「きゃっ!」
 ミドリがつまずいて転倒した。
「あ! 平気?」
 それに気付いた怜緒は手を貸して優しく抱き起こすが、刹那ミドリが高い悲鳴を上げた。
 突然民家の屋根から何体もの化け物が飛び降りてきたのだ。
「!!」
 待ち伏せでもしていたかのようなそれらはあっという間に前後を押さえ、怜緒達を取り囲んだ。怜緒は小さく舌打ちする。
 ミドリを庇わなければならないこの状況下では逃げることもままならない。かといって、ここで彼女を見捨てることなど怜緒には到底出来ない事だった。
(今度こそ、もう、駄目なのか――)
 にじり寄る異形を前に、怜緒が死を覚悟したその時。

 目の前の風景が、消えた。

「――!?」
 慌てて見回せば、怜緒の身体を包むのはどこまでも広がる暗黒。ミドリはおろか、化け物達までが姿を消していた。
「なに……? ここ、どこ?」
 そう言葉を発した矢先。目の前にぽつんと光る雫が落ち、闇に波紋をもたらした。そしてその中央から浮かび上がるように現れたのは――夢に現れた、白い衣の女性。
「…貴女は…!」
「…突然の事で、驚きましたか」
 驚愕する怜緒に、女は涼やかな声で語り掛けた。
「強制的に、貴方の精神に入らせて頂きました。見過ごせぬ状況であった故に」
「貴女が……僕をミドリちゃんの夢に?」
 女が頷くと、首に下げられた美しい勾玉が澄んだ音を立てた。
「あなた方には全く突然の事で驚かれたことでしょう。ですが……この娘の危機を見過ごせなかったのです」
「…貴女は一体」
 女はうつむいていた顔を上げた。
「私は…零姫。今は封じられた身にあります」
「封じられた…」
「だから、貴方達の力が必要なのです。身動きの取れぬ私に代わって、現世を護るための《力》が……」
「僕に…そんな力が?」
 零姫は頷いた。
「貴方達の現世は今、危機にあります。早く《柱》の封印を解かなければ…大変な事になるのです」
 零姫の顔が悲しげに曇る。
「あ、あの」と怜緒は言った。
「僕…力が欲しいんです。ミドリちゃんを救う《力》が」
 必死な怜緒の様子に、しかし零姫は分かっているというように微笑んで見せた。
「…その為に、貴方の精神に干渉させていただいたのです」
 零姫が手を差し伸べる。
「目を…閉じなさい。そして、呼び覚ますのです。貴方の《力》を――」
 怜緒は誘われるようにそっとその手に触れ、目を閉じた。途端怜緒の足元に輝く波紋が広がり。怜緒の身体はそのまま、とぷんと闇の中に沈んでいった。

 目を開くと、そこには眩いばかりの光。

 美しく神々しい女性が、振り向いて微笑んだ気がした。

 そして、怜緒は再びまどろむように目を閉じ、何処までも沈んでいった――



「怜緒さんッ! 危ないッ!!」
 静寂を切り裂くように響いたミドリの声に、目を開いた怜緒には分かっていた。――今の自分の前で、この程度の化け物など雑魚に過ぎないことが。
「天照の御名に於いて命じる…我が光よ、雷となり刃となれ!」
 そう叫び、怜緒が空を見上げると、幾筋もの雷が敵を撃った。囲んでいた敵はその衝撃に崩れ落ちる。
 次に怜緒が手をかざすと朱色の弓が現れた。弦を引き絞ると、自然と光を帯びた矢が現れる。

