伝統衣装「チマチョゴリ」の歴史は、古墳などの壁画から確認しますと、少なくとも B.C.57〜A.D.668、三国時代・・・高句麗(こうくり)、百済(くだら)、新羅(しらぎ)まで遡ります。

チョゴリ(
赤古里)と呼ばれる上着は長袖で、男性は女性用より丈が長く腰の部分まであります。 チョゴリの下には、女性は胸部分から優雅に広がる前掛け状のチマ(スカート)を履き、男性はやや幅広のパジ(ズボン)を履きました。
百姓たちは祝祭や結婚のような特別な日以外は白服を着用し、 上流階級の人々は明るい華やかな色の服を着るこ
とにより社会的な地位を表しました。
男性用に比べ女性のチョゴリは、時代と共に様々な変化を遂げました。初期のチョゴリはお尻まで届き、腰で結んだと言います。朝鮮時代(1392-1910)の後期に入って脇まで短くなりました。また、
がプンオ(魚の鮒)のように丸く膨らんだり、ストレートになったり・・・オッコルム(リボン)の形も細くなったり短くなったりと実に様々です。ただ唯一、いつまでも変わらないのが「着易さ」です。
パランセのチョゴリで時代のタイムトリップをお楽しみ下さい^^。
 


[ 官服・宮中礼服 ]
王朝時代、上流階級の人たちは百姓たちに比べずっと高価で贅沢な服を着ました。
そして特定の形と色(黄色など)の服は、王族のみ着ることが許されました。
(当時の中国・モンゴルなどの影響もたぶんに受けたと思われます。)


[ 象徴 ]
朝鮮時代(1392-1910)、 衣服に着る人の階級を 表す象徴を入れ始めました。
竜は王を、鳳凰は女王を意味し、 姫と嬪は花文様がついた服を着ました。
高級官僚たちは雲や鶴が入った服を着、黄金の色は王族たちだけ使うことができました。
パランセの婚礼衣装でもお馴染みの、宮中衣装の両肩・胸・背中の4ヶ所に付いた手刺繍の飾りがそうですね。

1910:日本の植民地となる年。

[ 色合い ]
白は純粋・統合を意味し、韓民族にとってもっとも良く好まれた色でした。王族や宮中の官僚たちは白い色以外にも赤、黄、青、黒などの服を着用ました。 この五つの色は、東洋の宇宙論である陰陽五行説の要素(火、土、水、金属、木)を象徴します。 染料は花や木の皮のような天然材料を使いました。
そして鮮やかなこの五色の色(オバンセッ)は、現在子供たちの韓服にて見て取ることが出来ます。色鮮やかな五色衣服をまとうことによって世の中の様々な邪悪なものから身を守り、無病息災や健康長寿を願ったのです。


[ ファルオッ ]
高麗時代(918-1392)と朝鮮時代(1392-1910)、王妃達が大礼服として着た衣装です。
万年長寿や幸運、富貴などを象徴する十種類の動植物の文様などを
真紅色の絹地に刺繍しました。
ファルオッはあまりにも高価だった為、百姓たちはもちろんファルオッなど着る事はできませんでしたが、時代の移り変わりと共に、庶民達も婚礼の衣装として着用するようになりました。
当時の庶民達は、高価なファロッの代わりに緑圓衫(ノッウォンサム)を着ました。
現在も韓国では、挙式披露宴後別室に部屋を設け、嫁ぐ先の両親へ初めての挨拶をする儀式の際、このファロッを着ます(下記ペベクを参照)。もちろん日本の在日にもその伝統は受け継がれ、パランセの花嫁様達がこの総手刺繍ファロッに身を包んでいます。

(前面)

(後面)



[ ウォンサム(圓衫) ]
朝鮮時代(1392-1910)、王族や高級官僚の婦人、 上流階級の女性達が礼服として着たのがこのウォンサム(圓衫)です。絹地の全体に金箔を貼ったものをウォンサムと言います。
色、そして胸と肩・背中の装飾で着る人の階級を表しました。

黄円
王妃の服
(黄の意味は金色)

紅円
王妃の服

緑円
王妃の服
(百姓達も着用)

開城円
開城の貴族たちの服



[ チョゴリ(赤古里)]
チョゴリは、時代の流れと共にそのデザインにも様々な変遷を遂げてきました。襟(トンジョン)の太さ、袖(ペレ)の幅やふくらみ、チョゴリ丈の長さなど・・・一見同じく見えるチョゴリでも、そのパターンやシルエットは本当に様々です。

