたんだ。たとえ僕が順応していく中で、そのことで窮屈な思いをしなくはなくてもね」

−君はパウレタにいいボールを提供するパサーのレッテルを貼られてパリに来た。そのことはわずらわしいかい?
「いや。どうして僕がわずらわしく感じてるって思うのかな?レッドスターでもあったことだよ。僕はラストパスを出す選手だし、試合でアシストに成功するのは、いつだって本当にうれしいよ」

−君が来た時、パリはまだもたついていた。選択を誤ったと思った?
「僕は本当に、一度も不安を抱いたことはない。偉大なクラブと契約したんだってわかってたからね。トレーニングはいつだって結果をもたらすものさ。だから、僕はあまり心配してない。今は、いい選択をしたと思ってるよ」

−我々は、君がチームに溶け込む過程で、ハリロジッチがよく力になっているんだろうと思っている。特に、言葉の壁を考えると。
「言葉の壁を考慮して、監督がよく話しかけてくれるのは本当。でも、僕はフランス語を学ぶ努力もしているんだ。僕はフランス語ができるようになりたいし、何より、チームの他のメンバーと同じようにアドバイスを受けられるようになりたい。それがチームに溶け込む次の段階だよ」

−君の母国語は、君をハリロジッチに近づけている。君は監督のお気に入りと見られている?
「いや、本当に、ジェラシーを持たれるようなことはない。僕はヴァヒドと話すより、ずっとよくエムバミと英語で話すよ」

−君はどんな個人的目標を定めている?それから、パリに期待することは?
「まず何より、できる限りレギュラーでプレーすること。PSGのここ最近の状況を考えると、3位以内でシーズンを終えれば、クラブにとってはいいだろう。でも僕にはまだ、フランスリーグのことはよく分からない」

−もし、パリ以外のヨーロッパのクラブが君にオファーを出していたら、どうしていた?
「その可能性は考えたことがなかった。そんな話はなかったし。旧ユーゴの戦争の後、必然的に、ハイレベルなスポーツ選手は、サッカー選手であろうとなかろうと国外リーグに出て行くことを考えていた。それであなたは、もしPSG以外のクラブのオファーがあったらどうしていたかって聞いてるんだね?まず、よく考えていただろう。でも、このオファーはPSGから来たんだから、それがそこになくてはならないものだったんだ。僕は神のご加護に感謝している」

もしそれが、OMやリヨンだったら?
「ユーゴでは、パルチザンとレッドスターみたいな2つのクラブ間のライバル関係は、パリとOMの間にあるものより強いんじゃないかな。例えば、パルチザンのユニフォームを身に着けたことがある選手は、決してレッドスターではプレーしない。パリに来た時には、OMでプレーした選手が何人かいたし、その逆もそう。僕達の国ではありえない。僕はこのメンタリティも持っている。だからもう、OMのためにプレーすることは決してないだろうね」

−君が最もインスパイアされる選手は?
「デヤン・サヴィチェヴィッチ。僕が彼のレベルに達したかは、キャリアの終わりにならなければわからない。そこに到達するために、僕にはやるべきことがたくさんある。あらゆるトレーニングをしなければね。特に右足は」

−パルク・デ・プランスの雰囲気はどう?
「僕がプレーした最も美しいクラブの1つだよ。僕はパルクのお気に入りになりたい。それは僕のパフォーマンス次第だ」

−どうしてボレというあだ名で呼ばれているの?
「僕の父親の愛称だったんだ。父はユーゴ1部リーグのAikのディフェンシヴ・ハーフで、僕はその名を受け継いだ。父は一度も僕にフットボールをやることを強制しなかった。ただ、道を示してくれたんだ。僕はフットボールの世界に身を置いた。小さい頃、僕にはボールという、たった1つのおもちゃしかなかったから・・・」


<パリ移籍直後のインタビュー>    03年8月27日 psg.fr

−こんにちは、ブランコ。まず、君は以前フランスに来たことがある?
「うん、代表チームでね(フランス−ユーゴ、3−0、02年11月20日)。それからUEFAカップのモンペリエ戦で、レッドスター・ベオグラードの一員として。僕はその時1ゴールを挙げたんだ(2−2、99年9月28日)。パリの上空を飛んでいる時、僕はセーヌ川とパルク・デ・プランスを見ることができた。上空から見たのは、とても美しい街だったよ」

−クラブの歴史上には、偉大なユーゴの選手達がいた。君はPSGについて何を知っている?
子供の頃、サフェット・スシッチが代表でプレーするのを見ていた。本当に偉大な選手だったよ。僕は彼を見て、テレビの前で唖然としてたものさ。でも、レオナルドやオコチャのような選手達も、僕をずっとパリに引きつけているんだ」

−イヴィツァ・シュリアックは1シーズンしかいなかったけれど、心に残る選手だった。君は左利きで長身だから、すでに彼と比較されている。それには満足?
「もちろん彼と同じくらいパリで活躍できるといいね。でも僕はまだ若い。何より、僕は1シーズン以上ここにいるつもりなんだよ!(笑)」

−君の加入するPSGのプレーを見た?
「家のTVでPSG対モナコの試合を見たけど、この結果にはPSGのプレーの内容が反映されていないと思う。パリのチームにはツキがなかったのさ。チームには何人か新加入選手がいること、それに、チームが一つにまとまるには時間がかかるということも考えなければね。すべてがしかるべき形になる時にゆだねるべきだろう。でも、もし彼らがモナコ戦の開始後30分と同じやり方で90分間プレーしたら、彼らは無敵だろうね」

−チームは13位だけど?
「それは僕には何でもないよ。だって、PSGがビッグクラブであることには変わりはないしね。順位にはまだ何の意味もない。僕達はまだ始まったばかりなんだから」

−攻撃面で、パウレタはいいボールを必要としているし、彼にボールを渡すのも君の役割になるだろうことを意識している?
「一番重要なのは、このチームにいること。僕は最大限パウレタにボールを渡す努力をするつもりだ。もちろん、他の選手にも同じようにね。チームが正しく機能するために、僕が目立たずにいなければならないとしても、そのことは決して僕の妨げにはならないだろう」

−君のチームメイト、パウレタについて知っていることは?
「ボルドーにいたころを知ってる。彼は偉業を成し遂げたね。でも、それ以上のことは知らない」

−新しい監督と同じ言葉を話すことは重要?
「僕にとってそのことは大きいよ。母国を離れて外国でプレーするのは初めてだから。プレーに適応するのもより楽になるだろうし、監督が僕に求めることがすぐ理解できるだろうから、それはやはり理想的だよ」

−君は定期的に代表チームに招集されているけど、A代表に選ばれることをどう思った?
「それはいつだって名誉だよ。でも、僕のポジションにはまだ僕よりずっといい選手(スタンコヴィッチ)がいる。僕はまだ若いけど、僕の時は来るだろう。僕は忍耐強いんだよ」

−君について話して。
「僕はモンテネグロのMogren Budvaという小さな町の出身で、フットボールを始めたのもそこなんだ。17歳の時、僕はレッドスター・ベオグラードに入る大きな決断をした。それ以外では、僕にはダニエラという婚約者がいる。僕達2人にとって、違う国、違う文化を発見する心豊かな経験になるだろうね」

−最後に、君にはあだ名がある?
「うん、ボレというんだ。やはりプロ選手だった父親も、同じように呼ばれていた。ベオグラードでは、みんな僕を“小さなボレ”と呼んでいたよ」