「もう…逃げたりしない。食らえ! 《裁きの矢》!」

 天に放たれた矢は雲を突き抜け、無数の光の刃となって地に降り注いだ。
「…すごい…」
 ミドリの口から感嘆の声が洩れた。
「ミドリちゃん」
「はっ、はい」
 声を掛けられて思わずミドリはビクッとした。
「僕…『鍵神』と戦おうと思うんだ」
「…『鍵神』と?」
「居場所に心当たりはあるかな…?」
「ありがとう…。ヤツは…神社よ」
「神社?」
「えェ。ここから少し離れた所にあるんだけど……キャッ!」
 地面が大きく震動した。ミドリの精神世界に限界が迫っているのだ。
「急がないと…。案内して!」
「う、うんッ。でも……」
 先ほど一掃したばかりだというのにぞくぞくと群がって来る化け物達に、怜緒は舌打ちした。
「…時間が無いのにッ!」
 やるしかないか、と弓を構えたその刹那。
 ゴオッ!
「ッ?!」
 突如黒い風が凪ぎ、次いで化け物達の血飛沫が視界に飛び込んできた。
「…?!」
 ミドリを庇いながら怜緒は咄嗟に何が起こったのか把握できなかった。
「…化け物が…」
「斬り刻まれてる…」
 あの硬い甲殻を一瞬にして破壊する威力。一体誰の仕業だというのか。
「…無事か」
 沈黙を破るように、静かな声が響いた。
「あなたは…」
 黒い装束を纏った男がいた。同色の覆面の所為で、その顔をうかがい知る事は出来ない。
「ここは俺に任せて行け。時間が無い」
 男の言葉に、怜緒は面食らった。
「えっ…。で、でも、あなたが」
「…俺の心配は要らぬよ。それよりも、娘を救いたいのなら急ぐ事だ」
 確かに見た限り、この破壊力はただ事ではない。
「わかりました…だけど、せめて名前を教えてくれませんか」
 男はしかしかぶりを振った。
「…今はまだ名乗るべき時ではない」
「……?」
「…神の傀儡になる事なく進め。君の道を進んだその先に俺が居た時…その時こそ、俺は君に名乗ろう」
「僕の…道を…」
「今は…まだ早い」
 男の髪がサラサラと風に靡いた。
「…第二陣が来るぞ。急ぐがいい」
 有無を言わせぬ声だった。
 怜緒は諦めたように一礼し、ミドリを促して走って行った。

*  *  *

「おい、あいつら一体何処まで逃げたんだ」
「知るかッ! オレは今目の前の敵で精一杯なんでい!」
 震の蹴りが急所にクリーンヒットし、化け物が倒れた。
「しっかし…本当にしつこいねー。俺って何て罪な男」
「馬鹿は黙っていろ。とにかくこの数じゃ…前にも進めん」
 無尽蔵なのではとさえ思える化け物の大群を前に、進退窮まった様子で薫は呟いた。
 と、その時。
 どこからか横笛の美しい音色が響いてきた。するとその音色を耳にした途端、周りの化け物達が次々に血を噴出し倒れてゆく。その異様な光景に、震が目を剥いた。
「なんだぁ?!」
「…あの音が原因、だろーな」
 蓮が見上げた先に、白い装束と覆面を纏った男が佇んでいた。手には音の発生源と思われる横笛を携えている。三人の視線が自分に集中し、近辺の異形達が一匹残らず絶命したのを見て取ると、男はスイと吹いていたそれを降ろし、覆面の上からでもそれと分かる様子でにんまりと笑って見せた。
「はろーん。無事で良かったねえ」
 紡がれたその言葉のあまりの緊張感の無さに、一同は思わず言葉をなくしてしまった。
「………」
「蓮が2人いる…」
 そう呟いた震に、蓮がやっと正気に返って柳眉を逆立てた。
「失礼ねッ! こんな得体の知れない奴とあたいを一緒にしないでよ!」
 しかし白装束は全く頓着しない様子で呑気に笑った。ふざけた口調と裏腹に、余計な話をする気は無さそうだった。
「あははっ。言ってくれちゃいましたね〜。とにかく、お遊びはここまでにしてぇ、神社に急ぎなさいな」
「神社だと?」
「君のお仲間はそこにいるんだよ」
「……あんたは、誰なんだ?」
「ひ、み、つ。ほら、早く行かないとあの化け物達の二の舞にしちゃうよ〜」
 白装束はそう言って再び横笛を構えた。これ以上の問答は生命の危険にかかわるだろう。
 三人は釈然としない物を抱えながらも彼に礼を言い、示された神社へと向かった。