襟、袖先、コルム、脇の下などに別色の生地を充てて仕立てたものをフェジャン(回装)といいます。コルムや袖先だけ変えるのをパンフェジャン(半回装)といい、襟(キッ)、コルム、袖先(クットン)、脇の下(キョッマギ)すべてを変えたものを三回装と呼びます。夫が生きている者はコルムを小豆色にし、息子がいる者は紺色のコルムをつけることが出来ました。また、結婚前の娘は黄色いチョゴリに赤いチマを着るなど・・・色によって様々な意味もありました。今では特に厳しい決まりはなく、お洒落としていろんなデザインを楽しんでいます。

今韓国では、60年代のチョゴリが流行の兆しを見せています。
ちょうど我々のお母さんの世代ですね^^。トンジョンが太く、襟がより重なったクラシカルなチョゴリが、ソウルのお洒落人の間で流行っているようです。アクセサリーも特に韓国式にこだわらず、和洋折衷ならぬ、韓洋折衷とでもいいましょうか?(笑)
着物で言うとことろの「大正ロマン」にも似ていますね!

パランセのチョゴリは、この数百年の長い歴史の中で庶民に愛されたチョゴリを現代に再現しています。パターンにこだわり、縫製にこだわるのは、歴史の絵巻を紐解くようでとても楽しいものです。







最近オークションなどで多くの激安チマチョゴリが出ておりますが、チョゴリは、最低でもバストサイズと袖の丈が合わないと着られません・・・涙。ご自身のバストサイズに5〜6cmプラスしたサイズがもっとも美しいラインを生み出します。また、お首のラインも重要です。ご購入の際には是非以下の点をチェックなさり、適正価格のチョゴリをお求め下さいませ。
1.バストサイズが適正かどうか。
2.袖丈が適正かどうか。
3.総丈がキチンと合っているか。
4.ソッチマ(ペチコート)が付いているか。
5.素材と製造国のご確認!(
ご注意!:廉価の北朝鮮産チョゴリを適正価格以上で販売するオークションもございます)
* 普通の素材が「上シルク」や「最高級・・」などとうたわれているものも多数見受けられます・・・。




[ タンウィ(唐衣) ]
唐衣 は前垂れのある長いチョゴリのことで、主に皇后や王妃・高級官僚の婦人
達の
大礼服に次ぐ礼服です。
両班(ヤンバン)社会では婦人達が大事を行う時着ました。
ドラマ「チャングムの誓い」で、チャングムをはじめ、王妃様・皇后様・宮中の女官
達もみなこのタンウィを着てましたね^^。
王族達は別途に黄金(黄色)の飾りを施したと言います。
また一説では、王様の前で手を隠す為にチョゴリの前垂れが長くなったとも言わ
れています。

 



[ トゥルマギ(外套) ]
トゥルマギとは、寒いときにチマチョゴリの上に羽織る
コートの事です。
元々は王族や官僚達の普段着でしたが、百姓達も特別な日には着用しました。






 



[ カッチョゴリ ]
カッチョゴリは普通のチョゴリよりやや大きく、防寒用の為、中にうさぎの毛など
を入れヤンダン(絹)で仕立てました。
マゴジャとも言います。






[ チァンオッ ]
朝鮮時代(1392-1910)後期、良家の女性たちが外出する時、 顔と体を隠すために
頭からかぶった服で、下流階級でかぶったスゲチマ と同様の用途に使われました。
チァンオッ で顔を隠す姿はとても神秘的で優雅な雰囲気を醸し出します。
袖の部分もデザインされてますが、トゥルマギと違い腕を通すことはありません。







[ スゲチマ ]
朝鮮時代の女性達が外出時このマントのような服をかぶりました。
チマと似ていますが、チマより約30pぐらい短く、幅も狭い方です。 季節によって2段
にしたり装飾を施したとされます。白い襟(布地)は男性が通り過ぎると自分の顔を隠
すために仕立てたものです。








[ ソゴッ(下着:内着) ]
チマチョゴリの中に着る下着。
ソッチマ (ペチコート)は、韓服を膨らましより美しく綺麗に見せる必須アイテムです。また、ソッパジ(内着のズボン)は、チマがまとわりつくのを防ぎ歩き易くしますので是非ご着用をお奨めします。
プリーツスカートのような
ムジゲ)チマは、現在は装飾用でも使われます。



[ トポ(男子が上着の上に羽織る袖が広くて長い礼服) ]
トポは朝鮮時代中期からソンビたち(学識が高く言動・礼節が正しく、義理・原則を守り、
官職・財産をむさぼらぬ人格の高潔な人
)が パジチョゴリの上に羽織った外套ですが、
百姓たちも祭祀や特別な行事がある時着用しました。






