*  *  *

「はっくしゅん!」
「大丈夫? 怜緒くん…」
 クラスの女子が心配そうに怜緒を見る。
「うん、平気…。誰かが噂してんのかな? あはは」
 怜緒は無邪気に笑った。
 今朝、昨日の青年を少し探してみたが、見付けられなかった。
(私服だったし……学生じゃないのかな)
 怜緒は溜め息をついた。
(会ったところで…どうするつもりだったんだろ。僕)
 一度ぶつかっただけの人間を捕まえてあの夢の話をするのは、いかにも怪しいことのように思われた。
(完璧やばいって。異常者だと思われるのが関の山だよね)
 真理である。
 そう考えると、見付からなくて良かったのかも知れない。けれど…。
「霞ヶ谷くん?」
「え…?」
「顔色悪いよ? 平気?」
「う、うん。平気平気! 最近ちょっと寝不足気味でさ…そのせいかな」
「寝不足?」
「ん…ちょっとね。夢見が悪くて」
「夢、かぁ。トラウマとか…心理的な不安とかじゃない?」
「そう、なのかな。あんまり意識はしてないんだけど、ね」
「ま、忘れちゃいなよ。たかが夢だしさー…きゃ!」
 からからと笑う女子の横から不意に出てきた長身の影に、怜緒は見覚えがあった。
「橘先輩」
 怜緒の先輩である。端正な容貌をしているが何を考えているかがさっぱり分からないという奇特な人物だ。
「な、何ですか?」
「…夢を甘く見てはいけない」
「へ?」
「古くから、夢は誰かの心が自分の心の中に入って来る現象と捉えられてきた」
「誰かの心が…」
「夢は予兆であり…災いにも成り得る。夢路に迷わされないように気をつけることだ」
 それだけ一方的に呟くように言い残し、橘は去っていった。

*  *  *

(夢を…甘く見ちゃいけない、か)
 誰もいない部屋に明かりを付けると、怜緒は橘の言葉を思い出した。鞄を置いて、ベッドに転がる。
「僕に…どうしろっていうの…」
 不意に襲ってきた睡魔に身を任せ、怜緒はいつしか眠りについた。

*  *  *

「お願い…助けて……鍵を外して…」

*  *  *

 聞こえるのはカモメの声と波の音。怜緒が目を開けると、そこには一面の青い海。
「え……。………マジ?」


(夢…だよね…)
 美しい砂浜に沿って歩いていく。水面の乱反射がとても綺麗だ。
「…だれか、いませんかあ…」
 思わず呼びかける怜緒。だが返事は波の寄せ返す音だけである。
「…寂しい夢…」
 サクサクと砂を踏みつける音が響く。人影は無い。車が行き交う音さえもない。ただ波が打ち寄せ、カモメが鳴き、踏みしめられた砂が乾いた音を立てるだけである。
「…どこだろう。この海」
 遠足で行った江ノ島海岸とは比べ物にならないほど美しく白い砂浜である。
「…誰か…いないかなあ…」
サク…サク…
「…誰か…」
ムギュ…ムギュ…
「…」

「…ムギュ?」
 なんだか柔らかい感触を踏みつけたまま、怜緒は視線を足元に落とした。
 人だった。
「きゃーーー! ごめんなさいごめんなさい!」
 怜緒は慌てて横に退き、膝をついて謝った。
「んん……ぁあ?」
 青年は目を擦ってむくりと起き上がった。
「あっ…」
「ふわぁ〜…よく寝た。さーてがっこ……うおッ! 誰だお前! 何で俺の部屋にいんだ? ってかとうとう男連れ込んじゃったの?! ああ! 神様! ごめんなさい! 男だなんて知らなかったんですうぅ」
 空に向かって大袈裟に青年は泣き叫んだ。
(この人…駅で会った人だよね…? でも…なんか…。変ッ!)
「………あの、つかぬ事をお伺いしますが、あのカモメは君のペット? ってか俺の愛するワンルームマンションはいずこ?」
「ぼ…僕にもよくわかりません」
「わかんない? 何、拉致られたの俺?」
「そうじゃなくて…。僕も部屋で眠って気が付いたらここにいたんですッ」
 こめかみを押さえて怜緒は言った。
「んじゃ、これは…夢?」
「多分、そうだと思います」
 変な夢だなあ、と怜緒は思った。
「ふぅん…。ま、こんなトコで砂と戯れてても仕方ないわな。君は俺の夢を彩るキャラクターかも知んないけど、俺が起きるまで良きパートナーでいようぜ」
「は、はあ」
 差し出された手を握り返す。今度は前の時のような衝撃は無かった。
「俺、伊吹蓮」
「僕は霞ヶ谷怜緒です」
 取り敢えずの自己紹介を済ませ、怜緒と蓮は人を捜して歩き出した。

*  *  *

「っつーか、ほんとに誰もいないな。気味悪いぜ」
「そうだね……なんか、寂しい街だね」
 二人は歩きながら色んな家を見て回ったが、誰一人見掛けることは無かった。
「これが俺の夢なら……」
 蓮が真剣な顔をして口を開いた。
「次に出てくるのは女だな!」
(す、すごい自信ッ!!)
「浜辺で巻き起こるひと夏のラブストーリーか……。俺こまっちゃーう」
 きらりん、と目を輝かせて蓮は言った。
「お、女の子だったらいいね」
「何言ってんだよ怜緒ちゃーん。決まってんだろ? 小麦色美女間違いなしッ!」
 そう言って蓮はガッツポーズをして見せた。
(ああ……この人と僕、ちゃんとやってけるかなぁ)
 蓮のペースに振り回されながら街を歩く。
「ほんとに…誰もいないんだな…」
 溜め息をついたその時。

ガチャンッ!

「?!」
 向こうの曲がり角から誰かが争うような音が聞こえてきた。
(誰か、いるッ…)
 蓮と目線で合図し、音のした方に駆けていく。
「誰か、いるんですか!?」
 怜緒が叫ぶと、ぴたりと音は止んだ。恐る恐る角を覗き込むと、活発そうな青年とクールそうな青年の2人組と目が合った。
「…あの…」
 口を開いた瞬間、だが怜緒の声は2人のそれに遮られた。

「あ! 金茶頭(しゅごれー)!」
「夢の中の茶金か?!」

2人同時に訳の分からない事を真顔で言われ、怜緒は唖然としてしまった。