[ トルべジャ・ペジャ ]
保温用で裏に毛皮をあてたチョッキを「トル(毛)ペジャ」と言い、普通のものを
「ペジャ」と呼びます。







[ コッシン]
昔は純粋に、無地の白ゴムで出来ていたことからコムシンと言いましたが、現在は色んな改良がなされ花靴を意味する「コッシン」と呼ばれるようになりました。色鮮やかなヤンダンや刺繍をほどこした生地を貼り合わせ、バリエーションも様々です。
もちろんハルモニ(おばあちゃん)達は今でも、履き馴れたコムシンを履いてソウルの街を歩いています^^。白いコムシンの他に、改良され白い合成皮革で出来た履きやすいタイプも出ました。実はこの白いタイプが一番履きやすいのです。生地を貼る為の糊が付いていない為、全体が柔らかいからです。また、白い色は、遥か昔からわが韓国朝鮮民族の心の色とされ、清楚で、韓服にも一番似合うとされています。パランセも実は、この白いタイプが一番好きです^^;。






[ コイテンギ(前リボン)]
婚礼服である華衣を着るとき、簪(かんざし)に巻いて垂らすテンギ(リボン)です。
昔から婚姻は「二姓之合」や「萬福之源」とされ、極めて重要な儀式として盛大に執り行われました。
婚礼に用いる品々には、他のものよりはるかに多くの意味を込め、象徴的な文様を多く用いました。
コイテンギはチョッモリ(シニヨン)を固定する大きな簪の左右に1回ずつまわして掛け、両頬の横で垂らして肩まで来るようにしました。コイテンギには、他には見られないような象徴物を刺繍しており、向かって左側は鴛鴦(おしどり)と蓮、牡丹などで夫婦のむつまじさと富貴栄華を、右側は十長生(シッチャンセン)で長寿を、それぞれ祈願しました。またコイテンギの中ほどには、この婚姻が「五福倶全」、「子孫昌盛」につらなり長く幸福であるようにと直接的に祈願を記しています。
黒色のコンダン(シルク)に清らかな色糸で色鮮やかに刺繍し、それらの実現を願いました。




[ ホゴン(虎巾) ]
子供(男児)の無病息災や長寿などの意味を込め金箔を貼り、「強く聡明であれ」、という願いを込めて虎の目と耳を模倣し作ったポックォンの一種です。
とっても可愛らしいですね。
キッズ韓服のページに参考画像が出ていますが、パランセでは、特注でこのホゴンを製作しております。お子様の健やかな成長を願い、職人が一針一針丁寧に仕上げた作品です。
*一般的なのがポックォン(幅巾)ですね。作る時に全幅の生地を使うことからこの名が付きました。




[ スウィ(寿衣)]
古来より韓国朝鮮では、60歳の還暦(黄甲(ファンガプ))を迎えるにあたり、棺と寿衣(スウィ)を用意することを習慣としておりました。そこには人生におけるメリハリをきちんと考えた先人達の人生観が伺えます。また、スウィを用意することによってより長生きするという言い伝えもありました。「還暦」は次の人生をスタートさせる新しい節目と位置づけられ、日本でもおめでたい行事として赤いチャンチャンコを着せて家族で祝いますよね。





[ チマの巻き方向 ]
その昔「ヤンバンは左巻き、キセンは右巻き」という言葉がありました。事実、チマの巻きの方向によって身分を区分する時代が一時あったそうですが、しかしながらその実歴史を遡ってみると・・・我々が聞き馴染んだ話とはだいぶ違う部分も見えてきます。慶北地方のヤンバン達は右巻きに、忠南地方のヤンバン達は左巻きに・・・というように、地域や時代、社会集団によって様々であったということです。現在韓国では、左巻きにチマを着ますが、これはミシンの導入によりタックの方向がおのずと定められたことによるものだそうです。在日の中では右巻きが一般的に思われますが、現在韓国では100%左巻きなんですねぇ。ちなみにパランセは、左巻きです^^。




[キニョ(妓女・妓生)のファッション ]
日本で言う舞妓さんや「花魁(おいらん)」のようなキニョ(キセンとも呼ばれました)達のファッションは、実は一般庶民の女性達の憧れだったりもしたんですね。チョゴリの丈を短くし、胸元の帯を見せるデザインや、チマ(スカート)のハギを沢山使い大きく広げて着たり・・・etc。
一昔前の在日社会では、身分の高くないキニョへの偏見からチョゴリのデザインに制限がありましたが、本国韓国では「キニョ達のファッションこそ、韓服の歴史を語る上で重要な要素」と言われ、今そのデザインが大ブームを巻き起こしています。
ただ、袖が細いことや丈が短いことがすべてキニョスタイルと言う訳ではありません。地域・時代によってヤンバン(良班:身分の良い層)もこのようなチョゴリを着ていました。
パランセの韓服にも、悠久の時を感じさせるさまざまなデザインが取り込まれています。
伝統を大切にする中から新しいインスピレーションが生まれ、人々の心を捉える。
それが歴史であり、流行なのかもしれません・・・。
*ドラマ「ファンジニ」より



「チョゴリとパジの各部名称」
      






[ ペベク(日本では:シネン)]
挙式後、新婦が嫁ぎ先に正式に入る儀式をペべックといいます。日本ではシネン(新行)と言います。民族の礼儀作法にのっとってクンジョル(最大級のお辞儀)をし、両親にお酒を注ぎ、自分達も腕を交差しお酒を飲みあったりします。画像右は、両親が布の中にナツメを投げ入れている場面ですが、入った数だけ子宝に恵まれるという言い伝えがあります^^。最後は新郎が新婦をおぶって部屋を一周し終了します。
親戚一同が簡単に集まることの難しい現在では、挙式の直後にホテルの一室などを借りこの儀式を簡素に執り行うのが通例となっています。



       

       

          

          



[ 韓国の結婚の際のしきたり ]
韓国には結婚が決まると行う、いろいろな儀式や決まりごとが今でも数多く残っています。
日本で言う結納や婚約式のようなものだったり、伝統の食べ物だったり・・・。
時は変われど、婚礼の儀式は今も色濃く残っています。

1.イェダン(禮緞)
 
イェダンとは、本来新婦が嫁ぎ先に贈呈するピダン(絹の反物)をさす言葉です。昔はピダン(絹地)
  が高かったので高価なピダンを嫁ぎ先に贈ることで礼を表しました。伝統的に、新郎の家からピダン
  をまず新婦に渡し、その反物で新婦が義理の父母の韓服を綺麗に仕立て、贈ったといわれます。
  受け取った新郎は工賃としてお金を贈ったと言われます。
  今日では、新婦が嫁ぎ先に挨拶として贈る品物を総じて「イェダン」と呼びますが、時代の変化と共に
  今ではピダンを贈ると言ったことはほとんどありません。嫁ぎ先に初めて正式にするごあいさつなので
  とても神経を使うのも事実です。
  今では、ものを贈る代わりに、両家相談の上現金や商品券などを贈るのが一般的です。
  またこれはひとつのアイディアですが、シオモニム(おしゅうとめ様)へチマチョゴリの贈り物というのも
  昔ながらの風情を感じませんか?^^



2.ハム(函)
   ハムとは、婚姻が成就したことに感謝し、新郎から新婦へと贈る禮物を入れた箱を言います。
   昔は高価な木で作った箱を用意しましたが、現在は銀杏の木や韓紙で作ったものを贈ります。
   函の中には、5つの五穀巾着(五行陰陽説)や陰陽を意味する赤と青の絹、四柱紙といって
   新郎の生年月日や干支などを記した紙を入れました。現在でも韓国ではこの函を贈ったりして
   いますが、在日の社会では省略されるケースが多いです。




3.ペべック
   新婦が挙式後、嫁ぎ先の家に入り、おしゅうとさんや親戚達に初めての挨拶(ジョル)をする儀式を
   ペベクと言います。現在は形式も簡素化され、挙式直後にホテルの一室を借り行うケースがほとん
   どです。新婦側が用意した料理(ナツメ、栗、鶏、あめ玉・・・)を並べ、義父母達から始まり新郎側の
   親族に対し、新婦が順にクンジョルをあげお酒を注ぎます。
   
嫁から礼を受けた義理の両親は、二人が持つ布の中にナツメを投げてやり「富貴多男」と言います。
   沢山入れば入るほど子宝に恵まれるという言い伝えがあるからです^^。
   新婦がジョルをする時は、スモ(手母)二人が介添えをします。座る時はまずスモから座り、立ち上が
   る際もスモから先に立ちます。スモは常に新婦の両手をそれぞれ持ち、ジョルをお手伝いします。
   また義理の両親に用意した飴を食べてもらいます。「絶えず口の中に飴があればお小言の数も減る」
   という意味からです。最後は新郎が新婦をおぶって部屋を一周し終了します。
   なにかと忙しい現代社会では、いろんな理由からこのペべックを省略する家も増えています。しかし
   ながら、忙しい現代だからこそ、遠方に住む親戚筋の方々に容易に会って挨拶を交わせない現実の
   中で、ペべックを通して、目上の人に心を込めてジョルをすると言うのも、大切なのかもしれません。
   伝統というのは何かと面倒ですが、その中に込められた意味を再び思い返して見ますと、現代人が
   忘れてはならない教訓のようなものが沢山込められているような気がします。
   日本でこのペベックを、シネン(新行)と言っています。


 
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